第6話【旧家の御令嬢、黒澤桜子】
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英子が南郷家に戻ると、いつもと変わらぬ日常が待っていた。隆之の父隆夫は家を開けることが多く、たまに家にいても忙しそうにしている。母多江も父の仕事関係の付き合いで休まる暇もないようだ。夕食はもっぱら多江と隆之と英子の三人で摂る時が多い。多江は相変わらず英子に対してどことなく冷たい態度でいるのだが、英子の食事のマナーが上手くなってきたことには少しだけ満足した様子だ。
ある朝、いつものように学校の手前を曲がった路地に停車し英子が車から降りた。そこを偶然、学校で同じクラスの黒澤桜子がその様子を見ていた。桜子は旧家の御令嬢で本当は看護学校ではなく女学校へ通いたかったのだが、父親の黒澤孝之助は『これからの女性は手に職をつけて社会に進出しなければならい』などと言っている。しかし本心は、娘を南郷財閥が経営する病院に就職させ、ゆくゆくは南郷家の御曹司で南郷財閥の病院に勤務する隆之と婚姻を結ばせようと考えていたのだ。
校舎に入り自分の教室に着いた桜子は、先ほど南郷家の車から出てきた英子が気になり、一体どういうことなのかと、あとから教室に入ってきた英子に詰め寄った。それで英子が南郷家に居候していることがばれてしまった。
二人は同じクラスと言っても別段話をしたことはなく、華やかな雰囲気の桜子と比べると地味な姿の英子は対称的で、桜子にとって英子は少々気に入らない存在であったため、冷たくあしらっていたところがある。桜子が執拗に聞いてくるので、英子は仕方なく今までの経緯を桜子に話した。それを聞いた桜子は急に態度を変え、英子に対して異様にやさしく接する様になった。
しばらくたったある日、南郷家に桜子と母の黒澤恵梨香が遊びに来た。黒澤家は公家の血筋を引き継ぐ旧家で、財閥の南郷家とは昔から親交があり、桜子と母恵梨香は多江と仲が良く、頻繁に南郷家へ遊びに来ていたのだ。いつものようにリビングでお茶を楽しむ桜子達であったが、この日は隆之と英子も呼ばれた。「人が多い方が楽しいでしょう」と桜子が多江に提案したのだ。テーブルの上に紅茶とケーキが置かれている。桜子は隆之の前で英子と仲が良いところを見せようと、わざと英子に積極的に話しかけた。
「英子さん、南郷さんのお屋敷に住まわれているなんて知らなかったわ。さぞかし居心地がよろしいでしょうね。ずっと住まわれるのかしら?」
「いえ、学校に通っている間だけお世話になる予定です」
「あら、そうなの。南郷家に住まわれているなんて、ご家族もお鼻が高いでしょう」
「あの、わたくし、家族は……」
そう言いかけた時、隆之が割って入った。
「紅茶が冷めないうちにいただきましょう。このケーキはオカモト・シェ・ダムールのフォレ・ノワールですよ」
テーブルの上にあるケーキからほのかな甘い香りが漂ってくる。「そうしましょう、いただきます」と言いながら多江は銀のフォークを指先で軽く持ち、繊細な手つきでケーキを口元へと運ぶ。ひとくち口に含むと優雅な笑みが浮かびケーキの甘美な味わいを楽しむ。英子も「いただきます」と言ってフォークを持ち、ケーキを横から切って食べようとした。そのとき桜子が話しかけてきた。
「あら、英子さん。ケーキを食べる時はフォークは指先でやさしく持って垂直にゆっくりと刺すものですよ」
英子は桜子の言う通りにフォークの先端を垂直に刺し、ケーキを手前に倒すように切って食べ始めた。フンというような顔をする桜子。桜子はマナーを指導する風を装いながらうっすらとした嫌味を英子に投げかけたのだ。そんな桜子の態度に気づいた執事の藤原が紅茶のお代わりを注ぎにテーブルまでやってきた。
「お紅茶のお代わりを持ってまいりました。おや? 英子様、ケーキの食べ方も優雅でございますな。イギリス式のマナーを心得ておられるとは存じませんでした」
藤原は深く頭を下げ、その場を後にした。
自宅に帰った桜子なのだが、どうも落ち着かない。彼女は南郷家で隆之と英子が一つ屋根の下で暮らしていることを知り、その事実に腹を立てていたのだ。丁度そのころ桜子の両親が数ヵ月間海外出張で家を空けることになった。桜子はそれを好機と見て、その間、自分も南郷家に居候させてもらえるようにしてもらえないかと父の孝之助に相談した。孝之助にしてみても、使用人が大勢いる屋敷ではあるのだが、自分たち両親が不在では確かに一人娘が心配である。孝之助はさっそく南郷家へ連絡し、桜子を暫く預かってもらえないかと相談した。連絡を受けた南郷家当主の南郷隆夫と多江にとっても、桜子の同居は願ったりであった。特に多江は大喜びしている。黒澤家は公家の出で爵位を与えられた華族であり大変裕福な家柄だ。南郷財閥と黒澤家の関係を深めるためにも、ゆくゆくは息子隆之と桜子との婚姻を考えていた多江である。そして桜子はしばらくのあいだ南郷家に住むこととなった。
桜子が南郷家へ引っ越してくる日が来た。この日を待ち望んでいた多江は機嫌よく出迎える。引っ越し業者とのやり取りは多江と桜子の指示によってスムーズに終わり、桜子の荷物は南郷家へと運び終わった。その頃、隆之は地方で開催されていた医学研修に参加するため、数日間家を留守にしていた。隆之が家に戻ったのは桜子の引っ越しが終わった次の日である。隆之は帰宅するなり、真っ先に英子の部屋に足を運んだ。ドアの前に着くなり少し強めにノックする隆之。
「隆之です、ただいま帰りました」
部屋の奥から「はーい」と明るい声の返事が聞こえ、しばらくしてドアが開いた。しかし、英子の部屋から出てきたのは桜子であった。隆之はなぜ桜子が英子の部屋から出てきたのか理解できなかった。キョトンとした表情の隆之を見て桜子が嬉しそうに隆之に挨拶した。
「隆之さん、これからお世話になります。どうぞよろしく」
深々と頭を下げる桜子。隆之は事情が呑み込めなかったのだが、桜子が南郷家にしばらく住む話を多江から聞いていたのを思い出した。しかしなぜ桜子が英子の部屋にいるのだろうか? 少し訝しがりながら尋ねた。
「そうか、桜子さん、引っ越してきたのですね。こちらこそよろしく。ところでここは英子さんの部屋だよね。英子さんはどうされました?」
桜子は薄く笑いながら答えた。
「ああ、英子さんでしたら使用人の部屋に移りましたよ。私の荷物が多くて、この部屋でないと入りきれず困っていたところを英子さんが『自分の荷物は少なくて、自分にはもったいないくらいの部屋だと思っていたので』って、快く替わって下さったの。『使用人部屋の方が実家の自分の部屋と広さが近いそうで落ち着く』と言ってましたわ」
隆之が部屋をドア越しから覗くと、英子が今までいた部屋には桜子が持ってきた品々がすでに並べられていた。高級なドレスや豪華な装飾品。壁際の鏡台にはたくさんの化粧品が置かれていた。
「隆之さん、よろしかったらお茶でも飲んでいかれませんか?」
桜子は隆之をお茶に誘うが、隆之は英子の所在をすぐに確かめたく、桜子の誘いを断り急いで使用人部屋に向かった。
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