第4話 ラストフロンティア・イズ・ユー(1)
ヴァーミリオン2が崩壊してから二週間。現在、彗星付近を航行中だ。フラガラッハ三号内の空気は徐々に重くなり始めていた。あの時、敵にフラガラッハ三号の位置を知られたのは内部から信号を発信したのが原因だったのだ。つまり、故意で誰かが位置情報を流したという……裏切り行為があったということになる。何故、そして誰が。クルーの中に疑心が生まれていた。
そして、弥生は……。二週間、ろくに外に出ておらず、部屋に閉じこもったままであった。親友である皐月も部屋には入れさせてもらえない状態だ。今日も皐月は弥生の部屋の前に立って、ドアを叩く。
「弥生! 出てこいよッ!」
「…………」
無言のままドアを開けた弥生は、皐月が持っていたトレーを受け取るとドアを閉めようとした。虚ろな瞳。長い間、髪をシャンプーで洗っていないのか、その黒髪のロングヘアーは乱れ気味だ。ドアを閉めようとする弥生を皐月は掴んで外へと出した。そして、壁に叩きつける。
「なんだか知らないけど、あんたそのままだと死ぬよ! 何があったのか言って! 親友でしょ? さぁ!」
倒れこんだ弥生の首を掴んで、立たせた弥生は荒い口調で言った。
「守れないよ……どうせ……私と話さないほうがいいよ。もうやめよ、全部」
「そんなことでやめられるんだったら、あんたの親友なんかやってられないよ! 私は弥生を支えるために私はここにいるのに」
「私は何一つ守れない……皐月も守れないの……みんな死んでしまうの!」
「なにがあったのか言えよ!」
「守れなかった……守るって言った人を。もう、何もできないって分かったの、私は」
「今まで守ってくれたじゃないか、私を! どうして……」
「もういいでしょ? 早く一人にさせてよ。あと、ここら辺うろついていたら危ないよ? 裏切り者がいるって聞いたから……」
「私を信じてくれないのかよ!」
「もう誰も信じない……何も約束しない。結局、守りきれないの……最後は」
「絶交だ! 弥生はそんな人間じゃないよ!」
「私……狂ってしまったのかもね、皐月」
そう言うと弥生は部屋に入ってしまった。少し経って、鍵を掛ける音がした。
格納庫ではマキナの隣にある新兵器マステマのОS構築作業が行われていた。起動計算システム、演算処理システム……ミスは許されない。そして、マキナ自身も弥生の反応速度に耐えられるように、補強がなされていた。両肩のスラスターを強化し、腰に三基のブースターユニットを増設。背面には巨大な翼……フレアドライヴと呼ばれる推進器を導入した。どれもこれも、初期段階の弥生では使いこなせなかったものばかりだ。
休憩時間に入ったラットは上から様子を見ているヨムナのところへ向かった。長時間デスクトップに向かっていたラットには、若干の疲れが見られたが普段のように陽気な態度なのは変わらない。
「これがマステマね。デウス・エクス・マキナの追加装備……」
ヨムナか整備中のマステマに視線を落とした。灰色装甲に包まれたメイン制御装置。各部に付いている青く鋭いビット。両側面に一基ずつ、上部に二基、中心部に一基、全部で五基のビットがある。
マステマはマキナの股関節部分に接続する脳波連動型無線兵器……所謂、オールレンジ攻撃が可能な兵器ということだ。原理は簡単。搭乗者からインターフェイスを通した脳波をマキナのメインコンピューターがキャッチし、それをマステマのメイン制御装置に送信して、マステマのビット取り外されて脳波信号通りに動く、という仕組みだ。
「ただ……問題はパイロットよね。前回の戦いから、部屋に閉じこもったままらしいわ」
「たぶん、家族のこととか友人のこととか……子供は俺たちとは違ってデリケートだからな。何が引き金になったのかは知らないけれど、普通ならこうならないことも、宇宙という閉鎖的な空間にいれば、少しのことでも病んでしまうんだろう」
「正直、私だって怖いわ。こんな閉鎖的な空間にいるだけでも……というか、いつ死んでもおかしくない状況に何ヶ月もいたら怖くなってしまう。まして、あの子は戦っているのよ? きっと凄まじい恐怖と戦っているんでしょうね」
ヨムナは自分の手を見て言った。この手で、できることといっても限られている。皐月に比べれば小さいことだ。支えることもできずに、ただ苦しんでいるところを見ているだけ。それがヨムナにとっては悔しいことだったのだ。
「ヴァーミリオン2の惨劇を見てさ、たぶん死というものを実感したんじゃないかな? 自分がどれだけ重たいものを背負っているか……少しだけ、休ませてあげようよ、ヨムナ。きっと、すべて自分が守れるものだと勘違いしていたんだろう」
「守れるものか……見ているだけだもんね、私たち」
その時、格納庫にある、管制室に艦長の幸蔵が現れた。幸蔵は整備班たちの前に立って、マイクを取って言った。ラットはそれに耳を傾ける。
「皆も知ってのとおり二週間前、ルスルの聞き取れる信号を何者かが内部から発信させた。それが誰なのかはわかっていない。何か知っている者はいないか?」
「公開尋問とは……いい度胸だな。しかも、艦長直々に」
ラットは呟いた。整備班たちは作業を止めて、静まり返った。誰も口を開こうとはしない状況の中、再び訊いた。
「何か知っている者は……」
「人を疑うのもいい加減にしろよ!」
その声の主はラットだった。ラットは前に出て、幸蔵を見上げて睨みつける。
「整備班Aチーム班長のラット・シュナイダー……何のつもりだ?」
「俺は信じている、ここにいる奴らのことは! 俺たちは機械をメンテナンスして、ОSを構築して……そんなことしかやらねぇ! 犯人がここにいないのは俺が知っている。だから、ここにいるみんなを疑うようなことはするな! 不愉快だ!」
「疑っているのではない」
「なら、何故ここにいるんだよ。犯人はここにはいない! 出てけ! 仕事の邪魔だ!」
「……分かった。作業を続けたまえ」
「けっ……」
幸蔵が管制室からいなくなると、ラットはヨムナのところへ向かった。ヨムナは心配そうにラットを見ていたが、帰ってきた途端少し呆れて、こう呟いた。
「仲間想いなのね、ラットは」
「胸糞悪いんだよ、仲間を疑ったりしたらさ。みんな互いに知っているんだ、そんなことするような人間じゃないって。何に、あの艦長は……ッ!」
ラットは壁を拳で殴った。
「仕方が無いよ……あれが人為的だって分かったんだから。艦長も焦っているんだわ」
「…………」
「信じているわ、あなたを」
ヨムナはラットを抱きしめて、そっと呟いた。ラットもヨムナの腰に手を当てて、優しく包み込んだ。崩れないように、でも強く。互いが怖くならないように、そっと。
誰もいない部屋。弥生は布団に包まってる。弥生はベットの横の棚に、そっと手を伸ばした。そこには弥生と皐月が中学の修学旅行で一緒に撮った写真がある。それを手に取ると、弥生は不思議な感情になってしまった。もやもやするような……奇妙な感覚に。
「もう帰れないんだよね……」
そう考えると悲しくなった弥生。瞳から一筋の涙が流れ出す。弥生は写真を投げ捨てて毛布を被った。これ以上見ていても、悲しい気持ちにしかならないと思ったからだ。宇宙と呼ばれる閉鎖的な空間にいる今、弥生は布団の中で泣いているしかできなかったのだ。
辛いことがいっぱいあった。悲しいことがいっぱいあった。もう限界なのだ。守るということだけが、マキナに乗る理由だった弥生。だが、それができないものだと分かった途端、必死になっていた自分がおかしくなってしまったのだ。無理なんだと実感した。だから、誰も信じてくれなくて結構……誰も信用せず、誰にも信用されない。それが、弥生の願いだった。
「誰も……信じないで……私なんか」
「もう……行くの?」
ヨムナは虚ろな瞳を上げていった。まだ、眠気が覚めない。
「マステマのОS構築をしなきゃならないからな……」
ラットは電気を付けて制服を着始めた。どれぐらい寝ただろうか。熱くなりすぎて、寝ることさえ忘れてしまったのだろう。少しボーっとするが、元気はある。部屋の中は散らかっている、特にベットの上が。ヨムナは脱ぎ捨てていた制服を取って呟いた。
「昔も……こうだったよね、私たち」
「なんだかんだ言って、いつもこうなるんだよな、俺たち」
「これが終わったら、また付き合わないか? あーいや、それも、お前し次第だけどな」
「……これだけしちゃって、付き合おうとしない馬鹿がいる?」
ヨムナはそっと微笑んだ。
「さて……仕事に戻るか」
「私もね……」
ヨムナが立ち上がると、ラットはヨムナに近寄った。そして、抱きしめてキスをした。
「愛してる……」
「うん……」
ラットはそっと唇を離すと、ヨムナの頬に手を当てて笑った。
「おかしな顔だな」
「うるさい! 人が真面目になっているときにぃっ!」
「ははは! じゃあ、行ってくるよ」
そう言うとラットは格納庫へと走っていった。その姿が消えてしまいそうな気がして、悲しく思える。足音が聞こえなくなるまで、ヨムナは動こうとはしなかった。ずっと、こうしていたいという思いがあった。愛おしかったのだ。
そう……これが終わったら。