116.黄泉の国の王
「ほー、ここが黄泉比良坂か」
目の前にある坂を見ながら俺は呟いた。
日本神話において、黄泉比良坂とは葦原の中つ国と黄泉の国の境界にあり、生者の世界と死者の世界を繋ぐ坂のことだ。
なお葦原の中つ国は地上、つまり俺達のような生者が住む世界を意味している。
俺達は、そんな黄泉比良坂の前にいる。まあ実際には黄泉比良坂とされる場所は数カ所あり、その中でも島根にある黄泉比良坂とされている坂に俺達は来ていた。
イザナミいわく、黄泉の国には島根の黄泉比良坂を通ると行けるらしいし。
それにしても、まったく動かないイザナミをここまで引っ張って連れてくるのは大変だったよ。俺、クロウ、グリフィスの三人掛かりでやっとここまで連れてこれたんだ。
「この坂を通ると黄泉の国に行けるんだよな?」
黄泉比良坂からイザナミに視線を移しながら尋ねると、彼女はけん玉で遊びながら答える。
「そうなのじゃ。正確に言うと……この坂を通ると黄泉の国に連れ去られるのじゃ」
「連れ去られる? 随分と物騒だのぅ、黄泉の国というところは」
クロウは嫌そうな顔をして言った。
確かに、行けるではなく連れ去られるっていう表現は引っ掛かるな。
「でも生き返らせるには行くしかないんだ。行こう」
俺は跨がっているグリフィスに坂を進むように指示を出した。
「進んでくれ」
「グルゥ!」
イザナミとクロウも付いてきて、四人で坂を歩き続ける。するとしばらくして俺達の体が光に包まれた。
「うわぁ! 何だこれ!?」
「グ、グルゥ!?」
「落ち着くのじゃ。連れ去られる、と妾が言ったじゃろ」
こういう感じで連れ去られるのかよ! これ、神隠しかなんかか?
「この光はスキルの力、かのぅ?」
「……よくわかったのじゃな。これは黄泉の国の王が持つ『黄泉国』というネームドスキルの効果なのじゃ」
ネームドスキル!?
そう思った次の瞬間、俺の意識は途切れた。
◇ ◆ ◇
「ぅん、ぁあ? あ? ……知らない天井だ」
俺がお約束の言葉を言うと、すぐ近くにいたらしいイザナミが小馬鹿にしたように言う。
「天井なんかないのじゃよ」
起き上がって声のした方に顔を向けると、彼女は膝くらいの高さのある岩に腰を下ろしてけん玉で遊んでいた。
「それくらいわかってるって……」
見上げるとイザナミの言う通り天井はなく、夜空が広がっている。しかし星は見えず、よって辺り一面真っ暗だ。
イザナミの姿が見えたのは、彼女が俺の近くにいたってだけだ。
目が暗闇に慣れたら見える範囲は広がるとは思うが、それだってせいぜい半径数メートルくらいが朧気ながら見えるようになるってだけだろう。
「ここどこだ?」
「黄泉の国なのじゃ」
「まあそらそうだわな」
光に包まれてからの記憶はないが、黄泉の国に連れ去られたってことか。転移、ということなのかな。知らんけど。
「イザナミ、クロウとグリフィスはどこにいる?」
近くにクロウとグリフィスが見当たらないため、彼らの所在をイザナミに聞く。
「捕らえられたのじゃから、あやつらは今頃牢屋にいるじゃろうな」
「…………え、今なんて?」
捕らえられた? 何で? 何が起こっている?
「黄泉の国なのじゃ。それだけ言えば、童はわかるじゃろ?」
ふぅむ。黄泉の国、ね
イザナミはあえて『国』という部分を強調して言った。つまり黄泉の国は文字通り国であり、国家として機能していると考えられる。
そして、クロウとグリフィスは黄泉の国の警察機関に逮捕されたってことか?
黄泉の国の警察ってのもおかしいな。昔風に言い替えて、岡っ引きとか検非違使って言った方がいいかな。
……いや、今は警察の呼び方なんかどうでもいいか。
「何でクロウとグリフィスは捕まったんだ?」
「黄泉比良坂を通って黄泉の国に入るルートは正規のものではないから、不法入国ということで捕らえられたのじゃ」
は? 不法入国? じゃあなんで正規のルートを教えないんだよ!
という意味を込めた目でイザナミを睨むと、彼女は不服そうな表情を浮かべる。
「勘違いしないでほしいのじゃが、正規のルートで黄泉の国に入るには死なねばならぬのじゃよ? 生者が黄泉の国に入るには、黄泉比良坂を通るしかないのじゃ」
おおぅ。正規のルートってそういう……。オーケー、理解したわ。
それに黄泉の国に集まる魂はモンスターのものだけらしいから、正規のルートだと死んだ人間はそもそも黄泉の国に入国出来ないんだろうな。
「クロウ達が捕まった理由はわかったが、じゃあ俺とイザナミが捕まっていないのは何でなんだ?」
「妾が童を逃がしてやったからなのじゃ」
そう言ってイザナミは胸を張る。
イザナミが気を失っている俺を運んでくれたってことか。意外だな。
「ありがとな、イザナミ」
「ふん」
照れ隠しなのか、イザナミは俺のお礼を無視してけん玉遊びを続ける。
にしても困った。俺の近くにいないモンスターはカードに送還出来ないため、フラガラッハとカヤを生き返らせるだけでなくクロウとグリフィスを助け出さないといけなくなったな。
まずはどうすべきか。そう思いながら俺は地べたにあぐらを掻き、日本神話などにおける黄泉の国の描写を思い出していた。
……そういえば、日本書紀と古事記で黄泉の国の描写って違ったんだっけ?
確か、明確に黄泉の国が『国』だと触れられていたのは古事記の方だったはずだ。
日本書紀での黄泉の国も『国』だとされてはいたが、古事記では黄泉の国には王(統治者)がいるという描写があったな。
ここで言う王というのが黄泉の国の神だ。モンスターであるイザナミの元になった伊邪那美命も黄泉の国の神だが、日本神話を見ると伊邪那美命ではない黄泉の国の神も存在していたことがわかる。
で、古事記によると、黄泉の国から死者を連れ出して生き返らせるには、その王の許可を取る必要があったはずだ。
フラガラッハとカヤの復活には王の許可が必要だとすると、無理矢理牢屋からクロウとグリフィスを助け出して黄泉の国と揉めるのは得策じゃないな。
「なあ、ところでさ。お前、俺達を包む光のことを黄泉の国の王のネームドスキルだって言ってたよな?」
「それがどうしたのじゃ?」
「それって要するに、黄泉の国の王はネームドモンスターってことなのか?」
「……そうなのじゃ」
イザナミはわずかばかり逡巡してから頷く。
「それで、そのネームドモンスターに与えられた名前ってもしかしてヨモツオオカミだったり───」
少し踏み込んだことを尋ねると、イザナミは肉食獣のような獰猛な顔付きになり俺に殺意を向けてくる。
「それ以上聞くんじゃないのじゃ」
「うっ……わ、わかった」
俺は恐怖を感じ、ぶんぶんと激しく首肯した。
おっかねぇな、イザナミ。でもこれだけ怒りを見せたってことは、もしや黄泉の国の王とイザナミは知り合いなのか?
それとも、イザナミの別名であるヨモツオオカミの名前が他の奴に与えられたから怒ってるのかね?
わからん。わからんが、黄泉の国の王がイザナミの逆鱗だってことはわかったぞ。今後は発言に気を付けよう。
でもその王に許可を取らないとフラガラッハとカヤを黄泉の国から連れ出せない可能性があるからなぁ。どうすればいいってんだよ。
う~む、まずは黄泉の国を歩き回ってフラガラッハとカヤを探すか。二人と合流しないと、王に許可を取る以前に黄泉の国から連れ出せないし。
「よし、決めた。最初はフラガラッハとカヤ達に合流しよう」
そう言って俺は立ち上がり、いつものグリフィスではなくヒッポグリフを召喚して跨がる。グリフィスは投獄されてるからね、召喚出来ないんだよ……。
「ほら立て、イザナミ!」
「うるさいのじゃ! 気が散ってけん玉が出来ないのじゃ!」
「今からフラガラッハとカヤを探しにいくんだからな? けん玉なんかやらせねぇよ?」
「な、なんと! 妾をこき使う気なんじゃな!?」
「当たり前だよ! 今俺が召喚出来るモンスターの中じゃイザナミが最高戦力なんだからな!」
渋々イザナミはけん玉で遊ぶのをやめ、自分で飛ぶのはダルいからなのか俺の後ろに乗る。すると急に乗られたことに驚いたのか、ヒッポグリフが声を漏らした。
「! グルゥ??」
俺は目を白黒させるヒッポグリフの頭を優しく撫でる。
「驚かせて悪かったな。進んでくれ」
「グルゥ!!」
ヒッポグリフは元気よく鳴き声を上げ、暗くて前がまったく見えないにもかかわらず躊躇いなく猛スピードで突き進んだ。
そして何かに激突し、その何かを破壊しながら尚もヒッポグリフは歩みを止めずに進む。
ヒッポグリフが壊したものが気になって肩越しに振り返ってみると、石を積んだ防壁のようなものが先ほどの突進により無惨にも崩れ去っていた。
あ、なんか嫌な予感が───
「捕らえろー! 侵入者だー!」