第14話【雪風、二人乗り】
隆之は大学病院の業務と勉強で忙しい日々を過ごしているのだが、休日はなんとか時間を作り乗馬を楽しんでいる。よく晴れた日の昼、英子と隆之は馬小屋へと向かった。隆之は前日、英子を乗馬に誘っていたのだ。英子も動物が好きなので今回は珍しく二つ返事で誘いに応じた。二人が馬小屋につくと、ずっと来るのを待っていたかのように雪風が嬉しそうに前足を地面にこすっている。その足元では鶴丸が雪風の鼻をペロペロと舐めてじゃれていた。雪風はくすぐったくて気持ちいいのか、目をパチパチさせながら楽しそうにしている。鶴丸もつれていきたいのだが今日は遠出になるのでお留守番だ。隆之が鶴丸の頭をなでる。
「ごめんな鶴丸、今日は丘の上まで行くから家でおとなしくしておいてくれ」
「クーン」
鶴丸が少し寂しそうに鼻を鳴らす。隆之は雪風の手綱を持つと馬小屋から出した。空は澄み切って柔らかな風が心地いい。先ほどから少し緊張気味な表情でいる英子に隆之が話しかける。
「英子さん、乗馬は初めてかな?」
「はい、少し不安です。自転車に乗るのとは勝手が違います」
「そうですね、馬という動物は人を選びます。でも大丈夫ですよ、雪風は英子さんのことがとても気に入っているようだ」
そう言いながら隆之は英子の手を取って雪風の背にまたがらせる。少しおっかなびっくりに慣れない動作で雪風の背をまたぐ英子。広くて大きい背中がとても安定している。雪風も英子のことを気にかけているのか、とてもおとなしくしている。英子が乗ると、その後ろから隆之が雪風にまたがり両手で英子を包み込むように手綱を取った。
「雪風、よろしくな」と隆之が言うと雪風がゆっくりと歩きだした。屋敷の門を出ると塀沿いに長く伸びた道がある。隆之たちを乗せた雪風が心地よさそうに「ブルル」と嘶いた。隆之が手綱を緩めると雪風が軽快に走り出す。雪風のさらさらしたたてがみが風に流れて英子の頬をなでる。まるで遠い世界に飛び立つ旅人になったような気分だ。
隆之が英子を誘ったこの旅路は二人の距離を一層近づけることになるだろう。乗馬は英子にとっては初めての経験であり、最初は雪風の大きい背中に戸惑いながらも隆之の腕の中でバランスを取り、次第に雪風の動きに慣れていった。二人は雪風の背に揺られながら、のんびりとした時間を楽しむ。雪風も気持ちよさそうに軽快に走る。
屋敷を出発して1時間ほどして小高い丘の上に着いた。隆之は手綱を少し引くと雪風がゆっくりと止まった。隆之が先に降りて、英子に手を差し伸べる。英子は隆之の手をしっかりと握りしめながら注意深く雪風から降りた。隆之は「ありがとうな」と言いながら雪風の首を優しくなでて、綱を近くにあった木の枝に結んだ。それから英子を丘の一番端の方へと誘い、二人は丘の一番見晴らしのいいところに立った。そこからは南郷家の屋敷のある集落一円がすべて見渡せる。暖かい風に運ばれた花の香りが二人を包み込む。隆之がすがすがしい表情を浮かべながら話しかける。
「英子さん、ここをあなたに見せたかった。僕の好きな丘なんです」
隆之は本当に嬉しそうだ。英子も優しい微笑みを浮かべる。
「素晴らしい場所ですね。なんとも穏やかで心が癒されます」
「あっ! 英子さん、僕の前で笑ってくれたのは今日で2回目ですね」
「え? そうですか? でも本当に気持ちのいいところですね。乗馬も初めてで、とても楽しかったです。本当にありがとうございます」
英子が深々と頭を下げる。隆之は頬を緩め照れているようだ。
「私は英子さんに不安ばかり与えていたのではと気になっていました。こうやって笑顔でお話してもらい、うれしいです」
英子は少し驚きつつも、穏やかな表情で「すみません」と小さく答えた。しばらく丘からの景色を眺めていた二人であったが、ふと隆之が思い出したかのように話し出す。
「そうだ、英子さんにお話ししたかったことがあったんだ」
「はい、どのようか」
「覚えているかな? 僕はあなたが小学生だったころに一度お会いしたことがあったんですよ。僕が中等学校に行っていたときです」
「まあ」
英子は驚いた様子で隆之を見る。
「その時期、母が結核を患っていまして、南郷財閥の病院に入院していました。そこに勤められていた英子さんのお父様が母の主治医で、大変お世話になった」
「え? そうだったんですか」
「母のお見舞いの帰り、急に母のことが心配になり、病院の庭のベンチに座って落ち込んでいると、主治医の二階堂先生が私に気がついてわざわざ励ましに来てくださいました。ちょうどそこへ英子さんとお母さまと、英子さんのお姉さまが通りかかったのです」
英子の父祐輔は以前南郷の病院に勤めていた。隆之の母が入院していた時期、英子の母サエも時を同じくして同病院に入院していたのだ。英子は姉の美津子に連れられてよく母をお見舞いに来ていた。隆之は話を続ける。
「まだ小さかったあなたは、お父様であられる二階堂先生の隣まで走ってきて『この子どうしたの?』とお聞きになった。二階堂先生が『お母さまがご病気なんだ』と言った時、あなたが私に声をかけてくれた」
隆之は丘の上から見渡せる広々とした集落を眺めながら懐かしそうに話す。
「私よりもずっと年下のあなたは、私に『元気出して』とはげましてくれた。それから、『元気になるお守りです』と言いながら四葉のクローバーを小さな手に持って私に渡した」
英子は浅い記憶の中に、病院の庭にあったベンチの光景が浮かび上がるのだが、はっきりとは覚えていない。その四葉のクローバーは隆之にとって特別なものとなり、彼は今でもそれをしおりにして大切に保管している。しかし、隆之はあえてそのことは口に出さず、心の奥底に仕舞っておくことにした。温かな日差しが降り注ぐ小高い丘。英子と隆之は澄み切った青空に照らされた景色を静かに眺めている。二人を木陰から見ていた雪風が「ブルル」と遠慮がちに嘶いた。
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