120.戦争の始まり《1》
新婚旅行を終え、私が俊也と分かれて王都に帰ってきてから数週間が過ぎた。
未だに俊也が帰ってくる気配はないが、四国避難所連合から派遣された貿易使節団が先ほど王都に到着してヴェルサイユ宮殿の一室で待機しているらしい。
なので私は香織や凛津を連れ、使節団の大使の待つ部屋に向かった。
「法相閣下、お久しぶりでございます。俺……私は、今回の使節団の大使を務めさせていただいている大宮です」
この男、新婚旅行で私達が滞在した松山市長国の市長じゃないか。なんとも偶然だな。
いや、松山市長国は連合構成国の中でも発展している方なのだから、その国の君主である彼が大使に選ばれるのは順当と言えば順当か。
ちなみに本来ならば大使とは特命全権大使を指すのが一般的だが、今回のような場合に大使と言うと特派大使の方を指す。
なぜならば特命全権大使とは外国に駐在する使節団の大使のことなのだが、今回派遣された使節団はジパング王国に常駐するのではなく貿易を目的としているからだ。
今回のように、重要な任務を処理するためなどに臨時で外国に派遣される大使のことは特派大使と呼ぶ。
「どうもご丁寧に。以前にも会ったから覚えているようだが、私は内藤雫。爵位は侯爵、役職は法務大臣だ」
「喋ってはいないが、オレもあんたとは前に会ったな。一応言っとくがオレは吉川凛津、爵位は女男爵だ」
特派大使の大宮と顔見知りである私や吉川が挨拶をすると、遅れて初対面である香織が軽く自己紹介をする。
「私達は初めましてですね。南原香織と申します。宰相を務めています」
「ええ、初めまして。特派大使の大宮です」
香織は大宮と手を交わす。
その後私達はソファに腰を掛け、貿易についての話し合いを始めた。
まあ話し合いと言っても、彼ら使節団は千丁の銃器を持って王都に来たので貿易について話すことはあまりない。
なので自然と会話の内容は雑談に移っていった。それからしばらく雑談を続け、タイミングを見計らって私は本題を切り出す。
「ところで、貴国が我が国との戦端を開くという噂が流れているようだな。なぜだ?」
私の鋭い目を向けられて大宮は一瞬たじろいだが、彼はすぐに何事もなかったかのように淀みなく話し出した。
「その噂は存じておりますが、なにぶん噂の出所が把握出来ていないのでその質問にはお答えしかねますね」
ふむ、明言を避けたか。これでは嘘かどうか見抜けても意味がないじゃないか。
はっきりと戦端を開く気はないと言ってくれれば、その発言が嘘でも本当でも吉川の異能によって四国避難所連合に我々と戦う意思があるかどうかがわかるのだがな。
もしや大宮は吉川が嘘を見抜く異能を持っていることを知っていて、あえて明言を避けているのか?
「ですが断じて我ら連合は連合憲法を犯すような真似はいたしません。法相閣下は知らないと思うので説明いたしますと、連合憲法により我ら連合は永久に戦争を放棄しているのです」
おや、明言を避けていると思っていたのだが……そういうわけではなさそうだ。
ということは、四国避難所連合はジパング王国と戦争をするつもりはないということか。なら安心だな。
……でも嫌な予感がするんだ。言葉では言い表せられないが、なんかモヤモヤする。
しかも私の予感の的中率はかなり高いときた。加えて、悪い予感は更に的中率が高い。だからとても、とっても……ものすごーく不安だ。
何も起こらなければ良いけど。
「では、念のためにこちらを渡しておきます」
そう言って大宮が取り出したのは連合憲法が収録されている法律書で、以前私が読んだものと同じ装丁だ。
その法律書をこちらに差し出してきたので、私が受け取った。
「その法律書には連合憲法が収められています。戦争を放棄するという条文も書かれているので、目次からお確かめください」
言われた通りに開いてみると、目次には『第一章 戦争の放棄』と書かれた部分がある。
そこからページを一つめくってみると、第一条 連合国民は正義と秩序を~うんたらかんたらと書かれていた。
「確かに戦争を放棄すると書かれているな」
呟きつつパラパラとページをめくっていく。ざっと見た感じ以前私が読んだものと内容に差異はないし、わざと内容に手を加えた法律書を大宮が渡してきたということはないだろう。
だが、違憲行為だからと言って四国避難所連合がジパング王国に侵攻出来ないというわけではない。私はそのことを指摘した。
「貴国が戦争を放棄していることはわかったが、違憲行為を犯して我が国に戦争を仕掛けてくる可能性も拭えないな。なにせ貴国は立憲君主制ではないのだから、憲法によって君主の権限が制限されることはない。貴国ならば憲法を無視して戦争を仕掛けることも容易なはずだ」
すると大宮はわざとらしく小刻みに何度か頷く。
「法相閣下の言いたいことはわかります。私としても、この件に関しましては我々を信じていただくほかないのですよ」
「無論、そのことはこちらも重々承知している。だからこそ、私は貴公のような高位の立場の者に断言してもらいたい。我々はジパング王国と事を構えるつもりはない、とね」
考える間を与えぬように私は畳みかけた。今まで無表情を貫いていたさしもの大宮も、これには渋い顔をする。
「大使という立場上、断言することは出来ません。何度も言うようですが、我々連合は違憲行為をするつもりはないということだけしか申し上げることが出来ないのです。ご了承ください」
違憲行為をするつもりはない、か。しかし解釈次第では、憲法の内容なんぞコロコロと変わる。だから、違憲行為はしないと言われても信用は出来ない。
連合憲法の解釈権は市長議会が有しているため、四国避難所連合に都合の良いように解釈──いわゆる拡大解釈、つまるところ曲解──が出来てしまうのが厄介だ。
理屈を捏ねくり回せば、解釈なんてそれこそ星の数ほど存在するのだから仕方ないと言えば仕方ないか。
「そうか。ならば『私、大宮大雅は連合を代表して違憲行為を犯さないとここに誓う』と紙に書いてくれ。もちろん、貴公の署名と血判もしてもらおうか」
私は紙と羽根ペンを取り出し、机に置いた。
「……良いでしょう。わかりました」
大宮は羽根ペンを手に取り、慣れていないので書きにくそうにしながら紙に文字を書いていく。
「これでよろしいですか?」
大宮が確認を取ってきたので紙を覗き込んでみると、私の言う通りの文章が書かれていた。
「ああ。あとは署名と血判だ」
「そうでしたね」
気を利かせてミラージュがナイフを差し出し、大宮はそれを受け取る。
「あ、ありがとうございます」
……ミラージュ、ナイフを人に渡す時は刃を相手に向けるんじゃない!
大宮は覚醒者だからかなり力を込めないとナイフ程度では傷が付かないとはいえ、人に刃を向けるのは駄目だろJK!
見てみろ! 若干だが大宮も引いてるぞ!
「では、血判をします」
署名を書き終えると、彼はミラージュに手渡されたナイフを使って親指の先を傷付けた。その時かなり力を入れてしまったらしく、すさまじい量の血が傷から流れ出てくる。
そして傷付けた親指を署名のところに押し付けた。
痛そうな顔をしていたので気になって目を凝らしてみると、大宮の目尻に光るものが見えた。泣くくらいならもっと軽く指先を切れば良かったのに……。
「ふぅ。署名と血判をしましたよ」
そう言って彼は強がっていたが、切った親指を痛そうに押さえているからいまいち様になっていない。
なんか彼からは俊也と似たような気配を感じる。俊也も格好付けようとして絶妙にダサくなっている時があるが、それと似ているな。
「うむ。私は貴公ら連合が賢明な判断をすることを祈っている」
「それはこちらも同じです。では」
大宮は腰を上げると私達に一礼し、退室していった。
「で、吉川。彼は嘘をついていたか?」
「四国に流れている噂の出所がわかっていないっていう発言以外は嘘はなかったぜ」
「ならば違憲行為を犯すつもりはないというのは嘘ではないというわけか」
しかし上手い具合に憲法を拡大解釈すれば連合によるジパング王国侵攻は違憲行為には当たらないと言うことも可能なので、噂は所詮噂であると決め付けるにはまだ早いな。
───それから四ヶ月が過ぎて2025年を迎え、冬も終わりに差し掛かって暖かくなってきた頃。
まだ俊也は帰ってこないなと落ち込みながらヴェルサイユ宮殿の庭園にあるベンチに座ってボーッとしていると、いつものことながらミラージュが出し抜けに姿を現した。
「至急連絡っす! 蝦夷汗国を除き、モンスター出現後に日本列島に誕生した全ての国家・組織の軍が四国避難所連合に続々と合流! 目標はジパング王国と思われるっす!」




