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5 契約結婚の理由

 シャルル・マルラン公爵の黒曜石の瞳がじっと私を見ている。


「アイリス。風邪は治ったのか?」


 仕方なく扉を開け、部屋の中に入る。


「ええ。お陰様で」 


「この方が、アイリス様ですか? その格好は……すぐにお召し替えを……」

「ロイツ、茶の準備を頼む」

「シャルル様。奥様となる方に農婦の服を着せるのはさすがに世間体というものが」

「その事は後にして紅茶を淹れてくれないか。君はその席に座って」


 ロイツさんはこれ以上言っても無理だと悟ったのか、一礼して部屋を出た。


 私は指し示されたソファーに腰掛ける。


「契約結婚と言ったとおり、式を挙げるつもりもないし、本当の夫婦になるつもりもない」

「それは、私が『悪女』だから?」

「それは関係ない」


「好きな人がいるとか?」

「君はそんなに節操のない男だと思うのか?」


「だったら下賜の話をなぜ受けたの?貴方みたいな好き勝手な公爵様なら断る事もできたでしょ?」


 公爵は目を閉じ、静かに言った。


「父には借りがある」

「借り?」

「今は君に関係ない」


「……貴方も親の言いなりなのね」


 シャルル・マルランが息を止め、鋭い目で私を見つめた。


「………アイリス。契約結婚が不満なのか?」

「理由くらい聞いたって良いでしょう?」


 シャルルの黒曜石の瞳が静かに私を見据えていた。


「君はルイを庇っているだろう」

「……庇うですって?」


 意外な言葉に私も驚く。



「そうだ。君の心はまだ彼を愛している」




 全てを見透かしたような黒い瞳。


 知っていたの?

 知っていて私を助けたの?

 私の事を何も知らない貴方が?


 混乱が頭を駆け巡り、そして反発を生んだ。


「私を知ったような口を聞かないで!」


 入り口で執事とぶつかりそうになり、そのまま部屋に向かった。


 帰る場所は私にはない。

 今朝まで寝ていた部屋へ行き、ベッドに飛び込んだ。



 夕方なのか、朝なのか、昼なのか時間はわからない。

 何度かノックされた。執事のロイツさんの声がする。


「失礼します。アイリス様。せめて、一口だけでもお召し上がりになって下さい」

「……ほっといて」


 ベッドの寝具に潜り込み、持ってきたハンドクリームを手に塗り、耳を塞ぐ。

 ため息と共に執事が部屋から出ていく音が微かに聞こえた。





 ロイツは困り果てた。屋敷から死人を出すわけにはいかない。意を決して執務室の扉を叩き、主人に伝える。


「シャルル様。農婦のエルダが工房で貴方様を『クズ男』だと触れ回っているようですよ?」

「エルダか……かまわん。私は昔から『クズ男』だからな。ロイツ好きにさせておけ」


 主人は何故か普段より頑なに応え、本を読みながらソファーの上で眠るようになった。



 ニ日後。

 農婦エルダに協力を仰ぎ、ロイツは主人を説得しようとした。


「シャルル様。今、エルダの話では工房の女達もストライキをすると言っています」

「……分かった。ロイツ、エルダを呼んでくれ」


 主人といえど、領民の訴えを無下にはできない。特にエルダはこの領地に来てから一番初めに世話になった農婦だった。


「旦那様。奥さ……や、お嬢様が全然食べねぇ。もう五日目だ」


 エルダは手に鍋を持って立っている。豆のスープの匂いが部屋に広がった。


「エルダ。心配なのは分かるが、勝手に工房の女達まで巻き込むな。アイリスの事はほっといてやれ」

「ほっとけ? 呆れた旦那様だ『狩場で拾った物は最後まで面倒を見る』言うてたのはどこのどの人だ」

「やめろ。アイリスはそんな女じゃない!」


「やっぱり奥様なんだ」


 シャルルは椅子から立ち上がり、頭を掻きむしった。


「……あああっ! 分かった。分かったよ、エルダ。お前の豆スープを食わせてくるから、工房の女達には仕事をさせろ!」


「『自分で言った事には責任を取れ』旦那様の教えだ」

「自分の言葉くらい覚えてる! だが工房の女達を使うのは卑怯だぞ」

「私だって旦那様の言葉は良く覚えてますだ。『使えるものは何でも使え』」


 頰をひきつらせた、主人を横目にエルダは嬉しそうな笑みを浮かべている。


「君が物覚えの良い農婦で助かるよ」


 シャルルは精一杯の皮肉を言って、控えていたロイツを一瞥し、鍋を引き受けアイリスの元へ向かった。




 豆のスープの匂いがする。鍋を置く音がして、寝具が突然はがされる。


「ほっといて!」

「ほっとけるか!私は『狩場で拾った物は最後まで面倒を見る』主義なんだ!」


 5日ぶりに見るシャルル・マルランは艶やかな髪を乱し、肩で息をしている。

 黒曜石の瞳が余裕なく揺らいでいた。


 シーツを引っ張ってくるまると、強引に引き剥がされ、遠くへ投げられる。


「言っとくがな。君が食べないと工房の女達はストライキをすると言い出した。女達が仕事をしないと女達や子も飢えるんだぞ!」


「工房?……私に関係ないでしょ」


 枕を抱き抱え、背を向けて縮こまる。


「関係ある!だいたい私は初日に言ったはずだ!『自分を粗末にするな』と」


 シャルルは私が閉めた部屋のカーテンを次々に開け、全ての窓を開け放つ。明るい日差しと共に、暖かな空気が部屋の中に満ちていく。


 木の器に豆のスープを乱暴によそい私に差し出す。


「これはエルダが作ったんだ。食べてくれ」


 黒曜石の瞳が私を見つめている。


「どうして私なんかに構うのよ」

「私の為じゃない。エルダの為に食べてくれ」

「だからどうして私に構うの!」


 私は枕に顔を埋めた。



「エルダは君の母親と同じように夫に折檻されていたんだよ」

「は………? どうして私の母親を知っているの?」


 枕から顔を上げる。シャルルが意を決した面持ちで言葉を続けた。


「陛下の手紙が来た時、君の事を調べさせてもらった」


 調べた? 

「どうして?」


「私は領民を守る義務がある。『悪女』という評が本当か知る必要があった。君が『悪女』なら弱い立場の者が利用されては困るからな」


「私をどこまで知っているの?」


「君の母親のこと。父親のこと。ルイと君がどいいう関係だったかということ。君が王城で受けていたあつかいも全て知っている」


「知っていたの……」


「隠してすまない。君の事は私しか知らないよ。(あざ)はエルダが君を着替えさせた時に見つけてね。報告してきたエルダに聞いたんだ」


「エルダさんは……その今は?」

「彼女は寡婦だよ。君に若い頃の自分を重ねたみたいだ。だから食べてやってくれないか?」


 寡婦……『寡婦を集めて侍らし』……王太子の言葉が頭に蘇る。


「……貴方は『狩場』で何をしていたの?『狩場で拾った物は最後まで面倒を見る』ってどういうこと?」

「私を知りたいなら、まずはこのスープを食べてくれ。彼女のスープは私のより美味しいよ」


「……分かったわ」


 豆のスープを口に入れる。豆は口の中で解け、優しく喉を落ちていった。


 シンプルな塩味が身体の隅々まで染み渡る。美味しいと言う前に、お腹がもっと欲しいと鳴った。

 私を見守るシャルルが息をゆっくりと吐く。


 スープは一口食べる毎に生気をみなぎらせていく。

 全て食べ終えたのち、シャルルは私の両手をそっと握った。


「アイリス。食べてくれてありがとう。やはり君は『悪女』ではない。悪の役割を自ら背負った『悪役令嬢』だ」


 アイリスを守るために、『悪女』になると決めたあの日。


 逃げるための資金を得るために貴族紳士をたぶらかしたこと。

 社交界の慣例を突っぱね、侍女や従者を蔑ろにしたこと。

 婚約破棄されたあと、気づいたアイリスの気持ち。


『悪女』に成りきれなかった自分。


 シャルルが私を抱き寄せ、優しく言った。


「もう『悪』の役を負わなくていい」

 

 目から涙が溢れた。

 私は思い切り泣いた。


 泣くだけの力を豆のスープが与えてくれた。 





 傾きかけた日差しが部屋に差し込んでいる。ようやく泣き止み、顔を洗う。


「アイリス。工房へ行く前に一つ言っておきたいことがある」

「何?」


 シャルルは優しく微笑んだ


「私は『クズ男』だ。だから君とは契約結婚しかできない。それだけは理解しておいて欲しい」


「どう言うこと?」

「そのうちに分かるよ」


 その言葉に深さがある事を私はまだ知らない。


お読み頂きありがとうございます。

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アイリスとシャルルの今後にご期待下さいませ。


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― 新着の感想 ―
[一言] シャルル様が良い人なのは分かりますけど、結構謎の多い人ですよね。
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