36.蜃の分身
蜃の街へ遊びに行く前にやること。つまり、Cランク最強のモンスター・イザナミの召喚だ。
イザナミは清楚な外見なので昨日から召喚を楽しみにしていたんだ。蜃の街にも興味はあるが、イザナミの召喚が先である。
俺はイザナミのカードを手に持って、召喚するように強く念じる。そうすると周囲が光に包まれた。
通常のモンスターを召喚する際の発光より光が強い。イザナミが特別なのかな。Cランク最強モンスターなんだし。
そうして召喚されたのは、清楚で袴を着たイザナミ。彼女は不思議そうに辺りを見回し、そしてふと何かに気付いたかのように自分を見下ろした。
「……何なのじゃ、これは? どうなっている?」
イザナミは驚愕したような表情になり、それから顔を上げて俺を見つめる。
「お主か?」
「え?」
「お主が妾に枷を掛けておるんじゃな?」
「??」
何を言っているのかわからないから首を傾げていたら、イザナミは怒気を含んだ声で再度同じ質問をしてきた。
「お主が妾に枷を掛けておるのじゃろ!?」
え!? 待って待って何で怒ってんのさ!?
「そうか、お主か。お主を殺せば枷は外れるのじゃな?」
イザナミが何かやばいことを口走っているので、念のためリビングアーマーとフラガラッハを装備しておく。
『名もなき英雄の剣』は元から腰に下げているし、エルダートレントには事前に祝福されている。万が一があっても即死はしないだろう。
「お主にはここで死んでもらうのじゃ」
イザナミが虚空を睨みつけると、空中に亀裂が入る。その亀裂に手を突っ込んだイザナミは、そこから一本の矛を取り出す。
「神器の前にひれ伏すがいいのじゃ!」
矛を振り回しながら俺に突っ込んでくるイザナミ。俺はその攻撃を避けたりフラガラッハで弾きながら後退する。
神器って言ってるし、イザナミが振り回しているあの矛は日本神話の国生みで登場した天沼矛だと思う。神器とかマジで強そうなんだが。
クソがっ! 誰だよ、俺の時代が来たとか言った奴は!
フラガラッハを構えながら視線を周囲にさまよわせていたら、八咫烏が先輩と南原さんをマヨヒガの屋敷の中に避難させている光景が目に入った。
俺が召喚したモンスターは俺を傷付けることが出来ない。これは昨日試してみたが、マジだった。ゴブリンにナイフを持たせて俺の指先を切らせたが、傷は付かないし痛くもなかった。
だからイザナミの攻撃を食らっても俺は傷を負うことはない。リビングアーマーとフラガラッハを装備したのは、まだ俺の異能に不明瞭な点が多いから念のためだ。
もしかすると、召喚したモンスターでも例外で俺に傷を付けられる場合があるかもしれないからな。
先輩と南原さんを八咫烏が避難させたのは、イザナミの攻撃に巻き込ませないためだろう。召喚されたモンスターは俺には傷を付けられないが、俺以外にはその限りではない。
召喚されたモンスターが傷付けられないのは俺だけなのだ。
「なあ、イザナミさんよ」
俺は首筋を垂れる汗を手で拭い、攻撃の応酬をしながらイザナミに話しかける。
「これから死にゆく者と喋る趣味は妾にはないのじゃ」
「何で俺を攻撃するんだ?」
「……お主が妾に枷を掛けるからじゃ」
死にゆく者と喋る趣味はないとか言っておきながら、ちゃんと返事してくれたよ。案外優しいな、こいつ。
つーか枷ってイザナミが俺に傷を付けられなくなったりしていることを言っているのかね。
「もっと具体的に答えてくれ」
「妾の行動を縛るのが悪いのじゃ!」
やっぱり俺を傷付けられないようになったりする制限のことを言っているらしい。でも先輩や南原さんを狙わずに俺を狙うってことは、俺は傷付けられないということに気付いてないと思う。
ということは、もしかすると俺を傷付けられなくなる以外にも召喚されたモンスターには制限が掛けられたりする可能性はあるな。
召喚されたモンスターに掛けられる制限についてもっとくわしく八咫烏に聞いておくべきだったか。
イザナミをカードに送還したいが、集中しながら送還するように念じる必要があるから今は無理だ。悠長に念じている間にイザナミが何をするかわかったもんじゃない。
出来るだけ周囲に被害が及ばないようにしたいが、どうしようか。
「覚悟するのじゃ!」
そう言って攻撃の手を緩めたイザナミの体がみるみるうちに腐っていく。まずいな、スキルでヨモツオオカミに変じたか。
俺はヨモツオオカミから距離を取り、フラガラッハに『覚醒』のスキルを使うように指示してから帯電状態の『劣雷槍』を取り出す。
『劣雷槍』には魔石をちゃんと五十個吸収させているので、これに触れただけでCランクモンスターですら麻痺する。
ついでにグリモワールによって生み出した炎をフラガラッハの剣身に纏わせた。
ヨモツオオカミに変じたイザナミは、周囲に甚大な被害が及ぶほどの攻撃が出来る。もしヨモツオオカミが本気の攻撃を繰り出せば、マヨヒガの屋敷とか蜃の街が吹き飛ぶ。
それだけは食い止めなければ。
そんなことを考えながら、『雷神纏』のスキルを発動して雷を操るヨモツオオカミの攻撃を『劣雷槍』で防いでいく。
するといつの間にか、ヨモツオオカミが黄泉醜女を召喚していた。
その黄泉醜女が黄泉軍を召喚し、瞬く間に俺が劣勢になる。そして俺は『神速』のスキルを使う黄泉醜女に隙を突かれて蹴り飛ばされ、宙を舞った。
地上に着地したいのだが、常時発動型の『神速』で俺の落下地点に先回りした黄泉醜女に蹴り飛ばされてまた空中を舞う。
それが何度も繰り返されるのでイザナミをカードに送還する余裕もない。
召喚されたモンスターは俺に傷を付けることは出来ないが、黄泉醜女が俺を蹴り飛ばしたみたいに衝撃を与えることは出来るようだ。
「マスターよ、無事か?」
十回くらい黄泉醜女に蹴り飛ばされて宙を舞っていると、急いで駆けつけてきた八咫烏がクチバチで俺をキャッチしてくれた。
「傷は付けられてないから無事だけど、酷い目に遭ったよ」
八咫烏が攻撃を避けつつヨモツオオカミ達から距離を取ってくれたので、その間に急いで俺はヨモツオオカミをカードに送還。そうするとスキルが強制的に解除され、黄泉醜女と黄泉軍も姿を消す。
「ふぅ、やっと終わったか」
俺はそう言いながらため息をつく。
「モンスターはお主に絶対服従ではないが、まさかあそこまで反抗的なモンスターがおるとはのぅ」
思ったんだけど、クチバチで俺を咥えているのに何で喋れんだよ。
「イザナミは当分召喚しないようにしようかな」
「それが良いであろう。無理矢理従わせようとしても失敗するだけだ」
ということで、イザナミを召喚したら暴れて周囲に被害が及ぶので当分は封印することにした。
◇ ◆ ◇
「マスター、さっきサッカーボールみたいに蹴られていたっすね!」
「……」
「どうしたんすか? 事実っすよ」
「……」
先輩と南原さんが避難したマヨヒガの屋敷に八咫烏とともに帰ると、居間で蜃の分身がくつろいでいた。
「お前何やってんの?」
「団欒っす」
「全然団欒じゃねぇよ」
団欒とは皆で集まって楽しむことを指す。しかし居間には蜃の分身しかいない。ではなぜ彼女が団欒と称したのかというと、蜃の分身が何体も居間にいるのだ。
同じ姿をした分身どもが居間でババ抜きをしている。自作自演じゃねぇか。
というか『蜃気楼』によって空中に投影出来る幻影は一つだけではないようだな。
「酷いっす!」
「これは団欒っす!」
「そうっすよ!」
「可愛い私がいっぱいいるのに何が不満なんすか!」
「撤回してほしいっす!」
「うぜええぇぇぇ! バラバラに喋んじゃねぇ!」
分身がそれぞれバラバラに喋っているんだが、ものすごくうざい。勝手にババ抜きでもやっとけ。
「あれ? 先輩と南原さんはいないな」
居間を見渡してみるが、蜃の分身以外には誰もいない。
「「「「「「ふっふっふ! 知りたいっすか? 二人の居場所を知りたいっすか?」」」」」」
「同時に喋んな」
「「「「「「何でっすか!」」」」」」
「うざいから」
「「「「「「仕方ないっすね。ならお二人の居場所をお教えしましょう」」」」」」
「無視すんな!」
勝手に話を進める分身ども。
「「「「「「実はこの中に二人がいるっす」」」」」」
「あん? どういうこった?」
「「「「「「『蜃気楼』のスキルで二人の姿を私と同じにしているんすよ」」」」」」
つまり先輩と南原さんを幻影で覆い、蜃の分身と同じ姿に見せているということか。じゃあこの分身どもの中に先輩と南原さんが隠れているんだな。
分身どもの外見は全くと言っていいほど同じだ。さすが蜃気楼を生み出す怪物である蜃の幻影だ。
ただし幻影に実体はない。もし触れることが出来たら、それは先輩か南原さんのどちらかになる。
試しに目の前にいた分身の一人に触れるために手を近づけたら、実体があったので肩に手が置けた。
「あなたは先輩か南原さんですね?」
「ぶっぶー! 私は蜃っすよー!」
俺が肩に手を置いている分身がそう言いながら指を鳴らすと、他の分身が煙のように消えていった。
「正解は『そもそもあの二人はここにいない』です!」
「はあ!?」
目の前にいる一人の分身を残して他の分身は消えた。先輩や南原さんの姿はない。
「騙しやがったな!」
「騙される方が悪いんすよ!」
それはそうなんだけどさ。
「つーか何で幻影なのにお前には実体があんだ?」
「水っすよ、水」
「水?」
「そうっす。私のスキル『蜃気楼』は近くに水があると精度が上がるっすけど、精度が上がると幻影に実体を与えることが可能になるんす」
「……性能良すぎない?」
幻の影と書いて幻影。なのにその幻影に実体を与えられるとか……さすがCランクモンスターと言うべきか。
ただし蜃のスキルは破格の性能だけど、蜃の街にある魔導具は全て取り外し不可のため、マヨヒガみたいに持ち出し可能で有用な魔導具があったりはしない。
蜃の街にある有用な魔導具を強いて挙げるとすれば、城郭の上にある大砲型魔導具だ。
取り外し不可だけど、魔石を消費することで魔法を前方に放出するという街の防衛のために設置されている魔導具だ。
「なら先輩と南原さんはどこに?」
「宝物庫に避難させておるぞ」
蜃の分身に先輩達の居場所を尋ねたら、後ろにいた八咫烏から答えが返ってきた。
そういえば八咫烏が先輩達を避難させていたな。でも何で宝物庫に避難させたんだ?
「宝物庫には魔導具がたくさんあるから、マヨヒガの屋敷の中でも特に頑丈に造られているらしい。それ故、そこへ避難させたのだ」
ほう、宝物庫って頑丈に造られていたんだな。付喪神にランクアップしたフラガラッハの『破壊攻撃』のスキルで宝物庫もろとも屋敷を一種で吹き飛ばしたけど、あれは無生物を消滅させるスキルだから例外だ。
多分、宝物庫は物理攻撃などに対して頑丈に造られているんだろう。
「よし。宝物庫行って先輩と南原さんを迎えに行くぞー!」
俺が居間から廊下に出ると、蜃の分身も追って出てきた。八咫烏もそれに続き、三人で宝物庫に向かう。