44.立つと決めた場所
レナは、最近ずっと胸の奥に小さな棘のような違和感を抱えていた。それは、BRFに四人が集まった、あの日からずっと消えずに残っている感覚だった。BRFの『やり方』に……。
それは「間違っている」と断言できるほどのものではない。結果だけを見れば、確かに理にかなっている部分もある。けれど、「正しい」と、何の引っ掛かりもなく受け入れられるかと言われると、レナの中では違っていた。レナが引っかかっているのは、説明のなさだった。きちんと説明をしてくれさえすれば、納得できたはずのこと。心との決闘の意味も、和解に至った理由も、スイミーという存在の立ち位置も――本来なら、話されるべきだったはずなのに、返ってくるのはいつも最低限の言葉と、指示だけだった。まるで、掌の上で転がされているように。知るべきことは伏せられたまま、「今はそれでいい」「あとで分かる」と言われ続ける。そのやり方が、レナにはどうしても“大人の都合”に見えてしまう。守るためなのかもしれない。危険を遠ざけるためなのかもしれない。それでも、納得できないものは、納得できなかった。
そのことを両親に話そうとしても、会話はいつも途中で止まってしまう。詳しいことは、まだ教えてもらえない。
「指示があるまでは、勝手なことはしないように」
そう言われるたび、レナは思う。結局、大人が考えているんだから、と自分が納得しなければいけないだけなのか、と。それを考えるたび、胸の奥がざらついて、嫌な気分になる。家の中にいても、特に自分の部屋にいてさえ、ふとした瞬間に思ってしまう。――自分は、ここにいても“余計な存在”なんじゃないか、と。
その何とも言えない苛立ちを抱えたまま、レナは一人、夕方の街を歩いていた。
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江茂志市の外れ。住宅地と雑木林の境目。特別な理由があったわけではない。ただ、気づいたら足がそちらへ向いていた。空はまだ明るいのに、風の温度が少しだけ変わる。 そのときだった。アスファルトの一点が、じわりと黒く滲んだ。
「これは……!!」
みるみる膨張していくその影は、神隠しが起こるときにかならず現れる『漆黒の穴』だ。レナが驚き見ている次の瞬間、空気が歪み、その中心から赤い影が這い出てくる。
「赤い…ブラモン!? はっ!子供が!」
全身が濁った赤で構成され、関節や目の奥がどす黒い。金色のブラモンとは違い、見るからに『悪』を感じる。動きは鈍いのに、『圧』が異様に強い。それが、一人の男の子を連れ去ろうと、抱え上げているように見えた。
「……子供」
赤いブラモンの、低く、湿った声を聞いた気がした。自分が、なぜそのブラモンの言葉を理解できるのかはわからなかった。だが、理解できてしまうこと自体が、ひどく嫌な予感を伴っていた。そしてレナの身体が、強張った。逃げるべき相手なのか、戦って勝てる相手なのかはわからない。しかしそれよりも、恐怖で足が動こうとしないのだ。それはレナにとって初めての『恐怖』だった。その様子を見て、ゆっくりと距離を詰めてくる赤いブラモン。
「この子供、連れていく……」
その言葉を聞いて、
「……させない」
震えながらも、声が出た。赤いブラモンの動きが、一瞬止まる。
「連れていくのは……ダメだ……!」
次の瞬間、赤い影が大きく歪み、腕のようなものが伸びた。
「(何もせず、私はこのまま終わるのか……)」
そう思った刹那。
「やめろ」
低い声が割り込む。赤いブラモンは、その声が持つ『威力』に弾かれた。すると黒でも赤でもない、『暗い蒼色』のブラモンが、レナの前に立っていた。動きは静かで、しかし明確に赤いブラモンを制している。
「今はもう、幼子は不要だ」
短いやり取りのあと、赤いブラモンは不満そうな音を立て、穴の中へと消えていった。静寂。レナは、膝から力が抜け、その場に座り込んだ。
「……怖かったか?」
蒼いブラモンが尋ねる。
「……怖い。でも……」
レナは顔を上げる。
「……知りたい」
蒼いブラモンは、しばらくレナを見つめてから、低く言った。
「長きにわたり、私たちの世界に足を踏み入れようとする者がいる……その者は、お前のすぐ近くにいる」
心臓が跳ねた。
「……心のこと?」
「そうだ」
その名前を聞いた瞬間、レナの中で、迷いが一つ、形を変えた。一人で行かせるつもりはない。
「……私も行く」
それは誰に向けた言葉でもなく、ただ自分に言い聞かせるような声だった。
「それは、『楽しみ』だ。敵として出会うのか、味方として出会うのかはわからないが……。ひとつ教えてやろう。その恐怖を抱いていてはアグダラでは生き残れない。克服しろ。おまえの『卓越感情』は『吃驚』、そうだろう?」
それを言い残すと、蒼いブラモンも穴の中へ消えると、穴は縮小し最後には消えた。
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その夜。レナは自分の部屋で、スマホを握りしめていた。
送信先は、一つだけ。
「今日、ブラモンと遭遇した。きっかけができたから、心がアグダラに行くとき、私も、行く」
短い文だったが、そこに迷いはなかった。自分はもう、ただ指示を待つだけの存在ではいられないのだと、はっきり理解していた。




