第1話 フォール・レイン・ブルー(3)
2071年、七月二十五日。空港には弥生と皐月がいた。慌しく動く人々の中で二人はアメリカ行きの便を待っていた。待合室のベンチに座っている二人の目の前には、ガラス越しの航空機が映っていた。これに乗るのだろう。
「本当に良かったの?」
弥生は皐月に訊いた。先程から同じようなことを何回も言っている弥生に、少しうんざりしている皐月。
「ああ、何打も言ったろ……ったく」
「ご、ごめん……でも、両親にはどう言ったの?」
「本当のことを話したよ。それで分かってくれた……理解のある親なのか。笑顔で見送ってくれたよ。内心は不安なんだろうけどさ。分かるよ、それぐらい……。で、弥生の両親は?」
「私の両親は、私が贖罪計画に参加するっていうことを知ったら、口も聞いてくれなくなって。多分、もう駄目だとか思われているよ」
「ひっでぇ親だなぁ……」
「昔からそうだから……慣れてるよ」
周りにはスーツ姿の会社員。それに旅行に行く家族たち……夏のハワイでも満喫しようとでも思っているのだろうか。人で溢れそうな空港。飛行機に乗るのが初めてな弥生は、少しドキドキしていた。
「おーい、弥生―っ!」
「来たようだぞ……あいつ」
皐月は弥生に耳打ちをする。弥生が振り返った先には森田栄治がいた。さらりとした黒髪に細い目。しかし、そこに優しさを感じる。学校を抜け出してきてのか、カッターシャツのままだった。
弥生の表情は和らぐ。そして言った。
「栄治くん……」
「急にアメリカに行くって事になったらしくてさ。見送りに来たんだよ」
「ごめんね、いきなりで……」
「なぁに! 生徒会なら抜け出してきたから安心して!」
「真面目な栄治くんが、そんなことして怒られない?」
「弥生のためなら何でもやるさ!」
栄治の笑顔を見て、弥生の顔は真っ赤になる。
「どうしたー? 顔が赤いぞ?」
「あ、そ、そんなことないよっ! でも、来てくれて嬉しい……」
「皐月は付き添い?」
栄治がそう言うと皐月はムッとした顔で、栄治に近づき言った。
「私も行くの!」
「アメリカに?」
「ああ、そうだよッ! 文句ある?」
「い、いや、とんでもない! ただ、どうしてこんな時期にって思っただけでさ」
「留学! 留学!」
「そうなんだ……頑張れよ、陸上」
「へいへい」
皐月がそう言うと栄治は弥生の方を振り向いて優しい声で訊いた。
「帰って来るんだよな……?」
「うん。半年ぐらいアメリカにいるかもしれないけれど……絶対に」
「待ってるからな、僕は」
「じゃあ……行くね」
「ああ、頑張って来いよ!」
「うん!」
弥生は造った笑顔でそう言った。帰れないかもしれない……ただ、こういう時は前向きに考えたら良いんだと、栄治に言われた。だから、弥生はそう考えることにした。
足取りは重い。だけど、確かに一歩ずつ進んでいた。二人の姿が見えなくなっても、栄治はずっと、二人が進んだ道を見つめていた。栄治は不安に駆られていた。このまま弥生が帰ってこないのではないだろうか、と……。
「そんなはず……ないか」
一時間後、弥生と皐月はアメリカへと飛んだ。
NASA贖罪計画作戦本部であるドレイク宇宙センター。周りはテキサスの自然に囲まれており、そこが切り開かれて広大な荒野が広がっている。その中央部にあるのが作戦本部だ。建物自体は小さいが、地下に広がっている研究施設の総面積を足すと東京ドーム二十個分の広さとなっている。
「ラット! 二人が来るわよ!」
「へーへぇ。眠たいぜ……猛烈に」
ヨムナは休憩室で毛布を被って眠っている男の背中を揺らした。男は眠そうな表情をヨムナに見せて、足を床につけてゆっくりと立ち上がった。そして、大きなあくびをする。タンクトップの金髪。それ以外は分からない。
休憩室には二人しかいない。皆、もう外に出たのだ。
「やべっ! もうこんな時間!?」
「だから……ったくもう!」
ヨムナは吐息を一つして、先に行った。不機嫌なヨムナの顔色を見て、少し申し訳なさそうな様子で男も制服を着て行った。
眼下に広がる森林。そこに大きく開けた荒野があった。滑走路らしき場所がある。そして、そこにドレイク宇宙センターがあったのだ。多くの職員が外の出て、二人を迎えに来てくれた。
「わーっ! これが……」
皐月は始めて見る光景に目を丸くしていた。弥生は何回も見たことのある光景なので、とくに何も思っていなかった。
二人の乗ったヘリコプターは本部のすぐ横にあるヘリポートに着陸した。弥生と皐月はヘリコプターから降りて、職員の人たちに本部の中に案内された。内部はかなり近代的で、何百人もの職員が動き回っている。中央部には情報集積型の球体ホログラムがあった。
「まさにウルトラマンに出てくる地球防衛軍って感じだな」
「ちょっと違うよ、皐月……」
二人が入ったのは艦長室と呼ばれる奥の部屋だった。
「なんだか、会社の社長室のようなかんじだな」
「ちょっと違うよ、皐月……」
その部屋の奥に座っていたのは幸蔵だった。部屋は蛍光灯の光のみで、外部からの光は無かった。幸蔵が座っているイスの前にある机。そして、その前方にある四人掛けのソファーに木造のテーブル。蛍光灯の光は若干弱かった。
「君がデウス・エクス・マキナの搭乗者、藤崎弥生か。何度か見たことはあるが、直接話すのは初めてだな」
「日本人!?」
驚く皐月。弥生は恐る恐る訊いた。
「あなたは……」
「私はフラガラッハ三号の艦長を務める予定の水和幸蔵。よろしく」
幸蔵は席から立ち上がり、弥生の前に寄ってきて握手を求めた。それに応じた弥生は幸蔵と硬い握手を交わした。忘れられている感じがした皐月は、ムッとした顔で辺りを見回す。だが、これといって変わったものは無かった。
「あー君が弥生さんの付き添いで来た……」
「新垣皐月! それに私は付き添いだとか、そういう気持ちできたんじゃありません。弥生を支えるために来たんです!」
「なるほど……君の言っている方が正しいよ。デウス・エクス・マキナは搭乗者のメンタル面にも過敏に反応する兵器だ。搭乗者である彼女を精神的に支えてもらうために、来てもらったのだからな」
「分かってくれれば幸いです」
「さて……立ち話もなんだ。座って、座って……」
「は、はい……」
「はーい!」
緊張している弥生に対して皐月は柔らかい返事をした。幸蔵は二人の向かい側に座り、部下にコーヒーを出すように言った。
「君たちは一ヵ月後、フラガラッハ三号と呼ばれる宇宙船に乗って、アルカディアスを目指す。行き帰りを合わせれば四ヶ月以上かかる。そこらへんは覚悟して欲しい……お、コーヒーが来たようだな」
三人の前にブラックのコーヒーが出た。幸蔵はそれに砂糖を入れてかき混ぜると、贖罪計画の詳しい説明を始めた。
その夜、同室になった弥生は夜空を眺めていた。夜空には無数の星が泳いでいた。日本では見ることのできなかった景色。ただ、皐月にはまだ、ここが外国であるという実感は無かった。外部から途絶された施設。牢獄……とまでは行かないが、違和感は強かった。
部屋にはシングルのベットが二つ。テレビもある。中学の頃の修学旅行も同じような部屋に泊まったことがあった。テレビをつけると、アメリカのコメディアンが変な芸をやっていた。しかし、英語なのであまり理解できない。うるさいので皐月は消した。そして、自分のベットの上に座る。
「明日から訓練だな……ホント、宇宙飛行士になんかなるはずなかったのに……さ」
皐月は吐息を一つ。弥生は向かい側のベットに座って言った。
「一ヶ月で大丈夫なのかな?」
「うーん、でも私は陸上をやっているから体力には自信があるよ!」
「私も……強くならなくちゃ」
「頑張ればなれるよ、強く……さ」
「うん!」
「生きて帰ろうな、弥生」
必ず生きて帰る。二人はともに誓った。二人一緒に帰ることを。残酷な運命の中、希望の光が見えた。それは儚くて……でも、たしかにあった。消えそうなぐらい小さな光。それを道標に二人は歩き出した。