第十話
前回のあらすじ
影とのコミュニケーションで危険なレベルや安全なレベルのほか、なんと現実への帰り方も抽象的だが教えてもらった。だが、それを実現するにはまだ知識も技量も足りない。まだまだ元居た場所へ帰るのは後になりそうだ。私はレベル11の拠点で休むことにした。
記録をつけよう。
これは拠点で休んでいて急にひらめいたことだ。今までの冒険譚を日記風にまとめて、今後遠い未来でも私の冒険譚を読んでくれる人がいたら…ただ、そう思っただけである。
新しい無地のノートがまだ残っている。その表紙に「Backrooms 探訪録」と記し、これまでの探索、冒険を覚えている限り記していく。
まず自分が現実世界でどのような暮らしをしていたか。そして、階段で足を滑らせた拍子にここにノークリップしてしまったこと。それからレベル11に拠点を構えるまで無防備に等しい装備でレベルを渡り歩いたこと。
拠点を構えてからはレベルたちをこの足で探検してみたいと、自作で遷移装置を作り、その後も冒険から得た知識と素材をもとに様々な機能改善・アップグレードを行った。今やその性能は、他の人が複数人で作った遷移装置などと遜色ない仕上がりだと自信を持てるほどだ。
さらに、自身の身を守るために対エンティティ武具も作り上げ、現実に帰るための装置の概念を教えられて今に至る。
一旦書けるところまで書ききったが、尽きないであろう未知への探求力は、この先この記録帳をさらに濃いものにしていくだろう。
───それからひと眠り。
今日もレベル11の空気は都市とは思えないほどに澄み切っている。気温も上々。まさに快適な空間だ。こんなに気持ちのいい日は、ずーっと拠点でだらけていたくなるが、お出かけをしたい気分もある。でも、観光に値するレベルを私は知らない。いままで会ってきた人物の中で、観光名所を知っていそうなのは……歴が長そうなマークか、知識の象徴、影か。
…しばらく連絡を取り合っていないマークに聞いてみることにした。
無線機を取り出し、マークに音声を送る。
「久しぶりマーク。バックルーム内で観光したい気分になったんだけど、何かおすすめのレベルはない?」
返信はすぐに帰ってきた。
「久しぶり。そちらは色々順調そうだね。しばらく会っていない間に成長したような雰囲気、声だけで感じ取れるよ。
えっと、観光案内の仕事は経験がないんだけど。私が組織に所属していた時に慰安旅行で行ったレベルの一つなら紹介できるよ。
”レベル14271、ノスタルジアの街”。このレベルはアメリカの住宅街。ずっと夕方の情景が映し出されてるレベルだよ。まあなんで印象に残ってるかっていうと、私の故郷に瓜二つでね。今もそのレベルにもう一度行ってみたい気持ちはあるんだけど、レベル4に帰ってくる手段が確保できなくてね…今のところ保留になっているよ。
そんな感じでね、私だったらここをお勧めするかな」
私は興味がわいた。マークの故郷のような空間…観光目的なのだから、外国観光と思えば素晴らしい思い出になるだろう。
マークに感謝の音声を送ると、さっさと荷物をまとめMk.2のところに行く。部屋のはずれに設置されているMk.2は今か今かとその役目を待っているように見えた。
起動準備に取り掛かる。行先レベル情報の入力。先ほどマークに教えられた通りにその特徴を入力していく。そして起動ボタンを押してしばらく…
赤いランプが点灯した。満タン充電のビーコンを忘れずにバッグにしまい込み、最終確認をすまして遷移開始する。おおきな衝撃とともに、私は床に吸い込まれていった。
…………
もうこの遷移方法にもずいぶんと慣れたものである。最初は遷移する度に気を失っていたのが、ここのところはVOIDから遷移先までの道のりすべてが見えるようになってきた。
その地面が見えてきたところで、着地の姿勢を取り、シュタッと着地に成功した。
「黄昏の、無人郊外へようこそ」
私はあたりを見渡す。
見たところ、マークの言う通り、よくあるアメリカの郊外の住宅街と言えばこうという、ステレオタイプの、イメージ通りの、そんな光景だ。空は茜色に染まり、影の伸び方を見るに夕方の時間。道路の看板には”サンセット・プレーン通り”と道路名が書いてある。道の両脇には整えられた芝と、白い木製フェンスで仕切られた白で塗装された一戸建ての並ぶ、閑静な住宅街。
これは…マークが懐かしさを刺激されるのも納得である。都合の良い過去の記憶の再現というか、人の感情を揺さぶるのが上手いというか。ここには私以外誰も存在しないはずなのに、どこかの家から漏れた夜ご飯のおいしそうなカレーのにおいと、家の壁に立てかけられた一台の自転車。レベル名がそのままピッタリ似合う、ノスタルジーを刺激されるレベルである。文化圏の全く違う私ですら心を揺さぶられているのだから、マークにとってはこれ以上ない最高の空間だったに違いない。
そんな住宅街を歩いていると、その一角、一軒家分の空き地に公園が敷設されている。砂利が敷かれた広場の中に錆びかけの鉄棒、滑り台、そして二つ並んだブランコ。ブランコの片方はひとりでに揺れている。公園の外枠のようにベンチと落葉樹が植えられ、その落ち葉が各遊具に落ちている。
瞬間、どこか遠くで犬の吠え声が聞こえたような気がして、また静寂に戻る。
私はベンチに腰を下ろした。わずかに吹く風が落ち葉を舞わせ、私の頬を撫でる。ブランコのキィ……コ……と静かに揺れ続ける音と、空の温かい色が心の静穏を刺激する。ここはとにかく落ち着く空間だ。暖かな雰囲気は私をここに残るように催促しているような気がする。
ひたすらにその雰囲気を味わって、数十分しただろうか。そろそろ…ほかの場所にも行ってみようかと思った。特に目的もないまま、公園を後にして、歩く。
ただただ続くその白い家のみの景色は、私の興味を刺激する。
(もし…この家々の中に入ったら、どんな光景が広がっているだろうか)
魔が差した…というべきか。でも、ここは不法侵入の法律があるわけでもない。別にそれをしたってかまわない。ならば…
適当に、目の前にあった家の、白い玄関ドアに手をかける。カギはかかっていない。ギィと開いたその先には、よくある家の間取りがあった。
よくある家の内装という感じ。少しの廊下にリビングのドア、開けて中に入るとソファとテレビとキッチンと。その食卓の上にはコーヒーのこびりついた汚れのついたマグカップと、未開封のパンの袋が置いてある。窓から差し込む夕日が、まぶしいような、温かいような。
テレビのリモコンをふと手に取る。電源をつけると、数秒ののち、古いビデオテープのような映像を映し出した。
学校のグラウンドを走る子供たちと、それを応援する大人たち。モノクロの公園と遊具。どこかの家庭の食卓を囲む談笑の姿。様々なホームビデオのような映像が流れた後、
…この部屋と、私の後ろ姿が映る。
驚いて後ろを振り向くが何もなく、再びテレビを見た時にはテレビの電源が落ちていた。また電源をつけようとしたが、もう砂嵐しか映らない。
今のは一体何だったのだろうか。少し、このレベルに対して怪しい雰囲気を感じ始めたが、バックルームではよくあるような、ちょっとした事象であろうと、勝手に結論付けて心のざわつきを抑える。何せ、このレベルには観光に来たんだから。
もう少し、この家を見てみることにする。キッチンに行くと、食器棚に陶器製のカップと皿が数枚。棚の引き出しを開けるとそこから誰かの筆跡によるレシピが数枚出てきた。その文字は幼い文字で、すべて、日本語の平仮名で書いてある。
(日本語…?)
冷蔵庫は電源が入っていない。中身も空。扉の部分にはマグネットに留められた紙切れに、「おかえり」。その紙切れを取って見ると、裏面には「またいっしょにあそぼ」と、平仮名だけで書いてある。
リビングに戻って、壁に飾ってある写真を見る。写真は大柄な男と痩せた女、そして真ん中に幼い女の子の三人の映った家族写真らしきもの。ただ、その全員の顔の部分がぼかされたような編集を受けており、表情は確認できない。隣の写真にはこの建物の間取り図が入っており、この家に二階と、そのうちの一室が閉ざされていることを示している。
廊下に戻り、階段を見上げる。電気はついていないが、外からの自然光でやや照らされている。
私は興味のままに二階に上がった。
二階は水回りと寝室二つ、そして、閉ざされた部屋。
洗面所の鏡は、私の顔を決して映さなかった。無理やり顔を映そうとしても、謎のぼかしがかかる。あの写真と同じだ。水回りはそれ以外特段異常はなかった。
他の部屋も見ていこう。やはり気になるのは閉じられている部屋だが、その前に見れるところは全て見ておきたい。寝室のうちの一つ、ドアにかけられたプレートに「マーク・エナ」と書かれている………
「え?マーク?」
思わず声に出していた。まさかその名前があるとは思っていなかったからだ。突拍子もない突然のことに少し驚いた。この家はマークの家なのか?でも、そんなことは確かめようがない。もしかしたら同名の別人かもしれない。ここでこのことを深く考えるのは無駄だと直感した。
中を見る。シンプルなダブルベッドに、サイドテーブルと本が十数冊入った本棚。ベッドにはついさっきまで最近使っていたような気配が残っている。まるで、突然この空間から住人が追い出されたかのよう。サイドテーブルの上にはもう色あせて何の写真かわからないものが一つと、日記帳。筆跡は丸い字をしていながら、若干震えながら書いたような、そんな不安定な文字だった。
”またあの夢を見た。あの子が笑っている夢。でも目が覚めたら、もう誰もいない。
何度目だろう。この世界はあの日から止まってる。時間だけ、過ぎているフリをしてるけど、実際は進んでない。
あの部屋、怖くてまだ開ける勇気が持てない。でももし、その勇気が持てたなら。もし、ほかのだれかが開けたなら…
”
この先の筆跡はだんだんと荒っぽい字になっていく。
”あの出来事をないがしろにしちゃいけない。もしあの部屋を開ける勇気を持った人が現れて、もしこの日記を読んでいるならば…
覚えていて。あの子の名前は───
”
その先の文字はすべて黒で塗りつぶされていた。
日記帳をもとの場所に置く。おそらく、あの部屋はこの家の秘密が隠されている。テレビを見た時に起きた異常も、もしかするとこの閉ざされた部屋が開けられていないのがなんらかの原因ではないかと推察した。
この後、本棚も見てみたが、特にこれといったことはなかった。ただの本棚である。
さて。
閉ざされた部屋。この部屋のドアには軽く板材が打ち付けてある。はがそうとすると案外脆く、すぐ壊れてしまった。
ドアからは何も感じない。でも、空気は少しほかの場所に比べて重たいような、そんな気がする。ドアノブに手をかける。錆びてはいない。カギもない。ただ、隠された何かを封印しているような感覚がする。
私は深呼吸をして。
ドアは、ゆっくりと開いた。
真っ暗である。カーテンは閉ざされ、照明も切られている。カーテンを開けて部屋に明かりが入ると、その全貌が露わになった。
小さな、子供用のベッド。その上にテディベアのようなぬいぐるみが一つ。壁には子供が描いたような絵が貼られている。太陽に家、笑う人々…だが、その右半分がぐちゃぐちゃに塗りつぶされている。
それを見てゾッとした瞬間、
「ねえ、あそぼう?」
誰か幼い女の子の声が、後ろから聞こえた。
恐怖心を抑えつつも、壁の絵をじっと見る。右側の塗りつぶされ方は、さっきの日記帳の塗りつぶし方が一緒である。おそらく、大人が手を加えている。
赤と黒で塗りつぶされている中に、かすかに文字が読み取れる。……子供の字だ。
「……くん もういない…」
「……ちゃん ドアをしめないで」
「ママ、わたしが……………」
何とか読み取れる字の中に、子供の悲痛な叫びが残っている。ママ…らしき人物と、何かあったようだ。
そう考えていると、ふと視界の端にいたテディベアが動いたような気がする。
ベッドに近寄ってみてみると、そのぬいぐるみは、使い古されて多少くたびれている。
左腕は縫い合わされており、首に巻かれた赤いリボンにタグがくっついている。
”トモダチのくまちゃん
……ちゃんへ おたんじょうびおめでとう
わすれないでね
”
しっかり見ようと優しく抱きかかえた刹那、ふわりと、この部屋の張り詰めた空気が軽くなったような気がした。そしてそのぬいぐるみから「ありがとう」という雰囲気が漂ってくる。まるでこの部屋に閉じ込められた子供の意志がこのぬいぐるみに残っているかのようだ。
これは、終息したのであろうか?
私は、ベッドに座り、このぬいぐるみを膝にのせて、ここの記録をつける。今日作ったばかりの探訪録に。
”レベル14271 ノスタルジアの街
無人のアメリカ郊外住宅地。ずっと夕方。
ひとりでに揺れるブランコのある公園。
すべて同じ見た目の白い家々。
そのうちの一つ、感情が残留する家。
ぬいぐるみを発見。過去の感情が遺されている
”
ノートを閉じた。ぬいぐるみは尚幸せそうな表情をしている。
「フフ、幸せそうだな」
「楽しい場所だ、ここは」
いつの間にか声が漏れていた。
すると、後ろから声が。
「わたしもたのしい!」
その瞬間、窓が開き強い風が入り込んでくる。壁のあの半分塗りつぶされた絵は、その風によって右半分だけ破れ、窓から飛び出していった。
風が止むころこの部屋に残っていたのは、プラスの感情と温かい雰囲気のみ。もう、あの苦しい雰囲気はどこかへ消えてしまった。
……これは。
今のをノートに軽く追記した。
これは私の考察なのだが。おそらく、この部屋は中にいる人物の感情により変化する性質を元から持っていたのだろう。子供を閉じ込め長らく溜まった負の感情が、この部屋をどす黒く染め上げたのだ。
しかし、そんな絶望の中でも理性を保ち続けたこの子は、いったいどんな強靭な精神をしていたんだろう。ぬいぐるみを抱えながらそんなことを思った。
そろそろ移動しよう。このぬいぐるみをベッドの元あった場所に戻し、軽く一礼して部屋を出て、階段を下り、外に出る。
かなりの時間がたったはずだが、外は相変わらず黄昏時の様相。
風は穏やかで、人のいる感じはない。
…ほかの家はどんな感じなんだろうか。
気になってしまった私は、もう一軒、向かいの家に足を進めるのだった……
設定を盛るごとに既存レベルとかけ離れていくので、独立してオリジナルレベルの誕生です。ちょっと重要なレベルかも。
今回登場したレベルたち
level 14271 : ”ノスタルジアの街”
一部オリジナルレベル
↓ ↓ ↓
参考元(見た目だけの参考)
Wikidot版レベル 995 : "Reality aligned houses"
作成年不明
RiemannHypothesis氏 FoodPieIntegration氏 作
https://backrooms-best-data.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AB_995
CC BY-SA 3.0
Level 11: "The Endless City"
2019年作成
Nerdykiddo4884氏 作
https://backrooms.fandom.com/ja/wiki/Level_11_(1)
CC BY-SA 3.0
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