第4話【南郷財閥のお屋敷での新たな生活が始まったのだが】
隆之が英子に話しかける。
「この部屋は元は客間で壁紙が少し派手だったのですが、英子さんがこの部屋で落ち着いて過ごせるように模様替えをしてみたんですよ。確か春生まれでしたよね? なので薄い桃色にしてみました。気に入ってくれたらいいのですが……」
隆之は頭をかきながら少し照れた表情でいる。英子は自分のためにここまで気遣いをしてくれる南郷家に困惑ぎみだ。
「私には勿体ないくらいの部屋です。お気遣いいただきありがとうございます」
緊張しながらこたえる英子の表情は硬いままだ。隆之は優しく微笑みながら話しかける。
「自分の家だと思ってゆっくりしてください。必要なものがあれば何でも言ってくださいね」
隆之はそう言い残し部屋を出て行った。部屋のドアが閉まる音を聞いた英子は持ってきた一つのカバンを部屋の脇に置く。広い部屋の端っこにポツンと佇むと、『ふうっ』と小さくため息をついた。どことなく落ち着かない。部屋の広さに圧倒されながらも様々な感情が入り混じっている。広く豪華な部屋を眺めながら、この家で新しい生活を送ることが信じられないでいた。しばらくすると部屋のドアをノックする音がした。ドアを開けてみると一人の女性が立っていた。エプロン姿でメイドの格好をしているが恰幅がよくて堂々とした雰囲気だ。
「はじめまして、南郷家で使用人長を務めさせていただいている渡瀬トメと申します」
落ち着いた身のこなしに年恰好はずいぶんと年配のように見えるが40歳手前だろうか。丁寧にお辞儀をしながらも英子を見定めているようだ。
「二階堂英子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
緊張しながら英子も深々と頭を下げる。
「隆之様よりお申し付けられました。英子様にお屋敷の案内と南郷家の慣習についてご説明に上がりました」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
「お疲れになっていませんか?」
「いいえ」
英子は渡瀬の無表情ながらも凛とした佇まいに圧倒され、さらに緊張感が増した。
「それは結構。そうしましたら、当屋敷をご案内いたしますので、わたくしについておいで下さいませ」
渡瀬は軽く顎を下げて体を翻し、英子を通路へと案内した。やはり広い家だ。廊下が学校の廊下のように長い。部屋は一体何部屋あるのだろうか? 英子は南郷家の屋敷に慣れようと気持ちを落ち着かせるのだが、間取りを覚えるだけでも時間がかかりそうだ。まず御手洗の場所を教えてもらい、洗面所の使い方、お風呂の入り方の手順、その他もろもろの南郷家の生活の習慣について説明してもらった。朝食の時間は朝七時で、使用人が各自先に簡単な食事を済ませた後、南郷ご家族がダイニングに集まってくる。料理は執事の藤原が指揮をとり、屋敷内で栽培している様々な種類の野菜をふんだんに使った四季折々の料理が提供される。
隆夫と隆之が出勤した後、使用人たちは各々分担された屋敷の作業にとりかかる。屋敷内では清潔さが重要視され、使用人たちは日々の家事や清掃に励んでいる。妻の多江は隆夫の仕事の手伝いで外出する日があるが、屋敷にいるときは書斎にこもっていることが多い。時々親交のある華族の友人を招いてお茶会や音楽鑑賞会を開いたりしている。催しのある日はケーキなどのデザートが使用人たちにもふるまわれるので、使用人たちの楽しみの一つとなっている。夕食はできるだけ家族全員で摂るようにしている。
英子は渡瀬から屋敷の説明を受けた後、部屋に戻り荷物の整理をした。荷物と言ってもカバン一つしかないのでさほど時間はかからなかった。部屋の隅にある勉強机の上に簡単な私物を並べ椅子に座った。キャスター付きの椅子だ。座面には適度な柔らかさのクッションがしつらえてあり、座り心地がよかった。実家では四畳ほどの畳部屋に姉の美津子が使用していた古くて小さい机に正座して勉強していたため、英子は椅子ひとつにも感動した。ふと外に目をやると日が傾いている。夕焼けが空を染め、窓から見える庭園にオレンジやピンクの色彩が広がり始めると同時に、周囲の景色が一層美しく映し出された。遠くでカラスの鳴き声が聞こえる。今頃実家では風岡の子供たちがお腹を空かせて保育園から帰ってくる頃だ。そんなことを考えながらすでにホームシックになる英子であった。その時ドアをノックする音が聞こえた。
「英子様、ご夕食のお時間でございます」
使用人の渡瀬だ。「はい」と短く返事をして英子は部屋から出た。渡瀬の後についてダイニングに行くと、テーブルには隆之が座っていた。天井が高くて広々としたダイニングの壁際には大きい暖炉がある。焦げたレンガの風合いが部屋全体の重厚さを演出し、高い鉄台の上で丸太の木が小さな炎を上げ、乾いた音をはぜている。また、部屋の中央に置かれたテーブルの大きさに驚かされた。優に20人は座れるであろうかと思われる長さで、まるでおとぎ話に出てくるようなテーブルだ。壁際の棚には様々な外国から取り寄せたと思われる豪華な彫刻や装飾品が飾られている。ステンドグラスの窓からこぼれる柔らかい日の光に照らされて、金色に輝く燭台がクジャクの尾っぽのように広がり、その輝きが部屋に華やかさを与えていた。そして目の前のテーブルの上には銀製の煌びやかな食器が並ぶ。せわしなく視線をキョロキョロと動かし落ち着かない英子に向かって隆之がにこりと笑い、自分の隣に座るようにと促す。
「英子さん、こちらへお座りください。そんなに硬くならずとも大丈夫ですよ」
英子はさらに緊張しながら隆之の隣に座った。隆之はダイニングに飾られた調度品について簡単に説明する。父の経営する貿易会社を通じて手に入れたものがほとんどだそうだ。オランダやスペイン、ポルトガルから輸入した品が多いとのことで、「たくさんありすぎて置き場に困っている」と言ったのは本心のようである。しばらくして隆夫と多江がやってきた。英子は椅子から腰を上げ姿勢を正してお辞儀をした。隆夫が英子に話しかける。
「やあ、英子さん、よく来てくれたね。ご挨拶が遅れて申し訳ない。先ほど仕事から帰ってきたばかりでしてな。こちらは妻の多江です。多江が英子さんと会ったのはずいぶん前だったかな」
隆夫が上機嫌で英子に挨拶してテーブルの一番奥の席に座った。多江が話しかける。
「英子さん、この度はお父様の突然のご不幸、ご愁傷様です。立派なお嬢さんになられましたね」
多江はどことなく浮かない表情に見える。挨拶もそこそこに英子をちらっと見ると隆夫の隣に腰をおろした。
食事が運ばれてきた。使用人の渡瀬が隆夫の席に料理を置くと、その後に続いて三人の使用人が多江と隆之、そして英子のテーブルへと料理を運ぶ。執事の藤原はホールで料理の仕上がりを確認している。晩餐の準備が整ったところで隆夫が姿勢を正して両手を合わせる。
「準備も整ったようだ。それでは、いただきます」
「いただきます」
皆が隆夫に習い両手を合わせる。テーブルの上にナイフとフォークが置いてあった。英子は慣れない作法に戸惑って手を付けかねている。その様子を見ていた隆之が渡瀬に声をかけた。
「渡瀬さん、お箸を二膳持ってきていただけますか」
「承知いたしました」
渡瀬は軽くお辞儀をしてホールへと行きお箸を持ってきた。隆之はお箸を手に取ると一つを英子に渡す。隆之はナイフとフォークをテーブルのわきに置き、箸で料理を食べだした。
「うん、箸で食べるのもおいしいね。英子さんもよかったら箸で食べてみてください」
英子は小さくうなずき料理に手を付けた。少しほっとした表情を見せる英子。そんな英子を見てほほ笑む隆之であった。
英子は少し緊張がほぐれたようだ。しかし、その様子を見ていた多江は不満げな表情を浮かべる。英子が南郷家に住むことをあまりよく思っていないのだ。食事も終わり藤原が淹れたコーヒーを飲んでいると隆之が声をかけてきた。
「明日から学校ですね。私は英子さんの学校に隣接している大学病院で勤務しています。一緒に車で行きましょう」
「あのー、明日は初日ではありますが、授業の準備を早めにしたく、自転車をお借りして一人で登校するつもりでおります」
「わたしも実習の手伝いがあり、時間が早い分には都合がいいです。一緒にまいりましょう」
戸惑う英子。英子は身分の格差や居候させてもらっている立場から、なるべく南郷家に面倒をかけないように過ごすつもりでいた。しかし南郷ご家族の前で隆之の好意を断ることができず、承諾することにした。
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