第1話 フォール・レイン・ブルー(2)
アメリカ、ニューヨーク州某所。贖罪計画の第九十七回極秘会議がNASA管轄の地下研究所にて行われていた。狭く薄暗い部屋。七人の贖罪計画関係者が、テーブルを前にして座っていた。そして、彼らの後方には何十人もの、国家の重役たちが座って聞いていた。
「まず、贖罪計画立案者の森田安雄氏の話から、どうぞ……」
進行役らしき五十代後半の男性が言った。彼の名は水和幸蔵。黒い髭、背も高く歳のわりには若く見える。
「はい、えーまず、贖罪計画の概要から説明させていただきます」
四十代の男性。彼は森田安雄、贖罪計画の立案者だ。丸い黒メガネに細めの体。そこからはインテリな匂いがした。安雄は立ち上がり、会議場の前方にあるプロジェクタを展開し話を始めた。
「まず、今回の作戦としましては……2056年、初めて私たちはルスルと呼ばれる生命体の攻撃を受けました」
ルスル……それは太陽付近に突如現れた謎の衛星アルカディアス、から発生したという宇宙生命体。彼らは地球に敵対の意を伝えると、地球へ攻撃を開始した。その姿は様々で、現代兵器をもってしても苦戦するこれまでにない生物だ。地球は彼らの攻撃によって多大なダメージを喰らい、それによって完全に人がいなくなった国も多々ある。人口の三分の一はルスルによって死んだ。
「彼らの脅威の源は太陽の付近に突如発生した衛生アルカディアス。それを叩けば、この戦いは終わる……我々の考えはこうです。アルカディアスと直接リンクしているルスルはアルカディアスの指示無しには行動できません」
「ちょっと待ってくれ! 何故、ルスルがアルカディアスとリンクしていると分かるんだ!?」
後方にいた重役の一人が立ち上がり、険しい顔で叫んだ。
「その点におきましては、ノーベル賞受賞者のエルガム・マイヨ氏の実験によって証明されています」
「どうもーじゃ」
テーブルの前に座っていた一人の老人が立ち上がった。彼こそがエルガム・マイヨ。七十代の白顎鬚は胸部にまで達しており、眉毛で外からは目が見えない。
「ここからは私が説明しましょうや……。おい、マイク貸せ」
「はい」
エルガムの隣にいた安雄はマイクを渡す。受け取ったエルガムは乾いた声で話を始めた。
「あーあーっ。では始めましょうか」
エルガムは落ち着かない様子でプロジェクタに指示棒を当てた。
「まず、ルスルと呼ばれる生物は、アルカディアスから送られてくる信号をキャッチして行動しておる。三年前、我々はその信号を発見したんじゃ。つまり、指令を出しているアルカディアスを破壊すればルスルの行動は止まるのじゃ。うーえふっ、えふっ!」
エルガムは大きく咳をしたが、少し経つと続けた。
「作戦の内容はこうじゃ。まず、地球からフラガラッハ三号で飛び立ち、太陽までの航路を確認する。それがフェイズ1。そして、地球から太陽の付近にまで行く。それがフェイズ2。最後にアルカディアスに対して、核弾頭を撃ち込み作戦終了。あとは太陽光エネルギーを借りて地球まで帰還する……安雄の考えた作戦に異議あるものは、じゃんじゃん言ってみろぃ」
しかし、誰も異議を申す者はいなかった。
「……ないようじゃな、では最後に人員の確認をする。まず、整備班十三名、オペレーター十五名、軍医や艦内衛生管理に五名、そして、艦長と副艦長の二名……そして、デウス・エクス・マキナのパイロットと、その親しい人物の計四十二名……質問は?」
後方の席で一人の重役が手を上げて立ち上がり質問した。
「何故、何の技量も無い人物が乗っているんですか?」
「それは誰じゃ?」
「パイロットに親しい人物ですよ!」
「おお、それはな……デウス・エクス・マキナは搭乗者の精神面によって左右されるのでな。メンタル的にもモチベーションが下がってしまっては、性能の一部分も発揮できないのじゃよ」
「……分かりました」
不満げな顔をして座る重役。
「デウス・エクス・マキナのパイロットはまだ十六歳の少女じゃ。それに頼るしかない我々が如何に残酷な生き物であるかは……知っていただきたいのぉ」
そう、この作戦の要となっているのは紛れも無く、藤崎弥生なのだ。
「それって……何でそんなこと隠していたの!」
皐月は立ち上がり弥生の両肩を掴んで叫んだ。弥生の説明は理解していた。ただ……。
「ごめん……でも、信じてくれてよかった」
「そりゃ信じるよ! 親友だろ! でもさ、私だって、そんなこと急に言われたって……返事のしようがないよ! だからさ……」
「無理……だよね?」
「私にだって家族とか……心配をかけたくないんだ!」
そう言うと皐月は弥生から逃げていった。走るその足は妙にくすぐったかった。涙で潤った皐月の瞳。親友を裏切った自分が嫌になった。親友が世界を背負って戦おうとしているのに……逃げずに戦おうとしているのに、自分は逃げてしまった。
嫌いだ。大嫌いだ、私。
雨が降ってきた。皐月に降り注ぐ悲しみの雫。びしょ濡れになって帰ってきた自分の家。服も着替えずに皐月は自分の部屋に閉じこもった。ドアに鍵を掛けて布団の中に潜り込んだ。枕を頭の上に押し付けて、静かに涙を流した。
「皐月―っ? どうしたの?」
母の声が聞こえた。皐月は乾いた声で言った。
「ねぇ……もし親友が自分と一緒に命を賭けて戦ってくれって言われたらどうする?」
「急になに言い出すのよ? まぁ……私だったらそうね、どんなことをしてでも、親友について行くわね。両親とか……色々考えるとは思うけれど、やっぱり自分に嘘つきたくないでしょ?」
「嘘……?」
「もちろん、怖いっていう自分の気持ちもあるだろうけど。やっぱり、親友を裏切るのは嫌よ? 何も一緒に死んでくれ、って言うのじゃないから……うん」
自分の気持ち……。弥生が苦しんでいるとき、いつも皐月は助けていた。二人三脚で。中学校時代、弥生をいじめていた同級生を、殴って病院送りにしたこともあった。あの時は後先考えずに殴っていた。
今回は違う。ちゃんと後先を考えないとダメなことだ。ただ、弥生を助けてあげたいという気持ちはあった。たとえそれが自分の命を賭けることになってしまっても……。
「……お母さん、ごめん」
皐月はそう言うと布団から飛び出してドアを開けて、前にいた母親を押し退けて、家から走って出た。道路にできた水溜りを踏みつけて走る。浴衣姿で走りにくいのだろう。皐月は途中で足元を巻くって、走りやすい格好にした。
どこにいるのかは分からない。だけど、弥生のことなら、まだあの場所にいると思ったのだ。そして、神社の鳥居を抜けて、石造りの階段を登る。祭りも終わりかけで、雨が降ったので、出店は既に片づけを始めていた。人も少ない。そして、あの場所に着いた。
「弥生……ッ!」
そこにはまだ弥生がいた。雨に濡れた体をそのままに、立ちながらその夜景を眺めていた。皐月が叫ぶと弥生はそっと振り向く。
「ごめんね……皐月。私、無茶を言っちゃったね」
「私も一緒に行く!」
「へ? でも、死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「だって、弥生は私がいないと頼りないだろ!」
「で、でも……」
「私だって決めたんだ! 弥生が苦しい思いをして戦っているのなら、私が助けてあげなきゃいけないんだって! いつもそうだったように……な」
そう、これが私の気持ち……弥生を守りたいという。
「本当に? 私……」
「なぁに! いつもそうだったろ?」
「…………ッ!」
弥生は無言で皐月と抱き合った。そして、大声で泣き出した。
「私だって親友を裏切るのは嫌なんだよ」
「うん! うんッ!」
「だから、泣くな……」
「うんッ!」
しかし、弥生はまだ泣いていた。皐月はそっと微笑む。
「ごめんね! こんなことに巻き込んでしまって! 私……一人じゃ何にもできないから!」
「私の意志でこうしたんだよ。だから、気にすんな」
二人に降り注ぐ雫。なんと暖かいものだったのだろうか。優しく二人を包み込み、そっと笑いかけてくれる。抱きしめてくれた、優しく。だけど、離さないように。儚すぎて消えてしまうそうな希望だから。
優しく暖かい、雨が降る……。