88.蝦夷汗国の実態《2》
「蝦夷汗国のことを聞きたいのか?」
宇都宮が聞き返してきた。
「そうだ。俺達はこれからすぐに蝦夷汗国を潰しにいく予定だからな」
「そういうことか。ならこれを渡そう」
そう言って宇都宮は懐から手帳を取り出して、俺に手渡してきた。その手帳を受け取ってペラペラとめくりながら、これは何だと宇都宮に尋ねる。
「それは親父が蝦夷汗国についてまとめた手帳だ」
宇都宮の親父というと……藤堂貴樹か。
「親父はいつか蝦夷汗国を潰すために、知りうる限りの蝦夷汗国の情報を手帳に書き出していたんだ」
「ほ~ん」
あいつ、ジパング王国だけじゃなくて蝦夷汗国も潰すつもりだったのか。まあ蝦夷汗国を潰さないと大日本皇国はずっと属国のままだから、わからなくもない。
「じゃあ俺はこの手帳を読んでるから、戦後処理は雫がしてくれ」
「私か? わかった。戦後処理は任せてもらおう」
まさか自分が戦後処理を任されるとは思わなかったのか、雫は面食らった顔をした。だがすぐに真面目な顔になり、気合いを入れるように拳を握る。
雫は信頼出来るし、何より俺の妻だ。だから安心して任せられる。
祖父ちゃんにも雫と結婚することは伝えているので、俺が雫に戦後処理を任せたことを疑問に思ったりはしていない。
というか雫はジパング王国の法務大臣であり侯爵なので、俺と結婚せずとも強力な権力を有している。だから雫に戦後処理を任せても何らおかしくはない。
「俊也! 戦後処理してくるぞ!」
雫は笑顔で手を振りながらチャリオットを出る。それに続いて祖父ちゃんや宇都宮や神楽宮、仁藤さん達もチャリオットを降りていった。
「……イザナミは行かないのか?」
「童といた方が楽しいのじゃ」
このセリフを聞いた思春期のイタい男の子ならば、こいつ俺のこと好きなんじゃね、と思うことだろう。
事実、高校生の頃の俺ならばイザナミに告っていた可能性すらある。そしてフラれる。
だが俺を侮るなかれ。今の俺には愛しの雫がいるから告白なんてことはしないし、そもそもイザナミが俺を好きになるフラグは立っていないから問題ナッシング。
「ここに残っても一向に構わないんだが……邪魔だけはするなよ?」
「邪魔はしないのじゃ。妾は手帳を覗き込みたいだけなのじゃ」
「一緒に手帳を見たいってことか?」
「そうじゃ」
イザナミはコクリとうなずく。
お前には難しい内容が手帳には書かれているぞ、と言いそうになる。だが彼女が見たいと言っているんだから、お前には無理だとはなから否定するのは酷というものだ。
案外とイザナミの頭が良いという可能性もあるからな。
「OK。一緒に見るか」
「了解なのじゃ」
というわけでイザナミが俺の肩に顎を乗せて、俺が手に持っている手帳を覗き込んだ。
イザナミにも見えやすいように手帳を少し傾けつつ、ページをめくっていく。
意外にも藤堂貴樹の字は綺麗だったので、手帳に書かれている文字は非常に読みやすい。字が綺麗なのがなんか気に入らないな。
まあ独特な字ならば読みにくいから、読みやすい文字であることに越したことはないんだが……あいつの字が綺麗だというのがムカつく。
「童よ、ページをめくらないのか?」
イザナミにそう尋ねられたことで藤堂のことを考えるのをやめ、また手帳をめくって次のページに目を通していく。
…………それにしてもすごいな、この手帳は。蝦夷汗国の情報が事細かく記載されている。
例えば、蝦夷汗国に所属する誰々がこういう効果の異能を持っている、ということがくわしく書かれているのだ。
藤堂は『鑑定』の異能をコピーしていたため、見ただけで相手がどんな異能を持っているのか把握出来る。それによって得た情報を、逐一手帳に書き込んでいたのだろう。
しかし残念なことに蝦夷汗国のカン、つまり王がどんな異能を持つ覚醒者であるのかは記されていない。ページをめくって探しても、カンの情報は少ししか記載されていなかった。
俺は蝦夷汗国の君主であるカンについて知りたかったんだが……。
知りたかった情報が書かれていないので少しショックを受けた。が、それでも充分過ぎるほどの情報が手帳には書かれている。
他にも例を挙げるならば、蝦夷汗国の本拠地の場所や蝦夷汗国の統治体制などがくわしく書かれていた。
それによると蝦夷汗国の本拠地は札幌にあるらしい。そして蝦夷汗国の統治体制は封建制、というよりは連合と言うべきか。
つまり、蝦夷汗国はまったく中央集権が出来ていない!
というのも、どうやら蝦夷汗国はいくつかのモンゴル人の部族によって構成されているようだ。
それらの部族の中でも、飛び抜けてではないが他の部族よりも強い武力を持つ部族があった。そしてその部族の部族長であるゾリグという男が蝦夷汗国のカンになることとなり、ゾリグ・カンと名乗るようになる。
要はゾリグ・カンが蝦夷汗国のトップというわけだ。
しかし……ゾリグの部族が強いのは他の部族より人数が少し多いというだけである。ぶっちゃけると、ゾリグの部族と他の部族との間に武力などの差はほとんどなく、対等と言っても差し支えない。
そのため他の部族が好き勝手したとしても、ゾリグ・カンがそれを強く非難することが出来ないというわけだ。
で、これを踏まえた上で聞いてほしい。なんと藤堂はゾリグの部族ではなく、他の部族に協力を要請したらしい。そう手帳には書かれていた。
で、藤堂に協力を要請された部族は…………ゾリグ・カンに許可を取ることなく騎兵隊を自称革命軍の元に派遣したんだってさ。
そんでもって派遣された騎兵隊は日本国政府を倒したあとも蝦夷汗国に帰還することはなく、自称革命軍が大日本皇国を興す場に立ち会い、果てはジパング王国の国境線を越えて大日本皇国軍とともに侵攻してきた。
これさ、ゾリグ・カンのあずかり知らぬところで蝦夷汗国が大日本皇国と連合してジパング王国を攻めているってことじゃん。
……頭が痛くなってきた。
もう滅茶苦茶じゃねぇか! 藤堂め、よくもこんなに状況を複雑化しやがって!!
蝦夷汗国が日本の内戦に軍事介入し、なおかつ大日本皇国と連合してジパング王国に侵攻しているということが、蝦夷汗国の君主であるゾリグ・カンの耳に入っていない可能性があるというわけだ。
うーんこの……。
せめてさぁ、国を名乗るならある程度他の者達が好き勝手しないように統制しておいてほしいんだけど。
でもこれで一つの疑問が解消したな。手帳にゾリグ・カンの情報が少ないのは、そもそも藤堂がゾリグ・カン本人に会っていないからか。
……そんな疑問が解消したからといって、なんにもならないんだけどね。
マジで頭痛いよ。手帳なんて読まなけりゃよかった。
というか、天竜川での戦いの前に俺が捕らえたモンゴル人の男からは、藤堂がゾリグの部族ではない部族に協力を要請したという情報は引き出せていないな。
何でだ?
……いや、そうか。俺が捕らえたモンゴル人の男の立場は蝦夷汗国ではかなり下の方だ。だからくわしいことは教えられず、ただ命令通りに行動していたということだろう。
「マジでやべぇよ! クソッタレ!」
俺は手帳を閉じて頭を抱えた。
蝦夷汗国を構成する複数の部族のうちの一つしか藤堂に協力していない。だから蝦夷汗国自体をぶっ潰すことは難しい。口実がないからだ。
国際法とかはもう無いから蝦夷汗国をぶっ潰すことは出来るんだが、その場合は蝦夷汗国のモンゴル人達が俺を恨むはずだ。
俺は蝦夷汗国のモンゴル人達を配下にして騎兵隊を結成させたいので、蝦夷汗国のモンゴル人達には恨まれたくない。
誰だって、いつか裏切る可能性がある者を配下にはしたくないだろ?
しかも結成した騎兵隊は、ゆくゆくはジパング王国の陸上での主力となるはずだ。その主力部隊には俺を裏切る可能性があるとか、それどんな悪夢だよ。
だから蝦夷汗国は潰せないし、かと言って放置すればジパング王国は面目丸潰だ。
自称革命軍に騎兵隊を派遣した部族だけを潰せたらいいんだが、それだと逆に蝦夷汗国の面目が潰れてしまうのでゾリグ・カンが許容するわけがない。
やべぇ。これ詰んだわ。