第2話 ライズ・オブ・エンカウンター(3)
栄治……栄治……栄治くん!
「はッ!」
瞳を開ければ、真っ白な天井が見えた。手は痺れていたようだが、足は何とか動きそうだった。感覚が戻ってきたようだ。繊維が肌に触れた感覚。ここは……。
弥生は起きて辺りを見回す。医務室? 医務室のようだ。
まだ、頭がぼんやりとしていた。だが、意識は確かだった。弥生は体を起こして、再び周りを見渡す。医療器具に二台のベット。少しだけ色薄く見えた。地球にいた頃よりも体が軽くなっていた。上から来る重みが若干軽くなった感じだ。そして、妙な息苦しさを弥生は感じた。酸素もちゃんとあるだろうが、この閉鎖的な空間は少し怖かったのだ。
もう、地球にはいないんだ……。
あっという間だった、戦闘中は。何よりも敵が怖かった。人間のように鮮血を撒き散らして宇宙の屍と化す敵が。どういう機構で動いているかも分からず……唯一分かっているのは、体の主な構成物質が鉄と炭素だということだけだ。もちろん、どうやってレーザーを出しているのかも分からない。
ただ、弥生を恐怖させているのは、そんなものではなかった。ルスルに刃を突き立てる感覚は、人の肉を引き裂く感覚に似ていたのだ。弥生はそういう経験があるから分かるのだ。かといって、そうしなければ自分は死んでしまう。そして、人類の存亡の光は消え去ってしまうのだ。その時、弥生は初めて気がついた。いや、初めて自覚したと言ったほうが妥当ではないであろうか。
自分は人類の希望の光なんだと。ただし、自分が死んでしまったら人類の滅亡は必至だ。この計画は人類の存亡を賭けている。そして、その要が弥生であり、デウス・エクス・マキナなのだ。弥生が上手くやらなければ、いけないのだ。これほどとない重圧なのだろうが、弥生には、その実感が湧かなかった。これほどまでに大きな地球を守っているなど、信じがたい話だ。ただ、それを現実だとは理解していた。
「目覚めたようだな、弥生」
皐月が食事を持ってきてくれた。皐月は既に制服に着替えていた。少し大きめの白の上着に右斜めに入った蒼いライン。下も同じようなデザインのズボンだ。胸にはNASAのマークがあった。スカートもあるらしいのだが、皐月はズボンを選んだらしい。よくよく考えれば、これも弥生のためだったのかもしれない。
作業服のようなものが制服だと、年頃の少女が着るのには抵抗がある。そのせいで弥生のモチベーションが少しでも下がれば、それは大問題だ。なので、できるだけライトな雰囲気の制服にしたのだろう。弥生も気に入っている。
「ほら、宇宙食のカレーも悪くないぞ」
弥生の前の机に置かれたカレー。ちゃんと皿に置いてあり、色も地球のと大して変わらない。人類初の重力が発生している宇宙船のフラガラッハ三号の中では、昔のようなチューブ状の宇宙食を食べなくても良いのだ。筋肉トレーニング中に敵が襲ってきたら、本末転倒だからなのだろう。
船体を回転させながら動いている。かなりの大きさになるため、専用の発射台も造られたほどだ。まぁ、人類の存亡を賭けた船なのだから、資金提供はいくらでもあったが、それでも一隻造るのにアメリカの国家予算の半分以上は軽く超えてしまったらしい。
「ありがと……うんぐぅ……」
弥生はカレーを一口。甘くも無く辛くも無く……正直、おいしいとは言えなかった。今までで一番まずいカレーだ。とはいえ、昔のよりはマシだとか……。
「おいしいだろ?」
「うん……」
「体の調子……もう大丈夫か?」
「うん……なんとも無いよ。緊張しすぎたのかな?」
弥生は食べ終わったカレーの皿を横にどかして、皐月に笑いかけた。
「この笑顔だったら大丈夫だな! そうだそうだ……ヨムナがこれでも飲んどけって」
皐月は上着のポケットの中から、ゼリー状の飲み物を取り出した。チューブを差して、吸い上げるタイプのやつだ。半透明の袋には深緑色のドロリとしたゼリー。
「これ……何?」
「栄養クンよ! ヨムナさんがおいしいから飲めって! 見た目で判断しちゃだめだぞ」
「うん……ごくっ!」
「どうだ?」
「ごめん……皐月……袋……ある?」
「あ、ああ!」
皐月は近くにあったビニール袋を弥生に渡した。弥生はビニール袋を口に当てると、盛大に栄養クンをリバースした。
「えふっ! えっふ! うぐぅ……」
「そんなにマズイのか?」
「これって、何かの罰ゲームなの……っていうぐらい」
「ひでぇな……」
暫く弥生はうつむいたままでいたが、足の感覚が戻ってきたので立ち上がることにした
「おい! 大丈夫かよ、立って?」
「大丈夫だよ。どこも痛くないし……」
「それならいいけど」
「制服って、どこにある?」
「持ってきたよ。弥生だったらスカートだろ?」
「う……うん、まぁ」
弥生は皐月から自分用の制服を受け取った。
「……突然だったね、敵が来るの……」
「本当に宇宙に来たのかな、って疑問に思うぐらいだよ……。まぁ、ここに重力があるのが原因だと思う。宇宙って、無重力とかいうイメージがあるしな」
「でも体は軽く感じるよ、いつもより……」
「どうした?」
弥生はうつむき、一筋の涙を流した。そして皐月の胸に飛び込んだ。皐月が自分にとってどれほど大切な存在であるかを感じたのだ。ここにいるということに、自分がどれだけ支えられているのであろう? ここにいてくれるというだけで、救われている自分はどれほどいるのだろうか。
助けられてばっかりの自分に何ができるのだろう? ふと弥生は考えた。子供のころから助けられてばかりだった。いじめられっこだった弥生を助けてくれたのは、いつも皐月だ。ボロボロになった時もあった。だけど、最後は二人で笑っていた。あの河川敷の柔らかい緑の上に寝そべって、手が届くはずのない空を見てた。日が暮れるまで……。
恋をしていた弥生を助けてくれたのも皐月。栄治を仲良く慣れたのも皐月の後押しのおかげだった。弥生が奥手のせいで中々前には進めていないが。すべて助けてもらっていた。逆に助けたことは一回もなかったような気がする。それは無責任なことではないか。なら何故、自分を助けてくれるのか? そんな自分を助けている皐月を見ると胸が痛む。
「怖かったんだろ……分かっているよ、弥生のことは全部」
「うぅ……死んでしまうかって……私のことを殺すっていう雰囲気があった……それが一番怖かった……ごめんね……皐月」
「なぁに、いつものことだろ」
いつものこと……そうだ、それが普通になってしまっているんだ。
「大丈夫、弥生のことは私が支えてあげるから……死ぬときも一緒だから……さ」
「ありがと……」
「生きて栄治に告白しろよ? 私が支えてあげるからさ」
「うん!」
「だから……二人で生きて帰ろうな、絶対に」
皐月は優しく弥生を包み込んだ。そっと……割れ物だから、注意深く。でも、慣れているから、そんなこと気にしない。今は弥生の傷ついた心を癒すしかなかったのだ。皐月にはそれしかできないから。慰めるしか……。
フラガラッハ三号は第一の補給艦ヴァーミリオン2へと航行を始めた。八月二十六日、フラガラッハ三号は地球を飛び立った。
同時刻、栄治は弥生たちを追うように、アメリカのテキサス州にある贖罪計画作戦本部のドレイク宇宙センターにいた。父親である安雄が贖罪計画の立案者であるためアメリカに行くのについて言ったのだ。とはいっても、何もなく父親とも電話でしか会話できない日々が過ぎていっただけなのだが。
栄治が安雄のことを知ったのは、一週間前のことだった。贖罪計画の立案者は公表されていなかった。あまりにも突然のことで動揺した栄治だが、世界のことを知っておく義務が自分にはあると思い、父親に
「お父さんの仕事を見せてほしい。だから、僕も行くと」言った。学業の方は成績(平均点数は校内一位)も良かったし、それほど強く言う両親でもなかったため、あまり言われるようなこともなかったが、到着した日には既にフラガラッハ三号は宇宙を浮かんでいたのだ。
部屋に到着してテレビをつけても、何も面白いのはやっていなかった。それなので、栄治は机に向かって課題(学校側が用意したテキスト)をやることにした。ここまで来て、何をやっているのだろうと栄治は思うが、いつもの癖で手が止まらなくなってしまっている。今、やるべきことではないはずだった。
何やっているんだろ……こんな所にまで来て……さ。
結局、目に入るのは宇宙開発の様子や、衛星監視システムのみ。宇宙開発を将来の夢にしている栄治でも、これでは期待外れだろう。何故、ここに来たのかという理由も曖昧なまま、栄治はここにいる。将来のために、そして贖罪計画の責任者の息子としての義務であるという、実に安っぽい看板を背負ってここまで来たのだった、栄治は。
「これは……何だろ?」
ふと、栄治は机と壁の間に挟まった一枚の紙を見つけた。下の方まで入っており、取り出すのには苦労した。そこには……。
「弥生……それに皐月?」
そこには弥生と皐月が映っていた。写真をコピーしていたものらしく、白黒だ。おそらく、身分証明などに使ってあ、余ったものなのだろう。ということは、ここに弥生と皐月がいたということだ。
薄々、気がついていたのかもしれない。弥生と皐月が日本出て、アメリカに行ったのも一ヶ月前。パイロットと同伴者の訓練期間は一ヶ月。そして、連絡先も教えようとしなかった二人……。すべてを繋ぎ合わせて、それは一つの確信になった。二人は贖罪計画の参加者なのだと。弥生がデウス・エクス・マキナのパイロットだということも。
「そんな……弥生が……」
だとしたら、僕には何ができるのだろうか? そうだ……僕には何もできない。
見ているだけなのだ、栄治は。宇宙に行くこともできない。弥生と連絡を取ることもできない。父親の仕事を手伝うだけの技術もない。
そう。栄治には何もできないのだ。