序章:冬井淳
眼鏡をかけた50代半ばの男性が、手渡された就職活動用の履歴書に目を通しながらおずおずと言った。
「では、自己紹介をお願いします」
「はい。私の名前は冬井淳です。出身は東北ですが、7つの頃上京してきたため育ちはほとんど東京です。帝国大の法学部を卒業後、就職活動に苦戦いたしまして。勤め先の見つからないまま今に至ります。夜は知り合いから任されたバーの経営を」
壊れた暖房がガタガタと不穏な音を立てづける築年数50年のペンシルビルの5階。濃灰色のスーツを身にまとった冬井という男は、柔和な笑みを浮かべ端的に答えた。面接官はしどろもどろ視線を移ろわせながら彼の左手首を見た。その者の〝安全性〟を示す青色の腕輪が、異様な存在感を主張している。
背筋に冷や汗が伝った。
通常面接を受けにくる人間は、笑顔を湛えていたとしても、その奥には何かしらの感情が隠されているものだ。緊張か、侮りか、おもねりか、はたまた強烈な自尊心か・・・。
しかし目の前の人間からは、笑顔以外のなんの情報も読み取れなかった。
いや、彼は人間では無い。
面接官は、なるべく早くこの場を切り上げるため、用意された質問のみを端的にぶつけることにした。
――魔法使いが、一般面接なんか受けにくるなよ。
「では、社会人として企業に勤めた経験はないという認識で合っていますか?」
「おっしゃる通りです」
「帝国大学を首席で卒業。使える言語は・・・5カ国語?」
「日本語を含めてですが。それぞれの言語で自己紹介しましょうか?」
「け、結構です。言われても、正しいかどうか分かりませんので」
「そうですか」
少し残念そうに冬井は肩を下げた。人当たりの良さそうな朗らかな雰囲気が、この場をよりいっそう歪にしている。どこからどう見ても、彼はいわゆる〝好青年〟だった。垂涎ものの成績と資格欄に並べられた難関資格の数々を見て、面接官の男は痛切に、猛烈に世の中の理不尽を感じる。科学が進歩したこの人間社会において、魔法使いは危険因子以外の何者でもなかった。
「パソコンはどの程度使えますか?」
「一般動作は全て頭に入っています。過去作成した表や資料を一部持ち込みましたので、ご確認を」
「ああ、それはどうも」
手渡された資料へは一切目を向けず面接官は口早に質問を続けた。
「弊社と同じような業態の企業は都内にも多数あると思いますが、その中からウチを選ばれた理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「御社の採用実績を確認させていただいたところ、ドワーフの建築士やフィリクスの事務員を雇用さているとのことでしたので。異種族の受け入れも寛大に行っているのではと推測いたしました。このようにして面接の場をいただけただけでも有難いことです。魔法使いは企業の人事から嫌厭されていますから・・・そもそもお時間をいただくまでに至らないんですよ。もちろん、御社の事業内容や企業理念にも魅力を感じています。〝より良い社会を〟とは、僕も常日頃から考えておりますので」
「そ、そうですか」
しかしうちは、と面接官は口の中まで出かかった言葉を呑んだ。
しかしうちは、魔法使いは採用していない。
今回彼を書類選考にて通過させたのは、経歴に目を奪われ種族欄を見落とした部下の不手際だ。
本来、彼の会社でも魔法使いは面接前に切り落とす習なのである。理由は他社と同様だ。
冬井は面接官の表情の機微を具に検分し、彼の思考を正確に読み取った。どうやら本日、自分は就活64敗目の記録を更新するらしい。
面接官は顔を上げた。
「ありがとうございます。面接は以上です。結果は後日メールにてご報告します」
「もう終了ですか?私がこの部屋の扉から入りまだ5分も経過していませんが」
「冬井さんの有能さは十分伝わりましたよ。本当はもっと会話を重ねたいところですが、急な会議が入ってしまいまして・・・ああ、何かこちらへ質問がありましたか?」
「――いえ、特には」
「そうですか。それでは、出口はあちらですので。エレベーターの場所は分かりますね」
よそよそしい挙動で退室を促す面接官を、冬井は眉一つ動かさず温和な笑みで見返した。白い肌の上、血色の良い唇が人懐っこい弧を描く。椅子から立ち上がった彼は、この面接のために事前に用意していた資料を手際よくまとめ、革鞄の中へ押し込んだ。
「ご多忙の中貴重なお時間をいただきありがとうございました。後日、良い結果をお待ちしています」
❋❋❋❋❋❋❋❋❋
ビルを出てすぐに空を見上げると、憎たらしいほど眩い陽光が冬井を照らした。平日昼間にもかかわらず、渋谷は休日と判別がつかないほど人でごった返している。駅の方向へ足を向け歩きながら、冬井は優しい笑みの額に青筋を浮かべた。
――こんなにふざけた面接に時間を費やすくらいなら、事前に電話で魔法使いの採用の可否を聞いておけば良かった。人事が種族欄を見落とすミスをするなど、一体誰が予測できるのだろう。五分で終わる無駄な面接のためにわざわざ渋谷まで赴いたのか。
あと何度不毛な就職活動を続ければ、自分はこの社会に受け入れられる?
スクランブル交差点で信号の切り替わりを待つ間、冬井はおもむろに駅ビルの電子公告板を見上げた。
14時になると同時、巨大な画面がニュース速報へ切り替わる。画面の中では、厳粛な表情で台本を握りしめるアナウンサーが最新のトピックを並べていた。その中でも一際強調された話題は、今年に入り既に12件目になる魔法使いによる殺人事件のものだった。容疑者はいづれも異なる人物で、全ての事件が別の人物による連関のない事象として取り扱われている。
「先日新橋駅前で起こった魔法使いによる殺害事件について、ここで新たに速報が入りました。犯人として取り調べを受けていた男性魔法使い、篠塚太一容疑者が殺害の事実を認めたとのことです。以後、彼の処罰を定める裁判が実施されます。魔法使いによる凄惨な殺人事件は、今年1月から3ヶ月の間で既に12件目になります。彼らを暴走させる特殊な心理を明確にするべく、番組では急遽専門家をお呼びしました」
信号が切り替わり、滞っていた人波がスクランブル交差点を横断する。そんな彼らの背中を冬井は立ち止まって見送った。その視線の先には例の電子公告板があった。
専門家を名乗る壮齢の男が、顰め面で口を開く。
『魔法使いは、そもそも人間とは種族が異なりますから。思考の働き方も倫理観も、我々の基準を当て込めるのはナンセンスですよ。彼らの殺人方法をご存知ですか?およそ理性的では無い。この文明社会において魔法などという原始的なものを使い殺人を犯すなんて、普通は愚かなことだと分かるでしょう。魔法なんてものは指紋と同じで、誰がどんなスキルを使用したか一瞬で照合できるのですから。にもかかわらず、彼らは魔法を使わずにはいられない。それは何故だか分かりますか?』
画面の中のアナウンサーは首を振った。
『いいえ』
『魔法を使うことが、彼らの本能だからです。人間が食欲や性欲、睡眠欲を抑制できないのと同じ。使わずにはいられないから使うのです、使って誰かを傷付けてみたくなる。何故なら彼らは、魔法をつかうことそのものが、自身の生まれてきた理由だと信じているのですから』
〝誰がどんなスキルを使用したか一瞬で照合できる〟か。冬井は心の中で苦笑いをした。
どうやら、この国の魔法に対する認識は200年前から進歩していないらしい。指紋を偽装する専用のテープがあるように、魔法もまた、自身の魔法を他人のものとして偽装する類のものが存在する。篠原太一に今回の罪を自供させるまでの3日間、警察が彼にどれほどの拷問を強いたのかは知らないが、〝やっていないことをやったと認めざるを得なかった〟ほどには絶望的な待遇を受けたのだろう。
他の11人の容疑者も同じだった。
最初の数日間は自身の容疑を否認していた魔法使い達は、結局全員が自供するもしくは自殺するかたちで決着した。
たった3ヶ月間の間でだ。
警察側は自殺と公表しているが、冬井は全ていきすぎた尋問の末の他殺とみている。
『平和の腕輪なんてものは、結局人類と魔法使いの架け橋にはなりませんでしたね。着用している間は魔法を使えないとしても、付け外しは容易に可能なんですから。会話している最中にいきなり外されれば、我々人間はすぐにやられてしまう』
『こればかりは政治というより、財源の問題ですよ。強力な魔具の輸入は非常に高額なのです。しかし魔法使いの力が比較的弱い日本では、平和の腕輪を量産できる者がいない』
『中途半端が一番金を削るな』
それまで黙って会話を聞いていたニュースの司会者が、下品な金歯を見せ笑った。ニュースキャスターから苦笑いをされるが、彼の発言を咎めるものは画面の中にはいなかった。
冬井の顔から完全に笑みが消える。
冬井は再び歩みを進め、今度こそ渋谷駅の改札へ入っていった。
魔法使いによる犯罪を大々的に取り上げ袋叩きにするこの国のメディア構造を恨めしく思う。そして同時に、その流れに拍車をかけんばかりに人間を殺しすぎる同種族の存在を厄介に思った。
自分の知らない場所で自分の知らない人間がどんな死に方をしようと興味はない。しかし。
魔法使いが無為な殺人を繰り返すほど、冬井の就職活動の難易度が跳ねあがるのである。