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看板婿の化けもの事情  作者: 嶋村成
一、戯作者と猫
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第六話

 とんぼ返りした旺志郎を待っていたのは源三郎の罵声ではなかった。旺志郎が帰る頃には源三郎は既に床についており、寝静まった廊下をそろりそろりと歩き、旺志郎もまもなく床についた。だが、おいそれと寝入ることなどもちろんできるわけもなく、ただ布団にくるまり明日に怯えていた。

 怒られるのは目に見えている。火を付けることも叶わず、あろうことか発見され、尻尾を巻いて逃げおうせたのだ。けれど、どうして怒られなければならないのだろうと理不尽さも覚えていた。間違っているのは源三郎の方だ。放火などいくらライバル店だといえ人のすることではない。むしろこれで良かったのではないだろうか。少なくとも放火犯として牢屋にぶち込まれる可能性はないのだ。ただ、だからと言って龍陣堂の現状は変わらない。明日も龍陣堂には閑古鳥が鳴くだろう。

 考えても考えても答えは出ない。寝返りを打つ回数が重なるほど、明け方に近づいていく。

「どうしたら……」

 と、頭まで被った布団を強く握りしめた時、外からかすかにまた「にゃおん」という声が聞こえた。

 まさかと思い布団をめくりあげる。そうすると襖の向こうにピンとたった二つの耳と長い尻尾を持つ生き物の黒い影があった。思い当たるのは一匹の猫だ。

「ちゃ……茶太郎か?」

 こんな所に来ては行けない。と慌てて立ち上がり、襖を開いた。だが、そこには何もいない。いつもの中庭が広がっている。

 なんだ気のせいか、と部屋に戻ろうとしその時。

「ぎぃやああああああぁぁぁ!!!」

 暗闇を劈くような叫び声が響いた。

「なんだ!?」

 声の主は源三郎だ。急いで源三郎の居室に駆けつけると、襖を開いてまず目に飛び込んで来たのは闇の中でもギラリと輝く大きな鋭い爪だった。その爪が今にも源三郎の喉を掻っ切らんとしている。爪を辿って目線を上に移すと、大きく開いた口から飛び出した大きな牙。今にも呑み込もうとしている黒ぐろとした瞳孔。普通の猫の十倍はくだらない白い巨体が、横たわった源三郎にのしかかっていた。

 旺志郎は入口で腰を抜かした。

「ば……ばけねこ……」

 呟いたそれは、声になっていたのかいないのか、それすらもわからない。

 源三郎も目の前の光景に固まっていて、息すらしているのか危うかった。

「親方様ー! どうされましたー!」

 騒ぎに番頭や女中達が起きたようで慌てて駆けつける。

 その姿を見て、旺志郎は化け猫を力なく指さした。

「あ、あれが……」

「え? なんです?」

 拍子抜けするような軽い返答に旺志郎は「見てわからないのか!」と視線で訴えたが、皆は源三郎のいる方向と旺志郎と見比べて疑問符を浮かべている。

 話にならないと、視線を源三郎に戻すと、先程の化け猫の姿がこつ然と消えていた

 その状況にまた唖然とした。何処へ消えた。まず間違いなく、今さっき視界は化け猫に埋め尽くされていた。だが、今は部屋の隅から隅まで見やってもその気配は一切ない。

 源三郎も虚空を見つめながら「化け猫が…化け猫が」とうわ言を吐いている。

 番頭達はぼんやりしている主人と息子に首を傾げ、困惑していたが、一人が「幻覚でも見たのではないか」とこっそり呟いた。

 店の窮状を知っている皆は、それはそうかもしれない、と一同頷き、憐れむように二人を介抱した。


***


〝化け猫現れる!?〟

 巷ではそんな見出しと共にかわら版が擦られた。天満堂の〝化物遊戯〟になぞらえて事実に虚言を交えて大げさに面白おかしく書かれたそれだが、その一報も龍陣堂の主人の窮状からくる幻覚ではないかと締めくくられ、まさか本物ではあるまいというというのが世間一般の考えだった。

 軒先でそのかわら版を手にしたお優は一人ほっと胸を撫で下ろし、かわら版を畳み、家に上がった。

 広間では男衆が3人車座になっている。

「んで、あの龍陣堂の倅はどうなったんだ?」

 聞いたのは、手代の佐平だ。

「観察に行った茶太郎によると今は真面目に家の仕事に励んでいるそうだ」

「ちょっとやりすぎたんじゃねえ?」

 佐平に話しを振られた榎吉は眉を顰める。

「やったのは弥助だろ。僕じゃない」

 その奥で製本作業に勤しんでいた弥助は涼しい顔をして答える。

「なあに、ちょっと本当の姿を出してお灸を据えただけだ。バレてもねぇし。これで平穏無事な毎日が戻ってくるんなら、安いもんだろ」

 そう、源三郎が見た化け猫は本物である。源三郎のやりすぎた行いに〝ちょっと脅かす〟つもりで姿を表したのだ。弥助が化け猫の姿に戻ったのは一瞬の出来事で、すぐに普通の猫の姿に戻り、あの件の騒ぎに紛れれば抜け出すことは容易だった。証人は誰もおらず、夢現ぬ出来事とそう変わらない。

「でも茶太郎は少し寂しそうだね」

 茶太郎は縁側に設けられた慎ましやかな庭で背中を向けてぼんやり佇んでいる。

「ハハハ、茶太郎は気の弱そうな人間が好きだからな。ちょっと楽しいおもちゃを失くしたようなもんだろう」

 猫仲間の弥助は茶太郎と仲が良く、よく弥助は猫の姿で茶太郎と遊んでいる。

「でも火をつけようなんてとんだ輩だせ。こっちかって必死にやってるつーのによ」

 憤慨する佐平をお優が嗜める。

「まあまあ、良かったじゃないですか。何事もなく済んだのですから」

「確かにそうだね」

 榎吉は同意すると、お優と二人で微笑みあった。

 平和な二人を見やり、弥助はなんだかむず痒さを覚えながら呟く。

「これで済んだら良いがね〜なんか嫌な予感がしやがるぜ」

 天満堂の非日常は続いていく。

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