15 許し
侍女と共に暗い廊下を走る。
シャルル……不安そうな素振りがあったのに……一人で行かせるんじゃなかった。
「近衛が東の奥の間へ、お連れになっています」
「状態はどうなの?」
「お医者様を呼びに行かせました」
河岸で倒れた時の事を思い出す。やはりまだ母親に対する罪悪感が彼の中に残っているのかもしれない。
王城の突き当たりにその部屋はあった。侍女が扉を開ける。
体格の良い近衛兵が三人居り、天蓋の付いたベッドを取り囲んでいて様子が伺えない。
「妻のアイリスよ。シャルルの容態は?」
三人の近衛兵が同時に振り返る。
シャルルが居るはずの寝台を見た刹那、後ろからベッドに投げ込まれた。とっさに寝返りを打つ。
視界の端に案内した侍女と部屋に来た二人の侍女が見え、蔑んだ笑みを浮かべていた。
まさか!?
「騙したっ………んんん!」
三人の近衛兵の手が口を塞ぎ、手足の自由を奪った。
「『悪女』らしくせいぜい楽しみなさい!」
「本当、ケチくさい女だったわ!」
「汚れてカルミア様の視界から消えれば良い!」
侍女達が部屋から出ていく。
近衛の男達に手足を押さえれられ、身動きができない。叫ぼうにも口が封じられ、声は掠れる。
「んんんっ!!」
「下賜をしなかった事、後悔すれば良い。惨めな女達の気持ちを味合わせてやろう」
「命じられて使い捨てられる近衛の気分も知らしめてやる。」
「『悪女』らしい反抗的な目だ。汚れ仕事をする者通し、十分楽しめそうだ」
荒い息使いと酒臭い匂いがベッドに立ち込めた。
クリームの入れ物を握りしめ、一人の侍女が長い廊下を走る。これから起きる企てに耐えられなかった。
『殿下と中庭で話している隙を狙いなさい』
『あれは悪女よ。皇太子殿下を辱めた女』
荒れた手を慈しみ、クリームをつけるアイリスの表情は尊く、とても悪女の者とは思えない。
中庭、中庭がようやく見えてくる。
中庭に走り込む侍女に向かってルイが叫ぶ。
「人払いをしたはずだ!」
侍女が息を切らしている。背筋を汗が伝う。悪い予感がした。
「か、カルミア様が……アイリス様を、襲えと」
ルイが瞳を大きくし、付いた膝を上げる。庭に倒れ込む侍女に私は叫んだ。
「アイリスはどこへ!」
「ひ、東の一番、奥の間です……」
「シャルル!」
ルイの叫ぶ声が後方で響く。
廊下を駆ける。……アイリス。無事でいてくれ。
東の一番奥の扉の前で止まり、息を吐き切る。
扉の向こう男の卑猥な声。両手を握りしめ、静かに息を吸い込むと、慎重にドアノブを開いた。
「んんんっ!」
口を塞がれたまま、藍染めのドレスは無理やり引き裂かれ、ドレスの青いビーズが押さえつけられた腕へ零れ落ちる。
「ビーズが惜しいのか?……そんな目で見ても遅いだろ?」
パニエが引き抜かれ、おぞましい男どもの指がドロワーズに触れ、恐怖が目を閉じさせる。
スツールを叩きつける音と共に身体の押さえは解放され、重たい音が床に響いた。
夫の香油の香りが私を包む。うっすらと目を開けると、銀刺繍の黒いジャケットが私の上にかけられていた。
「……シャルル?」
私を見て黒曜石の瞳が一瞬だけ緩む。椅子の脚を力強く握りしめた彼は静かに息を吐き切り、ベッドの上で膝立ちになった。
男達がふらつきながら絨毯の上で立ち上がる。
「……何をしたっ!」
「まだ終わってないぞ!」
「お前は誰だっ!」
シャルルは地に響くような声を出した。
「……私の妻を、これ以上汚すな」
「変人公爵様のお出ましか?」
「妻にビーズのドレスとは……ケチ公爵の噂も嘘ではないな」
「剣ではなく、椅子の脚で戦うつもりか?笑えるな!」
シャルルは息を吸い込み、冷静な声色で口元を緩ませた。
「なるほど……君達は剣ではないと戦えぬのか」
「今、我らを馬鹿にしたな?」
「蔑む事しか脳がない貴族め…」
「侮った事を後悔させてやる」
男達が三方向からベッドへ迫った。
私が恐怖で身体を縮こませると、ジャケットを私に残し、シャルルが動いた。
素早く椅子の脚で一人目の男の腹を薙ぎ払い、男が降り下ろす壊れた椅子をベッドの上で蹴り上げ、
その男のみぞおちへ拳を打ち込み、軽やかに回転して最後の男の顎下を革靴で蹴り上げた。
三人の男は再び絨毯へ倒れ込み、括られた黒い長髪が空で曲線を描いて私に優しくふれ、乱れたシーツの上に落ちた。
シャルルが私を抱き上げ、ゆらりと、私を抱えたまま絨毯に降り立つ。
近衛兵が呻いた……殺していないのだ。男達は、絨毯の上に這いつくばったまま冷笑した。
「………貧乏臭い服だな? お前本当に公爵か?」
「貴族様の品位とやらはどうした?」
「本当にお前の妻か? 誓いの指輪もないくせに」
夫は黙っていた。乱れた黒髪で表情が見えない。
私の髪に絡まり、落ちそうになっていた瑠璃の髪飾りを外し私の手に握らせる。
「言い返さないのは、愛が無いからか?」
「皇太子殿下直属の近衛だと知って恐れたか?」
「王座から逃げた公爵様。何か言ったらどうだ?」
シャルルの手が一瞬ピクリと動く。だが彼は私を抱き寄せたまま、シーツの上に散ったビーズを拾い集めた。
酒を飲んだ男どもの身の程もわきまえない罵声はその間も続き、私は次第に腹が立った。
シャルルが手加減してるのは明らかなのに。
「夫を侮辱しないで! 王太子に抗議の手紙を書きます!そこに……」
私の声は王太子の声に遮られた。
「手紙は不要だ。不届者の所業は理解した」
別の兵を引き連れて現れたのはルイだった。近衛兵が驚きのあまり言葉を失う。
「絨毯の上に転がる酒樽達を捕らえよ」
王太子の指示を受け、男達は兵に引きずられていく。
双子の王子と私を部屋に残して兵は皆下がった。ルイがシャルルの方を向いて尋ねた。
「謀に関わった侍女も捕らえた。兄上、私に全て委ねるのか?」
……兄上?……シャルルは王太子の弟では……
「殿下。殺めるのは私だけで十分です」
「カルミアの代わりに俺が兄上に殴られようか?」
「国王陛下のご判断に委ねます」
「……そうか。分かった」
皇太子が紅い目を伏せた。
シャルルは拾ったビーズを私にかけた上着のポケットに入れ、上着ごと抱き抱えてルイの横を過ぎた。
クリームを渡した侍女が駆け寄るのを、シャルルは視線で制し「風呂の準備を」とだけ伝える。
部屋に付くと寝台の上に私を横たえ、丁寧に破れたドレスを脱がしてくれた。
彼の手が私の身体にくまなく触れる。淡々とした視線は彼の指先にあり、手つきに熱が帯びる事はなかった。
「シャルル?」
私が声をかけると、彼は私に触れたまま撫でる動作を止めた。かける言葉が見つからない。私が黙っていると、再び彼の指先が私の身体の隅々を確認していく。
会話が無いまま時間が過ぎ、湯が整ったと侍女が告げて下がると私を抱き上げ、私だけバスタブに付けた。
「貴方は入らないの?」
バスタブは十分な広さがある。一緒に温まらないのだろうか。
沈黙したまま彼が首を小さく横に振る。
私の髪を洗い、櫛で水気を取る。侍女がするような事を私に行い、ネグリジェを着せる。
彼は黙したまま私の肩に顔をうずめ、私は彼の香りに包まれてそのまま眠りについた。
目が覚めると、シャルルがベッドの上、片膝を立てて座し、その膝に頬杖をついて虚空を見ていた。
「……何か飲むか?」
ようやくシャルルが私の目を見て問う。私が頷くと、昨夜と変わらぬ姿の彼は重たそうに身体を引きずり、ベッドサイドに置かれた呼び鈴を鳴らす。
シャルルは黙ったまま用意されたポットで紅茶を淹れて私に渡す。ベッドの端に座して、それを口に含む。
「ねぇ、シャルル。ルイは貴方の事を兄上と呼んでいたけど………」
シャルルが視線を逸らし紅茶を啜る。僅かに手が震えている。
「シャルル。大丈夫?」
彼は視線を伏せて沈黙し、カップを置くと「着替えてくる」と言い残してクローゼットルームへ去った。
ドンと打ちつける大きな音が聞こえ、私は飲みかけのカップをベッドに投げ出し、シャルルの元へ走った。
クローゼットルームの扉の前で再び大きな音が聞こえ、私は扉を勢いよく開けた。
シャルルが壁に両手と額をつけたまま黙って立ちすくんでいた。
額を壁に打ちつけるなんて………
「シャルル。貴方は自分だけで抱えるつもりなの?」
シャルルの肩を掴み、私の方へ向けると自分への怒りに沈む瞳が私へ向けられた。
「だったら、君なら僕を殴れるか?」
「できるわよ!頬を貸しなさい!」
彼が不意を突かれた表情を見せ、両膝を床に落として跪く。
私は両手を振り上げる。
「バチン!」
そう言って、両手で彼の両頬を包み、すかさずその唇を奪った。深く長く……それでも言葉はまだ必要だった。
「……………これでもう良いでしょ? 助けてくれた貴方を叩けるわけないじゃない。良い?これからは独りで抱え込まないで!」
シャルルが真っ向から私を見上げて立ち上がり、身体をかがめて私の唇を奪う。深く。優しく。
彼が長く息を吐いた。
「アイリス。君は私の代わりに私を許すのか?」
「私ははじめから貴方を許してる」
「そんな事に気づかない私も許すのか?」
「もちろん。許すわ」
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