85.神楽宮義仁
「裏切っちゃった。ごめん、兄さん」
通路の奥から現れた男性を、宇都宮は兄さんと呼んだ。
宇都宮が兄さんと呼ぶ存在は二人いる。宇都宮は三男なので、長男と次男を兄さんと呼ぶはずだ。
そして藤堂の長男は儂がエネルギーを放出して殺したので、つまり目の前にいるこの男は藤堂の次男ということになる。
「勇仁が裏切るとは思わなかったな」
勇仁? 勇仁ではなく勇仁だと?
藤堂の次男が宇都宮のことを勇仁と呼んだ。だが宇都宮は勇仁と名乗っている。
おそらく本名は勇仁であり、名前の読みを勇仁にしたのは皇族っぽくするためなのだろう。
「チッ! 勇仁が裏切ったのならば二人まとめてあの世行きだ!」
そう言いながら藤堂の次男が手を上げると、藤堂の次男の背後から続々と武装した者達が姿を現してきた。
「手助けはいるか?」
「いらん! 邪魔だから離れていろ!」
手助けがいるかどうか宇都宮は聞いてきたので、彼には離れておくように言う。広範囲攻撃をする場合は宇都宮が邪魔になるのでな。
「……わかった。下がっていよう」
宇都宮は革命軍の元リーダーであったという自負からか、邪魔だから離れろと言われたことが納得いかない様子だ。
だが自分と儂との間の実力に大きな開きがあることは理解しているようで、渋々ながらも儂の言う通りに離れていった。
「こっちは何十人もいるのに、そっちはお前一人だけで大丈夫か?」
藤堂の次男はそう問いかけてくる。
「心配無用だ。儂は強いからな」
「そうかい。──俺は革命軍副長にして、大日本皇国の第二皇子。名を神楽宮義仁。お前は?」
「儂か? 儂はジパング王国の義勇兵にして、塚原家第十一代目当主。塚原流を受け継ぎし塚原俊介だ」
塚原流とは、塚原家に伝わるいくつかの古武術の総称だ。
塚原家に伝わる古武術には当初は名前など付いていなかったが、三代目の当主が塚原家に伝わる古武術を塚原流と名付けた。
三代目当主によると、名付けた理由は塚原家の威光を強化するためらしい。だが三代目当主は現代で言うところの中二病を患っていたようだから、本当の理由は別にあるのだろう。
古武術に名前を付けるのはいいんだが……もっとマシな名前にしてほしかった。訓読みを音読みにしただけじゃないか……。
三代目当主のネーミングセンスが壊滅的なせいで、俊也は恥ずかしいからと言って頑なに塚原流と呼ぼうとはしない。
まあ俊一も若い頃は塚原流とは呼ぼうとしなかったから、俊一の息子である俊也が塚原流と呼ばないのは当然といえば当然か。
でも俊一は20歳くらいから塚原流と呼ぶようになったのに対して、俊也はすでに26歳なのに塚原流と呼ぼうとはしていない。この差はなんだ。
いや、これは今考えるべきことではないな。
儂は思考を切り上げて、神楽宮義仁と名乗る宇都宮の兄に目を向けた。
儂はファイティングポーズをとってから
「推して参る」
と言った。
背後には宇都宮がいるため、儂は前方に向かって扇状にエネルギーを放出した。すると神楽宮達は勢いよく後ろに吹き飛んでいく。
だが神楽宮だけはギリギリで耐え、逆にこちらに向かって突進してきた。
「革命軍の二番手を舐めるなよっ!」
二番手は威張れるほどのものではないと思うのだが、神楽宮本人が革命軍の二番手であることを誇りに思っているようだ。
なので儂は指摘をせずに無言で両拳にエネルギーを集め、こちらに突っ込んでくる神楽宮に向かって拳を突き出した。
そうしてエネルギーを集中させることによって強化された筋力により繰り出されたパンチは神楽宮の顔面に吸い込まれるように直撃する。
「ぶほぁ!」
顔面に拳を叩き込まれた神楽宮は変な悲鳴を上げ、鼻から血を吹き出しながら地面に倒れた。
「無力化完了」
と儂が神楽宮を見ながら言う。
自分のことを革命軍元副長や革命軍の二番手とか言っていたから、おそらく神楽宮は戦闘向けの異能を持っているのだと思われる。
だが結局は、神楽宮が異能を発動する前に倒してしまったな。
「で、宇都宮よ。聞くが、大日本皇国の中心メンバーはお前と神楽宮以外にいるか?」
拳に付いた神楽宮の鼻血をポケットから取り出したハンカチで拭きながら、大日本皇国の中心メンバーについて宇都宮に尋ねる。
「大日本皇国の中心メンバーは僕とそこにいる義仁兄さん、それと藤仁兄さんと藤堂の四人だけだよ」
「藤仁? 誰だ?」
「義仁兄さんの兄さん。つまり長男」
儂はなるほど、と言って相槌を打つ。
藤仁と藤堂はどちらも儂らが殺したから、大日本皇国の中心メンバーで生き残っているのは神楽宮と宇都宮の二人だけだな。
それにしても、藤堂の長男は藤仁という名前なのか。まあどうでもいい情報ではあるが。死人の名前を知ったところで、へーそうなんだ、としか思わん。
「じゃあ神楽宮が意識を取り戻す前に縄で縛っておくか」
一応は大日本皇国の天皇である藤堂と、皇位継承権一位の藤仁が死んだので、消去法でいくと現在の大日本皇国のトップは藤堂の次男である神楽宮ということになる。
だから大日本皇国の暫定的トップとして神楽宮を捕縛するのだ。
「義仁兄さんを縄で縛る必要はない」
儂が縄を持って神楽宮に近づくと、それを宇都宮が止めた。
「なぜだ?」
「僕も義仁兄さんも父親のことが嫌いだったからね。藤堂が死んだとわかれば義仁兄さんは協力的になるよ。僕も藤堂が死んだとわかったからこそ協力的になったわけだし」
だから宇都宮は素直に地下まで案内してくれたのか、と納得する。急に協力的になったから不思議だったが、そういう理由があったんだな。
「僕と義仁兄さんが大日本皇国側だったのは、藤堂に国の運営を任されていたからだ。藤堂の方が強いから、逆らえずに大日本皇国にいたんだよ」
「要するに、神楽宮はまだ藤堂が生きていると思ったから宇都宮が裏切ったことに驚いていたのか」
「そういうこと。藤堂が殺人犯として捕まったせいで僕達の人生は狂わされたんだ。だから僕は藤堂を殺してくれたジパング王国に感謝しているし、藤堂を殺してくれたことを知ったら義仁兄さんも間違いなく協力的になる」
こちらに敵対的だったから神楽宮を縄で縛ろうとしたわけだが、そもそも宇都宮も最初はこちらに襲い掛かってきた。
しかし今では宇都宮はこちらに協力的だから、襲い掛かってきたという理由だけで神楽宮を敵だと決めつけるのはおかしいな。
彼ら兄弟も儂ら家族と同じで、藤堂の被害者という点は変わらないのだ。
「そう考えると藤堂の長男を殺してしまったが……悪いことをしたな」
藤堂の長男も神楽宮や宇都宮と同じく、藤堂に無理矢理言うことを聞かせられていたのかもしれない。
「藤仁兄さんのことは気にしなくていいよ。あいつは藤堂に媚びを売って偉そうにしていただけだから」
そう吐き捨てた宇都宮は忌々しそうに顔を歪めていた。
「そ、そうか……」
我が家と同様に、この者らの家庭環境は本当に複雑だな。
「ぅ、う~ん……」
この二人の兄弟は藤堂のせいで人生を狂わされたのによく自殺なんかせずに生きてこれたな……と感心していると、その兄弟の片割れである神楽宮が目を覚ました。
「おはよう、兄さん」
「ゆ、勇仁か……」
そう言って神楽宮が上体を起こす。そして儂を視界に入れると、途端に警戒したように飛び起きて距離を取った。
「神楽宮への説明は宇都宮に任せたぞ。儂は日本国政府の者達が囚われている場所へ向かう」
「わかった。君が帰ってくる前に兄さんへの説明を済ましておこう」
儂は神楽宮の横を通って通路を歩いて進みながら、宇都宮に向かって後ろ手に手を振った。
それからある程度通路を進むとコツコツという儂の足音が反響しているだけで、それ以外の音はまったく聞こえてこなくなる。
ついさっきまでは、会話の内容まではわからないが神楽宮と宇都宮の話し声が聞こえていた。だが今は儂の足音がただただ通路に響いているばかりだ。
だが、かろうじて感じ取れる程度ではあるが、通路の奥から物音が聞こえたような気がした。
「もうそろそろ、ということか」
そう呟いてから数分もしないうちに目の前に分厚い鉄扉が現れ、儂はそこで立ち止まる。
そして扉のノブに手を掛けたのだが、鍵が掛かっていたようであり扉は開かない。なのでエネルギーを足に集め、鉄扉を蹴破った。
鉄扉の残骸を跨いで部屋の中へと入ると、何十人もの屈強な男達が一斉に儂に視線を向けてくる。女もいるが、圧倒的に男の数が多い。見るからに外国人の者もいるな。
この者らが大日本皇国に囚われている日本国政府の者達か。
男が多いのは、ほとんどが日本国政府の兵士だからなのかな。知らんけど。