20 予想を越えた先に
こんなはずじゃなかった。
予想できていたことなのに、数ヶ月ぶりの感覚は全く違っていて私を大いに取り乱した。
「アイリス、君は私を煽りたいのか?」
私の耳に吐息がかかるだけで、鳥肌が立ち、心臓が鷲掴みにされてしまう。
「君の顔をこちらを向けてくれないか?」
背後から彼の逞しい腕が私を優しく抱きしめる。
「む、向けたらまた私の口を塞ぐでしょう?………それは困るわ」
「どうして?………君の真っ赤な顔はとても新鮮だったが?」
私は顔を両手で覆ってすかさず叫んだ。
「わ、わたしが無理よ!」
彼が抱きしめていた手を解いた。
「ならば仕方ない」
……え?
指の間から彼をそっと伺うと、顎に手を当てて思案していた彼と視線が合った。
「他の許された方法を試すしかないな」
シャルルの艶っぽい瞳が私を捕らえて、宣言した。
「私は『使えるものはなんでも使う』『ずるい男』だ。覚悟するんだよ」
あ!と思った時には足が浮き、抱き上げられてしまう。シャルルは宣言した通り『ずるい男』になった。
星が空にまたたく。夜は肌寒く、吐いた白い息は夜空に消える。
夜空をこれほど美しいと思ったのは初めてだった。
夜空よりも少ない眼下に広がる家々の灯り。この夜空と同じくらいに輝くものとしたい。それはリンデンの苗木の前でルイと誓ったことでもある。
バルコニーの窓を開けて、妻が寝具をまとって現れた。
「シャルル……まだ寒いわ。風邪を引くわよ」
「アイリス。戻っても良いのか?君が『もう離れて欲しい』と言ったから出て来たんだ」
彼女の頬が可愛くふくれる。
「離れて欲しい、とは言ったけど、外に出ろなんて言ってない」
「冗談だよ。冷たい夜風に当たらないと身体が冷えなかったから出ただけだ」
「もう十分冷えたでしょう? ガウンだけじゃ寒いわよ。部屋へ戻ってきて」
背後から寝具に包まれ、彼女の温もりと甘い香りが身体の中の熾火に燃やす。
素早く振り返り、寝具をその芯ごと抱き抱え、バルコニーの窓を閉めて部屋に戻り、寝台へ戻す。
「……シャ、シャルル。明日は大切な評議が……」
「問題ない」
「……そ、そんな目で見ないで」
「アイリス。正直に言ってもいいか?」
「な、何?」
「とても寂しかった。……王城は領地の館よりも広く、国王と公爵では全く違うからな」
「シャルル……」
「だから君の温もりで私を温めて欲しい。これからも、ずっと」
「そんなこと言われたら……」
彼女は潤んだ瞳をそらし、呟く。
「……ずるい」
……ずるいのは嫌だった?沈黙したまま彼女を見つめる。
「……いいわよ」
伏せられた銀色のまつ毛が開く。唾を呑むほど青く美しい澄んだ瞳。デビュタントで見たときのように暗くはない。
夜空の星のように輝いている。
「ごめんなさい。私も余裕がなかったから。『離れて』だなんて酷いことを言ってしまったわ」
その星の輝きとそれからの記憶を私は一生忘れないだろう。
マルラン領地を部下に引き継ぎ、王城へ呼び戻されたロイツは呆れた様子で、主に進言した。
「陛下。そのように歩き回られたところで、何も変わらないと思いますよ」
王は厳しい目でロイツを睨む。
「ロイツ。お前は宰相になっても減らず口なのは変わらぬな」
「私にあたるのは構いませんが、一国の主としてそのように取り乱されては困ります」
乱暴に執務机の椅子に座る王を見て、ソファーに腰掛けていたロウアンが口を開いた。
「そうだ。シャルル。やはり、まだ銀細工の形見はお前の元にあった下にあった方が良いのではないか?」
そう言う、先王の手には銀細工の髪留めが握られている。
「父上、私にはもう必要ありませんよ」
そう言いつつも、王は自らの首元にある、髪留めの魔除けの意味を持つオニキスに触れた。
「そうか? 幼い頃のお前よりも不安がっているようにしか我には見えぬが?」
「父上、昔の私と比べないでください」
紅い瞳を細めて先王が微笑む。
「気心の知れた者達の前では、呆然と沈黙している幼いお前より、人間らしくなって良いと思うぞ」
「ですから、過去の話はもう………」
王の声を遮るように、遠くから産声が響いた。王は勢いよく席から立ち上がると声がした部屋へと向かった。
私は重たい身体を起こした。
「奥様……いえ、王妃様。元気な男の子ですだ」
エルダが私の腕にその子を渡す。
産声を上げる我が子は色白で、頭部は色素の薄い髪の毛が包んでいる。その子が閉じていた目をうっすらと開け、私は息を呑んだ。
愛しい我が子の瞳は、紅い瞳だった。
隔世遺伝だと前世の記憶は告げる。だけど………科学もないこの世界で、夫にどう説明する?
わだかまりは残したくない。他の者にも。
シャルルは私の言葉を全て信じるだろう。だけど諸侯は? 諸侯へは何と説明すればいい?
幸せだったはずの気持ちに暗い雲が立ち込めた時、部屋の扉が勢いよく開いた。私は我が子を抱き寄せて、胸にその顔を寄せた。
いけない。これでは疑惑を持たせてしまう。
思わず目を閉じる。王が近づく気配がする。私の銀髪をすく、彼の手を感じる。
髪の色がせめて黒くあれば言い切れる。だが………赤子の髪は色素が薄くはっきりと判別できない。
「私達の子を見せて? アイリス」
シャルルの声に、困惑と恐れを持ってその黒い瞳を見上げた。
「どうした……何か不安でもあるのか?」
彼が眉をひそめ、赤子の顔に手をかざす私の手をそっと持つ。その向こうでエルダが口を開く。
「不安?それはもう、とても元気な男の子ですだ」
「エルダ。ご苦労だった。しばらく二人にしてもらえないか?」
「……もちろんですだ。お医者様を呼んできますだ」
何も知らないエルダがニコニコしながら部屋から出ていく。我が子の瞳が紅い事に気づかなかったのだろう。
「大丈夫かアイリス? 私達の子を見せて?」
私は不安に包まれながらも、そっと我が子から手を退ける。
シャルルの黒い瞳が見開く、彼がその瞳を潤ませた。
「………ルイと同じだ」
「シャルル……それは……」
言い淀む私は優しく抱きしめられ、不安の意味を悟ったシャルルは私の髪を優しく撫でた。
「アイリス……心配するな。私は母に似ている。だがその瞳は君と同じ青色だ」
私はシャルルの顔を見つめた。
「………そう、だったの。………なら貴方の瞳は」
「祖父から継いだ。だから父上はこの子の瞳を見たらきっと喜ぶと思うよ」
驚きで声が出ない。だけど不安だった心は安堵と喜びで満たされていった。それは彼も同じだ。
「ありがとう。アイリス。最高の贈り物を私に与えてくれて」
シャルルが腕の中の赤子を優しい笑みで受け取る。そして愛おしそうにその子の頰に触れる。
「シャルル。子どもはどうだったのだ! 待ちきれないぞ!」
ロウアンが部屋に入り、シャルルが我が子を抱いて立ちあがった。
そしてシャルルの言葉の通り、彼の父は溢れんばかりの笑顔で愛しい孫をその胸に抱き上げた。
寝台の上で愛おしい我が子が両手を挙げて眠っている。その小さな頭を覆う黒髪を彼が撫でている。
私は子を起こさないように気をつけ、我が子と共に寝そべる彼に問う。
「シャルル。昔『君との間にあるのは信頼でも信用でもない』と言ったわよね?」
シャルルが我が子から手を離して視線を私に向けた。
「ほんの一年ほど前の事なのに遠い昔のように感じるな。それで?」
「あの時『全てが終わったら言う』と貴方は言っていたわよね? もう落ち着いたし、言っても良いんじゃない?」
澄ました顔でシャルルはすかさず答えた。
「まだ君との人生は終わっていない」
「そうだけど……何を言おうとしたのかが気になるわ」
シャルルが再び、愛しい我が子の頰を撫でて呟いた。
「ゴンフレナ」
「それはこの子の名前でしょう?」
彼も微笑み、私を見つめる。
「それよりも………」
そこまで言うと、シャルルがシーツから身体を起こして、よく眠る我が子をベッドから抱き上げ、ゆりかごに移した。ゆりかごがゆらゆらと優しく揺れ、ゴンフレナはスヤスヤと眠る。
「一体どうしたの? 直接は言ってくれないの?」
私がベッドの上から尋ねると、シャルルは私のそばに擦り寄り、黒い瞳で私を見つめた。
「……その前に、ずるい事をしても良いかな?」
彼の手が私の髪に触れる。その手首を握る。
「先に答えて。またうやむやにされる気がする」
「うやむやにしているわけじゃない。答える前に君が寝てしまい、翌朝になるだけだ」
……それは、その通りだけど。
今日ばかりは、きちんと答えを彼の口から聞きたかった。
「あの子の名付けは貴方が譲らなかったから、私が折れたでしょう?なら今度は貴方が折れる番では?」
シャルルが口元を緩ませて笑った。
「まだ根に持っていたのか? 私にとって『ルイ』はこの世に一人で十分だ」
「……確かにそうね。ん?待って、また話を逸らして……んっ」
言葉は続かなかった。シャルルは唇で私の口を塞ぎ、抵抗する間もなく彼の重みで身体が寝台に沈み込む。
「………っ、怒るわよ」
私の眉が寄るのを愉しむように、彼が続けた。
「私の頰は君の前に差し出されているが、今度は本気で叩くかい?」
「叩くわけないと思って言ってるでしょう?」
「そうだね。君は私を叩かないし、私もここで引き下がるわけにはいかない」
「……何を考えてるの?」
「夫婦の幸せは二人で創るものだと思っているだけだよ」
彼の口づけを私は拒めず、結局、彼の口から直接その答えを聞くことはできなかった。
こんなはずじゃなかった。
それでも、悪いとは思わない。
なぜなら私はゴンフレナの花言葉を知っている。……君との間にあるものは信頼でも信用でもなく……ゴンフレナ。
つまり『不滅の愛』だと。
完
最終話までお読み頂きありがとうございます。
ブクマ、評価、いいね、感想をありがとうございます。
皆さまのおかげで、初の長編を無事に完結させる事ができました。ありがとうございます!
初期のプロットと異なり、最終話は溺愛に染まってしまいましたがとても楽しく書けました。最後にアイリスを幸せに染められて満足してます。
ほぼ1ヶ月で書き上げたので拙い所も沢山ありますが、暖かいご声援、本当にありがとうございます。少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。
気軽にリクエストや感想もお寄せ下さい^_^
次作への励みになります!
佐久ユウ




