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六代と七代

 ジパング王国は王に恵まれている、と言われている。初代から六代まで全ての王が優秀である、と。


 六代である(ちん)自らが言うのは少し気恥ずかしいが、なるほど確かに初代からずっと王は優秀だ。なにせ、いずれの王も自身の治世下で大陸を一つ征服しているのだから。


 六代の朕が先年にアフリカを征服し、残す大陸は目の上のたんこぶ──ユーラシアだ。


 いずれユーラシアは朕の息子、つまり七代が征服するであろう。


 七つある中で最大の大陸にして、古くから世界の中心として栄えた世界島。それがユーラシア。これを七代が征服することで、ついにジパング王国は最盛期を迎えることになる。


 そして初代から七代までは賢王と扱われるだろう。


 しかし、朕は初代から六代までは賢き王ではないと断言しよう。自身を含め、今までの王ははっきり言って愚王だ。王としては不適格と言わざるを得ない。


 なぜならば、初代から六代は大陸を自らの手で征服するほどの強さを持つが、一方で外交的・政治的能力は皆無なのである。


 あえて弁明をすると、今まで王に求められていた能力は軍事的なものだけだったのだ。


 かつて、モンスターから身を守るために弱き者は強き者に庇護を求めた。強き者はそれに応じ、代わりに強き者は弱き者に支配権を要求した。


 強き者がのちの王、弱き者がのちの国民である。


 異能は子に引き継がれるため、現在の世襲君主は初代の異能を持っている。初代は強き者であるわけだから、当然世襲君主も初代から引き継いだ異能により強き者になる。


 こういう理由により王は国内最強にして最終兵器であり、だからこそ王は戦争において後方で指揮をするよりも前方で槍働きをすることを求められてきた。


 だが、それは今までの常識だ。朕の息子の代で、この常識はガラリと変わるはずである。


 もし七代がユーラシアを征服したならば、世界はジパング王国により統一されたことになる。それすなわち、モンスター出現以後初めて世界に平和が訪れることを意味する。


 平和な世界だ。戦争はない。故に、新たな時代では王に強さは求められなくなるだろう。求められるのは内政、つまり政治的手腕ただ一つ。


 七代はユーラシアを征服する軍事的能力と、世界統一後に内政に注力する政治的能力を両立しなければならない。息子には辛い思いをさせることになる。


 だが、初代から六代までが愚王なのだから仕方ない。七代には、朕ら先代が後回しにしたもの全ての尻拭いをやってもらわなくてはならない。でないと、ジパングはいずれ分裂の憂き目に遭ってしまう。


 きたる新時代、世界はどうなるのか。朕にはわからぬ。王も戦争ばかりにかまけてはいられなくなる、ということだけしか予想出来ぬ。


 世界を統一した先。その景色を拝むのが朕ではなきことがただただ残念だ。見渡せる景色の先の先まで、果てまでもが自分の物である感覚とはどんなものだろうか。


 ジパング王国を建国し、一代でジパング王国を大国にまで押し上げた初代はどんな景色を見たのか。


 権利拡大を求める国民の大反乱を鎮め、圧倒的カリスマで国内を纏め上げ、欧州諸国による魔王討伐軍を幾度も退けた二代はどんな景色を見たのか。


 物量による蹂躙に重きを置き、少数の敵を大多数の軍により包囲殲滅する戦法を好み、土人に対して虐殺の限りを尽くした三代はどんな景色を見たのか。


 初代から受け継いだ異能の潜在能力を最大限引き出し、幾万ものモンスターを従えてオセアニアを暴れまわった四代はどんな景色を見たのか。


 言語を操るCランク以上のモンスターが徒党を組んでジパング王国に牙を剥いた地獄の四日間を、自身が従えるモンスターらとともに防ぎきった五代はどんな景色を見たのか。


 そして、先代らの負の遺産を精算し、世界統一を成し遂げジパング王国による平和を築き上げるという使命を背負った七代はどんな景色を見るのか。






塚原・ラポニア・バジュダンダグロルト・ヴラジ・(えい)俊人(しゅんと)著『新時代』より抜粋






───────────────────────





 帝国とは何か。


 一般的に、複数の民族や国家を支配する大規模な大国を便宜上帝国と称する。他に、皇帝を名乗る君主が君臨する国家も帝国と呼ぶが、この場合は帝国ではあっても大国であるとは限らない。


 ではこの条件に当てはまらない国は帝国ではないのだろうか。


 答えは否である。


 例えば突厥帝国。この国は遊牧民による部族連合国家であり、モンゴル高原一帯を支配した。そう、部族連合なのである。


 部族連合という名の通り、突厥では強力な支配体制は築かれていなかった。それに加え、建国後およそ三十年で東西に分裂した。


 支配も緩く、三十年で分裂した突厥であるが、この国は帝国と称される。


 突厥の場合は多民族国家としての意味で帝国と呼ばれているわけだが、つまりその時々で帝国の条件は変わるのだ。


 しかし朕に言わせてもらえば、過去に存在した帝国はいずれも帝国に相応しくない。


 朕が思うに帝国とは、世界全てを国土とする大国を指して然るべきだ。ついぞ世界を支配下に置けなかった小国を『帝国』と呼ぶべきではない。


 そして皇帝とは、単に王の上に立つ者や帝国を名乗る国の君主を指すのではなく、万物・万人・万国の頂点に君臨する者()()を意味するのではないだろうか。


 七つの大陸と海、そして一つの天空を手中に収め、俗世だけでなく聖界をも支配し、絶大的な権力を有し身体不可侵であり、万人から畏怖ないし畏敬の念を抱かれる。その者こそ、唯一にして絶対なる皇帝たりえん。


 すなわち朕のことであろう。世界を統一して俗世を支配下に置き、現人神として聖界も支配するジパング王国第七代国王。この者こそまさしく皇帝である。


 故に朕は世界統一を達成した昨年にジパング王国の国号を帝国に改め、初代皇帝に就任したのだ。


 ジパング以外の帝国は帝国であって帝国ではない。真に帝国を体現するはジパングの他にあらず。


 ジパング帝国よ永遠なれ。


 朕に勝利を。


 国に領土を。


 蛮族に死を。


 異教徒に死を。


 さすれば、汝に地位と名誉を与えん。






塚原・ラポニア・バジュダンダグロルト・ヴラジ・(えい)・ヤハウェ・アッラー・シャイフ・シッダールタ・俊太(しゅんた)著『帝国論』より抜粋


『朕』はジパング王が独占する一人称であり、王以外の者がその一人称を使った場合は、例え王族であっても極刑です(第三代ジパング王が制定した法)。


 初代から七代までのジパング王はいずれも優れていたため、後世ではこの七人の王を『六王一帝』と総称します。


 以下、六王一帝の異名(一部蔑称)。




初代:魔王、大王

二代:七光(しちこう)

三代:虐殺王、蛮族殺し

四代:武王

五代:色王(つまりハーレム王)

六代:賢王

七代:魔帝、大帝




 なお『太陽王』は歴代ジパング王が代々継承する称号なので、特定のジパング王を指すものではありません。

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