6 工房
作中に被暴力の描写があります。苦手な方はご注意下さい。
屋敷の裏口でシャルルは黒髪を束ねる銀細工の髪留めを外す。
首の後ろで束ねていた腰まで伸びる黒髪が彼の広い肩に広がった。
シャルルは髪留めをポケットにしまい、優雅に歩き出す。屋敷裏、畑と化した庭園を抜けた場所に工房はあった。
「あっ!噂をすれば…よく涼しい顔しているね」
「奥様を、放っておいたんだって?酷いわ!」
工房は屋敷の別棟を改装したもので、外では私よりも年上の女達がドレスを干していた。
シャルルは罵声やヤジをものともせず、笑みを絶やさずに言った。
「グランダは中にいるかな?」
一人の女が別棟を指差した。腕まくりしたたくましい彼女の腕には火傷の跡があった。
「工房の中だよ。また『狩場』から連れてきたのかい? ホント物好きだこと!」
口では悪態をつく彼女の顔は笑っている。
シャルルは手をあげ、礼を言うと工房の中へ私を案内する。
工房では十数人の女達が賑やかにおしゃべりをしていた。
裁ちバサミや針を持ち、ドレスの宝飾を外したり、ポーチを作ったり、刺繍を施したりしていた。
「おや。噂をしていれば『クズ男』の公爵様じゃないの? その子は新入り?」
年増の一人の女性が立ち上がる。
「グランダ、彼女はアイリスだよ。納品するドレスの進捗を確認したい。帳簿を見せてくれるかい?」
「その子が五日間も部屋に閉じ込めていた奥様? エルダさんから聞いているわよ?」
「違います!自分で、閉じこもったんです」
グランダさんが目を見開く。
「大丈夫?こいつが優しいのは最初のうちだけよ。特に夜はね。気をつけて」
「グランダ。アイリスに誤解を与える言い方を止めないかな?」
「公爵は帳簿でも見て、遅れた作業をどう取り返すか知恵を絞ってよね。奥様はこちらへ。案内するわ」
「1階は作業場になってる。貴族達が捨てたドレスを洗濯、解体して美しくするの。…みんな、この子が公爵の奥様ですって」
女達が作業の手を止め、私に注目する。彼女達の服装は踊り子や煽情的ドレスや夜着同然の姿をした者もいた。
「大丈夫、奥さま? 目が腫れているわ」
「痩せてるわね。ご飯食べさせてもらった?」
「綺麗な銀髪。貴方の髪も結ってあげるわよ?」
笑顔で女達が口々に声をかける。
「はいはい、まずは仕事よ。納品が遅れないようにね」
は〜い姉さん。と彼女達が言い手を動かす。その手首には母と同じアザがあった。縄で縛られていた跡だ。他にも頰に傷のある者、腕に黒ずんだ打ち身の跡がある者もいる。
グランダさんが私を抱きしめる。
「痣を見て驚かないの?……その意味を知っている?」
「え?」
「私達はね『狩場』から連れて来られたの」
「『狩場』って何ですか?」
「捨てられたモノが集まるところをそう呼ぶのよ。街道の宿、貧しい村色々な場所が『狩場』と呼ばれる。私は訳あって家族に売られたの」
私がシャルルに出会ったあの宿もその『狩場』だったのか……
「『狩場』でいらないモノは売り買いされる。貴族から捨てられたドレスや宝飾品と一緒にね。公爵はね、みんながゴミだと言うモノを拾い集めて新しくするの」
「新しく?」
「見て。可愛いポーチでしょ? このイヤリングの宝石はドレスの裾に縫い付けられてたもの」
……リメイクしているのね。
「どんなに粗末にされた物もここで命を吹き返すわ。捨てられた女達の手によってね」
「私の……母の形見のドレスも綺麗になりますか?」
「任せて。いつでも持ってきて。……あなたは良い子に見えるわ。公爵には詫びを入れさせなくちゃね」
「詫び?」
「ふふふふ。見てればわかるわ」
女達が輪になってシャルルと私を囲んでいる。みなうっとりした表情だった。
「グランダ。皆に仕事するように言ってくれないかな? 見せ物じゃないんだよ」
「……っ……動かないで! 硬っ、どうすればこんなに硬くなるの?」
見ていた女の一人が手を挙げる言。
「姉さん、私もしたい。やりたいわ」
私も、私も、と声が上がる。
「順番よ。私が終わったら……あっ……ちょっと、まだ動かないで!」
シャルルが身じろぐ。
「アイリスの前でするのは……っ、やめないかな?」
「貴方がした『行い』の詫びよ。五日も放置して。それに奥様も今後の参考になるしね」
「今は仕事の時間だよ?」
「あら、見た目を美しく直すのが私達の仕事ですけど?」
椅子に座ったシャルルは深いため息をつき、机に頬杖をついた。
グランダはシャルルの黒髪に櫛を入れている。
「前より、ギシシギしてるじゃない。さては香油を使ってないわね」
他の女がどこからか香油の瓶を持ってくる。香油を櫛に落とし、グランダが髪をといていく。
「前も?……シャルルはここで髪の手入れを?」
「詫びさせたいと時にね。編み込みとか結い上げた髪型も案外似合うのよ。夜の時間はみんなで髪型を次はどうするか話すの」
「グランダ。私は人形ではないし、夜は言葉を覚える時間と言っているが……勉強してたのかい?」
「してるわよ。もらった本も読んだわ。刺激的な恋愛小説って大好き」
周りにいた女達も声を上げる。
「人体の本が良いわ。アレの名前も分かったし」
「公爵もふしだらな話がお好き……ふふふ。奥様、ドン引いてる」
「君達、無闇にからかうんじゃないよ。アイリス、私が教えているのは文字と言葉だよ。本を読めば言葉が増えるからね」
私はシャルルをにらんだ。
「そうね……ただし、内容は偏っているみたいだけど」
「皆が興味を持つ本を選んでいるだけだよ」
周りにいた女達が抗議の声を上げる。
「あら、私達だけがスケベみたいに言わないでよね」
「そうよ、公爵だって読むんでしょ?」
「うん。絶対読んでる。強い女の尻に敷かれたいのよ」
シャルルは小さくため息をつき、静かに言った。
「君たちのために精査しているだけだよ」
女達は静まり、哀しく微笑んだ。
「知ってるわ。ごめんなさい、優しい公爵様」
「奥様もごめんね。たくさんからかって」
「お詫びと言ったら変だけど良かったら持って行って。ハギレでも綺麗でしょ?」
皆がドレスのハギレを私の手元に置いていく。グランダがシャルルの髪を梳かしながら口を開いた。
「奥様、野郎どもに奴隷にされた女も拾ってきちゃう『クズ男』だけど……許してやってね」
シャルルは黙って目を伏せる。
静かになった工房に突然子どもの足音が響いた。
女達のドレスの間から二人の幼子が現れ、グランダに抱きつく。
「ママ……お腹すいたぁ」
「ご飯食べたいよ、ママ」
二人の頬には酷いあざがあった。
幼子は私に気づくと素早く女達のドレスの裾に隠れた。
「さあ。『仕事』は終わりにして」
シャルルが椅子から立ち上がる。
「食事を用意するものと片付けるものに分かれて。しっかり食べてよく寝て。明日に働くんだよ」
「もう。せっかく編み上げてやろうと思ったのに」
「グランダ。明日は染め直しの作業も一緒に。納品を遅らせないで、信用問題になるからね。うまくいけば君達の給金も増やせるよ」
「公爵に言われずとも分かってるわ。さあ、みんな見せ物はおしまい」
女達は喋りながら、片付けを始めていく。
「アイリス。ロイツが食事を用意しているよ。屋敷に戻ろう」
「ええ」
女達から渡されたハギレを抱え、シャルルの後をついて行く。彼は工房を出てしばらく歩き、歩きながら黒髪を肩の後ろで束ね、銀細工の髪留めで留める。
「三年かかった」
私の前を歩くシャルルが口を開く。
「三年?」
「あんな風に人をからかえるようになった時間だ。君はどう思った?」
針仕事をしながら豪快に笑う彼女達。私の母はあんな笑みを見せた事がない。
「今は幸せだそうだわ」
「そうか。……だが彼女達が自立するには金も時間もまだ足りない。口ではああ言っても男を恐れている」
だから髪を解いて女らしく振る舞ったのか……。
「……自立のために彼女達に言葉を教えているの?」
「彼女達は何も知らなかった。言葉も教えられていなかった……己の肉体の名も、『狩場』の外の暮らしも知らなかったんだ」
シャルルは館の前で足を止めて振り返る。
「言葉は剣だ。世界を拓く。だが同時に己も貫く」
言葉は諸刃の剣。それは記憶も同じ。
前世の記憶が蘇った、あの晩。
幼いアイリスは母と自分が受けた行いの意味を初めて悟った。
黒曜石の瞳が私を捉える。
「『狩場』から連れてきても、戻る者もいる。言葉の意味を知って川に身を投げ、帰らなかった者もいる」
シャルルは自分に言い聞かせるように続けた。
「私は自己満足で女達を侍らす『クズ男』だよ」
「それは……」
シャルルは寂しげに微笑む。
「慰めはいらない。事実だから、ね……日が落ちたね、夕食にしよう。ロイツも待っている」
公爵の束ねられた黒髪が弧を描いて翻り、銀細工の髪留めが暗がりに消えていった。
ロイツが用意したスープを飲み、私はスプーンを置いた。
「あの幼い子供達は……」
シャルルがスープを掬ったスプーンを空で止め、視線を私に向ける。
「貴方の子?」
止めていた呼吸を吐き、公爵はスプーンを置いた。
「……そっちか。違うよ。グランダの連れ子だ。それに私は子どもを殴ったりはしない」
「そ、そうよね。変なこと聞いてごめんなさい」
「いいや。まだ聞きたいことがあるんだろう?」
「……どうして彼女達を連れてきたの」
「しょくざい……」
「え?」
「食材が良いな、このスープは」
彼は微笑みスープを飲み干し、初めて私の問いかけをはぐらかした。
お読み頂きありがとうございます。
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少しずつ関係が深まるシャルルとアイリスを、最後までお楽しみください。