『不気味な転入生』
「おいおいおいおいおいおい、そんなに責めるなよ。 せっかくの昼休み時間なのに、気が休まらない。 質問にはしっかり答えると言っているじゃあないか」
日陰のベンチとはいえ蒸し暑い校舎の屋上に、貴重な昼休みの時間を使ってまで転入生を引っ張り出してきた理由はひとつ。 先日の件を問いただすためだ。
「野崎……、いや、ロビンソン。 お前の目的は何なんだ!? どうして転入なんてしてきやがった……!」
「何をそんなに驚くことがある。 別に、おかしな事はないだろう、私は君と同じ高校二年の17歳……、つまりは同級生なんだから。 二週間前までは隣町の美術学校にいたんだ。 けれど、"どう仕様もない事情"からこの学校に転入することになったわけさ」
「オレと……、同級生? そんなわけねえ、だってあんた、美術館でオレのことを"学生君"って呼んでたじゃあねえか!」
「そんなことは考えればわかるだろう、素性を知られないために、それらしい呼び方を選択していたんだよ。 正体が学生だってバレたら、どんな面倒に巻き込まれるか容易に想像がつく」
「その面倒事を押っ始めやがったのは、テメェらじゃねえか! 何を他人行儀みてえな顔してやがる! 転入してきた"どう仕様もない理由"とやらも、どうせ『少数派』が関係してるんだろ!」
野崎はグルグル巻きの包帯を二本指で少し緩めて、
「ご名答、正解、その通り。 これは『少数派』から与えられた任務なんだ。 転入の手続きから、一人暮らし用の住居まで、全て組織が手回ししてくれたよ。 神無月煌……、私はね、組織から君の監視役に任命されたのさ。 友人という極めて距離感の近い立場に立ち、学園生活を中心とした君に関する様々な情報の収集と、その報告を任務として与えられている。 そのために私は、君と友好関係を結ばなければならないんだ。 私の美を否定しやがった君とね。 だから、警戒を解いてくれよ。 これからは二人で教科書を見せあったり、二人一組の授業でペアを組んだり、下校中にクレープ屋に寄って一口ずつ分け合ったり、互いの秘密を書いた日記を交換しあおうじゃあないか」
「おい、ふざけるな!」
「おお、この焼きそばパン美味しいねえ。 購買に集る人の波に揉まれてでも買ってきた甲斐があったよ」
ベンチに座る彼の隣には、まだ手をつけていない焼きそばパンが三つも積まれている。
こいつ、どれだけ食う気なんだ――――
「私が話している内容に、嘘偽りはひとつもないよ。 煌……、君は私たちのように権能を持っている。 "『鍵』なくして解放なし"。 『少数派』の指導者はそう言っていた。 しかし君は『鍵』を使ったことがないというのに、既に権能を行使できる状態にある。 しかも仮面を持たないという、例外中の例外だ。 これを、『少数派』が黙って放っておくなんて、出来るはずがないのさ」
「お前の話はいつも、わからねえことばっかりだ。 ひとつひとつしっかり説明しろ」
「ここは人がいないし、見せた方が早いか」
そう言って彼は左手で自分の額を軽く掴み、そのまま顔を素早く撫で下ろした。
「……っ、それは」
「これ、見覚えがあるだろう?」
野崎の手が下ろされた一瞬の内に、彼の顔面には鉄の仮面が張り付いていた。 その無骨で不気味なデザインには、当然、見覚えがある。 美術館でロビンソンと名乗った彼がつけていたものと、同じものだ。
「これが仮面だ。 『少数派』に所属している構成員は、必ず一人にひとつ持っている。 仮面は、『少数派』の指導者から与えられるものだ。 故に、仮面を持っていることが『少数派』の証であるといえる」
「……どっから仮面を出したんだ、それもあんたの手品なのか?」
「まさか、私の権能を手品だと勘違いしているのか? そんなチャチなものじゃあない。 さっき、『少数派』は皆、仮面を持っていると言ったよね。 仮面にはそれぞれ、独自な異能の力が宿っているんだ。 私の仮面は、想い絵掻く権能『爆弾作り』を行使することが出来る」
その言葉は憶えている。
あの日、ロビンソンは『爆弾作り』を使って長い斧を創り出し、襲いかかってきた。 その仕組みも、原理もわかりはしなかったが、あの奇術的な光景は衝撃的で、忘れるなんて出来るわけがなかった。
「権能を使えば、この世の理を超えた現象を発生させることが出来る。 権能には、仮面ごとに多様な効果と、行使するための条件……、いや、代償が存在する。 私の権能『爆弾作り』が持つ効果は、この筆で絵掻いた想像物の創造。 条件となる代償は、苦悶の出血だ。 そう、とどのつまり、私の権能は自分の血液で描かれたものしか創造することができない」
野崎は包帯で巻かれた手の甲をこちらに見せて、
「こんな風にね、異能の力を行使するには、引き換えに失うものが必要なんだ。 必要となる代償は、権能によって様々。 電化製品には電力消費が必要なように、権能によって支払わなければならない対価は違う。 君は先日の美術館で、私が顔や仮面を掻き毟って、出血させていたのを見ただろう? あの自傷行為は、権能を行使するための代償を支払っていたというわけさ」
「……あんたは、血を流すことを条件に、その権能とやらを使えるようになる。 ってことは、その不気味な全身の包帯は、権能を使うために自傷した跡ってことかよ?」
「半分はね。 残り半分は家庭の事情さ」
「そこまで……、そこまで苦しい思いをしてまで、何がしたかったんだよ、お前は。 どうして、あんな大事を起こしたんだ」
「それに関しては、展示室で話した通りだよ。 あそこに飾られているゴミみたいな抽象作品なんかより、私の方がずっと美しい作品を描くことが出来る……、描きたい……、絵掻いてやりたいと思ったから、自分の欲求を満たすため美術館を占拠したんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
自分の欲求を満たすために美術館を占拠して、あんな大事件を起こしただと? そんな馬鹿な話があるか。
だって、『少数派』はあの巨大な新国立博物館全体を占拠することが出来るくらいには、大規模なテロリストグループのはずだ。 そんな奴らの目的が、こいつ一人のつまらねえ欲求を満たすことだと?
こいつがどれだけテロリストグループの中で偉い存在なのかは知らねえが、部下やその他大勢の構成員は、そんな計画に乗りたいと思うわけがねえ。 当然、他の構成員は不満を持つだろう。 逮捕されるかもしれないというのに、個人の私情のために組織の大勢が動くなんて、ありえない話だ。
「煌が言いたいことは分かってるよ、私の個人的な願いのためだけに、どうして組織を使ってあんな大事を起こすことができるんだって話だろう? あれは、そういう契約なんだよ」
「契約だと?」
「そう、契約だ。 『少数派』の指導者と、加入する構成員との間で締結される契約。 それは、願いを何でもひとつ叶える代わりに、組織の従順な構成員となることの約束だ。 私も彼らと出会って、その話を持ちかけられた時は胡散臭い冗談だと思ったさ。 しかしどうだ、冗談交じりに、美術館の気に入らない展示品をぶっ壊してまわりたいと言ってみたら、本格的に計画が始まったじゃあないか。 最初は驚いたが、今ならわかる。 『少数派』には多くの仮面と、その異能の力がある。 願いを叶えるなんて、造作もないことだったのさ。 先輩の構成員たちに聞くと、『少数派』はこれまでも、同じやり口で仲間を増やしてきたらしい。 世の中に対して強い反逆心を持つ者を探し、願いを叶える代わりに組織に参加させる。 スカウトとしての効率は悪いけれど、効果は絶大だ。 万金を望む者がいれば現金輸送車の襲撃をおこない、法では裁けぬ悪への仕返しを望む者には、無差別傷害事件に見せかけた暴力事件を起こしてきたというのだから驚きだ。 その上、組織の指導者からは、与えられた任務を最後まで全うすれば、願いをもう一度叶えてやると言われている。 そんなこと言われたら、願いが叶う味を既に一度知ってしまった者としては、彼に従わざるを得なくなるのさ」
最近、日本各地で勃発していたテロリストグループの犯罪の数々。 ラジオパーソナリティが、組織の目的は不明だと言っていた理由がわかった。
彼らは、新たに仲間となった者の願いを叶えるために動いている。 願いなんて、人それぞれ多種多様。 故に一貫性がないのだ。 あるはずがないのだ。
「くくく、本当に、彼は素晴らしい統率力を持っているよ……」
「さっきから指導者って呼んでる奴が、『少数派』のボスなんだろ? 誰なんだよ、そいつは」
「悪いけど、それは言えないね」
「お前……、ここまでペラペラと喋っておいて、今更言えないことなんてねぇだろ。 話せよ、何もかも!」
「ここまでの事は、その指導者から煌に話せと命令されていたから話したまでさ。 どうやら、彼は君を同族と見なしたらしい。 世間からの爪弾き者、『少数派』として理不尽に仇なす資格を持つ者としてね。 だから、情報を与えて君から信用を獲得し、あわよくば仲間にしようとしているのだろう。 チッ、私は気に食わないけどね。 しかしそれでも、指導者の詳細については話すことができない。 組織の上の奴から、語るべからずと釘を刺されているんだ。 だから話さない。 いや……、実際は正直なところ、話せないって方が正しい」
「話せない? もし話したら、組織に罰されちまうとでもいうのかよ」
「もしかすると、あるかもな。 でも、最大の理由はそこじゃあない。 単純に、私たち構成員は、彼の素性を全く知らないのさ。 故に話せない。 ほら、美術館で黒いヘルメットのような仮面をつけていた男。 あいつさ。 君も話しただろう?」
極黒のフルフェイス。
純銀の茨装飾。
『鍵』だの福音だのと、わけのわからない事ばかり並べていた、ロングコートの男。
「彼こそが、『少数派』の指導者であり、全ての事件の首謀者、そして私たちに仮面とその権能を与えた張本人さ。 彼は仮面を外さない。 彼は必要以上は何も語らない。 彼が誰なのか、誰も知らない。 知る由もない。 匿名性を具現化したような存在だよ」
「……あいつが、テロリストのリーダー」
「そうさ、私たちは彼の指揮のもと――――」
野崎の語りを遮って、昼休みの終わりを告げる鐘が屋上に響き渡った。 すぐに野崎は仮面を外して、
「嗚呼、まずい。 長話してしまった。 残りの焼きそばパンは授業後の楽しみに取っておくとしよう。 さあ、教室へ戻ろうか」
「お、おい! まだ話は終わってねえ、聞きたいことが山積みだ!」
「私だって君のために焼きそばパンを我慢したんだ。 授業後まで、君も我慢したまえ。 それに安心しなよ、どうやら君の友達は、私の正体に気がついていないみたいじゃあないか。 一限目終わりの休み時間に、誰も近寄ってこない孤独な私をみかねて、話しかけてきてくれたよ。 仁くんと遥夏ちゃんだっけ? あぁ、それと、噂高い勝人くん。 もし君が危惧していたように、美術館にいたのが私だと彼らな勘づかれていたら、対処しなければいけないところだった。 だから君も、クラスメイトに私のあることないことを広めるのはやめた方がいい。 この意味、わかるだろ?」
野崎は残りのパンを詰めた袋を片手に、校舎へ戻る扉を開いた。
「さあ教室に戻ろう、煌。 転入初日から授業に遅れるのは避けたい。 友達として、わかってくれるよね?」
「誰が友達だっ……! 仁たちを危険にさらして……、わけのわからねえことばかり言いやがって、次は監視するから友達になれだと!?」
「別に、友好関係を切ってもらってもいいんだよ? 私は君の組織入りに肯定的ではないしね。でも、任務は任務だ。 私は自分の願いのためなら、君のクラスメイトを作品にする覚悟はあるよ」
「テメェ……、仲良くなりたいなんて抜かしながら、脅してくる奴が何処にいやがる」
「此処にいる。 くくくく、いいじゃあないか。 そういう関係も。 微妙で、曖昧で、不透明で、不明瞭で、腹の中じゃ何を考えているかわからない奴より、ずっと白黒ハッキリしていて、逆に好感が持てるだろう? それじゃあ、午後の授業も頑張ろうか、煌。 あぁ、そうだ、私は今日初めて登校してきたから、校舎の間取りがわからないんだ。 だから、六限目の家庭科の移動教室は、案内してくれよ。 くくく、宜しく頼むよ」
こうして、男子制服を着た自称女子の包帯グルグル巻きハロウィン頭テロリストに監視される、学園生活が始まった。