第27話【隆之、出征の日。四葉のクローバー】
毎日投稿予定。
「英子さん、ちょっといいですか?」
「はい、どうぞ」
英子はまだ隆之のことが思い出せないでいる。だが、自分が以前南郷家に居候していたというのは周りの自分への対応でなんとなくだが分かってきた。隆之はその南郷家の御曹司であるというのも理解している。英子は隆之を自室へと招いた。何の用なのかと少し首をかしげている英子を前にして隆之が話し出す。
「英子さん、あなたが家に戻ってきてくれて私はとても安心しています。あなたの記憶が戻っていなくとも、あなたが生きていたことが私にとってどんなに嬉しかったことか」
英子を見つめる隆之の目に覚悟がにじみ出る。
「私は明日、軍の船に乗ります。危険な任務ではないとの説明を受けていますが、戦中の航海です。いつ何が起こるかわかりません。私は英子さんにお話しておきたいことがあります」
「はい」
「英子さん、私はあなたがまだ小学生だったころ、南郷財閥グループの病院であなたを見かけた。当時私の母は結核で入院中で、高校生だった私は母のことが不安で病院のベンチに座り一人沈み込んでいました。その時、まだ小さかったあなたは私のところまできてこれを私にくれたのです」
隆之が差し出した手のひらの上に四葉のクローバーで作ったしおりがあった。
「あなたはその時私にこう言った。『元気になるお守りです』と。英子さん、この四葉のクローバーは私にとって何物にも代えがたい特別な宝物です。これをあなただと思って、これからもずっと大切に持っていたいと思います。今はまだあなたの記憶の中に私はいないのは分かっています。でもこれだけは知っておいてもらいたいのです。英子さん、私はあなたを愛しています。病院で会ったあの時から、今この瞬間も、そしてこれから先も、ずっとずっと愛しています。英子さん、お願いです。私に今後何が起ころうとも、今の私のこの気持ちを忘れないでください」
隆之は英子の手を取り、以前渡しそびれたかんざしを手渡す。
「英子さんにずっと渡そうと思っていたものです。私の留守中、良ければ肌身離さず身に着けてくれると嬉しいです」
隆之は滲む目で英子の姿を記憶の奥に焼き付けるかのように見つめている。その瞬間思わず英子の胸に隆之の思いがしみ込んできた。慈しみに満ちた英子の瞳に、滲んで消えそうな隆之の姿が映った。
その日の朝は雨の心配はなさそうだが少し曇りがかっていた。みんな早めの朝食を済ませ玄関に集まっている。隆夫と多江、藤原と渡瀬、英子、紗智子、その後ろに南郷家の使用人たちが全員整列しており、みんな不安と心配が入り混じった表情だ。玄関の戸が開いた。隆之が顔を出す。軍服をまとった姿が凛々しくも頼もしい。背筋を伸ばし、瞳には多くを語らぬすがすがしさが漂う。隆之を待っていた南郷家のみんなが姿勢を正した。隆之が隆夫と多江の前に立つ。
「お父様、お母様。それでは行ってまいります」
「従軍医として、お国のために頑張ってきなさい」
「ご武運をお祈りいたします」
多江が肩を震わせ目頭をおさえている。隆夫は歯を食いしばりながら笑みを浮かべ、必死に涙をこらえた。隆之は藤原と渡瀬の方に顔を向けると深々と頭を下げ、「家のことを頼む」と一言だけ言い、そして渡瀬の隣にいた英子のもとへ歩み寄った。笑顔を絶やさない隆之が英子に話しかける。
「それでは英子さん、行ってまいります」
言葉少なに別れの挨拶をする隆之。英子の手には昨日隆之からもらったかんざしが握られていた。
「隆之様、行ってらっしゃいませ」
深々と頭を下げる英子。隆之は自分の思いが少なからずも英子に届いたと思い、嬉しかった。
顔を上げ隆之の顔を見た瞬間、英子の目から突然大粒の涙があふれ出した。とめどもなく流れ出る涙に驚いたのは英子自身である。隆之様がご出征されるのはさみしいことだ。もしかしたら最後のお別れになるかもしれない。いち使用人として悲しくなるのは当たり前のことだ。でも、なぜ私の目からこんなに涙が出るのだろうか? 分からない。分からない。分からない。
涙でくしゃくしゃになった英子の顔を見ながら隆之はそっと目を閉じ微笑んだ。そしてそのまま踵を返し、藤原が用意した車に乗り込んだ。隆之が後部座席に座りドアが閉められる。藤原は運転席に座りクラクションを長めに押して車を発車させた。南郷家の者が車の方向に向かって整列し姿勢を正して全員頭を下げる。エンジンの音がゆっくりと遠ざかっていく。英子が顔を上げると、隆之を乗せた車の姿が次第に小さくなっていくのが見えた。
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