125.りゅうきゅう王国
洋上を進む艦艇の船団があった。艦艇と聞くと荘厳な印象を受けるが、実際には木製でただ浮かぶことだけが目的の急造船だ。
ではなぜ、浮かぶだけの急造船が海を進めているのか。それは、船が牽引されているからだ。
何に?
龍である。
「ハーハッハッハッ! 我が水龍よ! 進め!」
旗艦の船首に立って特徴的な高笑いをしているのは、軍服に身を包んだ流求王であった。
「陛下、あまり身を乗り出さないでください。落ちますよ?」
側仕えの男が注意を促す。しかし流求王は笑い飛ばす。
「俺は落ちないし、落ちても水龍が助けてくれるから大丈夫だ!」
「あの、そういうことではなくてですね……。そも、落ちないように心掛けてください」
会話をしている間、船から落下しないように側仕えの男は流求王を支えていた。しかし流求王は側仕えの手を払いのけ、タイタニックよろしく船首のギリギリに立って手を広げる。
「俺は道を踏み外したことはないんだ!」
「現在進行形で道理から外れた戦争を仕掛けようとしているじゃないですか。道、踏み外してますよ」
「むぅ……。だが、女子供は出来るだけ殺さないように命令しているぞ」
「言いたいことはわかりますが、戦争をするというのに甘っちょろいことを言わないでください」
敬語ではあるが、側仕えは流求王と対等に会話をしている。それは、モンスター出現以前から二人は親友だったからだ。
今では二人は君主と臣下という上下関係になってしまったが、それでも絆は消えていない。国王と側仕えが気安く話すという不思議な光景がそこにはあった。
が、そんな穏やかな雰囲気は雲散することになる。
「あっ」
間抜けた声とともにバランスを崩し、流求王は真っ逆さまに海へと落ちていく。
「辰雄!?」
思わず癖で流求王の下の名前を呼びながら、側仕えは青い顔で船首まで駆け寄って手を伸ばす。しかしタッチの差で間に合わず、流求王は空中で手足を動かして慌て出す。
「踏み外したのはこれが初めてだっ!」
「今言ってる場合じゃないでしょ!」
ぐんぐんと流求王の体は海へと近づいていき──すんでのところで船を牽引する龍が回り込み、流求王はその龍にしがみついた。
「危なかった……!」
龍の背中によじ登り、彼は呼吸を整える。
「はぁ……はぁ……それにしても、ヘビスケのお陰で助かったよ。サンキューな」
そう言い、流求王は水龍──名をヘビスケ──の背中を優しく撫でた。
流求王は、自分が持つ異能によりヘビスケを従わせていたのだ。
「あ、安心しました。海に落ちなくて良かったですね」
頭上から側仕えの声が聞こえ、流求王は顔を上げる。
「さすがヘビスケ。俺のことが好きすぎるみたいだ」
「好きかどうかはどうでもいいですが、その龍にヘビスケって名前はそぐわないと思います」
ヘビスケという名前だと可愛らしく感じてしまうが、その龍の体長はおよそ百メートル。歯はワニのように剥き出しで目は赤黒く、体は灰色の鱗に覆われている。
この龍にヘビスケという名が相応しくないのは自明の理。名付け親(流求王)のネーミングセンスは壊滅的なようだ。
「何を言うか。ヘビスケにはヘビスケという名前が似合っているじゃないか」
「いや、蛇じゃなくて龍なんですが」
「リュウスケはダサい。よってヘビスケと名付けた」
「申し上げにくいのですが、両方ともダサいですよ?」
「まったく申し上げにくそうにしてねぇじゃん。息を吐くように嘘つくなよな」
二人が話していると、船からリスが飛び出してくる。そして、流求王の肩に飛び移った。
「お、リースじゃねぇか。調子はどうだ?」
「ポポッ!」
「そうかそうか。元気か」
流求王は自分の肩に乗るリースという名のリスを指先で軽く小突く。
「伸ばし棒付けただけじゃん」
側仕えがボソッと呟いた。
もう一度言うが、流求王のネーミングセンスは壊滅的なようだ。
それからしばらく流求王がヘビスケの背に座っていると、向かいから一隻の船がやって来た。そしてその船には、ジパング王国海軍の軍旗が掲げられている。
「陛下、敵船です」
「ああ……わかっている」
少し躊躇い、それから流求王はヘビスケに命令する。
「…………あの船を破壊しろ」
ヘビスケは頭をムチのように振り回し、ジパング王国海軍の船を破壊した。流求王はその悲惨な光景に目を背ける。
すると側仕えは口を開き、苦言を呈する。
「あれは陛下が命令したことで起こったことです。あなたのせいで敵兵が死んでいっているんです」
流求王は唇を噛む。
「自分でやったことから目を逸らさないでください。自分でおやりになったことだからこそ、目に焼き付けるべきです」
彼は一呼吸置く。
「人殺しが今更善人ぶってんじゃねぇぞ。テメェはこれから殺人鬼になりに行くんだ。死体の山を築くんだ。覚悟しろ。覚悟がないなら戦場に立つな。人を殺すってのはそういうことだ」
お前が始めた物語だろ(ドーンッ)
「わ、わかってる。俺は人を殺しておいて善人ぶるほど厚顔無恥じゃねぇ……!!」
腹をくくった流求王は、海を泳いで逃げ惑うジパング王国の海兵達を見つめる。
彼は拳を握り締め、無理矢理笑顔を作った。
「始めよう! さ、殺戮を!」
流求王国。
それは真実を隠すために使用されていた対外的な国名だ。
対内的に名乗られていた国名は龍宮王国。王城として利用されている首里城を龍宮王・龍崎辰雄が龍宮と呼んでいたことに由来する。
龍を使役しているという切り札があることを他国に勘付かれないために、対外的に名乗る国名には龍の字が入れられていなかったのである。
この効果は覿面だった。有志連合軍参加国の者達ですら、龍宮王が龍を使役しているとは未だに気付いていない。
◇ ◆ ◇
ジパング王国の王都・洶和久は伊勢湾に面している。そのため伊勢湾から攻められることも想定し、東京湾要塞のように伊勢湾はいくつもの砲台などで要塞化されている。通称、伊勢湾要塞。
この伊勢湾要塞はドワーフが建造したもので、並大抵のことでは突破されることはない。
だからこそ、信じられなかった。
「き、緊急事態!! 有志連合軍が伊勢湾要塞を突破したようっす!」
突如血相を変えたミラージュの報告により、会議室の空気は凍り付いた。
伊勢湾要塞の突破。それは、王都が丸裸の無防備にされたことを意味する。
体の硬直が解けた一同は、パニック状態に陥った。かくいう私もパニックになったが、摂政の私が慌てたらそれが原因でパニックは波紋のように伝染してしまうので意地でもすぐに平静を装った。
「ミラージュ! 敵はどうやって伊勢湾要塞を突破したんだ! こちらの損害は!」
私が会議室に響き渡るほどの声量で尋ねると、ミラージュが頭を傾けた。
「伊勢湾は王都から目視出来るほどの距離にはないので詳しいことはわからないっすが……伊勢湾要塞から来た伝令によると、敵は巨大な龍に乗っているそうっすよ!」
「りゅ、龍!?」
おいおいおいおいおい。
龍に乗っているということは、確実に俊也と同様の異能持ちじゃないか……!
魔王討伐軍を自称しているくせに龍を使役するとは一体全体、どういう了見なんだ! 頭沸いてんじゃないの?
俊也が魔王とか呼ばれていることを思い出し、私は拳をテーブルに叩きつけた。瞬間、テーブルは爆ぜて粉々に砕け散る。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
シンッ。
先ほどまでの喧騒が嘘のように会議室は静まり返った。
私は咳払いをして誤魔化し、その静寂を破る。
「あー、コホン。うん、皆落ち着いたようで何より」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
反応を……反応をしてくれっ!
まあしかし、そのお陰で私の怒りはすでに収まっていた。
「さて。伊勢湾要塞を突破した敵の目的は──王都だろうね。というかここ以外にはないよ、うん」
基本的に首都はその国の政治や経済の本部機能が集中するため、首都を奪えばその国全体の征服が容易になる。オスマン帝国によるビザンツ帝国の帝都コンスタンティノープル陥落のように。
だからいきなり王都に狙いを定めるのは合理的判断ではあるが……そもそも首都は国にとって最重要の都市だ。そのため守りは盤石であり、まさかいきなり伊勢湾要塞に突っ込んでくるとは夢にも思わなかった。
まあ敵は龍を使役しているようなので、成功を確信したからこそジパング王国の王都を征服に来ているはずだ。つまり今はかなり不味い状況ということになるね。
と簡潔に伝えるとまたも会議室は阿鼻叫喚になるが、義祖父がそれを一喝してくれた。
「テメェら、儂の義孫の話を遮ってんじゃねぇぞ? まだ騒ぐようなら胴体と頭を泣き別れさせてやろうか? あ゛?」
迫力がすごい。騒いでいた者達もその迫力にただただ圧倒され、押し黙った。
「雫ちゃん、話を続けてくれ」
「ありがとうございます、お義祖父さん」
義祖父に軽く頭を下げ、続ける。
「敵は王都を攻めるつもりだ。ならば、私には策がある」
私は威風堂々と笑って見せた。
皆を安心させるように。