第17話【脳裏に広がる淡い夢。自然と笑みがこぼれた。】
風岡が声をかける。
「南郷さんのお屋敷での生活には慣れたかい?」
「はい、お蔭様で、南郷さんご家族や侍女の方々にとても良くしていただいております」
「それは良かった。便りでは近況は分かっていたけど、改めて英子ちゃんの口から直接聞けて安心したよ。いや、しかし英子ちゃん、すごく綺麗になって、初め誰だか分らなかった。僕はダンスは学生時代以来で、こんなスーツしかなくて場違いだったかな」
「いいえ、お義兄らしくて、ほっとします」
「それを言うなら、お世辞でも『カッコイイ』と言ってよ」
風岡が照れくさそうに軽口を言うと、二人は一緒に住んでいたころに戻ったかのように自然と笑みがこぼれた。
「英子ちゃん、ダンスはいつ覚えたの?」
「ほんの2週間前です。本当は舞踏会へ来るつもりはなかったのだけど、隆之さんから『お義兄さんも誘った』と聞いて、お義兄さんに会いたくて来たようなものです」
「僕も英子ちゃんの元気な姿が見たくて今日はお誘いを受けたんだ」
優しく微笑む風岡に、英子はこのまま風岡と一緒に実家へ帰れたらどんなにいいだろうかとと叶わぬ思いを抱いた。
そんな思いをよそに「グー」とお腹の虫が鳴り、英子はお腹がすいているのに気がついた。考えたら緊張のあまり今日は朝から何も食べていなかったのだ。
「お義兄さん、こんなところではなんですから、まずは腹ごしらえをしましょう」
会場の隅にビュッフェがあることを藤岡が説明してくれたことを思い出した英子は、風岡と一緒にダンスホールへと向かった。二人が一緒にホールへ入ると華麗な音楽が鳴り響いており、踊る人々の優雅な姿がホールを彩り、舞踏会の華やかな雰囲気に包まれた。
ビュッフェに足を運んだ英子と風岡は、テーブルの上には美味しそうな食べ物がたくさん並べてあるのに驚いた。パンデモニウムや生クリームデコレーションケーキのボーンズ&ローゼス、チョコレートカースドブラウニーなど、英子が食べたことのない物ばかりだ。給仕をしている人が笑顔で『どうぞ』と言いながらデザートを小皿によそる。風岡と英子は懐かしい話と美味しい食事に酔いしれながら、笑顔に包まれたひとときを楽しんだ。
優雅な曲が流れているホールでは、桜子と隆之がダンスに興じている。隆之がふとビュッフェの方を見ると英子の姿があった。桜子とダンスをしながら横目で英子を見ていると、何やら男性と親しく話している様子だ。よく見ると風岡だった。
隆之は二人が楽しそうにしている姿に気を取られステップが力んでしまう。桜子は隆之のダンスが突然ぎこちないものになったのを感じ、隆之の顔を見ると、視線はホールの端に向いている。桜子もホール端に目をやると、そこには英子と風岡の姿があった。
曲が終わり、隆之は先ほど英子がいたところを見たが二人がいない。隆之は急いで英子たちを探しに行った。しかし会場のどこを探しても二人の姿はなかった。
隆之はふと窓の外を見た。すると、ちょうど風岡と英子が玄関ゲートに向かって歩いているのが見えた。どうやらもう帰る様子である。実際、風岡は家に子供が待っているので長居をする気はなかったのだ。風岡にしてみると、隆之から英子が来ると聞いていたので少し挨拶ができればと思っていた。隆之は二人を追いかけるようにして外へと向かった。
会場の外に出た英子と風岡はそのまま会場正面の車寄せのところへと向かい、風岡は会場に用意されていた車で自宅へ帰っていった。英子は風岡を見送ると、その足で会場正面脇に止められていた藤原の乗る車の方へ行った。英子を見かけた藤原が声を掛ける。
「おや? 英子様、もうお帰りですか?」
「はい、風岡さんにお会いできましたし、たくさん食事をいただいたら疲れがどっとでてしまいました。わたしはこういう社交の場は向いてませんね。勉強や屋敷の手伝いが気になるので帰ることにします。藤原さん、すみませんがお屋敷まで送っていただけますか」
そう言って英子は藤原の運転する車に乗って南郷家へと帰っていった。
英子は車の中で幸せなひと時を噛みしめていた。風岡との再会の余韻が英子の心を包み込む。ビュッフェでの楽しい時間、可憐な音楽が流れるきらびやかな会場の雰囲気。初めて食べたチョコレートカースドブラウニーのほのかな香りがまだ記憶に新しい。結局あんなに練習したダンスを興じる機会がなかったのが少し残念な気もする。ダンスが苦手な英子ではあるのだが、風岡とだったら一緒にダンスをしたい。英子は静かに目を閉じた。すると眼瞼には、風岡と舞踏会でダンスを踊っている光景が浮かんでくる。脳裏に広がる淡い夢。自然と笑みがこぼれた。
しばらく車が走り、南郷家に着いた。英子は藤原に伝言を頼む。
「藤原さん、ありがとうございました。会場に戻りましたら、隆之さんには先に帰ったとお伝えください」
藤原は「承知しました」と言って舞踏会会場へと戻っていった。
英子たちを追って一足遅く駐車場へとやってきた隆之は、二人の姿を探したがどこにもいない。目の前に留まっている車に急いで乗り込み、運転手に頼んで風岡が住む英子の実家へと向かった。隆之は、英子が風岡と一緒に実家へと戻っていったと思ったのだ。車を飛ばしてもらいしばらくして南郷家からは少し遠いところにある英子の実家に着いた。玄関の前まで行き隆之がチャイムを押すと風岡が出てきた。
「風岡さん、お邪魔いたします!」
「おや? 南郷君じゃないですか。今日は舞踏会へお招きいただきありがとうございました。義妹の元気な姿が見れて安心しました。普段口にできない美味しいものもたくさんいただきました」
「それは良かったです」
「で、わざわざうちまでいらして、どうしましましたか?」
「風岡さん、あの、英子さんはご在宅ですか?」
「いえ、会場で別れましたよ。僕は子供たちがいるから一足先に帰らせてもらったのだが、英子さんはまだ会場にいると思います」
「そうでしたか、突然うかがって失礼しました。今度は我が家に遊びに来てください」
そう言って隆之は表に待たせてある車に乗り会場へと戻っていった。
風岡の家に英子はいなかった。駐車場で見かけたときは風岡と英子は一緒にいたのだが、そのあと風岡だけ車に乗って、英子は見送りをしただけだったようだ。少し安心して隆之が会場に戻ると会場のエントランスに南郷家の車を見つけた。車のそばに藤原がいる。英子の実家から戻ってきた隆之は藤原のそばまで行った。藤原が声を掛ける。
「隆之様、どちらへ行かれておいででしたか?」
「藤原さん、英子さんは見かけませんでしたか?」
「英子様なら、わたくしが南郷家へお送りいたしました。隆之様へは『先に帰ります』と伝言を授かっております」
英子は風岡のところに行ったと思っていたのだが、南郷家に帰ったのか。全くの勘違いをしていた隆之であったが、すぐさま藤原に頼んで南郷家に向かってもらった。
車の中で隆之は落ち着かない様子だ。どういうわけか早く英子に会いたくて仕方がない。そんな隆之を藤原はバックミラー越しに目で見ている。ふと目が合った二人なのだが、特に言葉は交わさない。南郷家に着いた。車から飛び出るように降りる隆之を見送ると、藤原は再度、桜子がいる舞踏会会場へと戻っていった。今日はずいぶんと忙しい日だなと思ったのだが、藤原にしてみると隆之の英子に対する思いがにわかに感じとられ、どことなく微笑ましい気持ちになるのであった。
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