第8話【多江と桜子】
桜子が南郷家に来てからは、もっぱら夕食は多江、隆之、桜子、英子の4人でとるのが日課となっていた。桜子は隆之が事あるごとに英子に声をかけているのが不満でしかたがない。隆之が時折不在にしている夕食時にはたいてい、桜子が英子に薄っぺらな嫌味を混じえてわざわざマナーを指導しようとする。英子は時折執事の藤原にマナーについて教えてもらっているのだが、まだフォークの使い方に慣れていない。食事の時間は英子にとっては窮屈で仕方ない時間である。
「英子さん、フォークを使うときは柄の部分を軽く握って上から人差し指で押すようにしますのよ。あまり使ったことがないようですわね」
桜子は皮肉交じりに微笑む。多江もそれに続く。
「桜子さんがご指導してくれると助かりますね。英子さんはマナーや所作がまだまだですから」
多江も桜子の父孝之助と同じ思いで、黒澤家の一人娘である桜子と当家の跡継ぎの隆之との婚姻を考えていた。しかし、英子が南郷家に来てからというもの肝心の隆之は何かと英子をかまってばかりいる。多江にしてみると英子は、南郷家と黒澤家の縁組を阻む邪魔な存在になっているのだ。そのため英子に対して冷たく接し、しばしば彼女を無視することさえあった。
多江の厳しい態度を見かねた執事の藤原はその都度、英子のそばに寄り沿い声をかける。藤原は南郷家に奉公する立場ではあるのだが、当家にとっては無くてはならない存在であるため多江も藤原へは強い態度はできない。藤原が給仕をしながら英子の物覚えの良さをほめると多江と桜子は幾分言葉少なになる。しかし、やはり英子にとっては居心地が悪いことには変わらない。
南郷家では日曜日といえども屋敷の仕事に休みは無い。使用人たちはローテーションを組んでそれぞれ休暇をとっている。しかし日頃から屋敷に住み込みで働いていることもあり休日の感覚が薄い。広大な敷地にはテニスコートやパターゴルフができる場所もあり、使用人たちにも開放されているため各自自由にそこで余暇を楽しんでいる。休日の食事の時間は平日と基本的に同じで、掃除に関してはむしろ日曜日の方が忙しい。『全体清掃』と言って、屋敷にある各部屋はもちろん、ダンスホールとして使用する大広間、外壁から塀、中庭の手入れや池の回り、別棟と馬小屋など多岐にわたってほぼ全員で清掃にあたる。
日曜日、英子の学校は休みなのだが、南郷家での生活はいつもと変わらない。しかし使用人たちは朝からせわしなく動いている。全体清掃の準備で忙しいのだ。その日の朝食のあと多江が英子に声をかけた。
「英子さん、当家での生活は少しは慣れました?」
「はい。おかげさまで皆様によくしていただき、少しずつですが慣れてまいりました」
「それはよろしかったですね。ところで、ご一緒に住むためには身の回りを綺麗にしておかないといけません。この屋敷に慣れるためにも家のお掃除をお願いしたいのですが。よろしいですか?」
「はい」
通常は家の掃除は使用人がやることなのだが、多江は英子をお手伝いさんとして対応しようと考えていた。
「渡瀬さん。英子さんにお掃除のやり方を教えてあげてください」
「かしこまりました」
多江はそばにいた使用人長の渡瀬トメに声をかけた。渡瀬は南郷家の使用人をかれこれ20年は続けているベテランだ。恰幅の良さの割には身のこなしが軽快である。料理が得意で気の強さは姉さん気質だ。また、連続ラジオドラマ『解決! 使用人』シリーズの大ファンでもある。
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【『解決! 使用人』。大豪邸に仕える富江トミ子という使用人が主人公。主である五十嵐九衛門は、わがままで自分勝手、後先を考えない気まぐれな決定を重ねることにより起る御家騒動を、富江が「ご主人様、それでは筋が通りません!」という決めぜりふで解決していく。】
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渡瀬により使用人14名が屋敷の大広間に集められた。緊張したおもむきの使用人たちが綺麗に整列する。英子もその中に加わった。前に立つ渡瀬が元気よく声を出す。
「はい、本日は月に一度の全体清掃の日です。いつものように班に分かれて清掃に取り掛かってちょうだい。まず一班は二階の全部屋の清掃。二班は風呂とトイレ、炊事場等の水回りをお願い。三班は玄関や他の出入り口と屋敷周り。それから、えーっと、英子様」
「はい!」
「英子様は私と一緒にリビングのお掃除をしてもらいます」
「はい」
渡瀬がみんなを見渡し姿勢を正して大声を出す。
「解散後速やかに行動開始。以上、開散!」
元気よく自分の担当する場所へと走り出す使用人たち。想像していた以上に活気がみなぎっている。早速英子は渡瀬のもと、リビングの掃除に取り掛かる。窓ガラスの清掃、絨毯の埃取り、テーブルや壁、階段から手すりなど、気が遠くなるような重労働である。さらにあちらこちらに陳列された調度品にも気を配らなければならない。英子は渡瀬に従って休む間もなく掃除に励んだ。
「英子様、もっと優しく丁寧に、かつ、素早く行動しないといつまでたっても終わりませんよ!」
「はい!」
厳しく指導をする渡瀬なのだが、英子はそれに応えて作業を一生懸命こなす。渡瀬にしてみれば、気に入らない人には意地悪をする多江様の行動は今に始まったことではない。英子様は身分は高くないにせよ旦那様のご親友のご息女である。少しやりすぎではないか。しかし多江様には自分の立場では逆らえない。言われた通りするしかないのである。そう思っていた渡瀬なのだが、英子様は想像以上の働きを見せている。仕事も丁寧で身のこなしも申し分ない。使用人の作業を何の屈託もなくやっている英子を渡瀬は作業中横目でちらと見る。渡瀬の視線を感じた英子はその都度軽く微笑みを返す。渡瀬はなんとなく、英子に対していとおしい気持ちになってきた。
英子にとってはこんなに広い家の掃除は初めてであったのだが、楽しそうに掃除をする渡瀬につられて、埃はたきや雑巾がけが思いのほか楽しく感じられた。それに、他の使用人たちと一緒に同じ作業をするのは心地よい一体感がある。屋敷の中の掃除が一通り終わったところで多江が英子の様子を見ようとやってきた。部屋の中はいつも以上に輝きが増しており、空気も気のせいか澄み切っているように感じられる。多江は少し不満げな顔で話しかけた。
「あら、英子さん、お掃除がお上手なようね。使用人より雑巾の扱いに慣れていること。幼いころからご実家で雑巾がけをやらされていたのかしら」
「はい。実家では母や姉の代わりに毎日掃除をしておりました。お褒めいただきありがとうございます」
多江は、英子が部屋の雑巾がけをそつなくこなしていることが気に食わないようだ。無理やり部屋の汚れに難癖をつけだす。
「ふん、よく見ると壁のシミが少し残っているところがあるわね。もっと丁寧にやってもらわないと困ります」
かしこまる英子。渡瀬は、『シミなんかどこにあるのかしら?』と不満なのだが、英子の隣でうつむいている。多江が続ける。
「部屋の掃除はもういいわ。次は馬小屋のお掃除もお願いしようかしら」
「はい、承知いたしました」
「他の使用人の方たちはご休憩なさい。メイド服が汚れるといけませんから。渡瀬さん、英子さんを馬小屋へ案内してあげて」
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