第十五話
前回のあらすじ
レベル36にてREALITY行きの飛行機を影とともに調査した私は、このレベルの他のところも見てみることにした。
空港の奥の方まで歩いてきた。周りの景色を見ていると、どうも時間が止まったような空間といった感じがする。過去はしっかりとした空港として機能していた、というような痕跡があちらこちらに残っている。床に置いてけぼりになっているスーツケース然り、埃の積もった案内機然り。
そんな中、少し気になる通路を見つけた。”職員専用通路”。関係者以外立ち入り禁止と書いてあるが、そのドアは施錠されておらず中に侵入が可能。ドアを開けるとそこは先ほどまでとはかなり雰囲気が異なる場所だった。
照明の数は少なくなり空気も淀んでいる。職員用通路とのことでその見た目は無機質で、コンクリートがむき出しでやや狭い。
私はゆっくりと歩を進めた。
通路は意外と奥まで続いていて、分かれ道が見えてきた。
正面の道は段ボールなどでふさがれており、左右の道はそれぞれ「備品保管室」と書かれたドアと真っ暗な下に進む階段がある。
私は左の備品保管室を選んだ。
軽いドアはキィと音を立てて開く。薄暗い廊下とは違い照明が煌々としている。名前の通り、金属でできた棚が数個並ぶ部屋で、それぞれ棚に綺麗に整理されている。
しばらく有用そうなものを探した結果、状態のいいバッテリーや液晶画面などが見つかり、さらに書類の束も出てきた。
今後色々部品がが劣化したとき用に持って帰るとして、書類に目を通す。その多くは搬入履歴がまとめられていたり、人員配置表、入退室ログだったりしたが、その一番下に気になるタイトルの紙を発見した。
”Level:R 調査許可証
対象:L-R観測対象レベルに該当する場合、入域時には必ず自動記録装置を携行のこと
許可証発行者:MEG/調査部記録課
”
MEGとは、バックルーム内で大きな影響力を誇る組織のことである。探索者に対し支援を実施したり新発見のレベルを先駆けて調査し、異常性などをまとめてそのレベルの危険度を発信してくれるありがたい組織である。今まで全く頼ってこなかったが…
内容は切り取られていたので仕方なくあきらめたが、このレベルRは気になる。ちょうどこのレベル内に影もいることだし、聞いてみることにしよう。
(…影。少し気になる書類を見つけた。一緒に見てくれないか?)
影はすぐにあらわれた。
”どんな書類だ?”
「これ。このレベルRというのがすごく気になるんだ。聞いたことある?」
影は少し首をかしげていたが、記憶にはあったのか、それを思い出すように話し始めた。
”
Level:R──かすかに覚えている。
それは、記録されていない場所ではなく、記録を必要とする場所。
そこに入った者は、レベルの観測者であると同時に、レベルからも観測対象になる。探索者の感情・思考・選択…そのすべてが余すことなくレベルの構造に反映される。
Level:Rは空間そのものが記録を求める。自己保存のためか、もしくは他者にその存在を知らせるために。
”
レベルRは、特定のレベルのことを指すのではなく、情報を吸収し、反映するレベルのことを言うらしい。書類にて推奨されている「記録装置を携行のこと」は、それをわかってのことだろう。
…そう考えを巡らせていると、影はボソッとつぶやくように、
”…記録するものがいなければ、その空間は誰にも見つかることなく静かに廃れ、崩壊する”
と言葉を漏らした。
レベルR群と言えばいいだろうか。その空間の特徴は私にとってなんとなく既視感があった。そして、その既視感が明瞭になってくると、一つの仮説が浮かんだ。
「…影。もしかして、あなたがいたシェルも、レベルR群に入るのか?」
影は、ゆっくりと首を縦に振った。
”
私も、私がいたあのレベルも、すべてはあなたがいたからだ。私はあなたの思考がバックルームに読み取られることで生まれた。あなたが私の生みの親……
あの時もしあなたがシェルの空間の確定に協力してくれなかったら、私は今頃シェルとともに崩壊していた。あなたには恩がある。これからも協力する。
”
たしかに、シェルにて最初に概念のみの空間を確実なつくりに確定させたのは私だ。影があの空間をほとんど余すことなく私に探索させたのは、空間が忘れ去られて崩壊することを恐れてのことだったらしい。
「こちらも私ひとりじゃ探索できないところはあるから、その時はまたよろしくね」
さて、次は下に続く階段か。
光源の一切ない階段を懐中電灯頼りに降りていく。下の階は今までよりさらに重苦しいような雰囲気がする。奥に行くほど怪しい空間だ。
コンクリートむき出しだった壁はグレーのタイル張りの壁に変わり、非常灯の赤い光だけが頼りの廊下に変わった。床は柔らかいマットになり、足音が消える。唯一の音が消えたことで、より自分の呼吸音がはっきり聞こえるようになった。
後ろをついてきていた影がそっと一言、
”ここに長くいることは恐らく推奨できない。探索を続けるにしても、早期の脱出を視野に入れておくといい”
影の言う通り、雰囲気が怪しすぎる。そう意識しているからか何か影以外の存在の気配も感じるようになってきたし、早めに見て上の階に帰ることにしよう。
そう思いつつも体はさらに奥へと進む。右側に一つドアが見えたところで私の足はそちらを向いた。
「観測ルームA」
青白い光が漏れている半開きのドア。中を覗くと大型のミラーや椅子が並んでいる。こんなところに研究施設…?
私は深呼吸してはやる鼓動を抑え、観測ルームに足を踏み入れる。
中はさっきまで誰かいたように埃一つ落ちていない空間だった。部屋はマジックミラーを挟んで二つに分かれており、椅子と机が設置された取調室みたいな部屋と、その反対は録画再生機器を備えたモニター。その下にはパソコンのような操作パネルがついている。
まるで何かをここで観察実験していたような部屋だ。
私は機器の電源がついていることに気付き、操作を試みる。パソコンのような画面をいじっていると、残された映像記録をいくつか見つけた。ファイル名はどれも日時・コード・レベル番号が振ってある。私は迷うことなくその中のいくつかを再生した。
”0217-ACT3-LR
中年の男が、明らかに何もない空間に向かって焦った様子で話しかけている。周囲の壁の模様は時折屈折し、湾曲し、丸まる。これは見えない何かがいることを示唆しているようだ。最後までその様子に変化が起こることなく映像はストップした。だが男性が話していた言語は今まで聞いたことのない言語だった。
”
”0302-STAT1-LR
椅子に縛り付けられた人が、突然泣き出して名前のような単語を繰り返し叫ぶ。叫ぶたびに映像が乱れ、何かを呼び出しているかのような儀式感を漂わせる映像だ。その言語はさっきと同じく聞いたことのない言語で、映像の最後に、椅子の人がカメラをじっと無言で見つめる数秒があった。
”
”0405-ERROR-LR
映像の多くが乱れていたり飛び飛びでまともではない映像だったが、最後の一秒だけ音声が入る。「記録を続けろ。このレベルそのものが観測を欲している。」
”
見られるすべての記録にLRの文字が確認できる。おそらくこれは全てレベルR群に関する映像だろう。また、見られなかった映像のファイル名に、見慣れない言語の文字が使われている。似ている文字を挙げるとすれば、ヴォイニッチ手稿で使われているあの未解読の言語がそうか。
とんでもない実験室を見つけてしまったが、そろそろ上の階に戻らないと何か嫌な予感がして仕方ない。さっきから冷や汗が止まらなくなってきたのだ。
上の階にやや駆け足で戻る際、青白い光を放つこの部屋を再度見やり、ふと思考を回す。
(ここに記録された感情は、果たして誰のものか)
───職員通路すら出て、再び空港のロビーにいる。
私はレベルR群のことについて、ノートに追記を行った。
”
Level-R群
シェル・記録室・(恐らく)空港下層など、記録観測に反応する空間のことをMEGはLevel-Rと指定している説がある。
レベル自体が自らに対する記録を欲するため、そのレベルに入る際は記録装置やノートを常備し、常に記録し続けること。なお長期滞在は危険
未知の危険に対応するため念のため緊急脱出装置持参のこと
”
ノートにまとめ終わると私はまだこの空港で探索しきれていない場所を考えた。すると影がアドバイスするかのように思考に割入ってきて、
”滑走路や通信棟が残っている”
と言ってきた。
ならその通りに行くか。
私は影の案内に従って歩いた。
空中回廊を通り、長い廊下を渡り、着いたのは通信棟に続く外階段だった。
階段も、手すりも錆びている。風にあおられてギリギリと鳴る階段を慎重に上っていると、風に飛ばされてきた紙が体に張り付く。取って見てみるとそれはややインクの禿げたログの印刷記録だった。
”ログ記録:#TRX-11-B
通信制御器再起動失敗。遅延によりエラー頻発。まともに使えない。
出発信号は発信済みだが、到達かは不明。
待機者はなお管制室に残れ。
空間安定が検出されるまで出発処理を中断する。監視員も現場待機を命ずる。
”
階段をなおも上る中考える。もしかしてあの異常な機体が出現してからのログだろうか。もしかするとここは以前は無人ではなく、さながら現実世界にあるかのような空港であったのではないだろうか?
考察に考察を重ねているうちに階段を上りきって通信棟の上層部まで到達する。観音開きの扉を開けて中に入ると、相も変わらず無人だった。
モニター付きの管制機器に、完全に折れてしまっている送信アンテナ。ホワイトボードには何やら脱出手段に関するメモや会議跡がそのまま残っている。
机の引き出しを開けるとメモリーカードが数枚出てきた。それを管制機器に刺して再生できるか試すも、機器に電気は通っておらず、うんともすんとも言わない。
恐らくさっき飛んできたログも含めて考察すると、なにかしら異常が起きてここの機器たちは壊れてしまったのだろう。でも何故ここから出てくることを禁じていたのだろうか?そして、もしここからの脱出を禁じていたのならば今頃ここにはその人々の屍が転がっているはずなのに、その様子はどこにもない。床はきれいだ。
首をかしげていると影が壁をすり抜けて入ってきてまた言葉を漏らす。
”メモリーカードから恐ろしい量の焦りを感じる。ここにいた人たちは、きっと帰れると思っていたのだろう。でも帰れなくなった。あの飛行機が現れてから。
そして帰りたいと願う程にあの飛行機の格好のエサになったのかもしれない。あの飛行機は帰還意思の集合体だということと、ここに死体がないことからそう考えるしかない。
”
影の言うことは的を射ているような、絶妙なラインの話だ。もしかするとここにいた通信官たちは命令を無視してここから出て行ったかはわからないが、影はこのメモリーカードから過度な焦燥を感じるという。
結局どちらともいえない感じになってしまったが、このメモリを見ればわかるかもしれない。ここでは再生できないのであれば、後ほど私の拠点で見てみることにしよう。
私は複数のメモリーカードをポケットに入れた。
果たしてどこに消えてしまったのか……窓の外を見ていると滑走路の様子が確認できる。やや霧が晴れたようだ。
滑走路の遠くは相変わらず霧が濃くて見えなくなっている。それでも照明灯はついている。不規則に見えるが、着陸する飛行機を誘導するかのような点滅を繰り返している。ただ、着陸する飛行機も離陸する飛行機も、いつまでたっても一つもない。飛行機は止まっている機体は確認できるが、例の異常な機体ともう一つ、だれも乗っていない飛行機。
「このレベルはかつて様々なレベルへ飛行機に乗り込み自由に向かうことができるハブレベルだった。しかしそれは突然終わりを迎えた。その一つの特異点はこのレベル全体を巻き込み再起不能まで追いやった。
その特異点ができた原因の一つはこのレベルから現実に帰ることができるという根拠のない噂が広まったからだ。
…そしてなにより、レベル遷移において重要な思考がないがしろにされていたこと。本来レベル遷移において「思考」は重要なポジションに当たる。しかしこのレベルから多数の探索者が遷移していく度、その重要性は形骸化していった。
最終的にここを利用する人たちは、行先が”本当に存在するか”を考えることはなくなった。
……これは罰と言えよう。人間の怠慢さを表す最もわかりやすい指標だ。」
私と影はしばらく黙って滑走路を見つめていたが、あの飛行機を見ているうちに帰る強い希望だけでは現実や拠点への帰還率は上がることはないのか気になった。
そのままそれを影に質問した。
影はしばらく沈黙を返したが、まるで誰かの言葉を借りるように話し始めた。
”
帰るという感情は……確かに強い。
けれど、それはベクトルのない爆発のよう。ただ願うだけではその方向は運任せだ。
この場所においてノークリップは、座標と意識を必要とする。座標は空間の、意識は心の地図だ。
帰還を望むのなら、必要なのは戻るべき場所の確かさだ。
思い出せる街並み、におい、音──
それらを空間に思い知らせるんだ。
もし思い出せないならそこには一生帰ることはできない。
”
”
あなたがその帰還用ビーコンにつけている記録装置には、レベル11のあなたの拠点について事細かな情報が記されている。それがあるおかげであなたが意識を失っても正常に拠点に帰還することができる。意識を失った状態でもその記録が意識の代わりになる。
”
今回の36の探索は情報面での収穫が非常に多かった。そして帰ったら、メモリーカードの解析をせねば。
ビーコンを取り出し、起動の準備をする。
”
帰るのか。協力させてくれてありがとう。私もシェルに戻る。また好きなときに呼んでくれればすぐ向かう。
”
「こちらこそ。協力ありがとうね」
そして準備の完了したビーコンのボタンを押して、通常帰還を試みる。改めて、レベル11の拠点の様子を思い浮かべながら、ビーコンが生成した空間のひずみに手を入れた。
バックルームのあの何とも言えない怖さが表現できたらいいんですけど、うまく表現する方法を探り探りの状況です。
今回登場したレベル
Level 36:"Airport"
作成年不明
71.219.69.96 氏 作
https://backrooms.fandom.com/ja/wiki/%E7%BF%BB%E8%A8%B3/Level_36
CC BY-SA 3.0
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