表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/19

第1話 フォール・レイン・ブルー(1)

 空は快晴。走る体を風が濡らしてくれる。


「もう少しペースを抑えてーっ!」


 弥生は学生服姿で自転車を走らせていた。黄色いプラスチック製のメガホンを口元に当てて叫んでいる。


 昼の三時の河川敷。そこで走っている一人の少女がいた。少女は真っ黒なショートカットを風に流し、ジャージとマラソン用のシューズで走っている。少女の名は新垣皐月あらがきさつき。見ての通り、陸上一直線の女子高生である。端正な顔立ちではあるが、まるで異性には興味が無いらしい。


「はい! 十キロ地点だよ、お疲れ!」


 弥生がそう言うと、皐月は近くにあったベンチに座って弥生から受け取ったスポーツドリンクを一気飲みした。辺りはジョギングをしている中年男性や、女の子が犬と散歩している光景が見られた。


 その向こう側には大きな川があった。透き通った綺麗な水。この時代には珍しいほど良い水質だという。セミが鬱陶しく鳴いている。ただ、鬱陶しいのはたしかだが、人はこれを聞くとようやく、夏の到来というものを知る。そういう点では、人の役に立っているのではないだろうか、と弥生は思う。


「タイム……どうだった?」


 皐月は飲み干したスポーツドリンクのペットボトルを弥生に渡すと潤った声で訊いた。


「二十七分五十七秒だよ。ずっとこのペースだと良いんだけれど……皐月は後半になってペースが落ちるタイプだから、もう少し抑えて走ってみたら良いと思う」


「そっか……やっぱ、ペースの問題か」


「汗拭いたら?」


「あ、ありがと……」


 弥生は皐月にタオルを手渡した。それを皐月は笑顔で受け取る。


「このペースで42・195キロはキツいよなぁ……ま、もっと体力さえつければ、こんなに考える必要はないんだけれどさ」


「皐月は頑張ってるよ。だから、もっとタイム伸ばせるって!」


「ホント……弥生って、怖いほどポジィティブだな」


「えへへーっ」


「そういうところ……昔から変わってないな」


 皐月は微笑んでみせて、弥生に訊いた。


「そういや、何で三ヶ月も学校休んでいたんだ?」


「あ、ああ、それね! それは……両親がアメリカに仕事の都合で行くことになってね。ごめん、理由が言えなくて!」


「いや、別に良いんだ。ただ、心配してたんだぞ、弥生のこと」


「そういってくれると嬉しいな」


 今度は弥生が微笑んだ。


 川の水が太陽の光を反射して輝いている。眩しいと思った弥生は目を逸らす。逸らした先には、少し落ち着いた皐月の姿があった。


 弥生がアメリカから帰って六日が経った。もうあのことも言い出せないだろう、と弥生自身思っていた。しかし、ダメだから諦めろと思えば思うほど、希望を持ちたくなってしまう。


 皐月には夏の大会もある。それに自分一人のために命を賭けてくれる……はずがないと。


「なぁ、今日、草壁神社で夏祭りがあるんだけど、一緒に行かないか?」


「え、皐月? 練習とかしなくて良いの?」


「ばっきゃろ! 私だって遊びたい時だってあるっつーの!」


「……何時に集合する?」


「えーっとぉ…………」


 皐月は腕時計を見て暫く考えた後、顔を上げて弥生に言った。


「六時三十分に門の前で集合だな」


「わかったよ」


 弥生は笑顔で返答した。これが最後なのだろう、皐月と一緒に夏祭りに行くのは……。そう思うと弥生は寂しい想いに駆られてしまうので、あまり考えないことにしようとした。しかし、これも弥生の性格ゆえなのか、どうしても考えてしまう。


 ベンチから立ち上がり、軽い準備運動を済まして走り出す皐月。


「んじゃ、部室までもう一走りするぞーっ!」


「うん!」


 弥生も自転車に足を掛けて、皐月の後を追う。追い風が二人の背中を押していた。優しく、包み込むように。ただ、それさえも弥生にとっては冷たいものとなっていた。


 弥生がふと見上げた空。そして太陽。これから、あそこに行くんだと弥生は不安混じりの絶望を感じていた。そう、もう生きて帰ることなどできるはずのない、残酷な作戦だということは分かっていたのだ。


 ただ、顔には出さないだけで……。




 草壁神社の鳥居前には溢れんばかりの人がいた。昔と変わらず、ここは活気があるようだ。弥生はそんな中、学生服姿で立っていた。


 家に帰らず、学校の屋上から空を眺めていた。そのせいで着換えができなかったようだ。皆、私服や浴衣姿で着ている場所で制服姿だと少し疎外感を感じる。

真夏なので蒸し暑い。神社のほうを向くと出店がズラリと並んでいた。その奥にある神社の姿は見えない。そっと風が弥生の体を包み込む。そして、消えていった。


 昔もよく皐月と行ったな……草壁祭り。


「おまたせーっ!」


 弥生の背中をポンと叩いたのは浴衣姿の皐月だった。十年間、弥生は皐月と一緒にいて、彼女が浴衣を着たのを見たのは初めてだった。いつもより、女の子らしさを感じる。


「似合ってるね、浴衣」


「というか弥生……何で制服なんだ?」


「あーいや、着替える時間が無かったし……」


「ま、それでもいいけど、さて……弥生、行こうか!」


「うん」


 そう言うと皐月は弥生の右手を握り、走り出した。


「そ、そんなに急がなくても……」


「ご、ごめん。じゃあ、ゆっくりな」


「うん!」


 二人が歩くにしたがって、出店の種類も変わってくる。フランクフルト……カキ氷……水飴……輪投げ……射的。そこには昔と変わらない匂いがあった。


「で、栄治とはどうなったわけ?」


「え? 栄治くんとは何もないよ!」


 弥生は顔を真っ赤に染めて言った。それを見た皐月はニヤリと笑って、弥生に耳打ちをした。


「栄治はあんたのこと、どう思ってるかなぁ?」


「全然、何も思ってないよ!」


「ま、想いを告げるんだったら早いうちの方がいいぞ。森田栄治もりたえいじは待ってくれないよーっ!」


「だーかーらっ!」


 まだ、弥生の顔は赤かった。


「弥生! 射的でもやらない?」


「そうしよっか」


「おっさん、一回やらせて」


「あいよ!」


 皐月は射的の出店の前で止まり、店のおじさんに二百円を渡した。そして、両手に持った空気銃で景品ねらいを定める。それは王将であった。そして、皐月は引き金を引いた。


 しかし、当たりはするものの、いっこうに倒れない。結局、皐月は残りの五発をその王将に捨ててしまった。ガッカリした様子で弥生に空気銃を渡す。


「え? 私もやるの?」


「頑張れ」


「うぅ……こういうの苦手なんだけどなぁ」


 渋々、弥生は二百円を払い空気銃にコルクの弾を込める。そして、片目を瞑って狙いを王将に定める。


 マキナの戦闘シュミレーションでも同じようなことがあった。それを生かして……少し縦に銃身をずらし、王将の天辺に照準を合わせる。それが三十秒ほど続く。


 眠たそうにする店のおじさん。彼が再び目を開けた時には既に王将は倒れていた。


「……すっごいよ! 弥生! こんな特技があっただなんて!」

「あ……いや、偶然だよ……」


 弥生は苦笑いをして、その場を去った。彼女が王将を貰っていないのに気づくのは、もう帰る頃だった。


「いやぁ、楽しかったなぁ」


 皐月はベンチに座って背伸びをした。横で立っている弥生も同じように背伸びをする。神社の裏側にあるここは、弥生たちの住んでいる街が一望できる場所だ。右左を見ても誰もいない。あるのは青々とした木々のみだった。


 このベンチから見る夜景は実に美しいものだった。夜の七時ともなれば、街に明かりが灯される。一つ……二つと増えてゆき、その雄大な風景画を創りだしていたのだ。


「ふぅ……でさぁ、話ってなにーっ?」


 皐月は陽気な顔で言った。それに反して弥生の顔は沈んでいった。


「あのね……私、皐月に黙っていたけれど……贖罪計画に参加することになったの」


「えー贖罪計画?」


「知らないの?」


「あーうん。最近、全然テレビを見てないし……」


「じゃあ……アルカディアス……って知ってるよね?」


「あーうん……それなら知ってる」


 皐月がそう言うと弥生は続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ