8.逃走劇
なぜ、なぜこの世界はこんなにも理不尽なんだ。
俺はまさにこのような理不尽に立ち向かうために、力を欲したのに。
悔しい……。悔しい悔しい悔しい悔しいっ!
すると黒い悪魔は俺を視界に収め、力に圧倒されて震える俺を馬鹿にするように小さく笑う。
「どうした、矮小なる人の子よ」
黒い悪魔の馬鹿にしたようなその声が、誰かに似ている気がすると思った。
誰だったかと記憶を探り、そして怒りという感情が俺を支配していく。
あいつだ、あいつらに似ている。避難所にいる奴らに! 何もしてないのに文句だけ一人前のあの害獣どもに!
殺したい、殺す、死ね。理不尽なんて俺がぶっ壊す。力の差なんて関係ねぇ。絶対にこいつをここでぶっ殺すっ!
「上等だよ、クソ鳥! その喧嘩買ってやる!」
俺はインテリジェンス・ソードを怒りの籠もった拳で強く握り、その剣先をクソ鳥に向けた。
「くたばれクソ鳥!」
リビングアーマーの補助によって高く跳躍した俺は、クソ鳥の頭部目掛けて大上段からインテリジェンス・ソードを思いっきり振り下ろした。
その後受け身を取って着地し、クソ鳥の状態を確かめる。
「嘘……だろ……」
そこには無傷のクソ鳥が立っていた。俺の本気の一撃を意に介した様子はまったくない。
「ふむ……? 今なにかあったのか? 頭が痒いくらいだが……」
不思議そうな雰囲気のクソ鳥だが、口元はニタニタと緩んでいる。こいつ、煽っていやがるのか!
だが攻撃力が明らかに足りない。これではクソ鳥に傷を作ることすら出来ないだろう。それだけは認められない。
例え死ぬとしても、一矢報いてやる。
「では今度はこちらの番だな」
クソ鳥が突然足を振り上げ、俺は咄嗟にインテリジェンス・シールドを召喚して攻撃を受け止めた。
「ぐっ……!」
インテリジェンス・シールドでクソ鳥の足を受け止めるまでは良かったが、衝撃を往なしきれずに後方に吹き飛んでしまった。
「脆い、実に脆いぞ人間! 大口を叩いても所詮はその程度か!」
チラリとクソ鳥を見るが、『反射』のスキルでダメージを反射させたはずなのに傷付く様子は見受けられない。クソッタレめ、強すぎんだよ!
こうなったら手持ちの魔石をインテリジェンス・ソードに吸収させて攻撃力を上げるしかない。だけどその隙をクソ鳥が見逃すはずもない。
ならばクソ鳥から一旦距離を取った上で魔石を吸収させるしかないか。
「ハイ・オーク、ホブ・ゴブリン! クソ鳥を足止めしろっ!」
「ブモオオオオォォォォォォゥッ!!」
「グギャアアアアアァァァァァァァァァァッ!!」
召喚されたハイ・オークとホブ・ゴブリン達は勇ましく声を上げ、それを合図として配下とともにクソ鳥へと突撃していった。
俺はハイ・オーク達の勇姿を目に焼き付けてから体を後ろに向けると、全力で逃走を開始した。
プライドなんてもうとっくの昔に捨てている。俺は地べたを這いつくばってでも勝利をもぎ取ってやる。
「逃げるのか、人の子」
走りながら肩越しに振り返ると、クソ鳥はハイ・オーク達の攻撃を回避しながらじっとこちらを見据えていた。
その鋭い眼光に射貫かれた俺は怯み、一瞬だけ恐怖心が怒りを上回って体が強張る。
体が動かない……。これはクソ鳥のスキルか何かか!?
動け、動けよ俺の体っ!
「……ブモゥ!」
そんな俺の様子に気付いた一体のハイ・オークの視線が俺の視線とぶつかった。彼は何かを覚悟した顔でクソ鳥に単身で突っ込んでいった。
あいつは……最初に手に入れたハイ・オークだ。
モンスターを召喚して触れ合うようになってわかったが、モンスターにはそれぞれちゃんとした個性がある。
そしてあのハイ・オークの頬には古傷が付いている。間違いなく、あいつは俺が最初に手に入れたハイ・オークのカードだ。
そいつは最後に俺に目を向けて、悔しそうに涙を流しながら笑った。元気でな、と言うように右手を振ったハイ・オークは、クソ鳥の胴体に拳をめり込ませた。
その瞬間、体の硬直が緩んだ。それを見逃さず、瞬時に力を振り絞って前に進む。動けるようになったのでオルトロスを召喚し、強引に背中にしがみついてクソ鳥から全速力で逃げるように指示を出した。
それから数秒もしないうちに、ガラスが割れるような音が聞こえてくる。ポケットからカードを取り出した俺は、頬に古傷が付いたハイ・オークのイラストが描かれているカードから色が失われて白黒になっていることに気付く。
白黒になったカードは、モンスターが死亡した証だ。以前召喚したゴブリンを殺してみたら、カードが白黒になったから間違いない。
……あのハイ・オークが最後に見せた涙が、モンスターにも感情があることを如実に物語っていた。
悔しい。仲間に守られないと戦えない自分が情けない。
涙が流れてそれを拭おうと左手をオルトロスの背中から離したら、片手だけではしがみついていられずにオルトロスから転げ落ちた。
ひび割れたコンクリートの地面を拳で何度も叩き、声を押し殺して泣いた。声を出したらクソ鳥に居場所がバレるかもしれない。
無駄なことかもしれないが、足止めしているハイ・オーク達の犠牲を無駄にはしたくない。
オルトロスは俺が流す涙を舌で舐め取っている。彼なりに俺を慰めているのだろうか。
仇だ、仇討ちだ! クソ鳥は必ずここで殺す!
俺は収納カードからありったけの魔石を取り出し、インテリジェンス・ソードに吸収させていく。
種族:インテリジェンス・ソード
ランク:D
攻撃力:1475(948UP!)
防御力:1725(948UP!)
【スキル】
●装備者強化・剣術
●浮遊
攻撃力が以前の約2.8倍くらいになった。コツコツと魔石を貯めていたお陰だ。
だが足りない。本能が俺に告げているのだ。インテリジェンス・ソードの攻撃力が2.8倍になった程度ではクソ鳥に傷を付けることすら出来ない、と。
ならば逃げながらDランクモンスターを狩って魔石をドロップさせるしかない。それしかあのクソ鳥に勝つ方法がない。やるしかないんだ。
腐肉喰いを召喚して俺の胸ポケットに入れ、オルトロスに跨がる。
「腐肉喰いはモンスターがたくさんいる場所に案内してくれ。オルトロスは腐肉喰いの指示に従って道を進め」
両者がうなずいたのを確認した俺はオルトロスにしがみつく。腐肉喰いは俺の胸ポケットから顔だけを出してオルトロスにどこへ行くか伝えている。
「行け、オルトロス!」
「ガルゥ」
クソ鳥に聞こえないように小さく鳴いたオルトロスは地を蹴り、猛スピードで道を進む。曲がる際も減速せずに強引にカーブをして乗り切った。
俺はその間必死にしがみつき、振り落とされないように腕に力を込めていた。
明日筋肉痛になりそうだ。……明日まで生きていたら、だがな。と俺は心の中で付け加えた。
「キュウッ!」
腐肉喰いの可愛らしい鳴き声が聞こえたので顔を上げて閉じていた目を開けてみると、野生のDランクモンスター達が大乱闘を繰り広げていた。
なぜ乱闘をしているかはわからんが、縄張り争いか何かだろう。
それよりも、この場にDランクモンスターが十二体もいるぞ。こいつらを一掃してドロップした魔石もインテリジェンス・ソードに吸収させるか。
戦闘に巻き込まれたら確実に死ぬであろう腐肉喰いをカードに送還し、手元に残していたハイ・オーク達を召喚する。
「オルトロスとハイ・オーク達は遊撃を任せるぞ!」
俺はそう言い終わるや否やインテリジェンス・ソードを片手に乱闘に突っ込み、手当たり次第にモンスターを倒していく。
乱闘していたモンスター達の健闘及ばず俺に切り捨てられ、ハイ・オークに頭を握り潰され、そしてオルトロスに食い千切られていく。
その場にいたモンスターを殲滅すると、ハイ・オークがドロップした魔石を拾ってくれた。
ドロップしたのは全て魔石だ。いつもはカードやモンスター肉などがドロップしないとハズレたと残念がるが、今は好都合だ。インテリジェンス・ソードは魔石しか吸収しないからな。
早速ドロップした魔石をインテリジェンス・ソードで切断していく。攻撃力が急激に上がったので地面まで切断してしまったが、徐々に慣れていって力を制御するしか方法はない。
「沈んだな」
夕日が完全に沈んだ。先ほどから暗かったが、これで月明かりだけで前に進むしかなくなったわけだ。
肩を落とすが、手を止めずに魔石を切断する。
五つ目の魔石をインテリジェンス・ソードが吸収した時に異変は起こった。インテリジェンス・ソードのカードが今までよりも強く発光したのだ。
何が起きたのか確認するため、インテリジェンス・ソードのカードを取り出してステータスに目を向ける。
種族:インテリジェンス・ソード
ランク:D
攻撃力:1500(25UP! MAX!)
防御力:1750(25UP! MAX!)
【スキル】
●装備者強化・剣術
●浮遊
攻撃力が1500の大台に乗ったのは良い。問題はその横だ。そう、MAXと表示されているのである。インテリジェンス・ソードで魔石を切断しても吸収されないし、攻撃力も防御力も上がらなかった。
もうインテリジェンス・ソードは成長限界に到達したということだ。
クソ鳥相手にたった1500の攻撃力で太刀打ち出来るわけないことは嫌でもわかる。万策は尽きた。
どうする、どうすればいい!?
と、その時だ。ガラスが割れるような音が立て続けに何度も耳に入ってくる。
白黒になったカードはハイ・オークとホブ・ゴブリン。おそらく、クソ鳥を足止めしてくれていた奴らだろう。
………………嫌な予感がする。
「───遊びは終わりか、童よ?」
太陽が沈んで暗くなった空から突風とともに声が聞こえ、見上げてみればホバリングしたクソ鳥が間近にいた。
突風はクソ鳥がホバリングしているために起こっていると思われる。
「死ぬ覚悟は出来たな? では、さらばだ」
クソ鳥は俺のいる場所に降りてくる。それもものすごいスピードで。
体は動かない。別にさっきみたいに体が硬直したわけではなく、ただ単に恐怖で体が動かないのだ。
どうやらオルトロスやハイ・オーク達も俺と同じように動けていないようだ。そうだよな、恐怖心に打ち勝って咄嗟に他人を庇えるわけないよな。
さて、俺はここで死ぬようだ。
「フフフ……」
自嘲気味に小さく笑った俺は、ゆっくりと目を閉じて───。