14 リンデンの樹
「自分を粗末にするな!貴方が言った言葉でしょ?……シャルル。あなた自身を責めすぎないで」
彼の胸元に顔を埋めて抱きしめる。
「……君も父と同じ事を言うんだな」
「……同じこと?」
シャルルが静かに言い、私が見上げると彼の片手が私の頬を優しく包んだ。
「母を刺した後、父が言った言葉だ。『お前は私に借りがある。だから自分を粗末にするな』とね」
……『借り』は母親を刺した事だったの……でもそれは貴方を責めるための言葉ではないはず。
「私は父を愛しているよ。同時に恨んでもいる。あの時、川へ逃げようとした私を取り押さえてそう言ったのだから」
シャルルが私の額に自分の額を重ね付け、目を伏せる。
「……貴方は陛下の言葉を胸に自責の念で生き伸びてきたの?」
「……そうかもな」
黒曜石の瞳が私を見つめた。
「だが……今は、君がいる」
互いに唇を寄せた。もう言葉はいらない。
ルイ皇太子とカルミア公爵令嬢の結婚式は大広間で行われた。私が婚約破棄された場所に豪奢な礼装を身につけた二人が立つ。
シャルルが手袋越しに私の手を握った。私は視線を彼に向けて微笑む。
彼は銀の刺繍を施した黒い礼装を、私は藍色に染め上げたドレスを身につけていた。
互いの髪には銀細工の髪留めと碧い瑠璃の髪留めも付いている。
私達の結婚式で身につけた特別な服が参列の衣装となった。彼が微笑みを返し、私も視線で応え、豪勢な式典に意識を戻す。
乾杯のグラスが配られ、私たちは手を繋いだまま、それを受け取る。
『若き太陽と王妃に』
グラスを掲げたとき、ルイの紅い瞳と一瞬だけ視線が合い、私は微笑んだ。
皇太子の口元が少し緩んだ気がした。
カルミアはルイの口元が緩むのを感じ、紅い視線の先を追い、青いドレスの銀髪の女を認めた。
手に持つグラスが震え、カルミアはその姿を目に焼き付けた。
『乾杯!』
夜遅くまで続く祝いの言葉をカルミアは上の空で聞いていた。
式典の宴はまだ続いている。
「疲れていないか?」
バルコニーで休んでいた私に、シャルルが声をかける。
「大丈夫よ」
「待たせてすまない……あいつらに捕まってね」
彼が豪奢な服を身につけている紳士達を視線で示して言った。彼らは有力な侯爵や伯爵達だった。
「仕方ないわ。貴方は公爵なのよ? 久しぶりに王城へ来た貴方に興味津々なのね」
「今日の主役は私ではないのだがね。他の領主を無下にできなくて……壁の花にさせてすまない」
「いいのよ。誰も話しかけてこなくて、楽だったわ。もっとも貴方が侮辱されないよう目を光らせていてくれた事も知ってる」
「君を視線で守りながら、あいつらの相手をしたから少し疲れたよ…部屋に戻ろう」
そう言いながら、シャルルはグラスのワインを飲み干す。低い声が響いた。
「今日の主役と話もせずに帰るつもりか?」
シャルルと私が振り返る。
ルイ王太子が酒の入ったグラスを手に立っていた。
「シャルル。お前に話がある。一人で中庭へ来い」
「私が嫌いだったんじゃないのか?」
ルイ王太子が手にしていたグラスをあおり、酒を飲み干す。
「母の墓前に何も言わず、帰るつもりか?」
シャルルが少しだけ唇を噛む。
「……シャルル、行ってあげて。私は部屋に戻るから」
「だが……」
「私は大丈夫。ちゃんと部屋にいるわ……王妃様に私の事を伝えてきて」
「……ちゃんと部屋にいるんだぞ?」
私が深く頷くと、ようやくシャルルは皇太子の方へ向き直った。
「アイリスを部屋に送ってから行く。それでいいな」
「……構わん。誰もお前達の部屋には立ち入らないよう、命じておく」
用意された客間に戻り、戸を開けるとシャルルが口を開いた。
「アイリス……」
シャルルが口を閉じて言いよどみ、視線を泳がせた。
「なに?」
彼の腕が私を抱きしめる。まるで黒い子猫のように身を寄せる。
「戻ってきたら……君を強く抱いてしまうかもしれない……いいか?」
思いがけない言葉に少し驚き、微笑んで彼の背に優しく手を置く。
「わかったわ。ちゃんと起きてる。だから安心して行ってきて?」
彼は私をひときわ強く抱きしめ、名残惜しそうに一度だけ振り向いて中庭へ向かった。
亡き母の眠る墓前へと。
王城の中庭が見えていた。
「いきなさい」
扇子をパチンと鳴らした女主人の言葉に3人の侍女達が深々と頭を下げる。
「手はずどおりに」
王城の中庭には一本の樹が植えられていた。
リンデンの樹は黄色い花を咲かせ、今もその幹の下には母が眠っている。
静かに祈りを捧げていると、ルイが口を開いた。
「昔ここでした約束を覚えているか?」
「…………」
ルイの紅い目が私を睨む。
「必ずこの国を豊かにしようと。約束したことだ」
「覚えている。ルイは金こそが全てだと言い……」
ルイが続ける。
「シャルル、お前は人々の気持ちと教育こそが全てだと言った……今もその気持ちに変わりないのか?」
「………変わりはない」
母を弔い、リンデンの樹を墓標にした日、交わした最後の約束だった。
「俺はずっと、物と金のみで人を振り向かせてきた……豪華な物を施せば、みな良い顔をする……信頼を得るにはそうする事が最善だと信じていた」
ルイが声を震わせた。
「だが湯水のように金を注いでも、カルミアは俺を見てはいない。昔は違ったが……俺が愛した途端、俺のことは見なくなった……もう限界だ」
「それで、カルミアを使ってフラワード卿から金を借りたのか?」
「そんな事するか!……アイリスが去ってから方々へ根回し、伯爵家の商会とようやく手を切ることは俺の念願だったんだぞ。なのにカルミアは勝手にあいつから金を借りた」
「南方の交易ルートを切っても良かったのか?」
「伯爵は美しいという理由で、腹に子がいる母親を南方から買い取ったおぞましい男だぞ!……カルミアが金を借りてなければ式典に呼びはしない!」
知らなかった事実に指先が冷たくなるのを感じた。
「アイリスはフラワード家の実子ではないのか……?」
「実の父は不遇の事故で死去。貧しかった母の家族に多額の金を積んだらしい。婚約破棄する前に調べたことだ」
「……っ。そこまで知ってなぜ妻を捨てた!」
気づいた時にはルイの胸ぐらを掴んでいた。ルイはただ紅い目を細めた。
「俺がどんなに贈り物をしても………一度も振り向かなかった。彼女をあんな笑顔にできるのは……シャルル、兄さんだけだ」
ルイから手を離す。
「……兄は君だ」
「生まれは兄さんが先だと、母上は言っただろ」
「父上に似ているのはルイだ」
「父上が期待していたのは、シャルルだ」
「私が母上を殺したんだぞ!」
「あの時、恐怖で動けなかった自分を今も悔いてる!」
目の前に十歳のルイがいた。水に足を付け、河岸で震えているルイ。守らなくては。
そう思った時には父が水の中に落とした剣を拾い上げていた。
王太子となったルイが私の両手を掴む。
「俺は、兄さんが『王位継承者として相応しくない』と言ったときに、違うと言えなかった自分を悔いている」
「兄さんを嫌ってるんじゃない。何も言えない自分が嫌だった……ずっとそれだけを伝えたかった」
膝から崩れるルイの肩に私はそっと手を置く。
風に吹かれ、リンデンの樹の黄色い花びらが降り注ぐ。
母上……私だけ幸せになって……良いのですか?
シャルルが去った部屋にノックの音が響いた。
彼が戻ってきたのかしら……そう思い扉を開けると王城の侍女が三名並んで立っていた。
昔、私の世話をしていた者達だ。
私が言い淀んでいると皆が一斉に腰を折って頭を下げた。
『今まで申し訳ありませんでした!』
「アイリス様。今まで散々な態度をとってきたことを深くお詫びします」
「命じられたとは言え、ひどい事をしてしまって」
「今更ですが、盗んだ金貨もお返し致します」
金貨の小袋が差し出される。荒れた指先が震えていた。
「頭を上げてちょうだい。わたくしこそ、王城の婚約者として相応しくない態度だったわ」
王城では貴人が従者へ下賜する事が当たり前なのに、私が侍女達に何も施さなかったのは事実だ。
「そうだ! いい物があるの」
侍女を部屋に招き、ドレッサーから容器に入れたカリテの実のクリームを取り出す。
「皆、手のひらを出してちょうだい」
とまどう侍女達が差し出した手に、ねっとりとした甘い匂いのクリームを付けていく。
「お金はいいわ。皆で何か美味しい物でも食べてね。貴方達は与えられた仕事を頑張っているもの」
金貨の小袋を侍女のエプロンのポケットへ入れ、その荒れた指先にクリームを塗る。クリームの入れ物もその手に渡す。
侍女が戸惑ったように見つめた。
「あの………」
「良いのよ。領地に戻ればたくさんあるから」
その手はまだ震えていた。そこへ再びノックの音が響く。返事も待たずに扉が開き、もう一人の侍女が現れた。
「アイリス様。シャルル・マルラン公爵様が」
「……シャルルがどうしたの?」
「具合を崩されて……倒れられました」
私はその言葉に背筋が凍った。
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