7 二人の距離
モヤモヤした思いを断ち切るように裁ちバサミで工房でもらった布を切る。私は夕食後ロイツさんに頼み、裁縫箱と干した豆を分けてもらっていた。
ベッドサイドのランプの明かりを頼りに切った布を縫い合わせていく。私はお手玉を作っていた。前世祖母から教えてもらったものだ。
ノックの音がした。
「すまない、本を取らせてもらえるか?」
寝室の扉を開けるとシャルルが立っていた。その端正な顔に細い跡が付いている。
「どうした?」
「顔に跡が付いているから」
「あぁ、ソファーで寝ているからだろう。本を取っても?」
「どうぞ。……ん? 貴方ってソファーで寝るの?ベッドは?」
ベッドの下を探るシャルルの手が一瞬止まり、ベッドの上に目を向ける。
……また手が止まったわ。
「この丸いのは何だい?」
シャルルがシーツの上に転がる丸い布を手に取る。
「それはお手玉よ。……ねぇ、貴方のベッドはどこにあるの?」
「おてだま?……聞いた事がないな」
またはぐらかすつもり?……同じことをそう繰り返されてたまるものか。
「ところで、貴方はベッドでは寝ないの?」
シャルルはお手玉をシーツの上に置き、ベッド下から本を取り出す。
「あぁ、見つかったよ。此処に落としていたみたいだ。ありがとう、おやす…」
わざとらしく本を見せ、立ち去ろうとするシャルルの袖をつかむ。
「待って。せっかくだから勝負しない?」
「勝負?……なんの事だい?」
平静を装っていても、目が泳いでいる。……やっぱり何か言いたくないんだ。
「お手玉で勝負して。私が勝ったら貴方はどこで寝ているか正直に説明して……はぐらかすのは無しよ」
私の気迫に押されたように、シャルルがベッドに本を置く。
「……分かった」
お手玉を三個ずつ手に持ち、投げて取る。お手玉のジャグリングは圧倒的に私が強かった。前世で祖母に鍛えられた記憶が役立っていた。
シャルルは観念したように両手を上げた。
「執務室のソファーで寝ているよ」
「貴方の寝室は無いの?」
「私の寝室はこの部屋だ。だが君が使ってくれて構わない。この館には泊まれる客間はないから」
「公爵なのに?」
「誰も泊まりに来ないのに、客間を作って管理するのは無駄、だろ?」
つまり、シャルルは私にベッドを占有されている間、ソファーに身体を屈めて寝ているということで……。
「貴方の寝室ならベッドに寝れば良いでしょ?」
「私の事は気にしなくていいよ」
「気にするわ。だって寝れていない顔だもの。寝不足で顔がむくむからソファーの跡が付くのよ?」
「君よりも体力はある。気にするな」
「こんな大きなベッドに一人で寝ろというの? 私が風邪を引いたときは隣に座って、その本を読んでいたじゃない!」
「一緒に寝るほうがおかしいだろ? 契約結婚の意味を知らないのか?」
「契約結婚ならなおさら良いでしょ? それとも口で言うだけで、自制する自信がないわけ?」
シャルルが目を泳がせ、一つ咳払いをした。
「……分かった。君には負けたよアイリス。ここで寝る」
「そうよ。貴方の部屋だもの」
ランプの灯が消え、ベッドの軋む音がする。背後でシャルルが寝具を動かし体を滑り込ませるのを感じた。
口ではああ言ったものの、同じベッドの中、一人分隔てた所にいる彼を妙に意識してしまう。
よっぽど寝不足だったのか、寝つきが良いのか直ぐに背後から規則正しい寝息が聞こえる。
眠れない私はそっと寝返りをうつ。
月明かりで照らされた顔立ち。彼は眠っていても息を飲むほど美しい。長いまつ毛と黒髪が彼の頬に影を落としている。
シャルルの薄い唇が僅かに開き、眠ったまま呟く。
「……僕を刺してくれ。母さん」
私は眠りかけていた目を見開く。彼の母……王妃は王太子が十歳の時に病で亡くなったはずだ。
『……しょくざい』
彼がはぐらかそうとした言葉の意味。二十一歳で王位継承権を自ら捨て、このマルランの領地の公爵となったこと。
自分の父親に対して使う『借り』という言葉。
「私はまだ……何も知らないんだ」
それからシャルルは自分の部屋で眠るようになった。毎晩私が眠るまで本を読み、私が起きる前に彼はそっと布団から抜け出す。
私がうなされていると手にそっと温もりを感じる時もあったが、『契約結婚』という言葉を守るように彼は何もしてこなかった。
「今日も……先を越された」
小鳥のさえずりに目を覚ます。夜はまだ完全に明けていなかったが、シャルルの姿は見えない。彼の居たところに触れる。まだ温かい。私はガウンを羽織ると静かにベッドから降り、シャルルの姿を探す。
「どこに行ったのかしら」
彼の姿はどこにも見当たらなかった。空は白み初め、朝日が誰もいない炊事場を照らしている。お腹が鳴った。
彼のために何か作るか。
私はかまどに火を入れる。さすがに伯爵令嬢時代はかまどに火を入れる事はないが、前世の私は一人キャンプが趣味だったので簡単に火を起せた。
ケトルでお湯を沸かし、紅茶を準備する。炊事場にあった食材でサンドウィッチを作り皿に乗せる。それと鉄のフライパンでオムレツを作る。
「アイリス様っ!こんなに朝早く何をなさっていらっしゃるのですか!?」
数日前、屋敷に戻ってきた侍女達と共に執事のロイツが慌てた様子で言った。
「あ、ごめんなさい。勝手に使って……早起きのシャルルの為に何か作ろうと思ったの」
「シャルル様が?……いえ、謝るのは私共です。職務怠慢をお許し下さい」
ロイツさんの後ろに控えている侍女達も皆申し訳なさそうに頭を下げている。
なんて良い人達なの。勝手してるのは私の方なのに……王城の侍女だったら嫌味の一つ二つは必ず言って蔑むのに。
「皆さん、頭を上げて下さい。私が早くに目覚めたのが悪いのです。貴方たちは悪くないわ」
侍女の一人が言葉を述べた。
「とんでもないお言葉です」
ますます深々と頭を下げ、恐縮する皆さんをなだめていると、ぽろぽろと涙が溢れてくる。ロイツさんが慌てた。
「申し訳ありません。侍女が失礼な物言いを」
「違うわ。今までこんなに優しく言って下さる人がいなかったから……」
彼といい、この屋敷を支える人達はみな優しい。
その優しさはエルダさんのスープのようにじんわり私の心に沁みた。ロイツさんが息をのむ。
「奥様、お召替えを。私共でリビングに運んでおきますから。さぁ、奥様のお手伝いを」
ロイツさんが侍女に声をかける。
「ありがとう」
「お食事をお持ちしました」
ロイツは主人の姿を見つめた。何か物思いに耽るようにシャルルは窓辺に佇んでいる。アイリスはまだいない。
「奥様とご一緒に眠られるようになって良かったです。ですが奥様より先にベッドから出ていらっしゃるのはどうかと思います」
「小言なら、聞きたくはない」
ロイツは主人の言葉を無視した。執事として確認したい事がある。
「毎朝、お一人にされるのはおやめなさいませ。庭園で働く農民が毎朝裏の墓地へ向かっていると言っておりましたよ」
「ロイツ。何が言いたい?」
「アイリス様に失礼なのでは?」
小さくため息をついたシャルルはテーブルに座り手を組み、食事は感謝の祈りをささげようとする。ロイツは目の前の皿をシャルルの前から退けた。
「これは奥様が来られてから、ご一緒に召し上がって下さい」
「わかってる!」
シャルルは鋭い視線でロイツを見た。
「彼女と朝までベッドに過ごせと言うんだろ?私も男だ。そんな事したら自制が効かないだろ!」
「貴方の奥様でしよ。押し倒せば良いじゃないですか」
鋭い目つきのまま、シャルルの拳がテーブルを叩く。
「彼女の事を何も知らない癖に私に指図するな!」
ロイツは怖けなかった。主人が挑発に怒っている事を確認し内心ほっとした。シャルルは本気でなければ怒る人ではない。
「知らないのは貴方の方です。これはアイリス様が早起きしてる貴方の為に作られた朝食ですよ?」
「……アイリスが?」
シャルルが握っていた拳をとく。
「そうです。火も焚いて紅茶も淹れられていました。私共よりも早くに。申し訳ありません」
「伯爵令嬢がかまどを使えるとは知らなかったな」
ロイツは眉をひそめた。
「知らなかったのはそこじゃないでしょう? アイリス様がどんな思いで一人ベッドに残ってるとお思いですか? 週末、貴方様がアイリス様を街の市場に連れて行って下さい」
ロイツは主人に止めの一言を刺す。
「貴方がアイリス様を幸せにするのです」
私は着替えを終え、リビングでシャルルと朝食を食べた。シャルルは黙ってサンドイッチを口に入れている。食事中、部屋に控えているロイツさんがシャルルの方を見て、わざとらしく咳払いする。
「シャルル、何かサンドイッチに嫌いな物が挟まってた?」
「いや、とても美味しいよ」
コホンとロイツさんが咳払いする。シャルルがティーカップを強く握り、お茶を飲む。カップを起き、顔をあげた。
「アイリス、食事を作ってくれてありがとう」
「いえ、別に。風邪を引いて寝込んだ時、色々と作ってくれていたのに、何もお礼を言ってなかったわよね。ありがとう」
シャルルは目を見開き、そして視線をそらせた。
「……いや、気にしなくていい。その……街を見てみないか?…君が良ければ今週末、一緒に」
思いがけない言葉に息を呑む。
「ありがとう。貴方の治める土地を見てみたいわ」
彼は私に自分の事を教えてくれようとしている。
それが嬉しかった。
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第8話、第9話は12日0:00に投稿予定です