第28話【輸送艦「ふげん丸」】
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夜の10時を過ぎ、隆之を乗せた輸送艦「ふげん丸」は僅かばかりの月の光を頼りに薄い闇に包まれた大海原を忍ぶように航行していた。隆之は南郷財閥が手掛ける戦時医療の任務を遂行すべく、志願という形でこの度ふげん丸に乗船することとなったのだ。ふげん丸は病院船としての機能も備わっており、メインマストには白地に赤十字が記された旗を掲げている。隆之は船医として医薬品の管理輸送の指揮を任されており、船内の医務室が実質、隆之の宿泊場所となっていた。ふげん丸は順調に台湾に向けて九州沖を南下中である。夜も深け、そろそろ就寝の準備をしようとしていたところに牧本勝治少佐が医務室に来た。
「おお、南郷軍医、まだ起きておったか。腹が痛くなってかなわん」
「少佐殿、気丈夫にして人一倍の体躯の方が、こんな時間に腹痛ですか? 何か悪いものにでもあたられたのですか」
牧本少佐は隆之と同乗することとなった初日から医務室によく遊びに来ていた。実家に待つ弟に隆之がよく似ているそうでどことなく親近感があったそうだ。
「ははは、冗談だ、南郷。腹など痛くもかゆくもないわ。少々寝付けなくてな、酒に付き合ってくれるやつを探しておったところだ」
牧本少佐は一升瓶を片手に茶碗を二つ携えている。坊主頭に顎髭を蓄え、丸顔にやや下がり気味な眼尻に人懐っこさが表れていた。
「よろしいのですか? このような時に酒など飲んで」
「今回の任務は大したことではない。物資輸送といっても医薬品と気持ちばかりの食糧、そして僅かな資材だけだ。しかし今となっては使うすべもなかろう。この戦いはもうすぐ終わる」
「少佐っ! 誰かに聞かれたらどうするんですか」
「かまうもんか。上層部の連中はもうとっくにわかっていることだ」
船内の乗組員は運航に必要な者を除きみな寝静まっていた。低いエンジン音に交じって艦首の風を切る音が聞こえる。
「そんなことより、どうだ、南郷。一杯やらんか? 私の実家で作った地酒だ」
牧本少佐の実家は秋田の造り酒屋である。少佐が茶碗を隆之に渡すと、隆之は少しあきれたように口元を緩めた。
「少佐殿の御実家は秋田でしたね。あそこのお酒は大変おいしいと聞いております。実は私はまだ秋田のお酒を飲んだことがありません」
「おおそうか、それではいい機会だ、まあ一杯やってくれ。俺の親父が造った酒だ」
二人は明かりを沈めた医務室で茶碗酒を呑みかわした。
「少佐殿、美味しいであります」
「戦争が終わったら俺の実家に遊びに来い。死ぬほど呑ませてやる」
牧本少佐は懐かしむようなまなざしでほほ笑んだ。牧本少佐と隆之は狭い医務室で丸干しのイワシを肴に酒を酌み交わす。
「おい、南郷、なぜ軍医などに志願した。地元で開業医でもなんでもやっとればよかろうに」
「はい。自分は此度の戦局を知るにつれ、いてもたってもおられぬようになって……」
「ははは、おぬしも軍国小僧じゃのう。わしは違うぞ、こんなくだらん戦争はさっさと終わらせて田舎に帰る。ほら、娘の写真だ。来月1歳になる。もう一刻も早く抱きしめたいものだ」
胸ポケットから出した小さい写真を見つめながら少佐は目尻を下げて頬を緩ませる。船内に静かな時間が流れ、船室の小さな窓から見える夜の海が、遠くに見える雲の波間に移ろいながら穏やかに通り過ぎていく。ふげん丸は僅かな月の光を頼りにゆっくりと航行していた。二人はしばらく談笑していたが牧本少佐がふと首を掲げた。
「うん? エンジンの音が大きくなったな」
「少佐殿、船の速度が少し速くなってきました」
そう聞くなり、少佐は茶碗を机に叩きつけるように置き素早く立ち上がった。
「ちょっと待て、調べてくる」
「あっ、少佐殿!」
少佐は医務室を飛び出していった。
医務室のドア越しの通路をあわただしく行きかう人の音が聞こえる。隆之はドアを開け、医務室の前を通りかかった乗組員の一人に声をかけた。二十歳そこそこの若い船員が慌てた様子で叫ぶ。
「敵潜水艦の潜望鏡を確認! 攻撃に備えよとのことです!」
そう言うと船員は足早に去っていった。突然船内にけたたましい警報が鳴り響く。隆之は医務室に戻り急いで救命胴衣を身に着けた。次の瞬間、耳をつんざくような爆発音とともにダンプカーに正面衝突されたような衝撃を受け、隆之は医務室の壁にたたきつけられた。ガラスビンを粉々に割ったような波しぶきの音。その音に混ざって大勢の悲鳴と怒号が飛び交う。船体が傾き、軋みと唸りを上げながらゆっくりと大きくバランスを崩していく。壁に頭をぶつけ倒れこんでいた隆之は、ふらつきながらも意識ははっきりしていた。誰かが肩を掴んでいる。
「南郷! 大丈夫か?」
牧本勝治少佐の声が聞こえた。
「は、はいっ。少佐殿、ご無事でありますか?」
「ああ、大丈夫だ。敵潜水艦の魚雷にやられた。赤十字の標識を無視しおって、国際法違反だ。南郷、もうこの艦は沈む。貴様も早く逃げろ」
牧本少佐は足を引きずっている。さきほどの爆撃で負傷したようだ。隆之が急いで診療用具を準備しようとしたときに艦がぐらりと揺れ、それと同時に海水が医務室に流れ込んできた。艦は急激に沈みかけている。少佐は自分の怪我は全く意に介さない様子で、隆之の無事を確認した後、医務室のドアを出ると船外へ通じる通路とは逆の方向へと歩き出した。
「少佐! どこへ行くつもりですか? 右の通路から外へ行かないと逃げ遅れてしまいます!」
「無線電信室に行かなければならない。先ほどの爆雷の衝撃で通信班がやられたとの連絡を受けた。急ぎ救難信号を送信しなければならん」
船体がさらに大きく揺れ、細かな爆発音が船内の所々で鳴り響いている。
「しかし、少佐殿。逃げ遅れてしまっては元も子もありませんっ!」
「救難信号発信が遅れたら助かるものも助からん。俺にはまだやらなければならんことがある。南郷! 早く逃げろ、これは命令だっ!」
「少佐殿ーっ!」
牧本少佐は負傷した足をかばいながら、暗くなった艦内部へと進んでいった。医務室に流れ込む海水の量が多くなって、艦は更に傾きを増す。隆之は意を決して船外へと向かう通路を小走りに進んだ。まだ少し意識がもうろうとしている。船外へ出るドアは開け広げられており、既に大勢の船員が黒くうねる海へと次々に飛び込んでいた。海面から甲板までの高さはそれほど高くない。艦は大きく傾いており、すでに船体の半分は海へ沈んでいた。隆之も海へと飛びこもうと甲板に立った、その瞬間、艦の中心部分が爆発し、すざまじい轢音とともに巨大な爆風と衝撃波が隆之を襲う。爆風に吹き飛ばされた隆之の体は宙に舞い、艦から遠く離れた海面にたたきつけられた。その勢いのまま海中深く沈み込んだ隆之だが、救命胴衣のおかげで海面へと顔を出すことができた。命が助かったのは奇跡に近かった。
ふげん丸の中央から夜天に向かって火柱が上がる。ガソリンの焼け焦げた臭いに包まれ、隆之は意識が遠くなってきた。艦のあちらこちらで鳴り響く破裂音。燃料と木が燃える炎の音が次第に小さくなる。夜の海から湧き上がる火柱が星空に向かって伸びている。大きく高い火柱に照らされたさざ波がキラキラと輝く。なんて美しい光景なのだろうか。刹那に流れる時間が永遠に続きそうな感覚が頭の奥深くへと流れ去っていく。隆之はまどろむ意識のなかで、月の光に照らされた輸送艦ふげん丸の沈みゆく艦首を見ていた。
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