8 朝市の街とシャルルの秘密
食事の後、私は汚された白いドレスを持ってグランダさんを訪ねた。王城で汚された母の形見のドレスだ。
「大丈夫よ、なんとかなる。任せておいて」
グランダさんがニコリと笑う。
「あの。私は自分のお金が無くて……出来るまでこれで」
「いやぁねぇ、奥様からお金なんて貰わないわよ」
「そう言うと思ったのでこれを貰ってくれませんか?……お子さん達へ」
私は手作りのお手玉を渡し、どう遊ぶかを二人の子供に説明する。よく見ればこの子達は双子だ。顔の痣で気づかなかったけど。
二人の幼子はお手玉をもって互いに投げて遊ぶ。
「それと、これも」
私は缶に入ったクリームを手に取り、グランダさんの手に塗らせてもらった。
「これ良いわ。肌がしっとりして。カリテの実の匂いがするのね」
「カリテをご存知何ですか?」
「ああ、屋敷の裏の温室にあるのよ。木の実は私達や子供のオヤツさ。まぁ、半分以上種で食べられるところは少ないけど」
「種は?」
「種?そんなもん、その辺に捨てるわよ」
「種からこのクリームは出来るんです」
「そうなの? どうやって?」
私はかつて母に教えてられた作り方を説明した。
グランダさんはよっぽどクリームが気に入ったらしい。
作り方のレシピをメモして渡す。それはリメイク代のささやかなお礼として受け取ってもらった。
その日の朝も私が目覚めた時にはシャルルは姿を消していた。
せっかくの外出日だと言うのに外は曇っている。幸いまだ雨は降っていない。
シャルルは朝食をリビングで食べている間、全く喋らなかった。
側で控えるロイツさんが『今度晴れたらジャガイモの収穫がある』と場を持たせるように話しかけてくれたけど。
シャルルはロイツさんの話にも耳を貸さず、黙々と食べ続けた。
「行こうか」
食べ終えた彼が私に手を差し出した。
玄関に停められた黒塗りの馬車。シャルルにエスコートされ向かい合って座る。
彼はシャツにベストを身につけた軽装だった。私もロイツさんが用意したブラウンのドレスに身を包んでいた。
馬車が進んでも、彼は黙って外を見ている。
こんなに近くにいるのに、沈黙がこれほど身に堪えるものだとは知らなかった。
「ごめんなさい」
「何がだ?」
シャルルはこの日初めて視線を私に向けた。
「本当は、ロイツさんに言われて誘ってくれたんでしょう?」
「なぜそう思う?」
「貴方はずっと黙っているし、侍女の一人から聞いたの。ロイツさんが主人と言い争ったって」
「……そうか。今は侍女達と話しているんだな」
王城で『悪女』として振る舞っていた私。侍女達との会話は必要最低限の事務連絡だった。
今から思えば愚かな振るまいだったと思う。でもあの時はそうするしかなかった。……王太子と同じく最低限しか話さなかった。
ずっと王城から逃げたいと思っていたから。
シャルルが窓の外に視線を移し、口を開いた。
「ロイツに言われたから誘ったわけじゃない」
彼は街の一角に馬車を止めさせた。
馬車から降りる。街の広場に朝市が出ていて実に賑やかだった。
王都から離れていても、朝市の露店には農作物を売る者、小物を売る物、衣類、作業具、食器、様々な物が敷物の上に並べられている。
「領主様。良ければお持ち帰りください」
「ありがとう。だが気持ちだけ受け取っておく。備えを大事にしてくれ」
シャルルは笑顔で町人から差し出したパンを受け取り、再び町人へ渡す。
「私のために貧しいものに分け与えてやってくれ」
町人は感銘を受けたように、恭しく受け取りそれを持って路地の奥へ入って行った。
「こっちだ。アイリス」
裏通りは表通りの朝市とは違っていた。今にも崩れそうな粗末な小屋が立ち並ぶ。それでも薄暗い印象を感じないのは彼らが陽気な顔でその手に黒板を持ち文字を教え合っているからだ。
「あ、領主様。おら名前が書けるようになったんですよ」
一人の男が黒板をシャルルに見せる。
「アレイ、仕事は見つかったか?」
「ははは。あちこち手伝いして何とか食ってます」
アレイさんは黒板を大事そうに抱えた。彼の片足は膝から下がない。
裏通りはよくみればアレイのように身体が欠けた者、年老いた者が住まう通りのようだった。ただし隔絶されているわけではなく、パンを渡す町人や商人と談笑する人々の姿は明るい。
着ているものは粗末ではあったけれども。
シャルルと私は再び表通りに戻る。
日差しはないが、夏が近いためか暑かった。
それでも彼は汗一つかかず、朝市の中を歩いていく。街の人達と挨拶を交わし、贈り物を丁重に相手に返し、その品を分け与えるように伝える。
その言葉を人々は感銘を受けた様子で受け取り、概ね彼の言葉に従う。
「やはり、金が足りないんだ」
シャルルが道を歩くすがら口を開いた。
「ル……王太子は金を集めるのが上手い。豪奢な振る舞いをして金があると思わせ、金を呼ぼうとしている」
「そんな事ないわ。無駄遣いをしているだけよ。貴方の領地の方が豊かだわ」
シャルルは一つため息をついた。
「豊か、か。誰かに頼らざるをえない暮らしが? 飢饉がくれば一気に崩れるだけだ」
「飢饉? 朝市は賑やかじゃない?」
「君は知らないだろうが……十数年前も飢饉は起きている。我が国は飢饉を繰り返す、貧しい国なんだ。他国に侵略されなかったのも、奪ったところで旨みの少ない土地だからだよ」
街の外れ、穏やかな川が流れている。川向こうには麦畑が広がっている。私は河岸に置かれたベンチに腰掛ける。
シャルルは話好きな町人に捕まってしまい、私は少し離れた場所で話が終わるのを待った。
ちょっと暑いな。
水面に手をつけると緩やかに流れる川は冷たく気持ちよかった。川の浅瀬を魚がキラキラと泳ぐ。もうすっかり夏だ。
靴を脱ぎ、スカートを持ち上げ、両足を川に足を付ける。
ふふ。冷たくて気持ち良い。
もう少し、付けたいな。浅瀬の川は穏やかだ。川に向かってゆっくり進もうとした……
強く、とても力強く後ろから抱きすくめられた。
「駄目だ!!」
シャルルだった。両肩を上下させて荒い息をしている。
「ごめん、水に足を浸して………」
彼の顔は水面を見つめたまま、恐怖に震えていた。
荒い息のまま、私を強く抱きしめる両手が震えている。
「シャルル? 大丈夫? 私はただ暑かったから、水に足を浸そうと……」
シャルルは私を離すと両手で顔を覆った。彼の息は荒くなるばかりで、収まる様子がなくその場に両膝をつく。
「大丈夫? シャルル?」
彼の背をさすると少しだけ呼吸が戻る。
しばらくして彼が両手を覆ったまま言った。
「…頼む。……独りで川に立ち入らないでくれ」
……『川に身を投げ、帰らなかった者もいる』彼が言っていた言葉を思い出す。
「大丈夫よ。私は貴方が心配するような事はしないから」
「ああ。私の早とちりだ。すまない」
彼は両手を顔から下ろし、ゆっくりと立ち上がる。今までで見た中で一番ひどい顔をしていた。
「ドレスが濡れてしまったね。館に帰ろう」
馬車は館に向かう。空から雨が落ちてきていた。
シャルルは片手を目元に当てたまま、沈黙している。
ロイツは二人を見て、素早く侍女を呼びアイリスの着替えを手伝わせた。
そして気の抜けた主人を執務室まで引っ張っていき、服を着替えさせ、執務室の椅子に座ったのを見届けて口を開く。
「朝市のデートに行ったのに、何という顔をしているんですか。亡くなったあの方の事をいつまでも引きずるのですか?」
「違う。過去を恐れているのではない。未来だ」
「どっちも一緒でしょう。いま貴方が動かねば、貴方の望む未来なんて手に入れられませんよ」
「お前はいつも分かったような口を聞くよな……」
シャルルは両手で顔を覆った。
「私は王都の頃から貴方に付いてこの地へ来たのですよ?貴方の事はよく理解しています。貴方は愛する者が川へ身を投げるとお思いなのですか?」
「あんな思いは、二度とごめんだ」
「アイリス様に失礼ですよ。貴方のそういうところ。もっとアイリス様とお話をして下さい。奥様も本当にひどい顔をされていましたから」
「……そうだな」
着替え終えた私は侍女に濡れたドレスを渡し、ベッドに座った。
帰りの馬車の中、シャルルは片手で目元を隠し黙ったま外を見つめていた。
軽率な私の行為が彼の心の中の何かをえぐってしまった。
……話さなくては。ベッドから立ち上がり、部屋の扉を開ける。
「シャルル……」
ドアの前で佇んでいた彼が口を開く。
「話したい事がある。来てくれないか?」
彼の瞳は暗く沈んでいる。
屋敷の裏口から出て、庭園を抜け工房とは反対側の方へ歩いていく。木立の向こうに川が流れている。
街の中を流れていた川だ。川向こうには森と山々が広がっている。
その河岸に名のない小さな碑があった。
「私が愛したひとはこの川に身を投げ、戻らなかった」
……愛したひと?
シャルルは黒い髪を束ねる銀細工の髪留めを外し、大事そうに手のひらで握った。風で艶やかな黒髪が舞う。私は息をのみ、言葉の続きを待った。
「とても優しいひとだった。私を庇って……自ら川に入っていった」
……今でもその人のことを忘れられない……のね。
彼の言った『しょくざいざい』『契約結婚』の言葉を思い出す。
シャルルは続けた。
「十歳の時私の母はここで亡くなった。これは母の形見なんだ」
彼は銀細工の髪留めを示した。
突然の告白に私は言葉を失った。
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