73.別れ
フラガラッハの剣身が折れたのと同時に、ガラスが割れるような音が聞こえてくる。
そしてフラガラッハに当たったことにより軌道が逸れた偽フラガラッハは地面に突き刺さった。
フラガラッハが死んだ……。
俺は血の気が引いて顔が真っ青となり、膝から崩れ落ちそうになる。
だが悠長にしてはいられない。俺は迫り来る偽フラガラッハを回避し、急いでグリフィスを召喚して飛び乗った。
「カヤと河童はあの男を足止めしろ! グリフィスはマヨヒガに向かって飛べ! クロウも先輩と神谷を乗せてマヨヒガに行け!」
俺は退却することは選んだ。
だって仕方ないだろ。軽装備の男を倒すことは不可能だ。あいつは強すぎる。勝てる気がしない。
「グルゥ」
元気出せよ。グリフィスにそう言われているような気がした。
「……ありがとよ、慰めてくれて」
俺はグリフィスを撫でた。するとグリフィスは、撫でている俺の手に頭をすり付けてくる。撫でられるのが好きなんだろうな。
そんな時、またガラスが割れる音が耳に入った。
……俺は嫌いだな、この音。
そんなことを考えながらグリフィスを撫でるのをやめて懐からモンスターカードを取り出すと、白黒のカードが二枚あった。
一つはフラガラッハ。そしてもう一つが──
「嘘……だろ……」
───カヤのカードだった。
軽装備の男の足止めに失敗したのか!
「すまん、カヤ……」
俺は涙を堪える。
フラガラッハも殺され、続いてカヤまで殺された。
「クソッ! クソックソックソッ!」
拳を握り、唇を噛む。
河童は特殊だから死んでもCランクモンスターの魔石を捧げれば蘇る。だがフラガラッハやカヤは生き返らないんだ。
クソッ!
河童の『墜ちし水神の意地』の効果が切れる前にマヨヒガに逃げ込まないと、俺達が軽装備の男に殺される。
……やはり、強い者こそがこの世を制するんだな。
俺は自嘲する。
俺は強いが最強ではない。だから俺ではない最強が世界を制するのだ。
───パリンッ!
またか!?
俺が手元のモンスターカードに目を向けると、河童のカードからは色が失われていた。
「ヤバい! グリフィス、クロウ! もっとスピード上げろ!」
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
足止めを任せたカヤと河童が死んだ。ということは軽装備の男が俺達を追い掛けてくるということだ。
今追いつかれたら、俺達は全滅するぞ!
そう焦っていた時、背後から叫び声が聞こえてきた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」
もう来やがったか!
肩越しに振り返ると、軽装備の男が偽フラガラッハを片手に空を飛んでいた。
「どうするマスター!」
「クロウはマヨヒガには行かず、先輩と神谷を乗せて遠くへ逃げろ! 今度は俺が足止めをする!」
こう言えば、クロウは俺の考えていることを理解するはずだ。
俺が足止めをするということは、フラガラッハやカヤのように俺が殺される可能性が高い。
俺が死んだら使役しているモンスターも死ぬ可能性があるため、マヨヒガに逃げ込むのは愚策だ。だからこそ、クロウには先輩と神谷を乗せて遠くへ逃げろと言ったのだ。
どうやらクロウは俺の言いたいことを理解したようで、悲しそうな表情のまま首を縦に振った。
「健闘を祈るぞ、マスターよ」
「祈られたよ!」
そう言いながら俺は収納カードから『名もなき英雄の剣』を取り出す。
『劣雷槍』でもいいのだが、先ほど『擬神罰』を発動してしまったので帯電状態ではなくなってしまった。
なので『名もなき英雄の剣』をフラガラッハの代わりの武器として使うことにする。
「グリフィス! 『先祖返り』を発動させろ!」
もうクールタイムである二時間は過ぎている。ならば『先祖返り』を再発動出来るはずだ。
「グルルルル!」
思った通りグリフィスは『先祖返り』を再発動し、グリフォンへとランクアップした。
俺はグリフィスを撫でながら、空を飛ぶ軽装備の男を見据える。
もし軽装備の男に突撃すれば、十中八九俺は死ぬ。だが恐怖心はない。それは『名もなき英雄の剣』を装備することによって付与される『英雄』のスキルのお陰だろう。
「俊也! 戻ってこい!」
先輩が俺を引き止める声が聞こえるが、それは無理だ。ここで俺が足止めをしなければ先輩が危ないんだ。
先輩を守るためなら、俺は死ぬことだって厭わない。それくらい先輩が好きなんだ。
だから自分の命を犠牲にしてでも先輩を守る!
「もし生き残ったら結婚してくださいね!」
俺は振り返らずに言った。そして先輩の返事を聞く前にグリフィスに指示を出す。
するとグリフィスは指示通り、軽装備の男に突っ込んでいく。
「いけええぇぇぇ!!」
だが、そこで軽装備の男は予想外の行動を取った。
なんと俺ではなくクロウの方にに狙いを定めたのだ!
「クソッタレ! やめろっ!」
俺は止めようとするが、時すでに遅し。
投げられた偽フラガラッハは──
───クロウの背中に乗る先輩の胸部を貫いた。
「せ……先輩? え?」
腕がだらーんと脱力した先輩はクロウの背中から滑り落ち、空中を落下していく。
「先輩!」
俺はグリフィスから飛び降りる。
身を縮ませて空気抵抗を減らすことで落下スピードを早めて、それにより地面に落下する前に先輩に追いついた。
そして空中で先輩を抱きかかえ、先輩に衝撃がないように注意しながら着地をする。
顔を上げると、目の前にはマヨヒガがある。マヨヒガの近くに着地出来るように落下中に調整したのだ。
俺は先輩を抱えてマヨヒガの門をくぐり抜けて屋敷の中に入り、居間の床上に先輩を横たえる。
「先輩!? 俺の声が聞こえますか!?」
「ぅ……」
「先輩!?」
「しゅ、俊也……か?」
「ええ、俊也です!」
俺は先輩の意識があることにホッとしながらも、収納カードからポーションを取り出して先輩の胸に掛ける。
「クソッ! 駄目か!」
ポーションを掛けても先輩の胸の傷は塞がらない!
「俊也……わ、私は死ぬ…………のか?」
「先輩のことは死なせません!」
「いい……いいんだ、俊……也……。ほ、本……当のことを……言って…………くれ」
本当のこと……。
先輩の胸を見る。先輩の胸には穴が開いていて、血が大量に溢れ出ていた。
俺は目に大粒の涙を浮かべて、歯を食いしばる。
「先輩は……おそらく、もう…………長くはないと思います」
「そう、か。意外……ではない、な……。何となく、わかって……いたよ」
先輩は涙を流しながら目を閉じた。
「俊也……お前に…………伝え、ておくこ、とが……ある」
「何ですか?」
「実は、な。わ、私も……お前のこと、が……好き、なんだよ」
「え?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「もっと……ロマンチックな、告白が良かった、からな。だか、ら私は……こ、告白を、保留にした、んだ」
途切れ途切れだが、先輩は話し始める。
「好き、だった。大学、の時から……ずっと、私は、俊也のこと、が…………好きだった」
「あ……あぁ……」
先ほどから、涙を堪えていた。泣かないように、泣いて先輩を心配させないように。
だが、駄目だった。ダムが決壊したように、涙が溢れてくる。
「お、前は……男、だろ? 男なら……泣く、な」
「ぁ……そ、そうですね……先輩」
「なあ……俊也」
「なんです?」
「た、頼み……がある、んだ」
先輩は閉じていた目を開き、俺の目を見る。
「……俊也に…………名、前で、呼ばれ、たい」
「名前、ですか?」
「あ、ああ…………」
名前を呼んでくれと言われるとは思わなかったから少し驚く。
そして先輩のことを一度も名前で呼んだことがなかったので少し躊躇いつつも、俺は先輩の名前で呼んでみる。
「雫……さん」
「さん、は……付けな、いで……くれ。敬……語も、だ」
「じゃあ……雫」
すると先輩──もとい雫は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「大好、きだ……よ、俊也」
「俺もだ、雫」
そうしてお互いに見つめ合う。
───その時、雫に異変が訪れた。
「ぐっ……ゲハッ!」
そう咳き込んで血を吐いた雫の顔は徐々に青くなっていき、瞳からは光が失われていく。
「もっと……生き、たかった、な。もっと、俊也、とデートも……した、かった…………」
「おい! 雫!? 待て、待ってくれ! 嫌だよ! こんな別れ方は!!」
「私、も……嫌だ、よ。でも……無、理み……たい、だ」
俺は雫を抱きしめて鼻水を垂れ流しながら、みっともなく泣き喚いた。
「せめ、て……しゅんや……は生き、ろ……よ」
そう言い切った彼女の体からは次第に力が抜けていく。満足そうな顔で俺に微笑みかけたのを最期に、雫は物言わぬ亡骸と成り果てた。
「あ゛あ゛あ゛…………」
何を言っても、彼女はもう言い返してくることはない。心にポッカリと穴が空いたような喪失感を感じて、俺は身を震わせて慟哭する。
……俺はその日、再び最愛の人を失ったのだ。
この展開を不快に思った方に謝罪申し上げます。次話から流れが変わってくるので、それまで待っていただけると嬉しいです。