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幸せ珈琲

作者: 龍瑠隼斗

初の小説となります。

普段は異世界ファンタジーを書いておりますが、たまに今回のような全然違うジャンルも書きます。

モットーは『書きたい物を書く、ゴーイングマイウェイイエ~イ♪』なので。

どうぞ、よろしくお願いします。

「久美子、金曜日の夜食事に行こうか」


夫が靴を履きながら言った言葉に、わたしは一瞬ポカンとしてしまった。

「都合悪いのか?」

立ち上がる夫に反応的にカバンを手渡し、「2人で外食なんて久しぶりで……ぜひ、ご一緒させていただきます。お店はどうしましょう?」

「部下に中華料理の美味しい店を教えてもらったから、そこにしようと思うんだ。どうだろう?」

「いいですね、中華! 楽しみだわ!」

じゃあ行って来るよ、と玄関を出た夫の背中に「行ってらっしゃいませ」

わたしは見送りの言葉をかけたのだ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


わたし林 久美子と夫一樹は所謂お見合い結婚で、先日30年を迎えたばかり。

子供は娘が2人、どちらもとっくに成人して嫁いでいった。とはいえ、同じ県内で上は隣町下は近所なので会いたいときに会える距離。


夫は真面目で少々名の知れた会社で役職を持っていて、わたしは贅沢にも専業主婦をさせてもらっている。

子供達も手を離れ、それ以前に中学生になり手もかからなくなった頃から翻訳の仕事に戻りたいと思っていたのだけれど「在宅仕事の何が問題なのかしらねぇ」

夫曰く、仕事なら外で、だそうで。

専業主婦も在宅仕事と変わらない気がするのだけど、やっぱり話は別なのかしらねぇ。

50過ぎたおばさんに働ける場所はスーパー辺りの短時間パートくらいなのに。


食事の片付けを手早く終わらせ洗濯掃除を済ませ、お茶で一息、と思ったちょうどタイミングで来客を告げるチャイムが響いた。

誰かしら、と「はい、どちら様?」

『久美さん、今お時間ある?』

あら、斉藤さんの奥様!

「あら、藤子さん? ええ、ちょうどお茶にしようと思っていたところよ」

『夫がお菓子をいただいてきたの。みんなに分けようにもロールケーキで分けようがないからって』

「それじゃ三輪さんと臼井さんも誘ってみましょうか」

藤子さんは夫の上司の奥様、2軒隣に住んでいる。三輪さんと臼井さんは夫の同僚の奥様でご近所さん。

『あら、いいわね』

と、言うことで藤子さんに入っていただき、2人に連絡を入れれば10分後には女4人の楽しいお茶会が始まっていた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


嫌な予感はあったのよ。

半年……いえ、それ前から。残業、日曜出勤。

特に3、4ヶ月前辺りから残業がほぼ毎日になったわね。

結婚してずっとなかったものが急に、しかも立て続けあるなんておかしいのよ。だいたい、給料に変化ないし。

生活費を小遣い込みで渡しているからばれないと思っていたのかしら。

それが、急に食事の為に定時上がり?

予感に不信がプラスされたけど、それでも嬉しかったのよ?

2人で外食なんて本当に久しぶりだったから。

夫もあと数年で定職、ほんの遊びだと思っていたし。


金曜日の夜。

夫の運転で向かったのは隣町。しかも結構有名な高級店で。

案内されたのは個室で中華店らしい円卓にはなぜか3人分のセッティング。さて、どなたが来るのかしらね?

まさかまさかと思っていたらそのまさか、5分も待たずに店員さんに案内されて現れたのは見知らぬ女性。

見た感じ30代後半、かしらね。

うつむき、まあ、申し訳なさそうな感じではある。

夫婦と妻の知らない女性という訳ありにしか見えない3人分の目の前にはコース料理が並ぶ。もちろん夫が予約した物だ。

バカなの?

この空気の中、美味しく楽しく食事が出来るとでも?

まあ、してあげるけれど。

「あら、美味しい」

鶏肉とセロリの炒め物をいただく。

カシューナッツ入りの塩味で美味しい。

海鮮サラダに白菜と肉団子のクリーム煮、茹でワンタン、中華風コーンスープ。少なめの炒飯と続く。

食後に桃まんと杏仁豆腐が出るそうで。


夫の紹介だと彼女は藍原 美鈴さんと言うらしい。

はじめまして、と小さく挨拶した後は黙々と食べている。

「それで、藍原さんは夫とどのようなご関係で?」

食事も終わり、デザートが届いだタイミングでわたしは聞いた。

「一樹さんとお付き合いさせて頂きたいと思っています」

「まだ付き合っていない、と?」

「はい」

「だから、久美子、悪いが別れてほしい」

呆れるばかりね。

「わたし達はいい夫婦関係を築けていたと思っていたのだけど」

「嫌いになった訳じゃない。ただ、彼女の事が好きになってしまったんだ」

お見合い結婚だものね、結婚前も後も仕事一筋だったあなただから、「好き」という感情を自覚出来なかったのでしょうね。

「歳の差半分近い事を理解している?」

「もちろんです」

「ちゃんと話し合った」

「……そう。あなたがお付き合いしたいと願う男性が妻子持ちだということも理解しているのね?」

「もちろんです」

この国で伴侶のいる人が他の人と付き合う事を不倫と呼ぶ。

ただ、キスまでは許されるらしい。身体の関係があって、初めて慰謝料が請求出来る。

それを承知で聞いた。

「覚悟は出来ている、と言う事なのね」

「はい」

「もちろんだ」

2人のその答えに、わたしは決心したのだ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


そうして、わたしは晴れて独身となってしまった。

あれからすぐに夫と話し合いをして、財産分与として半分より少し多くもらい、住んでいた家を慰謝料代わりにもらった。

娘2人はそれはそれは怒ってしまって、なだめるのが大変だった。

でも、こうして好きな珈琲を飲みつつ好きな事である翻訳の仕事が出来ているのだ、これはこれで幸福である。

「違うわね」

あの夫婦で過ごした時間以上の幸せを感じられる、だ。

「稼ぎねぇ」

彼が翻訳の仕事を嫌がった理由だ。

役職持ちの自分以上はおろか自分に近いのが気に入らないから、だなんて。

翻訳家は自由業。依頼があって、その依頼を受ければ受けるほど(もちろん完成させてるのが絶対条件)収入は増える。

それが気に入らないと言うけれど、そこまで持ってくるのがどれだけ大変な事か!

会社という後ろ盾がない以上、小さくとも繋がりを作り、大切にして信頼を得て、何年もかけて今を作りあげたのだ。

「そろそろ時間だけど……」

別れて1ヶ月、わたしは元夫である一樹さんから連絡を受け、こうして静かな喫茶店で待ち合わせをしていた。


喫茶店には相応しくない程のドアベルの音を響かせて彼が入って来たのは約束の時間5分前。

「どういう事だ!」

1ヶ月ぶりなのに近況報告もないの?

「おちついてちょうだい。とりあえず座って飲み物でも頼んだら?」

わたしの言葉に、何か言いかけて椅子に腰をおろし、驚いた表情のマスターに「アイスコーヒーを」

はい、と帰ってきた返事が耳に入ったかどうだかわからないけれど、いきなり睨まれてしまった。


「久美子、どういうつもりだ」

「何が?」

「お前、美鈴の勤め先に内容証明送っただろう!」

「静かに。大声で話す場所でも内容でもないわ」

黙った一樹の苦虫を噛み潰したような表情を視界に入れながら珈琲をいただく。ミルクと砂糖を入れたちょっと甘めの珈琲。


「身体の関係がなかった彼女に慰謝料も請求したと聞いたぞ」

「そうね、わたしもそのつもりよ。貴方からそれなりの気持ちをいただいたし」

「じゃぁ何で!」

マスターが気を利かせて無言でアイスコーヒーを置いていった。

「妊娠していたら別よね?」

「………………は、ぁ」

ポカンとしてから、目が泳いだ。

ああ、やっぱり妊娠を知っていたのね。嘘がつけないくせに人を騙そうなんて考えが浅はか過ぎるわ。

「な、な……」

「女を、母親を舐めちゃダメよ。悪阻の様子はなかったから、もう4ヶ月位にはなっていたんでしょ」


小さな違和感だった。

おしとやかな雰囲気の彼女だったけど、頻繁に視線が下を向きそのたびに腕が動いていた。ついでに彼の視線も彼女の腹部に向けられていたのだ。

美鈴さんもね、物静かな女を演じていたみたいだけど本妻目の前にしてあの食欲は普通ないわよ?

「……美鈴が会社を首になった。憧れていた職業だったのに可哀想だ」

「だから妊娠を隠そうと? 自業自得よ、銀行は人の財産を預かる会社、人の物を掻っ攫う事を許す訳ないでしょう。彼女自身もあなたも大人なんだからもっと考えなさいよ」

聞けば彼女は実家を勘当されたらしい。これも自業自得。


「私もどうなるか……」

「あら、あなたの会社には送っていないわよ。何かを言うつもりもないわ」

「え?」

「あなたからはちゃんといただいているもの」

まあ、なんて笑顔。

「それならどうにかなる」というつぶやきが耳に届く。

そして、ストローをグラスに刺して半分程を一気飲みし、財布から出した1枚のお札をテーブルに置いた、と思ったら「話は以上だ、失礼する」

そう言い残し来た時同様慌ただしく出て行ってしまった。

本当に失礼だこと。


テーブルに無造作に置かれたお札を手にする。

一万円なんて大金、置いて行って大丈夫なのかしら?

「マスター、ホットケーキお願い。トッピング全乗せで。あと、珈琲のおかわりも一緒にお願い」

「かしこまりました」

ホットケーキといただくから今度はブッラクのままでいただきましょか。

わたしにとって珈琲は幸せみたいな物だ。

時には甘く時には苦く。

自分の幸せはいろいろな物を時には足して時には引いて作られる。

幸せも不幸も作るのは自分自身。

甘くも苦くも味わうのは自分。


ねえ、あなた。

わたしから会社には何も言わない。約束する。

そう、わたしはね。

ごめんなさいね、あなたが出て行った日に来ていた引っ越し業者さんを斉藤さんの奥様が見ていてお察しされたみたいなの。

あと熊田 雪さん覚えている?

秋海の中学校からのお友達で、今も家族ぐるみでお付き合いしているみたいだけど、彼女、部署は違えどあなたと同じ会社に勤めているの。

秋海が何も言ってないと良いのだけれど心配ね。

ご夫婦でわたし達の仲人をして下さった大平さん、今では専務になられているのよね、大丈夫かしら。

ああ本当にどうなってしまうのかしらね。


わたしはバックからスマホを取り出し、連絡先から元夫の名前をブロックした。

何かあっても連絡は来ない。

家に行った所で何も出来ないだろう。わたし1人で暮らすには大き過ぎるので売ってしまったから。

そして、娘達に連絡来た時はお世話になった弁護士さんへ連絡するように頼んである。

もちろんわたしが今住んでいる場所は秘密で。


あの女が宿す命が本当にあなたの子かどうかなど関係ないけれど。

「お待たせしました」

「ありがとう。まあ、美味しそう!」

フワフワのホットケーキにアイスとクリーム、フルーツのトッピング。きれいに飾られていてとてもかわいい。

飾るのは目に見える場所だけでいい。

人間、脳内をお花で飾ってはダメね。


わたしは幸せを一口頂いてから、ホットケーキにナイフを入れたのだった。








最後まで読んで頂きありがとうございます。

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