10 収穫祭とシャルルの企み
昼間、農民たちにお茶と茶菓子を振る舞い、なんとかうやむやにできてホッとしたもの、私はとても気まずい夜を過ごしていた。
「アイリス。そんなに隅で寝ていたらベッドから落ちてしまうよ?」
私はシャルルに背を向けて寝たふりを決める。背後でベッドが軋み、黒い艶やかな髪が私の肩に落ちるのを感じた。
「アイリス?……私に気を遣っているんじゃないのか?」
心臓の鼓動が早くなる。それでも私は目を閉じ続けた。
「エルダに何か言われていないか? 私はそんなに頼りないかな?」
「……私はただ、あんな胸が張り裂けそうな想いはもうしたくないの」
目を開き、私を背後から覗き込むシャルルを横目で見上げる。黒曜石の瞳がじっと私を見つめている。
「心配をかけてすまなかった。だがあれは医者も言ってたように本当に寝不足で体調が悪かったんだ。もう回復したから大丈夫だよ」
「あんなに怖がっていたのに?」
そっと彼の頰に手を伸ばす。シャルルが頰を私の手のひらにすり寄せ目を一度閉じ私を見る。
「怖くないと言えば……嘘になる。だが今はそれ以上に君に触れたい。でも君がダメだと言うなら止める」
息が止まりそうだった。黒い瞳に魅入られて私は息を呑む。
「駄目よ」
今度は彼の息が止まる。ベッドが軋みシャルルは寝台から降りた。
「おやすみ」
シャルルはそう言い残し、振り返らずに部屋を去っていく。
「ばか………私の馬鹿」
彼を別の意味で傷つけたことを今更知ってしまうなんて。冷たくなった寝台の上で私は身を縮ませた。
主人が散らかした本を片付けていたロイツは突然開け放たれた扉の音に驚いた。
「シャルル様、今日はもう眠るのとおっしゃっていませんでしたか?」
シャルルは黙したまま怒ったように歩き、銀の髪留めを黒髪から引き外して執務室の上に置いた。
鋭い目で睨まれ、ロイツは身構える。
「ロイツ。私は『悪い男』になる」
「は?」
「『使えるものは何でも使え』だ」
踵を返し、部屋を出ていく。
「ど、どちらへ?」
「グランダの所だ。アイリスには言うなよ」
鋭く睨まれ、ロイツは何の事なのか頭を巡らし、そして微笑み独り言をいった。
「アイリス様……貴方にはかないませんね」
目が覚めるとシャルルの姿は見えなかった。あれからずっと。
もう二週間になる。一人でベッドから起き、侍女が用意した服に身を包む。
「明日は収穫祭ですわね。今年は豊作なのでこの館でお祝いするようですよ?」
侍女が話しかけても生返事になってしまう。
リビングに行くとそこには一人分の食事。シャルルの姿はすでにない。と言うよりも彼の姿をこの二週間見ていなかった。
「ロイツさん、シャルルはどこに?」
ティーカップを差し出すロイツさんんへ私は尋ねる。
「仕事に出られています。収穫後の時期はとてもお忙しいのですが、今年は特に……その色々とされていますから」
「そう」
シャルルに、会いたい。胸の奥が締め付けられる。
「どうかされましたか?」
「彼に会って……謝りたいの」
「謝る? それなら、明日言われては?シャルル様も戻られますよ」
「わかったわ」
「それから、グランダがアイリス様を工房へお呼びになっています。この後、良ければと」
「グランダさんが?……わかった。行くわ」
何の事だろう?
私は食事を済ませ屋敷の裏にある工房へ向かう。工房の扉を開けるとグランダさんが出迎えてくれた。
「奥様、これを見て。どうかしら?」
壁に一着のドレスが掛けられている。母の形見だ。
ただし、白地のドレスは濃紺に染まっていた。
汚された事も綺麗に藍色になり、同色の細かいビーズが上品に刺繍され、キラキラと輝いている。
「藍という植物で染めたの。大急ぎと言わて、みんなで頑張ったのよ? 最後に調整するから着てみて」
「大急ぎ?…私そんな事を言った?」
「っ、しまった。まぁ、とにかく着てみて」
ぎごちなく微笑んだグランダさんに促されて試着する。
よく見ると布地一枚一枚が異なる青色に染められていて、そのグラデーションが美しい。
……すごく手をかけてリメイクしてくれたんだ。
「やっぱり。貴方の綺麗な銀髪が映えるわ」
「ありがとう。こんなに素敵にしてもらって嬉しいわ」
「良いのよ。ぜひ明日の収穫祭で身につけて。髪も結ってあげる。髪をいじるのも上手いのよ」
髪をいじる……シャルルが以前、詫びとして髪をとかされていた事を思い出す。シャルル……。
「奥様、どうしたの?」
「シャルルに会うのが怖い……彼を傷つけたから」
「そうなの? なら明日は仲直りしなくちゃね」
収穫祭の当日、晴天に恵まれ、館は朝から忙しかった。庭園にもテーブルが並び領民達が持ち込んだご馳走で溢れていた。
扉がノックして、私は立ち上がる。
「シャルル……」
違った。グランダさんだった。
「あら。ごめんなさい公爵じゃなくて。調整が終わったからドレスを持ってきたの。……さあ着ましょう」
「やっぱり、またの機会に……」
「駄目よ!今着なくちゃ意味ないの!」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ収穫祭では私たちの技術をお披露目する意味もあるから……とか。とにかく着てちょうだい。私へのお代と思って!」
結局根負けしてしまい、深い濃紺になった母の形見を身につける。さらに髪も編み上げられ、鏡の中の私は別人のようだった。
「髪留めは後でね」
グランダさんが鏡をみて私に告げた。
「……ところで藍の花の言葉を知っている?『美しい装い』それと『あなた次第』と言う意味らしいわ」
一階へ降りると屋敷の窓は開け放たれ、表の庭園まで農民や町人で賑わっていた。
「来られたぞ!」
誰かが叫び人々の間に道ができた。その道の一番奥、黒曜石の瞳が見開いた。
……シャルル。
私を助けた時に着ていた黒い礼装には銀糸で繊細な刺繍が施され、黒が美しく輝く。同色のマントを羽織る彼は黒騎士そのものだった。
息を飲んだ。
彼は私に変わらぬ微笑みを返してくれていた。
「ほら、ぼーっとしてないで行って。公爵の服も今日の為に仕立て直したんだからさ」
グランダさんが、私の肩を押す。
「ほら、こちらへ」
「いつまでも見つめてないで」
部屋の左右に別れた領民達に手を引かれ、私は一歩ずつ前へ歩み、彼の前に立つ。
「アイリス、とても綺麗だ」
「シャルル、私……」
シャルルが優しく微笑んで、私の唇に指を当てる。
「先に謝らせてくれ。侍女に言いつけて君の荷物から持ち出させた」
彼は手にしていた箱を開けた。
それは王城で壊れたはずのブレスレットの瑠璃だった。
「どうしてもこの青を君の髪留めにしたかった」
瑠璃の周りは銀細工と真珠で囲われ、それが美しく瑠璃の青を引き立てる。
「これは……母の形見の?」
「うん。あのままにするには忍びなくてね。君の髪につけてもいいかな?」
「ええ……」
シャルルが私に髪留めを止める。黒曜石の瞳が私を見つめる。
「綺麗だ。よく似合っている、アイリス」
彼はゆっくり息を吐く。
「これは指輪の代わりだ。結婚しよう、今ここで」
私は目を見張る。
「……き、今日は収穫祭のお祝い……じゃなかったの?」
「何を言ってますだ。今日はお二人の式だ」とエルダさんが言う。
「そうそう。この日の為に工房の皆で頑張ったのよ」とグランダさんも言う。
「鹿もたんまり仕留めたぜ」と名を知らぬ若者が言う。
「まずは二人の祝いを」と椅子に座ったアレイさんが言った。
シャルルが領民達に向き直り、深々と頭を下げ、謝意を伝える。
「皆の働きと心遣いに感謝する」
シャルルが私に向き直る。
「アイリス。皆が祝ってくれている。返事は?」
私は泣き出しそうになるのを堪えて、声を振り絞る。
「……ずるいわ。領民を使うなんて」
「『使えるものは何でも使え』が主人の言葉です。早くしないと乾杯ができません。奥様?」ロイツさんが微笑んだ。
私は涙を飲み込み、言った。
「ありがとう。シャルル」
涙を拭い、その言葉を口にする。
「あなたと結婚します」
拍手が沸くのを、シャルルが片手で制す。
「まだ、だ。アイリス、誓いの口付けは?」
「こ、ここでするの?」
「私も神は信じない。ここにいる皆が証人だ」
会場の領民達の期待と眼差しを一身に浴びる。
「ずるいわ」
意を決して目を閉じると、彼の指が私の顎を捕らえた。
「すまない、『悪い男』で」
シャルルはそう言い、彼の柔らかな唇を私は受け入れる。
唇の熱で、歓声と割れんばかりの拍手が響く音が遠くなる。それは彼も同じなのか、手のひらが後頭部と腰を押さえ、口付けは熱く、より深くなる。
彼の温もり。彼の息づかい。彼の鼓動さえも聞こえてくるようで、胸の奥がじんと熱くなる。
腰に回した彼の手が逞しい身体に私を引き寄せる。身体中が熱い。とても……
ゴホン!
ロイツさんが盛大に咳払いを行う。
「お二人とも……そろそろ乾杯をしませんか?」
掛け声に、驚き現実に引き戻される。会場は皆の笑い声に包まれている。
「……っ、ごめんなさい!」
シャルルから離れると彼はロイツをきつい目で睨む。
「もう数分待てないのか?」
「待てません。料理が冷めますし、皆、腹を空かせています」
ロイツさんが澄まして応え、そして人々は持っていたグラスや木のカップを天に掲げた。
『シャルル様とアイリス様に!大地の恵みに!』
領民達に見守られ、シャルルと私は結婚した。
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式の後の二人をお楽しみ下さい。




