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看板婿の化けもの事情  作者: 嶋村成
一、戯作者と猫
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第二話

 珍しく真面目に仕事をしていると、昼間だけ休みを貰えた。父の源三郎が気味悪がって与えたのだ。この機は逃せないと、旺士郎は早速行動に移した。

 龍陣堂から天満堂までは徒歩二十分。途中、橋を渡り、川向こうの表通りに立っている。

 天満堂は旺士郎のいる龍陣堂と同じく地本問屋だ。信次郎で三代目だと源三郎から伝え聞いていた。現在、その信次郎は病を患い、床に臥せっている。信次郎が倒れたことで、奉公にやっていた娘を呼び戻し、婿を取らせ、婿が若旦那となったという訳だ。

 商家が婿を取ること自体は珍しくはない。息子ではなく、娘に家を相続させ、優秀な婿を迎え入れるという家もある。

 ただ、天満堂が婿を取ったことには周囲の誰もが驚いていた。けれどそれも、信次郎の店が潰れないということが重要だったようで、驚愕よりも安堵を口にする人が多い。

 本問屋と書かれた箱看板が見えてきた。和紙と木材で作られた看板で、路上にはみ出すように置かれている。

「いらっしゃいませ」

 天満と書かれた短い暖簾をくぐると、気持ちのいい声が出迎えた。店先には龍陣堂と同じように、戯作や草双紙(くさぞうし)(漫画)が傾斜を付けた木枠の中に並べられている。

 店の中には昨今の龍陣堂とは訳が違い、数名の客がいた。中には女性の姿もある。出迎えたのは帳場の男。控えめな鼠色の小紋に、腰に『天満』の前掛けを巻いている。様子からして番頭だろうと分かった。龍陣堂の帳場には旺士郎がよく座っているが、それは源三郎が旺士郎のサボり癖を防ぐ為にそうしているだけだ。店の者が駄目ならば、客に見張って貰えば良いという考え方である。

 軒先の本をただ眺めているだけでは、正体は掴めない。かと言って、龍陣堂の名前を出す訳にもいかない。しばらくどうしようかと店の周辺を彷徨いて頭を悩ませた挙げ句、旺士郎は一つ嘘を付くことに決めた。

「私は戯作をしたためている者なのですが、こちらの本が人気と聞いて伺ってみました。あなたが若旦那の佐久間榎吉さまですか?」

「いえ、私は番頭の弥助(やすけ)という者です。若旦那さまですね。お呼びします」

 番頭は愛想よく応対し、奥に引っ込んだ。旺士郎は内心ひやひやして待っていたが、ここまで来ては仕方ないと、腹を括った。

 現れたのは、噂通りの容姿をした男だった。色味は落ち着いているが質の良い羽織りと着物。整った顔出ち。髭もちゃんと処理されており、顔に浮かぶ爽やかな笑みがまた眩しい。

 店にいた女性客が開いた本を手にしたまま、現れた婿に見入っている。奥方が夫を他所に騒いでしまうのも無理はなかった。

「初めまして。佐久間榎吉と申します」

 婿は畳に手をついてうやうやしく挨拶した。

「戯作者さまとお聞きしましたが、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 ぎくっとして、旺士郎は目を逸らした。名乗れるような名はない。

「いやいや、名乗る程の者ではありませんので……所で、こちらは化けもの話を取り扱っていると伺いましたが」

「そうです。全くありがたいことなのですが人気を得ましたので、次は草双紙をと思い、先日でき上がったのがこちらです」

 と言って、婿は軒先から一冊の本を手に取った。

「なるほど。よろしいですか?」

「ええ。是非、お手に取ってみて下さい」

 開いてみると絵が主体の草双紙で、開いたページには狸の尻尾が生えた人間が載っている。旺士郎は思わず面食らった。

 なんと面妖な。着物を着た人間の頭に狸の耳が生え、後ろの尻尾を揺らしながら、薄っすら笑っている。化け狸だ。

 旺士郎は、〝婿は狸〟だと言われたことを思い出して顔を引き攣らせた。

「どうでしょう?」

「な、なかなか面白そうですね」

 にこやかに応じて、素早く本を返した。これ以上眺めていたら、口から「化物」が飛び出しそうだ。

 だが、そういえば先ほどの草双紙のように、化け狸や化け狐に欠かせないのが尻尾や耳だ。しかし勿論、婿にそんなものは生えていない。それはそうだ。わざわざ尻尾を出していたら、自分は化けものですと言いふらしているようなものだ。

 これは骨が折れそうだ、と旺士郎は肩を落とした。

 来たらなんとかなると思っていた訳ではないが、簡単に行かないことを失念していた。仮に獣だったしても、人間界で暮らしている。人の姿をよく観察し、それと分からないように生活している筈だ。

 先に情報収集をした方が良かっただろうか。旺士郎は、思案しながら店内を見回す。ふと、帳場格子の横に座っている猫に目が留まった。毛に黒と茶が入り混じった、まだら模様の猫だった。

 猫は旺士郎と目が合うと、瞳を煌めかせ、にゃおんと鳴く。その反応に旺士郎は恐れ慄いた。旺士郎は猫が嫌い……いや、怖いのだ。

 しかし、そのまだら模様の猫はすっと立ち上がると、旺士郎の元に歩み寄る。

 まさか逃げ出す訳にもいかず、硬直していると、足元にすっと身体を擦りつけられた。

「にゃおん」

 旺士郎を見上げて、甘えたように鳴いて見せる。人に慣れているようだが、旺士郎は震え上がった。

 おおよその猫は旺士郎が近付いただけで呻る、引っ掻く、噛み付いた。何よりあの目がいけない。こちらを見透かしているかのような、丸くて大きい瞳。元々ひ弱な旺士郎は、飲み込まれそうなあの瞳が苦手だった。鼻歌を口ずさみながらいい気分歩いていると、まだ温かい猫の(ふん)を踏みつけたこともある。なけなしの金で買った屋台の(すし)を、ネタだけ持って行かれたこともあった。シャリだけを口せねばならない時の情けなさは、言い表しようもない。

 最初から怖かった訳ではないが、猫に遭う度に不幸に襲われ、苦手意識が濃くなって行った。最早、旺士郎にとって猫は鬼門。避けて通る物だと認識していた。

 暫く撫でてくれ、とすり寄っていた猫だが、旺士郎が期待に応えることはなく、諦めて元の場所に戻った。

 胸を撫でおろす旺士郎を、婿がにこにこと見守っていた。

 その時、店の一角が俄かに騒がしくなった。数人の客が一冊の本で楽しそうに談笑している。中心にあるのは噂の〝化者遊戯〟だ。

「あれが有名な〝化者遊戯〟ですか」

「ええ、読んでみられますか?」

「お願いします」

 畳に上がった婿の後をついて行く。

「どうぞ。ゆっくりご覧になって下さい」

 婿は、本を手渡した後、さり気なく旺士郎の傍を離れたので、ゆっくり開くことができた。

 主人公はそれぞれ違う商家に、人間に化けて奉公する三人(匹)の化けもの達。元々は人間に悪戯をする化けものだったが、町の人に助けられた経験から町に居つくようになった。小さい港町で、出入りする者の中に狼藉者も混じっている。三人(匹)は、町で何か事件が起こるたびに駆け付け、真の姿を現し、狼藉者を成敗するのだ。

 現れる狼藉者というのが、また絵に描いたような悪人だった。殺人、窃盗、詐欺など、悪事の限りを尽くし、健気な人々を愚弄するやからばかり。その悪人共が、化けもの達に怯え、いなされ、捕らえられ、正式に裁かれる。全く痛快愉快な物語だった。

「どんな人が書いたんだろう」

 本を閉じると、本音が口から飛び出した。

「それは申し上げられません」

 いつの間にそこに居たのか、婿が近くに座っていた。相変わらずにこりとした笑みである。

「御本人からのたっての願いでしてね。だからうちでしか取扱がないのですよ」

 本来人気になった作家は、あちらこちらから新作を強請られるものだが、この本の作家はこの作品しかないらしい。あんたが、化ものだから特別に卸してるんじゃないだろうな。などと、勿論口にする訳にもいかず、自然な手つきでなけなしの金を手に握っていた。

「何か書かれる機会ございましたら、わたくしの方でも気軽に声かけて下さい」

 優しく見送る婿を、旺士郎は曖昧に微笑んでやり過ごす。龍神堂の息子だとは、口が裂けても言えない。

 橋の中央まで進んで、欄干に両腕を乗せた。橋の向こうでは、陽が沈んで行く。その様子をぼんやり眺めながら、旺士郎は溜息をついた。

 何故、自分が天満堂の戯作を買っているのだろう。正体を見抜いて、鼻を明かしてやろうと思っていた筈なのだが。

 しかし、面白い戯作に罪はないし、あの様子では店を見張っていた所で正体は掴めない。おまけに猫までいる。何か別の方法を考える必要があった。

 旺士郎は重い足取りで家路についた。


「噂の出どころ?」

 店に立っていた日、最初の男性客二人と遭遇し、それを訊いた。

「ええ、そうです。天満堂の婿の噂が本当かどうか知りたくて」

 客の一人は考え込むように顎に手をやった。

「さぁてねえ……もうあっちこっちで騒がれてるからなあ……出どころなんて」

「ああ、でも婿の出身地も、天満堂に来る前の店も、分からないって話は聞いた。ただ、あえてそうしてるんじゃないかって意見もある」

 続いた相方に、さっきの男が「秘密だから戯作も売れるってか」と冗談めかす。

「本当ですか?」

 尋ね返した旺士郎に、相方の男が頷く。

「ああ。普通ならそれとなく情報が入って来るもんだがなそれもない。婚姻式も派手にやらず、身内だけで済ませてしまった」

「信次郎さんには兄がいた筈だが、もう亡くなってるしな。兄の息子も遠くに引っ越しちまったらしいし、身よりはないらしい。まあ、年齢を考えちゃ当然だがな」

 信次郎は、もう六十を超えていると聞く。五十、四十で亡くなる者が多い中、長生きと言えた。

 やはり化けものなのだろうか。それとも噂はあくまで噂なのか。客から情報を得ても、婿の謎は深まるばかりだった。

「旺士郎、この戯作者の所に原稿を取りに行ってきてくれないか」

 夕飯の時間が迫ろうとしている頃、源三郎に使いを頼まれた。

 向かった先は、橋を渡った先にある裏長屋の一角。本業は大工で、傍らで書きものをしている方だ。戯作者の殆どは兼業だ。余程売れない限り、それ一本で生きて行くことはできない。

「源次郎殿によろしく伝えてくれ」

 返事をして敷居を跨ぎ、原稿の入った風呂敷を大事に抱え、戸を閉める。さて飯だと、踵を返した時、そこに猫がいた。それも天満堂にいたあのまだら模様の猫だ。

 なんでこんなところに。旺士郎がおののきながら、反対方向に後ずさると、猫も一歩踏み出した。

 何故。旺士郎が更に一歩後ずさると、猫は一歩こちらに近付く。律儀に一歩だけだ。

 身体にまたたびの臭いでもついているのか。いや、そんな筈はない。猫を呼び寄せる恐ろしい植物など、寄ってきても避けて通る。

 更に一歩重ねると、向こうも一歩進む。だんだん恐ろしくなって来て、旺士郎は風呂敷を両手に抱え、駆け出した。だが後ろを振り返ると、猫が全力で追いかけて来ていた。

「なんでだぁっ!」

 旺士郎の慟哭(どうこく)が裏通りを駆け抜ける。

 逃げる旺士郎、追う猫の構図。旺士郎は最早泣きそうだ。

 やはり自分は猫に呪われているのだ。これは祟りだ。

 必死の形相で逃げ続けること数分。猫が旺士郎を追い抜いた。

「えっ」

 自分が追われていると思っていた旺士郎は、拍子抜けして足を止めた。

「茶太郎じゃないか。こんな所で何をやっているんだい?」

 猫は茶太郎と呼んだ主の元に駆け寄った。茶太郎はそのまま男の腕の中に引き込まれ、嫌がることもなく撫でられている。

 旺士郎はその相手を見て硬直した。

「あれ、先日の戯作者さまではありませんか。どうされました?」

 天満堂の婿、佐久間榎吉だった。いつの間にか表通りまで来てしまっていたらしい。

「ははっ、どうも。偶然ですね。ちょっと通りかかったんですよ」

 旺士郎は乱れる息をなだめながら、後ろにすっと風呂敷を隠した。龍神堂の使いの帰りだとも言えないし、その猫に追いかけられていたとも言えない。

「そうですか」

 茶太郎が、にゃおん、と鳴いて婿の手から滑り降りた。そして何をするかと思えば、旺士郎の足にすり寄って来るのである。

「おやおや、懐いてしまったようですね。茶太郎はあまり人に懐かないのですが」

「そそそそうなんですか、はは」

 何で自分なんだ、とコイツを問い質してやりたかった。

「茶太郎も離れようとしませんし、よろしければ、晩御飯食べて行かれませんか? 丁度、妻が支度にかかっていると思います」

 妻、と聞いて旺士郎は閃いた。奥方は婿が化けものだと噂されることをどう思っているのだろう。快くは思っていない筈だ。それにもし、婿が化けものだったとしたら、奥方は怯えて暮らしているのではないだろうか。

 やや迷った末、「是非」と旺士郎が返事をすると、茶太郎はすっと足から離れた。

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