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看板婿の化けもの事情  作者: 嶋村成
一、戯作者と猫
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第一話

――数ヵ月前

「では、なるべく安静にされますよう」

 医者と相対している年配の女性。その声を襖の向こうから、静かに聞き耳を立てている影が4つ。

「はい、ありがとうございます、先生。恩にきります」

「いやいや、礼には及びませんよ。後はもう……信さんの本人の体力に任せるしかないですから……」

 声色に諦念と祈りが秘められていることに気がついている。なんとか平常心を保っている面々だが、一匹は動揺から口元に牙が光る。すると後ろにいた一匹に尻尾を引っ張られ、嗜められた。不快感はあったろうが、冷静になれたようで牙を引っ込ませる。

「では、私はこれで失礼したします。信さんに何かあればすぐに連絡を寄越して下さい」

 女将が「分かりました」と礼をする声が聞こえた。

 医者が去るまでじっとこらえたあと、年配の女性が部屋に戻ってきたことを察知し、一匹が閉められていた襖を開いた。

「お(ゆう)さん!」

 襖の向こうは五畳ほどの広さの座敷。中央に一組の布団が敷かれている。そこに歳を召した男性が静かに横たわっていた。傍らには、暗い目で見守る老齢の女性――優の姿がある。眠っているのは優の夫、信次郎だ。

 優は彼らの姿をみやると、眉間に皺を作った。優の涙を堪える姿を見て、彼らに不安が広がった。

「信次郎さまの容態は」

 輪の内の一匹が、恐る恐るといった口調で尋ねた。優は目頭を着物の裾でそっと押さえると、気持ちを入れ替えたように毅然と「持ちこたえました」と答えた。

 彼らは力が抜けたように崩れ落ちた。

「でも、絶対安静だと。暫くは眠りと覚醒を行き来するだろうとおっしゃっておりました」

 そう言って、眠ったままの信次郎を見やる。信次郎の息はか細く、今にも途切れてしまいそうだった。

「店はもう畳むしかありませんね。私が店に立っても旦那がいなければ、話になりません。この人ならばと、仕事を請け負って下さる方もいらっしゃるのですから」

 優と信次郎夫婦は、授かった二人の息子をはやり病で亡くし、以降、養子も取らなかった。もう子供を失くしたくないという二人の強い思いからだ。せめてもの癒しにと、動物は飼っているが、後継者はいない。信次郎が倒れてしまった今では、店の主として振る舞える者がいなくなってしまったのだ。

「お優さん。お話したいことがあります」

 意を決したように控えていた影が、すっと部屋の中に進み出る。部屋の行灯に照らし出されたのは犬だった。茶色と白のもこもこした毛が入り混ざった柴犬。目の上の白い毛が眉毛のように映り、愛らしい見た目をしている。

 柴犬は綺麗に前脚を揃え、礼儀正しく座ると、口を開いた。

「先ほど、彼らと話し合っていたのですが、信次郎さまの容態が安定するまで、お店の方は我々に任せて頂くことはできませんか?」

 優は、彼らの申し出を察していたかのようにふっと笑った。

「いえいえ。もうこれで充分。これ以上続けてもどの道同じよ。この店は私達の代でお終いだと二人で決めていましたから。遅いか早いかの違いです」

「お二人のご覚悟は元より承知しております。けれど、このままお店が無くなってしまうのは、我々がやるせません」

 息をのむ優に、柴犬は小さくこうべを垂れた。

「我らは化けもの――変化(へんげ)で人をたぶらかし、長い間生きて来ました。私もそうです。口には出せないようなことに手を染めた経験もあります。そんな中で優しくして下さったのは、お優さんと信次郎さまだけでした。このご恩、お返ししたいと思いお側におりましたが、未だ返しきれておりません」

 後ろにいた四人もそれぞれ、人の姿から動物の姿に戻り、各々頭を下げた。

「私は信次郎さまが元気になられる可能性を捨てたくありません。その時、店が一時でも休んでしまったらすぐに開店はできないでしょう。休んでいる間に取引先とも縁が切れるかもしれません。続けていくことが一番大事かと思います。何より、我々がお二人のお役に立ちたいのです。我々にできることをさせて下さい」

 お願いします、と後ろの四人が呼応する。畳み掛けるような懇願に、優は言葉を失った。

「あなた達……」

 柴犬がふっと顔を上げると、笑ったように目がきゅっと細くなった。

 優の頬に浮かんでいた強い緊張が少しだけやわらいだ。



 * *



「こんなもんが売れるか!」

 上から投げつけられた本を巧みな手さばきで掴むと、源三郎(げんざぶろう)の目尻が更に吊り上がった。

旺士郎(おうしろう)、いい加減にしやがれ! 何度言ったら分かるんだ!」

 飛ぶ怒声に旺志郎は素直に額を畳にこすりつけた。これが私の夢です、とはっきり言えたら格好もつくのだろうが、そんな度胸は天から与えられていない。

「すいません、旦那。もうちょっと待って下さい。きっといい戯作(げさく)を生み出してみせますんで」

「貴様の戯作になど興味ないわ! 何故店の仕事をせんのかと聞いておる! ただ飯食らいはうちにはいらん! 手代としての仕事もせず、何が戯作だ!」

 鬼か般若かという形相をして、龍陣堂の主人、源三郎は激怒していた。日に焼けた丸坊主顔。身体は小さいが引き締まっており、立ち上がると威圧感がびしびし伝わる。

 先程投げ捨てられたのは、旺士郎が描き上げた戯作だ。表紙には丸鹿(まるしか)旺房(おうぼう)という旺士郎の雅号(がごう)(ペンネーム)が見える。まだ日の目は見ていないが、いずれ世を席捲する戯作者(作家)になると本人は心のなかで息巻いている。勿論本気だ。だからこそ、店主の源三郎に逆らい、暇を見ては戯作に勤しんでいたのだが、その成果はたった今、無残にも目の前で投げ捨てられた。ほんの一頁も読まれないまま。

 それもそのはず、旺士郎はこの地本(じほん)問屋(とんや)龍陣(りゅうじん)堂の跡取り息子だ。

「全く、とんだ息子だ」

 源三郎が苛立ちながら座布団に座り直した。本来ならば、若旦那として店に立って良いものだが、旺士郎は店を仕切る番頭(ばんとう)のその下、手代どまり。つまり、下っ端だ。跡取り息子としてはあり得ない待遇だった。

 ただ旺士郎も自分が下っ端であっても気にするような気概を持ち合わせいなかった。その上、何を怒られても、本人はへの河童。唯一の長所は、怒っている人間も思わず拳を下げてしまうようなへらっとした顔立ちだった。

「すいません、旦那」

 手を頭にやって微笑み顔でへこへこ頭を下げる。謝っているのか照れているのか傍目には分からないだろう。謝る気はあるのだが、見るからに反省してますという顔を作るのは苦手だった。怒られれば怒られる程、何故か頬が緩んでしまう。

 源三郎には以前までは、しゃんとしろ、と散々注意されたものだが、もう諦めてしまったようでその手のお小言はめっきりない。あまりの間抜けさに自分でも鏡の前に立って練習したが、目を吊り上げると父とそっくりで、自分に笑い出してしまう始末だった。

「……他の仕事はいい。店番くらいはできるだろ。今日は帳場に座れ」

 深いため息をつく父親でもある店主に、「すいません」ともう一度謝り、父の居室から退散した。

 襖を閉めて、ふっと息をつく。

 旺士郎が戯作者を目指し始めたのは、なにも思い付きからではない。幾つかの理由が重なって、行動に出ているのである。問題は、旺士郎がそれを堂々と口にできるような強い人間ではないことだった。これが旺士郎の一番の弱点かもしれない。

 どうしたら認めて貰えるのだろうか。苦心する旺士郎だが、父の怒り顔に真っ向から歯向かうことができずにいた。

 龍陣堂はおおよその店がそうであるように、店舗と住居を兼ねている。店は住居の入り口に設置され、奥に進べば居住空間だ。店は通りに面していて、広さは十畳程。会計のやり取りをする帳場は部屋の左端に設けられている。また一部は土間となっており、客が草履を脱がずに、畳に腰かけながら、本を読む姿も見られる。店の真ん中には本を平積みし、通りには斜めに木枠の入れ物を立てかけ、本の表紙を見えるように置き、通りをゆく人々の目を引く。

 地本問屋はすなわち本屋。ただ、版元も兼ねており、本の企画、印刷、出版、小売まで手掛ける。特に龍陣堂は戯作を多く取り扱っていた。

 開店から二刻。最近、龍陣堂を訪れる客はめっきり少ない。大あくびを堪える旺士郎を尻目に、先程訪れた開店後唯一の客、二人組の男が店先に腰かけ、楽しげに話し込んでいた。よく見かける常連客だ。

「聞いたか、あの噂。天満堂(てんまんどう)婿(むこ)が化けものだって」

 どうでもいい世間話から旺士郎の眠気は一気に吹き飛んだ。耳をそばだてる。

 その店名こそ旺士郎が戯作者を目指し始めた一つの要因――ひいては、源三郎の現在の目の上のたんこぶだった。

「ばけもの? って何だそりゃ?」

「化けものって言ってもあれだ、変化狸や変化狐のあれだ」

「それってーと……天満堂の婿は狸だっていうのか!?」

「しっ! 声が大きい! あくまでも噂だ。でも、天満堂の婿がまたびっくりすくらいの色男(イケメン)でよ、あれは物の怪の類だって女房が信じてるんだよ。信じてるくせに、婿に媚びてるんだよなあ」

「それであれか。女房に〝化者(ばけもの)遊戯(ゆうぎ)〟をせがまれてるってか?」

「……なんでわかった」

「女房の尻に敷かれてちゃ世話ねぇな」

 相手の男が大笑いした。

 天満堂の一人娘が婿を向え、婿が店頭に立ち始めると何故か天満堂の名が有名になった。というのも、同じ頃に発売された〝化者遊戯〟という名の戯作が大いに売れたからである。

 内容は化け狸や化け狐、はたまた化け(がらす)が、人間に化け、庶民の馴染みながら狼藉者を成敗していくという話だそうだ。勧善懲悪で痛快な物語は老若男女問わず人気を博し、今や知らぬ者のいない娯楽となっている。

 面白いのは、その本が売れ始めると同時に立ち上った噂だ。 ――天満堂の婿は化けもので、化者遊戯というのは婿がしたためた物ではないか……

 旺士郎も数週間前からあちらこちらで聞くようになった。そもそも天満堂と龍陣堂は本屋の中でも戯作を主体に扱っている競争相手。そういう話題は自然と集まって来た。

 現在、龍陣堂は天満堂の人気に押され、客足が減り、源三郎が毎日頭を悩ませている。うちも化けものネタに手を出すか、いやいやそれはプライドが許さない。そうして源三郎が夜なべして考えあぐねる姿を、旺士郎は何度も目撃した。見かねた旺士郎は、これを何とかできない物かと、自らが戯作に乗り出し、天満堂の戯作よりも良い物を生み出そうと腐心しているのである。

 全ては店と源三郎の為、とは言うが、実の所は自らが戯作を記したい気持ちもあった。店に出入りする戯作者に憧れを抱いていたのである。 「これを」と、噂話に興じていた二人が幾つかの本を抱えて会計に来た。

「はい」

 旺士郎は、慣れた手つきで品物を風呂敷に包みながら尋ねた。

「お二人方、先程お話になっていた天満堂の婿殿とはどういったお方なんでしょうか? 噂は聞きますが、自分は会ったことがないもので」

「え、ああ。色白で優し気な風貌をした男だ。名は確か佐久間(さくま)榎吉(えのきち)だったかな」

 旺士郎は感心したふうに「そうですか」と相槌を打つ。徒歩が基本であるこの時代、男性の殆どは日に焼けている。必然的に色白の男は希少価値が高く、婦人方によくモテる。

「なんだ、やはり龍陣堂も気になっているんだな。他の本屋も気にしていたぞ。真偽は分からないが、婿が変化している姿を見たってやからもいる」

 客の男は旺士郎にすっと近付き「狸だったらしい」と囁いた。

「あんたの所も戯作を取り扱ってるんだから、その婿が本当に化けものなら、あんた達が戯作に落とし込んだら良いんじゃないか? 多分、売れるぜ」

 続いた相方の男も冷やかすような台詞に、旺士郎は頭の中で拳を打った。

「そりゃあ、妙案ですね。是非そうします」

「へえ、これは面白い。龍陣堂と天満堂、喰うか喰われるかの大戦争てっか。発売したら買いに来るよ」

「ありがとうございます。またお待ちしております」

 二人の客は連れ立って帰って行った。旺士郎は二人の背を見送りながら、決心を固めた。

 自分が婿の正体を暴けば良い。今天満堂に客が靡ているのは、半分は怖いもの見たさで、根底ではそんな筈はないと信じているからだ。もし、噂の婿が本当に化けものであるならば、流石に人は寄り付かない。そしてまた龍陣堂に客が戻り、この一件の戯作で一山当てる。そういう寸法が、旺士郎の頭の中にでき上がっていた。

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