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感情FEVER 学園編  作者: きんたろ
48/49

48.期待

 サマーシーズン。その日、夏休みが始まった。学生たちにとって、特別な期間だ。日が近づくにつれ、その瞬間を指折り数えながら、誰もが待ちわびていた。いざ始まってみると、不思議と気分が軽くなる。これからの一ヶ月半の間に、何が起こるかは分からない。それでも、「何かいいことがありそうだ」という感覚だけは、当然のように胸に居座る。夏休みとは、計画よりも先に、期待だけがやって来る季節なのだ。


---


 その少女の部屋は、広かった。都内でも指折りの高級住宅街に建つ一軒家。その二階の一室が、ケイトの個室だった。家そのものが大きすぎるため、他の部屋は、両親がたまに帰ってきたときに使われるだけで、普段はほとんど人の気配がない。実質、この家で生活しているのはケイトと、常駐している四人のお手伝いさんだけだった。

 両親がいないことを、ケイトは「仕方がないこと」だと思っていた。寂しいと感じないわけではないが、それを口に出すほど子供でもない。仕事なのだから、仕方がない。そう理解することに、いつの間にか慣れてしまっていた。


 部屋の内装は、淡い色合いで統一されていた。白と薄桃色を基調にした壁紙。柔らかなカーテン。磨かれた床。どこを見ても整っていて、モデルルームのようでもある。いかにも「かわいらしい女の子が住んでいそうな部屋」。だが同時に、人の生活の気配が、どこか薄い部屋でもあった。

 机の上には、教科書とノートが几帳面に並べられている。どの科目も成績は良い。だが、特別に「これが得意だ」と言えるものはない。勉強が嫌いなわけではないが、好きかと問われれば、答えに詰まる。部屋の中央には、美しいベッドが置かれていた。装飾の施されたフレームと、ふかふかの白い寝具。お嬢様用、と言われても納得してしまうほど整ったものだ。


 ケイトはそのベッドに、仰向けになって横たわっていた。視線は天井に向けられたまま、焦点は合っていない。


 ――私は、何のために生きているんだろう。


 そんな問いが、ふと浮かぶ。答えを出そうとしているわけではない。ただ、問いだけがそこにある。


 人は、生きる意味を考える生き物だ。けれど、それを考え始めるのは、たいてい「余裕があるとき」か、「何かが足りないとき」だ。ケイトは、自分がどちらなのか、分からなかった。時計を見ると、時刻は十七時を少し回っている。そのとき、控えめなノックがあった。


「ケイト様。ゴミ捨てと、お掃除はだいたい終わりました」


「ありがとう。やることがなかったら、趣味でも、なんでもしてていいですよ」


「ありがとうございます」


 お手伝いさんが部屋を出ていく。ドアが閉まった、その直後。ケイトは、はっとした。――趣味。自分の口から、自然に出たその言葉が、胸の奥で引っかかった。


---


 就任から一週間で姿を消した用務員に、趣味のことをきかれ、答えられなかった記憶がよみがえった。心たちは、はっきりと自分の趣味を言っていた。心の趣味は、鍛錬。あの子は『ナオト君』を救い出すため、常に前へ進んでいる気がする。レナも、同じく鍛錬。レナは「強くなること」そのものを楽しんでいるように見える。そして親友の茜の趣味は、読書。特にSF小説家『ガイタクロ』の小説が大好きで、家にいるときはいつも読書に浸っているイメージだ。――じゃあ、私は?


 頭の中で、いくつかの候補を並べてみる。音楽。絵。運動。手芸。ゲーム。どれも、しっくりこない。幼少の頃にピアノは習い事としてやっていたが、もう数年触っていなく、もう『手遅れ』だろう、そう思ってしまうのだ。やれば、できるかもしれない。でも、やりたいかと聞かれたら、首を縦には振れない。


 (……向いてることじゃなくて、やりたいこと、か)


 その答えは、相変わらず見つからなかった。


---


 ふと、茜の顔が浮かんだ。茜がよく通っている、商店街の富士見乃屋書店。静かで、少し古い本屋だ。ケイトは、あそこで起きた出来事が、今の自分に繋がっていることを思い出す。

 ――そうだ。あのとき。『ガイタクロ』の小説が並ぶ棚の近くに、確かに一冊だけ、異質な本があった。富士見乃屋書店に入り、目印の『ガイタクロ』の小説の並ぶ棚へと歩き、そのそばにあったあの本を探す。

 そして、背表紙の『ゲイム・ジェン・ヨハン』――「一族とその繁栄」と記された、『時刻の書』と呼ばれる書物を見つけた。


(よかった、まだあった!)


 そう思い、安堵して手に取った瞬間。


「バチッっ!」


 『あの時』と同じように、一瞬、指先に走る鋭い痛みが手を襲った。拒絶するような感覚。だが、それはすぐに収まった。


 (……大丈夫)


 ケイトは、その本を購入した。茜が持っていた時刻の書は、「私」に関するものだった。だから、これは茜にプレゼントしようと思っての購入だった。


「これを明日渡そう!」


 そう決めた瞬間、胸の奥が、少しだけ温かくなった。


---


「茜、喜んでくれるかな?」


 部屋に戻ったケイトは、小さく笑った。


 そしてケイトは、最近こっそり始めている、能力『瞬刻再生』の制御を、さらに早めるためのトレーニングを始めた。



 ケイトは保健委員になったとき発言した言葉を思い出す。――「怪我したり、困った人を助けたいです」それは誰かのために、と同時に、自分のためにでもあることを悟った。

 夏休みは、始まったばかりだった。そして、ケイト自身もまた、そうだった。

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