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1 望んだはずの婚約破棄

作中に虐待描写があります。苦手な方はご注意下さい。

 こんなはずじゃなかった。


 フランシス王国の王城、豪華絢爛な広間に豪奢な衣装の貴族諸侯と令息令嬢が集う。


 彼らは遠巻きに表向きは微笑みを心の中で嘲笑を浮かべている。


『アイリスこのドレスを貴方に、幸せをつかんで』


 三年前、十六歳のデビュタントで母から贈られたドレスは形見になった。


 それに赤い汚れが広がる。


「あらアイリス・フラワード伯爵令嬢、地味なドレスも少しは華やかになったわね。わたくしのドレスを引き立てるくらいには」


 王太子婚約破棄の宣言の後、カルミアは遠慮なく酒のグラスをわざと私のドレスに傾けた。カルミア公爵令嬢の洗礼。彼女を無視してきた私への意趣返し。


「カルミア様、素敵ですわ。私も華を備えましょう」


 カルミアの取り巻きの令嬢も次々にグラスを傾け、私のドレスを酒で汚す。


「もっと綺麗にしましょう」

「そうですわ可哀想なアイリス様に華を」


 グラスが傾けられ、赤、青、黄色の染みが白いドレスを汚す。


「アイリス。やっと私の髪飾りくらいに綺麗になったわ」


 カルミアの髪飾りは宝石を散りばめた物。それを見せつけるように、指輪を重ね付けた指でいじった。私は『悪女』らしくカルミアをにらんだ。


「なぜそんな眼をするの? 私を引き立てる宝石。……殿下の贈り物を無視したうえ、紳士をたぶらかす悪女にはもったいない名誉よね? もっとも、殿下のお心はわたくしにしか癒せませんけど」


「カルミア。つまらぬ女を引き立てに使うな。俺がお前がより引き立つ宝玉やドレスを買ってやる」


 現れたのはルイ王太子だ。十分前まで婚約者だった男。短い金髪からのぞく紅い眼は冷ややかで、琥珀色の酒をあおりと不敵な笑みを浮かべた。


「アイリス。今後のお前の面倒、俺が見てやる」


 私は眉をわずかにひそめる。私は貴方を断ち切るため『悪』を積み、この日を引き寄せたのよ。


「殿下、この女に温情不要。この女はいやらしくふしだらで、貴方の贈り物でさえ無下にして粗末に扱う『悪女』ですのよ」

「知ってる、カルミア。少し黙れ」


カルミアの茶色の瞳が不満そうに揺らめくが、ルイは気にせずグラスをカルミアに渡して近づいてくる。来ないで欲しいが立場的に動けない。


「アイリス、お前はつくづく愚かな女だ。銀色の髪も碧い瞳も黙していれば綺麗……なのにな」


 ゾワリ、と全身の毛が逆立つ。私の銀髪にルイの手が触れた。


「殿下、いけませんわ。その女の髪に触れては、御身が汚れます。それに殿下は先ほど婚約破棄されましたわ!」

「『知ってる』二度も言わせるな、カルミア」


 カルミアの瞳が見開く。ルイの指先が私の首筋をなで下ろし、真珠のネックレスの先端、胸元に輝く瑠璃に触れた。

 

 気持ち悪い吐息が耳に吹きかかる。


『俺の奴隷にしてやるよ』


 耳元で囁かれた声に吐き気が込み上げる。思い出したくも無いアイツの顔が頭によぎり、身体が動かない。蔑んだ紅い眼と唇が近づく。私は反射的に目を閉じた。


「殿下っ!」


 カルミアの悲鳴。引きちぎられる音に目を開ける。真珠が粒となって大理石の床に落ちていった。瑠璃は?


「ふん。別れの口づけを欲したつもりか? この瑠璃と同じく、大した価値など無いのに」


 あろう事か瑠璃は王太子の手の中だった。王太子は私の宝物をシャンデリアにかざす。


「返して! その瑠璃は母の形見よ!」


 十七歳の冬、無残な姿で亡くなった母との大切な思い出だ。


「お前は、この一年俺が贈ってやった品は何一つとして身付けなかったよな?」

「返しなさい!」

「……お前が俺の妾になるなら返してやろう」


「はっ!?」


 全身から血の気が引いた。相手は王族。伯爵家の私に拒む事などできない。公爵家のカルミアもそれは同じだ。


「で、殿下。私がおりますのよ!」


 カルミアも焦った様子で反論する。


「カルミア、貴方はいずれ俺の正妃となる。こいつは貴方と俺の仲を引き立てるただの石、だろ?」


 カルミアが扇子で私を指さす。


「殿下は酔っていらっしゃるのだわ。この女は『悪女』として名を馳せた女。わたくし達の愛に引き立ては不要ですわ」


「『知っている』くどいぞ、カルミア!」


 カルミアの足元に瑠璃が投げ捨てられ、私はなりふり構わずかけよって形見を拾い上げた。


「拾った、と言う事は俺の妾になるのだな」

 

 背に受けた元婚約者の言葉は酷く冷ややかだった。


「私を脅すの?……やっぱり貴方もアイツと同類だわ」


 アイツ……この場に招かれなかった私の父。十八歳になった去年の春。私はアイツに執務室へ呼ばれた。


『アイリス、お前は美しかった母親に似ている。生意気な口も黙れば瓜二つ。その美しさを買われ王太子の婚約者にご指名頂いた。お受けしろ』


 美しかった?……母を無惨な姿にしたのは夫のアンタなのに? 

 金も力もない私は奥歯を噛み締め、目の前の獣をみらむ。


『嫌だと言ったら?』

『何の為にお前を育てたと? 王太子は金払いが良いのだぞ? 王家と繋がれば、より商会に利があるだろう?』


 目の前の獣はフラワード伯爵家当主であり、王都で最も影響力のあるウィリアム商会の支配者だ。


 支配者は金か……


『それとも私の奴隷になるか? お前の母親が毎晩そうだったように……』


 己の欲望にしか興味がない。


 一年前の鮮明な記憶に吐き気をおさえ、目の前の次期支配者、ルイ王太子を苦々しく見る。紅い眼がわずかに揺らいだ。


「俺の命令に逆らう気か?……俺はこの国の王太子だぞ」

「そこまでだ。ルイ」


 威厳のある一声が静まった広間に響き、王太子が振り返る。


「お前に命じる。アイリス伯爵令嬢を下賜せよ」


 声の主は、ロウアン国王陛下だ。


「父上、下賜など不要だ!……これは俺のです」

「ルイ。王族が容易く前言を撤回するな。それに下賜は元々お前が考えた慣わし」


 王太子整った額を押さえて笑い、私を指差した。


「お戯れを陛下。これは『悪女』ですよ。つまらぬ石です。下賜するほどの価値も無い!」


「ルイ。お前は先ほど『アイリス伯爵令嬢の婚約を破棄し、カルミア公爵令嬢と結婚する』と宣言していたな? 私は一度聞いた言葉は決して忘れぬ」

「父上、ドレスも宝石も少ししか持たぬ、みすぼらしい女をだれがもらい受けると言うのです」


「ルイ。お前の弟、シャルル・マルラン公爵へ」

「は?」

「アイリス。それならば文句もあるまい?」

「お待ち下さい、公爵は継承権を三年前に投げたのですよ?」


「そうだな。だから『悪女』を押し付けるのに丁度良いだろう? カルミア公爵令嬢にとっても引き立てとなるのではないか?」


「父上はなぜアイツの肩ばかり持つのです?」


「ルイ。私が持ったのはお前の肩だぞ。お前はアイリスを嫌って婚約破棄した。そしてお前が嫌った弟に下賜する。それでお前が納得しない理由があるまい」


 ルイ王太子は何も言い返せず、沈黙した。


「アイリス、それで良いな?」


 国王陛下は優しい微笑みを浮かべるが、紅い眼は全く笑っていない。私は震える両手で瑠璃を握りしめ、声を絞り出した。


「か、考えさせて頂くお時間を頂けませんか?」

「もちろんだ。こちらから婚約破棄しておいて、直ぐに嫁げとは言わぬ」

「父上、私は承服致しかねる。王族の責務を捨てた者に下賜など不要です」

「この国の支配者である私が決めた事だ。それに私はお前のわがままを一つ聞いていたよな? これで『借り』はなしだ」

「しかし……」

「くどいぞ、ルイ。皆の者、今私が言った通りだ」


 国王陛下が従者に合図し、夜会はお開きとなった。


***


 逃げよう。物のように下賜されてたまるものか。元々逃げるために『悪女』になった。婚約破棄されたら逃げるつもりで、資金も貯めていた。王城の自室に戻り、トランクにわずかな衣類と着ていたドレスを詰め込む。


 壁に掛けた絵画の裏を探る。封筒は軽い。空だった。


「嘘でしょ?」


 ドレッサーの引き出しの奥も、暖炉のレンガの隙間も、本の中も、テラスの植え込みの土の中も、全て失われていた。ベッドの天蓋の隙間に隠した金のネックレスすらもない。あれは男爵に色目を使って手に入れた物だったのに。


「家探しか?」


 酒臭い匂い。ルイだった。


「なぜ貴方が私の部屋にいるの?」

「『悪女』が王太子をたぶらかし、最後の一夜を誘ったんだろ」


 じわり、とルイが近づき、反射的に一歩下がる。


「探し物はこれか?」


 王太子は手にした皮袋を落とした。金貨が床に散らばる。その中には金のネックレスもあった。


「なぜ貴方が持っているの?」

「お前の侍女達が持ってきたんだよ。お前がドレスを侍女へ下賜せず、いつまでも同じ物を使うから」

「半日おきに衣装替えする貴方と違って大切にしているだけよ」


「大切? ケチ臭いの間違いだろ。下賜で施さない貴族は使用人から嫌われるだけだ。一度も施さなかったお前は侍女達から愛想を尽かされたのだろうよ」


「貯めた額より金貨が少ないわ。侍女が盗んだのよ」

「仕方ないな。施さないお前が悪い。この金貨を稼ぐため身体を使っていたと聞いた。そうまでして俺から逃れたいのか? 俺には一度も触れさせなかったくせに!」


 ルイがあざ笑い、私をベッドに突き飛ばす。天蓋の支柱に背が当った。


「痛っ!」


 ルイに掴まれた顎も痛い。酒臭い匂いに吐き気が込み上げる。


「嫌って、言っているでしょ!」

「お前が悪い。俺以外の男にお前の身体を明け渡したからだ!」

「口だけよ。最後までする訳ないでしょ!男の身勝手な噂よ!」

「試してみればわかるな」


 ルイの唇が再び近づく。


「……っ!」


 その唇に思いっきり噛みつき、足の甲を木靴のかかとで踏みつける。ひるんだ王太子の急所を思いっきり蹴り上げた。


「ぐはっ!!」


 相手が酒を飲んでいたのも幸いして、他の男にしてきた護身術が役立った。ルイがよろめく。


「…………け」

「……出てけ!……今すぐ、俺の前から消え失せろっ!誰か来い!この悪女を捕えろ!」


 王太子の一声は部屋の外で待機していた近衛を呼び込み、私はなす術もなく捕えられてしまった。



お読み頂きありがとうございます。

ブクマ、評価、いいね、感想をありがとうございます。

大変励みになります。


逃げるはずが、捕えられた主人公。絶望的ですが

最後はハッピーエンドです。ご安心してお楽しみ下さい。


ご感想もお待ちしています^_^

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[良い点] 捕まった後どうなるのか気になりました! 面白かったです! [一言] これからも頑張ってください!
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