表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

風流風鈴

資産家の放蕩息子が勘当される、自分が「貰っ子」だと分かり、馬鹿をやり勘当される、実の親を探す旅にでる。そして、探し当てたら母親と弟が居ることが分かった、しかし、弟は反ぐれだった、不始末をして追われる身であったの助けた。その後、弟と仲間を連れて北海道へ逃避行する青春旅ドラマ。

法治国家の法曹界に矛盾を感じて検事を辞めて、田舎暮らしの自給自足生活の逃避行、そして、引きこもり集団を引きとり「青春塾」を始める青春社会派ドラマ。

親を失い里子に出されるが、家を飛び出し、小学生で無線乞食旅をして、的屋の貸元に救われて、的屋稼業の青春ドラマ。

短編小説「風流風鈴」原作者 献残屋藤吉郎


第一話「悪名」


第二話「何でも屋稼業」


第三話「交通事故」



〇「第一話」悪名


遊び好きな男の物語り。。博打好き、女好き、喧嘩好きな男の気ままな人生旅。。。

(1)生まれは関東、筑波山の田舎育ち

桜川で産湯をつかり

筑波山ろくを駆け巡り

物足りずに山下り

(1)放蕩息子、、勘当となる

筑波山の麓、、冬になるとつくばおろしの寒い町、しかし、春にはつつじが満開に咲き誇る町、そして、筑波山の麓を流れる桜川が霞ケ浦に注ぎ込まれる田園風景の町。

そんな田舎町で江戸時代から商いをしていた「北条木材」は商人でありながら名字帯刀を許された豪商であった。

その北条木材の北条市左衛門は頭を抱えていた。北条材木は一代限りごとに跡取り息子は「市左衛門」を名乗ることと定められていた。

そんな由緒ある家の跡取りが、親の育て方が悪かったのか、手の付けられない「放蕩三昧」をしているのであった。

放蕩息子の名前は「北条太郎」と言う。

北条太郎が18歳を過ぎたころから、悪がきを発揮し始めた、、、地元の名門と言われた高校に入学はしたものの、喧嘩好きな暴れ者になっていたのであった。

入学当時は柔道部に入り、成績も良く、世間の評判も良かったが、柔道が強くなり、高校3年の時には黒帯、柔道3段にまで昇格していた。

そして、いつの間にか「番長」を気取っていた。

毎日のように、他の高校生と喧嘩をしていた上に、どこで道を踏み外したか、酒を飲み、たばこを吹かして土浦の町を流すようになっていた。

親の戒めも聞かずに、最終的は酒場で酒を飲み、それが発覚して「停学処分」を受けたのであった。それも無期停学処分を、、、

その時に親の北条市左衛門は、男だから喧嘩や酒、たばこは仕方がないかと、諦め心で許した。

そんな暴れん坊だった、太郎も大学はどうにか入学できたのであった。北条市左衛門はあきらめて、ダメなら材木運びでもやらせようと考えていた。

しかし、当時は私立でも一流の早稲田大学に受かったので吃驚していた。

これで少しは前向きに進んでいくと思っていたが。。。

大学に入ってからはどうにもならない放蕩道楽な人間になったような。。。

しかし、親馬鹿なものだった。。。北条市左衛門は見て見ぬふりをしていた。

そして、卒業後は仕事もせずに、遊び歩いていた、まるで遊び人のような行動をとっていた。

訪ねて来る友達も、人も遊び人風なような、、、

太郎には妹が一人いたので、市左衛門はそんな環境を心配していた。

息子太郎の生活が改まらずに、3年ほど続いていた。

昔から何事も「石の上にも3年」と言う様な諺もあるように、、、北条市左衛門は根の腐ってしまったようになっていく太郎に最後のつもりで、覚悟を決めていった。

「太郎、、、そろそろ仕事をしないと、お前を跡取りには出来からな、、、覚悟を決めて返事をしてくれよ、、」

父としては大分、柔らかく、優しく諭してつもりだった。

「別に俺を跡取りにしなくてもいいよ。。こんな放蕩息子だものな、、、おやじも愛想が尽きたようだから。。」

そんな会話を一人娘の「桜」は聞いていた。


(2)太郎は知っていた。

北条太郎が孝行一年の夏休みに、父、市左衛門の弟が経営する木材伐採の会社で、山林の木々を伐採している現場でアルバイトをしているときだった。

北条家が代々、受け継いでいる杉山の伐採した木材を運搬していた現場で、太郎が社長の跡取りとは知らないで、休憩時間に噂話をしていた。

「今の跡取り息子はもらいっ子だってな。。。」

「俺も聞いたことがあるよ、、前の戦争の時に、社長宅に親子で疎開して、そのまま母子ともに面倒見てもらったって話だよ。」

しかし、社長の市左衛門が、戦争が終わったころに嫁さんをもらい、今の跡取り息子の母親は家を出てったと、、、

その後、疎開した太郎は市左衛門の長男として育ったらしい。

その話を聞いた太郎は、目の前が真っ暗になったのであった。それから、太郎は変わっていった。

太郎はそれから、自分を生んでくれた母親の夢をみた。

高校生活を送りながら、学業に励み、柔道にも、そのことを忘れようと突進していった。

しかし、その後は父や育ててくれた母を見るたびに、心のどかで密かに抵抗心が生まれてきた。

良くしてもらえれば、されるほど、自分は他人だから、遠慮されている。

その反面、妹の「桜」は実の子供だから、と言うだけで、、、太郎はどこかに嫉妬心が芽生えた来た。

何をするにしても、兄妹として育ってきたが、今までのようには接することが出来なくなった行った。太郎は愛情をこめて、育ててくれた両親には感謝していた。そして、妹は愛しく可愛かった。

しかし、山の中で知らされた真実が、太郎の心から離れなかった。

そのまま、高校時代はうやむやしながら、気が付けば不良と言うレッテルを張られていた。そして、なんとなくか、運よく大学にも進学ができた。

太郎は大学在学中は、その時間を母親探しに没頭していた。

そして、つくばから疎開した後を太郎は追った。

時間はかかったが、母親の足跡を見つけ、太郎が20歳の時に突き止めた。

太郎はどうしても知りたかった、、、母親を、、、名前は「美佐子」と言う自分の母親を見つけた。

神奈川県川崎に住んでいたところまでは探し当てた、しかし、亡くなっていた。

太郎は母親「美佐子」の墓を探し、その小さな墓前に花を添えたのだった。その御墓からは寂しさを覚えた。

そして、生前の母親の生活を知りたくて、いろいろと調べた。

母親を知る人たちから聞いてた話では、苦労したようだった。太郎は顔も忘れた、逢いたかった母親を心から労り、涙した。

そして、その亭主が遊び人で、母親「美佐子」には優しかったが貧困な生活を送っていたらしいとも聞いた。

二人の間には一人の男の子供がいたのだった。

太郎は逢えなかったことで、その男の子供を探した。名前は「次郎」と言う。

太郎は育ててくれた北条市左衛門のもとで、何ひとつ、不自由なく育ったことに感謝しながら、自分には弟がいたことを知り、人の生まれと言うか、環境に違って、人の幸せが違うことに心が痛んだ。

人は経済的に恵まれたことが、同じ人間でも違うんだということを知らされた。

母親「美佐子」」のもとで育った弟は、間違いなく経済的には不幸だったような。。。それは、母親の生活環境を知って、わかった事であった。

そして、母親には会えなかったが、弟「次郎」に会いたくなった。

太郎は勝手に思った。母親が「次郎」と名付けた理由が、、、きっと、母親「美佐子」も気にかけていてくれたことを、、、

本当に逢いたかった。

そんな思いで、残りの学生時代の時間を弟探しに当てた。

そして、太郎が大学4年の暮れに、弟「次郎」を見つけた。

(弟、次郎に会って)


太郎が大学の友達と暮れの新宿を歩いていた。友達も実家に帰るというので、忘年会をかねて集まった。

新宿の飲み屋街、にぎやかな街を太郎は少し気分を良くしていた、、、酒も入っていたので。

反ぐれ風の兄さんたちすれ違った時だった、

「ちょっと、、待ていやーーー人の方にぶつかっておいて、だんまりかよ」と因縁をつけてきた。

太郎の友達は3人とも柔道の猛者ばかりで、酒も入っていたので、、喧嘩を買ってしまった。

相手は5人いたが、太郎たちの敵ではなかった。叩きのめされてしまった。

警察も来たので、反ぐれの連中は逃げるように消えてしまった。事情を説明して、警察は聞き取ってくれた。

そして、「気を付けてくださいよ、、、新宿はああいう反ぐれが多いから、、、関わらないように」」と、、、、

太郎いるが西武新宿線駅の方に歩いていると、喧嘩したばかりの反ぐれがやってきた。

そして、人数も増えていた。リーダーらしき一人が口を聞いた。

「先ほどはどうも、、、仲間を面倒見てくれたな、」と、、、言いながら絡んできた。

リーダーらしき男がナイフを持って切りつけた来た、咄嗟の事なのでよけきれずに太郎が腕を刺された。

太郎も気が強かったので、払いのけて、その男を道路に叩きつけた。ほかの反ぐれはそれを見て逃げ出した。

リーダーらしき男は潔ぎよかった。

太郎たちに負けを認めて、酒でも飲もうかと言うことになった。

その男は次郎と名乗った。気持ちのさっぱりした反ぐれだった。なんとなく気が合い、酒を酌み交わしていく間に、太郎は身の上話を聞きだした。

その男は名前を「川崎次郎」」と言って、話を聞くうちに、母親の名前が一緒だった。「美佐子」と言い、その生い立ちや母親の過去が重なってきたのだった。

そして、太郎も名乗り、母親の名前が「美佐子」で、、、間違いなくその男、「次郎」は弟だと確信した。

その晩は次郎を含めて4人で飲み明かした。

そして、太郎は嬉しかった。会いたかった弟「次郎」を見つけたからだ。本当に心から嬉しかった。


(そして、決意した太郎だった)

太郎は母親の消息も分かり、すでに亡くなっていたことも知った。そして、母親「美佐子」の子供とも会うことが出来た。

弟、次郎とは会う約束をして別れた。そして、何度も会っていた。

太郎は大学を卒業して、実家に戻った。家業を継いで仕事をするでもなく、毎日を遊興三昧で過ごしていた。

太郎は家を出るつもりでいた。心に決めていたのである。

北条材木は妹の桜が継げばいい、、、いい伴侶を見つけて、市左衛門の実子が後を取ればいいと思っていた。

太郎には弟次郎が現れた、、、亡くなった母親「美佐子」の忘れ形見ができたのであった。

どう見ても、出来そこないの半端者がいる。

血のつながった弟次郎を面倒見なくてはと思った。18歳の悪ガキが弟なのだ。

母親には何もできず、父市左衛門のもとで、何、不自由なく育った自分が、太郎としては許せなかった。

だから、母親に出来なかった親孝行なのかもしれない、真似事を、その分を弟次郎に情がけしたかったのかも。

しかし、父市左衛門には言えなかった。

しばらくの間、太郎はもやもやした気分で過ごしていた。

甘えかも知れない、、贅沢かも知れない。。父、市左衛門からの勘当を待っていたような。

そして、その日が来た。

太郎は家を出る前の日に、、、妹「桜」と話しあった。

妹「桜」は泣いた。

「お兄ちゃん、、その弟さんのことを、お父さんに話してみたら。。。きっと、分かるはずだよ」

しかし、太郎には話せなかった。

出ていった母親の事をはせなかったのであった。

一度は父のもとで生活をして、自分を育ててくれた父には話せなかった。

妹「桜」には理解してもらった。きっと、理解はしていなかった筈と思いながら、太郎は旅立つことを決めたのであった。


(旅たち、そして、逃亡者)

太郎は東京へ戻った。次郎と落ちあって、これからの事を相談するつもりだった。

太郎の部屋で次郎を待った。いろいろな夢を持って、兄弟二人で生きていこうと考えていた。

しかし、その晩、弟次郎は帰らなかった。

翌日、次郎たちが屯している、ゲームセンターを訪ねた。

次郎の友達がいて、教えてくれた。

次郎が反ぐれをしている、上層団体のやくざ組織「新宿連合」に追われていることを知った。

次郎の反ぐれ仲間が覚せい剤を持ち逃げしたらしい、そのトラブルに巻き込まれていたのであった。

次郎の反ぐれ仲間がみんなで探していた、太郎も一緒に探した。東京のどこにもいなかった。

次郎の友達が九州福岡なので、一緒に逃げたらしい。しかし、逃げられるものでは無い。

暴力団の追及はきつい筈だ、、、太郎は何とかしなくては考え、次郎の友達の実家を聞いた。

そして、太郎は福岡へ向かった。

福岡の友達の実家に二人で隠れてた。いずれは見つかるので、二人を連れだした。

捕まれば殺されえるまであるというので、兎に角、逃げることにした。

次郎と新しい旅たちが、、、逃亡の始まりとなってしまった。おまけに次郎の反ぐれが一人増えてしまった。

その次郎の友達も19歳で、副島剛といった。

旅たちではなく、逃避行だ、一人増えても同じようなものだ。

三人の旅が始まった。

誰も知らない北海道へ向かった。

悪名旅の始まりであった。


(追われる旅人、、、逃げられるか)


逃げて逃げて

まもるは弟次郎

北の大地の果てまでも


太郎は弟たちを連れて北海道まで流れてきた。

太郎は大学時代の悪友、花房雄一を訪ねた。彼の実家は日高で牧場を経営したいた。そして、彼は親の後を継いでいたのであった。

競走馬の飼育牧場であった。

とりあえず、事情を説明して、潜り込んだ。

牧場の下働きで、牧夫見習いで、、、、

青空の下で、広々とした大地の匂いを嗅いで、三人は生き返ったようだった。

「雄一、、、面倒かけるな。よろしく頼む。。。しばらく、行く当てもないので、牧場仕事を覚えるよ」

「太郎、話は聞いてる、、、一緒に牧場経営をやろうや。

お前とは気御心を知っているので、、、楽しみだよ」

「雄一、俺同様に弟たちもよろしくな。。」

北海道日高での最初の日は、雄一にご馳走になった。

太郎たちは花房牧場の社員になって働く事になった。

北海道に着いたのは10月であったが、肌寒さを感じた。

「次郎、、剛、、お前たちも男なのだから、ここで本腰を入れて頑張ろうや、、、」

「一人前になって、今までの人生を取り戻さないと。。」

太郎は、次郎も剛もこの日高で調教師の道を進んで、一人前の男にしてやろうと考えていた。

最初の夜は、二人に覚悟を決めさせた。


(3)馬と生きる道

太郎は思った。迷うな、、どんな道でも一流になれと。

弟次郎と剛に太郎の決意を語った。

人にはそれぞれの道があるように、偶然でも与えられた目の前の道、、、追われて、逃げて、たどり着いた運命の道だ、

偶然でもいい、、、突如現れた開けた道だ。

海道の日高で、、、広々とした草原で開いた道だ。

これこそ、二人に与えられた天命かも知れない。

二人は励んだ、、、来る日も来る日も馬とともに。

そして、二人は見つけた。調教師と言う仕事に。

太郎も嬉しかった。

初めから定められていた天職のような仕事、、、そして、二人とも馬が好きだった。

太郎は悪友の花房雄一とともに牧場経営を一から学んだ。

そして、牧場にひと時の栄をもたらした。

しかし、人生とはなかなか上手くいかないものだ。

花房雄一の知らない人生の中に、落とし穴があったのだった。

父、花房寅吉が過去において、面倒を見ていた、牧場主仲間の花田構造と言う人物がいた。

その花田構造が多額の借金を背負っていたのであった、その男が社会悪の集団詐欺に騙されたのだ、、、そして、その詐欺内容に罠が仕掛けられていた。

花田構造が振り出した約束手形の裏書を、花房雄一の父がしていたのであった。

期日は過ぎていたけれども、不渡り手形であり、商法的に責任が残っていたのである。

不渡り手形金額は「5億円」であった。

花房雄一には寝耳に水と言ったことであった。しかし、花房雄一は亡くなった父より財産を相続しており、責任が残っていた。

その話を聞いて太郎は苦しんだ。

しかし、自分の出来る範囲で、力で能力で助けなくてはと思った。

太郎は助けられた恩義はあった、何とかしないと。。。

不渡り手形を返済しないと、法的な手続きを取られるのであった。

まずは裁判で告訴され、合法的な借金なので差し押さえをされる。

時間をかけて、罠を暴けば助かるが、父の花房寅雄も亡くなっており、不利であった。日本での裁判は時間が掛かる。

判決が出るまでは差し押さえが実行される。

不動産、特に牧場が差し抑えられる。

今、差し押さえれると困るのであった。次郎たちが調教している馬が有望なのだ。

不渡り事件は後から解決したとしても、まずは差し押さえ、牧場使用停止がされては困るのだった。

それだけは避けなければと、、、、


(太郎男をさげる、、、)

太郎は考えた。しかし、友達の花房雄一を助ける方法は一つしかなかった。太郎としては一番したくなかったことだった。いや、出来ないことだった。

それでもやらなければ、世話になった花房牧場は潰れてしまう。太郎は悩んだ末に、茨城県北条に向かっていた。

北条木材の会社の玄関に立った、太郎は入りずらかった。

先に気が付いてくれたのは妹の「桜」だった。

「お兄ちゃん、どうしたの、、、暫くぶりだね、、、そんなところにいないで入りなさいよ、、、自分の家でしょう」

そう言って、妹の桜は手を引いてくれた。

そして、妹の桜が父市左衛門を呼んできてくれた。

「太郎、、、どうした、、入りなさい」

父は太郎の親不孝を咎めもせずに、心暖かく迎えてくれた。

「太郎、、、遠慮するなよ、、、お前の家だろう、、さあさあ、、上がって」

と、、父市左衛門も招いてくれた。

太郎はすまない、、、好き勝手ばかりして、、、と、心で詫びていた。

「おやじ殿、、ご無沙汰しています、、いろいろ、すいません」と,わびながら部屋にあがった。

そこへ、義理の母親が出てきて、、「あら、太郎ちゃん、元気だった、、、さあ、、自分の家なんだから遠慮しないで、上がって、、、今夜はご馳走を作るからね」

と、優しく出迎えてくれた。

太郎は感謝した、、、なんて、優しい、、、、いい人ばかりなんだと、、、

その晩は親子水入らずの楽しい団欒を過ごした。

太郎は悩み事を頼みずらくなってしまっていた。その晩は何も言わずに、懐かしい部屋で寝た。

なんとも言えない、思い出が匂ってきた。

次の朝、父の市左衛門が太郎の部屋に入っ来た。以前にもなかったことなので、太郎もびっくりした。

「太郎、、、わしに用があって戻って来たんだろう、、、金か、、、いくら必要なんだと、、」

太郎の気持ちを知ってか、先に聞かれた。

「太郎、、遠慮しないでいってみろ、、、わしに出来ることなら協力するから、、、いくらだ、、、」

ズバリ、父親から言われてしまった。

心からありがたいと思った、太郎だった。

話は早かった、、父親市左衛門は太郎が欲しい金額を出してくれた。

「理由は聞かない、、、お前の事だから心配はしていない。」と承諾をしてくれた。

「太郎、、、男の仕事をしろよ、、、」

そして、太郎は北海道に戻った。


(太郎、男になる)

太郎は北海道日高に戻った。

「雄一、金は用意できた、、、心配するなよ」

しかし、今回の約束手形裏書の件では、まともに支払えば「5億円」と、損害金の支払いになる。

裁判を起こして支払いを少しでも減らそうと努力していた。

太郎たちの大学の同級生の寺内浩二が東京四谷で弁護士事務所を開いているので相談をした。

民亊を得意としていた、、、特に約束手形トラブルに関して、そして、今回の裏書保証に関して調べてもらった。

保証には商業保証と個人補償があり、今回の花房牧場に関しては商業保証の裏書だった。

本人同士は既に死亡しており、本人確認はとれない。

従って、記入されている事実に従って判断が下される。

今回の保証支払いは当然に起きて来るのであった。

しかし、花房雄一は花房牧場株式会社の相続継承はしていなかった。当時、会社経営が不況だったので、債務を引けられなかった。

それで、新規会社での登記をしたのであった、同じ名称で、、そして、事業を新規で始めたのである。

従って、外から見れば同じ会社と思われても中身形態は別で会った。

そんなことで、財産相続した財産は無く、、、個人資産は消滅し、財産放棄をしていたのであった。

従って、裏書保証はしなくてよかったのであった。

しかし、こまごまな問題は残った。今回の事で整理する意味で、友達の寺内弁護士に後始末を依頼した。

降って湧いたような手形問題も解決して、太郎たちは牧場経営に励んだ。  




〇「第二話」「なんでも屋稼業」。。。世捨て人



法治国家の検事が、世捨て人として、山梨県安曇野に暮らし始めた。自分が担当した事件を権力者の介入で捻じ曲げられた、そして、反骨精神いっぱいの検事「水前寺東光」は野に下ったのであった。


その安曇野で「東光塾」を開き、地域の精神開発事業を始めた。地方の志を持つ若者に、心の学問を解き始めた。






水前寺東光は熊本県阿蘇の出身で、その精神、志は火の国のごとくに常に燃えたいた。そして、検事という仕事に誇りを持っていた。


世の中にはびこる諸悪に立ち向かい、正義の事件解決に臨んでいた。しかし、30歳の時に担当した談合贈収賄事件で、あと一歩のところで有罪に出来る、、大日本開発株式会社の訴訟有罪を確定するところで諦めなければならなかった。


それは時の大物政治家である大河内泰二、内閣総理大臣が絡み国会決議で「動議」が発せられたのであった。


そして、結果は無残にも敗訴したのであった。


その社会の大きな矛盾が、、、何があろうが違法行為は違法と言えない、政治の都合で、国の事情で法律を捻じ曲げてしまう法治国家、日本に背を向けたのであった。


社会の国民が、一般人民が事件を起こして、法律に基づいて起訴され、その法的判決が悪行と決まれば、法に罰せられるる。そして、刑に処せられるのである。刑事事件にしても民事事件しても、その所業が極悪であれば、法律に従った死刑がある。。。


法治国家において、規則正しく、世の中の秩序に従い、人に


迷惑をかけないで生きていけば、人は生きていはずだ。


しかし、どういうわけか間違いを起こして罰せらるもの、、、または、初めから法律違反行為をしてもしても罰せられない人と、、、摩訶不思議な世の中である。


そんな矛盾を思いながら、野に下り、、、人の社会で、法律が規則が、、、根本的な「掟」を考えていこうと、水前寺東光は安曇野の地に「東光塾」を開らいたのであった。


しかし、水前寺東光の道は険しく、遠い、、、、、




2.東光塾の塾生募集。。。


水前寺東光も若さからくる勢いで、自分の思い描く東光塾を開いた。


初めから理想を掲げて旗揚げしても、知られていない,一介の検事上りが修行塾を開いたからといっても人は、塾生は集まらない。


そこで水前寺東光は考えた。自分に向いている世直し事はと、、、個人の力でできること。


それは難しいかも知れないが、世の中で切実に困った出来事に「閉じこもり」問題がある。


個人の力で、少人数の閉じこもった人間を救えないものかと。


全国から「東光塾」に参加してもらうための広告を打った。d


初めから参加してくる人はいないようだが、、困っている人はいる、、、だから、相談を受けたら、水前寺東光から出かけていく。そして、閉じこもりがどれほどに、人生を、自分を、家族を巻き込んで、無駄な時間を費やしていくか、、、


限られた人生の中で、もったいない時間を使い、自分の人生という時間を、自分の命を無駄に燃やしているかを説いて、塾生を集めようと動き出した。


閉じこもりという人間を、明るい楽しい人と生に、反面苦しいこともあるが、明りがさした時の喜びを味わってもらうことに東光は情熱を燃やそうとしていた。


そして、最初の電話が鳴り、相談を受けた。


東京都北区王子に住居する家庭だった。初めてのことであったが、水前寺東光は目的地まででかた。


難しいこと、困難なことはわっていた。しかし、その難しい場面に直面したら、東光も迷い、初めから悩んだ。


そして、引きこもり人間の説得、了解してもらうこと、納得すまでの取る行動は難しいと思った。


しかし、最初から諦めるわけにはいかなかった。


最初の相談を受けた大森純一さんにおいては、一回や弐回覚悟して、、今回は連蔵5日間の訪問だった。




3.一人目の塾生


相談を受けた大森純一は只、部屋にとじこり、一人でパソコンを操作していた。食事時になると一階のリビングに降りてきて、冷蔵庫を開けて、あるものを食べている。


家族は口を聞いてくれないので困っている、部屋に閉じこもって6年になる。今回はインターネットの広告を見て、両親が相談してきたのであった。


水前寺東光は両親の話をきいて、、直観だけど何とかなると思って、やってきたのであった。


時間はかかったけど、何とか本人と話ができた、、、本人はパソコンが好きで、そして、ゲームが好きだった。


東光は自分もゲームが好きだと、、パソコンで文章を書くことが好きだと、、、言うので、


「どうだろう、朝から晩まで、自分の好きなだけ、パソコンやゲームを一緒に」ということになって。。。。


とりあえず、東光のいる安曇野へ遊びに行くことになった。


引きこもり事案について、人と交流ができるようになるまで時間がかかるが、、、両親とも話し合って安曇野にいくことになった。


水前寺東光の一人目の塾生であった。永い人生旅になるとは思うけど、やることにした。法を犯して罰することより、人の道に戻すこと、、世のなかの人生道に、人生の片隅に捨て置かれ、見向きもされない、、、邪魔者扱いされている人間を拾い上げることが大事だと。


水前寺東光は燃えた。


二人目の相談相手は島根県松江の小岩春雄の母親からのものであった。話を聞いて、東光はいかなくてはならないと思った。母一人で育てた息子の小岩春雄の引きこもり、乱行であった。春雄は20歳を過ぎるまでは、母親思いの孝行息子であった。ところが20歳の誕生日の日を境に、家にひきこり、母親に暴行を始めた。


母親は初めは理由がわからかったけど、、、春雄の暴行が重なるごとに、その理由が理解できた。


母親にはどうすることも出来ずに、息子の春雄の好き放題をさせてきてしまった。


しかし、ここ2,3年は暴力が激しくなり、頻度も多くなってきた。相談をいろいろ人に施設にしてきたが、いい方法が見つからなかった。


そんな時に知り合いがインターネットで見つけた、「東光塾」の話をしてくれた。


そこで、母親と知人が連絡をしてきたのであった。


水前寺東光は島根県松江まで出向いた。




4.二人目の塾生


水前寺東光は一人目の塾生を安曇野の修練所に迎えることになった。


ここの修練所は安曇野で農家を営んでいた、長尾幸太郎夫妻が貸してくれた。長尾幸太郎の知人が水前寺東光を紹介してくれたのであった。


東光は母屋を借りた、そして、長尾夫妻は離れに住んでくれた。東光が留守をするときは留守番をしてくれた、普段は田舎料理でまかないをしてくれた。


東光の目的生き方を聞いてくれて、長尾夫妻は老後のこともあり、全面的に協力してくれた。


田畑もあったで、米作りから、野菜全般の作り方を一緒にやってくれた。また、長尾幸太郎の友達に猟師がいて、猪や鹿そして熊などの肉を譲ってくれた。


ここでの生活は自給自足ができた。そして、「火」は薪を使う、、そのための「かまど」「囲炉裏」「薪ストーブ」があlった。電気は電力会社を利用していたが、水前寺東光はいずれ「太陽光発電」を考えていた。


そんな生活環境で、一人目の塾生「大森純一」と安曇野の合宿生活を始めた。慣れない山での原始的生活であったが、大森純一はキャンプ気分で一緒に、野菜作り、日常家事をしてくれた。


慣れてきたころに島根県松江の小岩春雄を迎えにいくことになった。留守は留守番役の長尾幸太郎夫妻に頼んだ。大森純一も生活環境に慣れてきたので、長尾夫妻と留守番をした。


そして、水前寺東光は松江に向かった。


島根県の松江の開祖は堀尾吉晴で、、、堀尾忠氏の時に関ヶ原も戦功により、出雲壱岐の24万石に任ぜられた


戦国の時代に信長、秀吉、家康に仕えた大名であった


また、松江はしんじ湖温泉があり、しじみが有名だある。


東光が松江に着いて、調べて住所で「小岩春雄」宅を訪ねた。松江の街の外れの市営住宅に住んでいた。


連絡をしておいたので、翌日の午前中に訪問すあることにした。多分、本人は自宅にいたはずであるが、母親の小岩光子と光子の兄の泰時と会うことにした。


決められた時間に水前寺東洋は小岩春雄宅に着いた。


「ごめんください、、、水前寺です。」


と挨拶をしてから家に入った。


母親が出て、、、


「遠いところをお疲れ様です、、本とにすいません、、、」


「どうぞ、上がってください」


と言われ、和室6条の部屋に通された。住まいは3DKの間取りであり、リビングの隣の部屋には本人もいた。


少し大きな声を出せば、聞こえるぐらいであった。


東光は話を詳しく聞いているので、兎に角、本人に会うことにした。


母親の光子が呼んでも来ないというので、東光が本人の部屋に行った。


部屋の前から声をかけたが返事はなかったので、、、


東光が、、「春雄さん、、、入ってもいいかな」


と言ったら、、、中から大きな声で、


「うるさい。。。誰があんたを呼んだんだ」


と、怒鳴りながら、部屋のドアが開いた。


そして、東光にいきなり、殴りかかってきた。


一瞬体の大きい春雄が、東光に突っかかってきたので、後ろによろめいた。


東光はその様子を見て、話し合いではだめだと悟った。


東光も柔道5段の猛者である、、、殴りかかってきた春雄を掴んで、表に連れ出した。


東光に投げ飛ばされ、抑え込まれた春雄はもがいた。」」


そして、大きな声で怒鳴った、喚いた。


しかし、東光は離さなかった。


その時に雨が降ってきたが、それでも東光は離さなかった。


春雄は痛かったのだろう、雨も土砂降りになってきたので、反泣きべそを見せた、


母親の光子も、その兄の泰時もびっくりして、子供を助けようとしたんのだが、東光は抑えた手を緩めなかった。


「だめだよ、、、こんな奴は甘やかしたら、、、私のやり方に従ってほしい。。。本当に治す気が合ったら、、」


東光は言った。


「これは病気の一種だから、、、、元の春雄さん戻す気があるなら任せて欲しい」


「ここで止めるなら、私は引き上げます」


と東光は言い切った。


「こら、、、春雄とか言ったな、俺の言うことを聞くなら離してやるよ、、、どうする、、、」


「それともこのままがいいかな。。。。俺はどっちでもいいよ、、、もう少ししたら、お前の腕は折れるからな」


東光は強く言い放した。


男なら決めなよ、、、覚悟して言うことを聞くか。


お前のような奴は弱い者には威張り散らかして、強いものには従う、、、そんな態度はやめとけよ。


という東光に従うことになった。


そして、安曇野の東光塾へ行く羽目になったのであった。






5.安曇野の山歩き訓練


三人目の塾生は広島県からで、厳島神社で有名な廿日市市在住であった。廿日市市内にある「廿日市神社」の神主の息子だ。子どもの頃から柔道を習い、小学6年には年には全国大会で優勝するほどであった。子供のころから「お山の大将」気分で、育ったこともあって、我がままであった。


それが中学に進み、変わった。


お山の大将ではなくなったのであった、自分より強い中学生が現れ、後れを取るようになり、次第に自信を無くしていった。一番だったと自負していた、


清水幸太郎は学校生活がつまらなくなり、初めはずる休みをしていた。しかし、人とは面白いもので、休むことをなんとも感じなくなり、平然と学校へ行かなくなった。


いわゆる「登校拒否」の始まりであった。


そして、ゲームセンターやたまり場に行くようなり、仲間の勧めもあり、たばこをたばこを吸い始め、時には酒類を飲むこともあった。


いずれ、学校から連絡がいき、両親の知ることになった。


そうすると、今度は両親と喧嘩をすようになった。


そして、時には家を出て、友達のところに外泊をするようになった。


両親が注意をすると、今度は家で暴れるようになってきた。


いわゆる「不良」と言われるようなり、外で喧嘩もして、警察に補導されるようになった。


学校も両親も困り、相談をしていた。


そんな時に「東光塾」を知り、相談したのであった。


そして、水前寺東光が尋ねた。


広島県廿日市神社は由緒ある神社であった。その昔、平清盛が源氏を破り、武士の世を築こうと活躍して時代に平家の安寧を願い、作った神社であった。


そんな由緒ある、立派な神社を訪問した水前寺東光は神社内にある清水幸太郎の家に、、立派な神主さんが出てきた。


そして、東光は挨拶をした。


「初めまして、水前寺東光でです」と、、、


どことなく威厳のある神主姿で玄関に出てきて、、、


「お疲れさまです、、、わたしが幸太郎の父です、、どうかよろしく、お願いします」


そして、客間に通された。


本人は今、留守にしていたが、、、その日の夕方に戻らず、


二日後にやっと会えた。




6.不良といわれる、暴れん坊と。。


水前寺東光が尋ねた時は留守だった。そして、二日後に廿日市神社に戻った清水幸太郎にあった。


いかにもきかん坊と言った面構えをした少年だった。


父親が「幸太郎、、、こっちへ来なさい」


と言って、東光の前に座らせた。


なんだよ、、、面倒けせーなというような態度で接してきた。父親は紹介してくれた。


「お前に、話してた水前寺東光先生だよ、、、挨拶ぐらいしなさい」と。。。


幸太郎は不貞腐れて、「誰が呼べといっんだ、、、おやじが勝手にしたことだろうが、、、俺はいかないからな。」


よほどに家が、居心地がいいのか、水前寺東光の話を聞こうとしなかった。


そこで、東光が話を始めた。


「幸太郎君、、君は柔道が強いという話だが、どうだろう一度、私と柔道をしてみないかな、、」


東光は説いた。。。「せっかく強い柔道を身に着けながら、喧嘩三昧ではもったいないよ、、、それに、幸太郎君は柔道をしてるから強いんであって、本当は喧嘩は弱いのではないかな、、、」


と、言ったら、むきになった。そんなところは少年だった。


東光の作戦に誘導に乗った。


幸太郎に東光は本当の喧嘩の怖さを教えたかったのであった。そして、喧嘩がいかに無駄なこと、時間を無駄にして、大事な青春を無駄にしてるかを悟らしたかった。


幸太郎は、、「やっみよじゃないか、、どっちが強いか」と向かってきた。


幸太郎も背丈は大きく、180㎝ぐらいはある中学生であった。


廿日市神社の境内で東光も受けて立った。確かに、体は大きく、力もつよい、同年代の中学生、いや、高校生なら勝てるだろう。。。しかし、子供だ、知恵が不足している。


何度、挑んでいっても、東光には名が飛ばされた。


人間というやつは体力があって、それに知恵が伴わないと「技」が生まれない。


人の世界で大事なこと、、活きるためには「知恵」が必要であり、学んで成長しないと、子どもは子供。。。人としての


自覚した精神が宿らないのだ。


幸太郎は、東光に何度も投げられ、投げられて、、、子供心に悔しさを感じた。


そして、毎日同じことを繰り返して、馬鹿な同じ喧嘩をしていることが不安になったのであった。


東光に投げられながら、反省をしたような、、、丁度、毎日の喧嘩三昧に飽きたのかもしれない。人とは良くても悪くても、前進しているときが楽しいようだ。


廿日市神社の境内に投げ飛ばされ、大の字に伸びて、空を眺めながら幸太郎は涙した。


自分の情けない行動に、姿に。。。。。


そして、翌朝、東光に従って旅立った。安曇野の野に。。。








水前寺東光は安曇野に戻り、3人の塾生との共同生活を始めた。農家の一軒家を改造した塾舎で東光は言った。


「あなたたち三人は選ばれた者だ。誰に選ばれたかと言いうと”私”だ、、、、だから、世の中の誰にも負けないくらい、人生の青春を謳歌して欲しい。」と、、、、


東光は離した。。。。。


今の世の中はすべてにおいて縛られているような、、、、


決まりに、掟と言ってもいい。そして、時間に、、時に追われて追いかけられているような。


人は人に、物事に、環境にと、時間という空間に束縛されているような。。


そんな中で、世の中の決まりごとに束縛されずに己の思うように人生を歩いて、、、、見たいと思うはずだ。


なんでだろう、疑問に襲われ、迷い生きている。


それはあまりにも、人は生まれた時から、、、「家族環境」


「教育環境」「社会での労働環境」と。。


命の上にレールを敷いて、、、社会に敷かれているのかも知れない、、そんな面倒くさい決まりはすべて取り除き、、、この自然豊かな生活空間で、自分を取りもどすことが大事だ。


。。。と自然の環境で、学び、、遊び、自分を大事に考えることがいいのだと。


考えを話して、「おのずからの時代に即応した、生き方を見つけて欲しい、、、そのための学びの塾なのだと」


安曇野の東光塾の光を話した。


そして、賛同した三人は東光と道を歩くことにした。


自分の意に添わなければ、自分の道を開くということで。


安曇野の東光塾では「自給自足」が主であり、その生活にあった工夫をすることであった。




水前寺東光は安曇野に一軒の農家を借り、そして、畑と田んぼも借り受けて、素人農業を始めたのであった。


農業の手ほどきは家主、長尾幸太郎にお願いして、真似事の農業を営むことができた。


長尾幸太郎とともに、畑で来節の野菜を作り、田んぼで米を


取つた。


収入ゼロの水前寺東光は生活の糧を時給自足から得たのであった、肉類は家主の知人が猟師をしていたので、わけてもらった。


そして、猟師に資格も東光は取得した。いずれは塾生たちにも取得させようと思っていた、


安曇野には川もあり、時には魚釣りにも出かけた。


東光は塾生にも教えていた。どうしたら食材を得ることが出来るか、自然を相手の生きざまであった。


そして、燃料費は「薪」を使った。


そのための「暖炉」や「かまど」を工夫して、自分たちでつくった。塾生たちは真っ黒になって動いた。


自分たちで作った「暖炉」や「かまど」で料理することの楽しみ、そして、自分たちで作った米や野菜を使う喜びを覚えた。


塾生の大森純一が言った。。。「先生、、電気も自分たちで発電したら、、」と。


それで、皆で太陽光発電施設を作ろうとなった。


みんな、それぞれに「自覚」を持つようになり、自分の考えを、意見を言うようになった。







8.太陽光発電の設置


安曇野の東光塾では「太陽光発電施設」を設置するために、塾生の大森純一が中心になって勉強会をひらいた。


大森純一にしても、小岩春男、清水幸太郎にしても自分から何かを学ぼうとはしたことは無かった。


しかし、安曇野の山暮らしの中で、自給自足の事を始めてからは自分で進んで動くようななった。


東光は、、、これは凄い進歩だと思った。なんでも言われてやるよりは自分が気が付いて、自分から挑戦をすることが大事なことだとであると、、、彼らが言ってくるまで、東光は待つことにしていたので、、、


まずは成功だ、、、第一歩が進んだ。


そして、作業を進めながら、夜に大森純一が用意した資料をみながら、東光も参加した。


太陽光発電施設をつくるために、三人の役割分担を決めた。


太陽光発電のパネルとパワコンを集荷する役目は大森純一が担当して、中古のパネルを探した。


太陽光発電施設を乗せる架台は小岩春男が材料になる木材を中古建材資材やを探して、大枠の材料を拾った。


清水幸太郎は集めたパネルや建材を運ぶ役割を。。。


三人が協力すること、目的を一つにして、そのことの成功へ向かうこと、、、やっと、バラバラだった三人がまとまった。


今までの社会では人からの指示であり、己の楽しみを見いだせなかったようだ。


東光は嬉しかった。これで、目的を一つにした時に、東光塾なら出来ると自信を持った。


この話を聞いていた、家主の長尾幸太郎は、、、「車は俺のトラックを使えばいいよ。。。」と言ってくれた。


そして、細かい釘などや道具はかしてくれると。


次の日からはそれぞれの準備にかかり、動き始めた。


当日の朝飯は上手かった。


早く自給自足の生活が成り立ち、それぞれが目指すことに進んでくれればいいと思った。


東光の顔にも笑顔が。。。。


安曇野の朝はまぶしかった。








9.東光塾に再生エネルギーの明りが、、、


東光塾で計画した太陽光発電の設置工事を始めた。大家の長尾幸太郎に借りたトラックで、中古パネルとパワコンを取りに、大森と清水の二人で出かけた。


その間に清水幸太郎と水前寺東光は現場の準備をした。


今までに、自分勝手に生きてきた三人が、自然の中と、で、のびのびと動いている。躍動している感じだ。


三人とも生まれた環境で、両親と、世間の人間とうるさい規則の中で生きてきたのだが、美しい空、いきいきした木々や草花、、そして広がる原野のさわやかさに触れて、変わったような、、、生まれたところは、生まれた環境は帰ることは出来ないが、、、「生き方を変える」ことは出来るということを学んだようだ。


人とは面白い、、、素敵な生き物だ、、、


目に見える環境が、聞こえる自然のさえずりが、過ごす仲間が変わっただけで、、、活きる道が開けるような。。


水前寺東光は確信した。自分の東光塾を。。。




安曇野の自然の中で人は変わると。。。


東光はもっともっと、仲間を増やし、学びの舎、学べる広場を作ろうと、、、、


太陽光発電の材料も揃い、東光塾の四人と長尾さんも加わり、毎日、工事は進んだ。


東光塾に再生エネルギーの「明り」が灯るのもまじかだった






10.東光塾に新たに5人の塾生が。。。


水前寺東光と三人の塾生の合同生活も少しずつ前に進んだ。


三人の塾生の一人、大森純一がインターネットで安曇野の合同生活をブログにして、投稿していた。


その記事を読んだ、登校拒否の生徒を集めて、同じような青春塾を開いているところから連絡があった。


一度、期間を決めて「体験入学」をお願いしたいと。。。


水前寺東光は快く引き受けた。


そして、今いる三人の仲間、、塾生に話をした。




東光としては受け入れをして、自分の考え、姿勢を、野に下ったことの間違いではなかったことを認識した。


連絡があってから、5人の世を拗ねた若者がやってきた。


登校拒否をしていた、引きこもり連中が引率者の和田良寛とともに東光塾にやってきた。


「初めまして、和田と申します。お話をしていた連中をお言葉に甘えて、連れてきましたのでよろしくお願いします。」


と当たり前の挨拶をして、5人を紹介した。


それぞれに、加藤清(18歳)、福島正夫(17歳)、浅野長則(17歳)、青山正直(17歳)、石田保(16歳)のふてぶてしい面構えの若者だった。


そして、「私が水前寺東光です、ここにいる三人が私の塾生で、大森純一、小岩春雄、清水幸太郎、、、おいおい、紹介していくよ。。。それと、ここの東光塾の賄いをしてくれてる、大家さん長尾幸太郎さんです」


これからは東光塾の一員になるので、仲良くして欲しい。


旨をはなして、早速に部屋割りをした。


早屋割と言っても、大部屋生活なので、一応に場所だけを決めた。


「和田先生、、、今日から、合同生活なので、なんでも同じに行動してもらいたいので、三人の塾生と供に動いてもらいたい、、それぐらいがここの決まりです,


よろしくお願します。」


和田先生も一緒に参加することになっているので、、、


水前寺東光は話をして、安曇野での合同生活が始まった。





11.東光塾の夜明け道


 


水前寺東光塾は塾生も増え、大家の長尾幸太郎の紹介で安曇野の現在の塾舎の近くにもう一軒、借家を借りた。


毎日、塾生8人で東光も加わって、農園の野菜つくり、田んぼの手入れと忙しく動いた、


農園は面積も広がっていった、在住の人たちが高齢化して荒れ地の畑が多くなり、それらの畑や田んぼを貸してくれるようになっ田、そのために、農園の野菜が販売できるようになった。


大家の長尾さんの努力と人のつながりで、地元の農協関係に野菜を買ってもらうようなった。


また、噂を聞いて、地域のレストランでも仕入れてくれるようになった。


そんな農園経営が上手くいくようなっていった。


塾生たちも「土いじり」が楽しくなり、生産される野菜に誇りを持つようになった。


新しい塾生のひとりの福島正夫の実家が花生産の農家だったので、彼の発案で「花栽培」にも手を広げた。


花作りは塾生たちからも喜ばれた。人とは綺麗なもの、美しいものを見ること、触れることは心を豊かにするようだ。


そして、引きこもりだった塾生たちにも「笑い」出るようになった。




安曇野の合同生活にもいい日ばかりではなかった。


新しい塾生に加藤清がいる、彼は松本市で娯楽施設「パチンコ」を経営している長男であった。彼の実家が地元の広域暴力団と、トラブルがあった時に、元気のいい、加藤清が相手方のやくざの跡取りを痛めつけてしまったことがあった。やくざの若手グループが、その仕返しをすると言っている噂が


流れてきた。


その心配をしてる加藤清たちに、何が来ても、合ってもデーンとしているようにと、東光から言い渡された。


そんなある日に、やくざ風な男たちが数人現れた。東光塾の塾舎に、、、


しかし、水前寺東光は毅然として受け入れなかった。




12.塾生に問題児あり、、、その時、東光は、、、






長野県の中部に位置する雄大な北アルプスと田園地帯に囲まれた自然な安曇野は、東光塾の塾生たちには心温まる環境だった。そんな自然環境に日々、生活をするうちに人との暖かい心にも触れ、人間らしさを取り戻してきた。


しかし、当事者たちは引きこもり心を開き、前向きな姿勢を示してきたが、過去の以前のしこりというか、因縁が再燃してきたのであった。

今回、東光塾に入ってきた「浅野友則」は世を拗ねて、生活が荒れたことがあった。いわゆる不良仲間と暴れていたのであった。東京都北区東十条で、喧嘩三昧に明け暮れていた

その時に傷をつけた不良に左右田一平という、やくざを親に持つものがいた。そして、左右田一平は少年刑務所に2年ほど収監された。

その左右田一平が少年刑務所をでて、浅野友則に返しをするという噂が流れた。

しかし、そお話を聞いても東光塾の水前寺東光は毅然として態度でいるように指示した。

そして、東光塾に左右田一平が現れても、水前寺東光は寄せ付けなかった。


水前寺東光は一端ったん引き受けた塾生に対しては、自分の力で跳ね返していった。そのことが、すべての塾生の心をひきつけていたような。。。。

また、新規の青山正直も拗ねに大きな傷を引きずっていた。

まだ17歳であるが、親の資産を受け継いでいた、勿論、貢献者付きではあったが、その財産相続に関して問題を有していた。その財産狙いが目的で、親族での争い、第三者の借金取り立てなどがあった。

その問題も水前寺東光は、法律専門家として、元検事として手腕を振るった。

そして、法律的な解決をすることに時間を遅まずぶつかって行ってくれた。

東光塾にくる人間は、遅かれ早かれ問題を持っていた。

16歳の石田保は親の離婚問題で、そのトラブルに巻き込まれていた。親の夫婦喧嘩を止めに入っているうちに、二度目の父親を死傷させてたのであった。それも14歳の時であった、罪を償い、今は校正をしようとしている。

そんな新しい塾生を迎えての合同生活であったが、誰しもが、今は楽しい生活を送っている。



13。安曇野の自然豊かな環境

長野県安曇野の近くには、中房温泉、安曇野しゃくなげの湯などがあり、また、国営アルプスあずみの公園、御宝田湧水池などがあって、休みを楽しむことも出来る。


安曇野の祖神の「穂高神社」などがある。




これからも東光は安曇野で、東光塾とともに落ちこぼれた花を拾い集めていこうと思っている。




〇第三話「交通事故」



1)ある日突然に


明智忠は福島県会津市内で少年時代を過ごした。母一人子一人の環境の中で貧困に耐えながら育った。忠はいつもひもじく,腹を空かせては田舎の畑から盗みをしていた。

友達の家は両親が居て、、「父ちゃん、、腹減ったよ、、」と言いながら、、母親がおやつを作ってくれていた。

そんな友達を見ては、、自分の母親が朝から晩まで働いているので甘えることが出来なかった、、、分かっていた忠であったのだ。

それで夏には川で小魚を採ったり、エビガニを採っては家で鍋を竈にのせて、薪を山から拾ってきて煮て食べたりしていた。春には山でしいのみを採ったり、山栗を採って食べていたのだった、、

忠は貧乏を貧乏だとも思わずに、野生の中で逞しく生きていたのであった。

兎に角、体を動かすことが好きだったのである。

母親の妙子はそんな忠が愛おしかった、、もともと、体の丈夫な女ではなく、、生きるために無理をしていたのであった。

そのために忠が12歳「小学6年」の時に母親の妙子は過労で倒れた。そして、帰らぬ人となった。

忠は悔しかった、、「母ちゃん、、死ぬなよ、、」と言いながらと倒れた妙子に縋りついて、泣いた。。それ以後、忠は泣くことを忘れたのだった。

忠は母妙子の兄夫婦に引き取られたが、、中学へ入学した年に、その兄夫婦の家を出たのであった。

行く当てもなく歩きだして、、何時しか東京へ向ったいた。

金もなく、、着るものも継ぎだらけのよれよれの学生服で、、野宿しての逃避行であった「寺の縁の下」などに寝て、、それこそ、腹が減れば、誰の畑か分からないが、、

畑のキュウリやトマトなどを盗んで歩き続けた。

家を出たのが夏だったので、途中の川で水浴びをしながら、、ただ歩いた。

そして、、茨城県の土浦市の花火大会を目にして、、忠は感激をしていたのであった。

忠は花火を見ながら無性に涙がでた、、、

「母ちゃん、、なんで死んじまったんだよ、、ごめんな、俺が大食いだから,、母ちゃんに苦労掛けたんだな、、ごめんよ、、」

と、、一人で土手に座った花火を見てたら。。。

「おい、、坊主、、お前どこから来たんだ、、それにしても汚ねえーな、、ところで

、坊主、これを食うか」、、と、握り飯を出してくれた。

忠は腹の皮がくっつきそうだったので、出されたおにぎりをむしゃぼりついて食べた。

「お前、、余程腹が減ってたんだな、、いくらでもあるから、、食いたいだけ食べろ」

と言って、、その男はにこにこしながらた握り飯をくれた。

忠は嬉しかった、、人の親切を知らないかったので、、、

「おじさん、ありがとう、、」と、忠は泣きながら夢中で食べた。

「そうか、、、旨いか、、よかったよ、、ところで、お前、行くところはあるのか」

と、、聞くと、、忠は無言で首を横に振った。

「よし、、今夜は俺のところに泊まれ、、話はそれからだ、、あははは、、」と、その晩は忠を連れて引き上げた。



2)忠、、的屋になる、、、


忠は花火大会でお握りをもらった男は土浦市で的屋を構えている、、鈴木構造という的屋の貸元だった。

「坊主、、おはよう、、ところでお前の名前は、、わしは鈴木構造という的屋だ。よろしくな、、」

「おはようございます、夕べはありがとうございました、おにぎりは旨かったです。俺は明智忠です、、家出をしてきました、、、生まれは会津で、、親兄弟はいません、、」

「そうか、、分かった、、、忠か、、お前、まだ中学生だろう、、学校はどうするんだ、、」と、、聞かれた忠は答えた。

「働いて、、金を稼ぎたい、、学校は好きではない、、、親方、的屋を仕込んでください、、」

と、、頭を下げた忠であった。

「しかし、忠、お前臭いな、、とりあえず風呂にはいれ、、おーーい、誠、、こいつを風呂に入れてやってくれ、、」

と、、言われた部屋住の若い者に声を掛けた。

風呂から上がった忠になんか着るものを見繕ってやる様に誠に指示をした。

そして、誠は忠に話しかけた、、、「忠、、お前、いくつだ、、13歳か、、ガキだな、、、お前、的屋に成りたいのか、、」と、、「大変だぞ、、的屋の若衆修行は、、大丈夫か、、まあ、、頑張れや、、なんか分からなかったら俺に聞けよ。。」と、、ひとなつっこく話してくれた。

そんなんことで忠は鈴木構造の若衆修行を始めたのであった。

そして、必死に生きた忠は、よく動いてみんなから好かれ,可愛がられた。

忠は花火大会の夜から転がり込んで、、早くも10年が過ぎた。

一人前の的屋稼業が出来るまでになって、、出店の一つを任せられるようになった。

10年という年月は人を大人にしていった、、そして、部屋住みから一人暮らしが出来るまでに男になったのである。

忠にも人並みの彼女が出来た。名前は「恵子」といって、、結婚を約束したのであった。

そして、忠は遊ばなかったのである、、人が心配するほど人生を固く堅実に生きて来た、、それは目的があったからである。。親方の鈴木構造の許しをもらって「移動販売」で独立することであった。

こどの頃から金で苦労し、貧乏道を嫌というほど歩いてきたからであった。

忠の移動販売の計画を聴いた時に、親方のはんびたいk鈴木構造は喜んで賛成してくれたのであった。そして、仲人も引き受けてくれた。

結婚式は移動販売の車が納入された日に挙げることにしたのであった。

野宿しながら、畑の野菜を盗みながら会津を抜け出したことを考えたら、忠にとって幸せそのものだった。


そんなある日、忠は自分の耳を疑うような電話が入ってきた。

その晩は土浦花火大会が行われていた。忠は的屋の屋台店を受け持ち、イカ焼きをしていた、、、持っていた携帯に出たら的屋本家の親方からだった。

「忠、、お前今から、すぐに新治協同病院へ行け、、恵子ちゃんが交通事故で運ばれたと、、」連絡が入った。忠は屋台店は弟分の博に任せて病院へ向かった。「博、、頼むぞ、、任せたからな、、」

と、、車を走らせたが,、あいにくの花火大会で交通規制が敷かれていたので、思うように進まなかった。

忠は気がせいた、、、「神様、仏様、、恵子を守ってください、、お願いします、、」と願いながら、やっとの思いで病院に着いた。

手術室の前には親方の鈴木構造がおかみさんを連れて来てくれていた。

「来たか忠、、手術中だよ、、時間がかかっているので心配だ、、兎に角,座れ、、」と言って忠を落ち着かせようとしていたが、、親方の方が落ち着きがなかった。

忠が着いてから、間もなく手術は終わった。

手術医が出て来た、、、「ごめんなさい、、最善を尽くしたのですが、、助けることが出来ませんでした、、本当にすいません、、」と、、頭を深々と下げたのだった。

忠は目の前が真っ白になったのか、すぐに真っ暗に暗黒が襲った、、何も見えなくなっていた。

「そんなバカな、、、助けてください、、俺の命と交換しても助けてください、、」と、、心の中で叫んだ、、そして、祈った。

しかし、、現実は空しかった。

忠は心の中で、一杯の涙を流した。

そして、恵子が助からなかった訳を、手術医の口から聞いたのだった。

ひき逃げされて、恵子は道路に放置された時間が長すぎたのであった、、車にひかれて、すぐに車の運転手が救急車を手配していてくれれば助かったかも知れないと言われた。

また、最初の救急病院に運ばれた時に、救急担当医が居ればよかったかも知れないとも言われた。その病院の担当医はその日は救急患者も少なかったので早めに勤務を離れていたのであった。

そのために今回の手術医である山之内外科担当医のところへ来るのに時間がかかり過ぎて、、手遅れになったという説明をしてくれた。

山之内外科担当医は言い訳ではなく、、私のところに来たときは「心肺停止状態」であったと、、、

それでも医師としては出来ることの最善を尽くしたとも話してくれた。

一緒にいた親方夫婦は忠に掛ける言葉もなかった。

ただ一緒に涙した。

「忠、、辛いだろうけど辛抱しろ、、いいな、、やけを起こすなよ、、

お前の気性を知っているから心配だよ、、、」

親方が忠を抱きしめてくれた。

そして、、「忠、、恵子ちゃんが迷わないように送ってやろう、、」と、、

忠はその晩、恵子と部屋に戻り、、一緒に寝た、、一人に成ったら涙が溢れて来た。

「クソ、、、ひき逃げした奴が憎い、、殺したいほど憎い、、」

と、、思いながら一晩が明けた。



3)反省しています、、悔いています、、ごめんなさい、、


忠は愛する恵子の葬儀を済ませ、、墓前に花を捧げてた。そして、的屋の鈴木親方から暇をもらい恵子の交通事故の現場に立ち続けて、ひき逃げ犯人を捜した、、雨の日も立ち続け聞き込みをしていた。その現場を通る人に聞いて歩いたのである。

忠は諦めることは無かった。立ち続け、聞き込みを始めてから3か月が過ぎたある日、、巡り合えたのであった。

立ち続けた忠のもとに一人の男が訪ねて来た。。

「ごめんなさい、、私が貴方が探しているひき逃げをした者です、、本当にすいませんでした、、人づてに貴方がひき逃げした犯人を捜していると聞きましたので、やってきました。私は太田真一と申します、、謝って済むものではないと分かっています。。でも、怖かったのです、、本当にごめんなさい、、」と、、その男はその場にひざまずいて,両手を地面について頭を下げた。

目には涙をためて、謝った「ごめんなさい、、ごめんなさい」と、、、忠はこれでいいと思った。

「恵子、、ごめんな、、謝ってくれたよ、、これでいいな、、」と、、忠は後のことはその男に託した、、心ある行動を。。。。


そして恵子が最初に運ばれた救急病院の担当医にも忠は面会を申し込んで会うことが出来た。

最初は事件内容を話してもあってくれなかった。しかし、忠の執拗なくらいな申し込みにというか、、熱意に負けたのであった。

忠のたび重ねた来院に折れて、、会うことになった。

最初は忠が話した事実を認めなかった、、、医者として恥ずかしいことであり、、責任逃避であったので、、、認めることは医者としての責任問題が生じるからであった。

しかし、、忠と会い、、考えが変わった。

「初めまして、、私は明智忠と言います、、先日、救急車で運ばれた明智恵子の夫ですが、、先生にお聞きしたいのですが、、、宜しくお願いします、、私たちは結婚式の前に「結婚届」を出しました。そして、結婚式が後になりましたが、事実上の新婚の夫婦でした。それが交通事故に合い、先生の病院に運ばれましたが、、先生が不在で診てもらえませんでした。そのために、手遅れとなり、次の病院で亡くなりました、、、」と、、言いながら涙が溢れた忠であった。

「だから死んだのは先生のせいだとは言いません、、そのことで争ったり、損害賠償とか言いません、、もし、少しでも責任を感じてくれたなら、、どうか、、恵子の墓前に花を添えていただけませんか、、お願いします。」

と、、話してから忠は病院を出た。

「恵子、、これでいいな、、いつまでも恵子を愛しているよ、、、」と、、秋風が吹く街を歩きながら一人、恵子のことを胸の奥深くしまい込んだ。




























































世の中のしきたりや、規則掟を嫌い、飛び出した青春群像夢をを描く、実の子供でなかったこと、実の親に会いたいと家を飛び出す青春、社会の規律に矛盾を感じて法曹界を飛び出す検事、両親に死に別れ里子に出された幼子が家を飛び出し乞食旅をしながら青春を探す男一人旅。

男は夢を追い求め、青春を探す旅を続けているようだ。

何が無くても青春の春を探し続ける男の人生旅だラマ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ