113.温泉
「連合長は拒否権以外にもいくつかの特権を有する」
そう言って雫は卓上の法律書を手に取り、付箋が貼られたページを次々と開いていく。
「どこだったかな……ああ、あった。ここだ」
そして雫は目的のページを見つけ、そのページをこちらに向けた。
「本来、市長は自国に属する治安警備隊にしか命令することが出来ない。しかし、連合長だけは全ての治安警備隊へ命令を下せると連合憲法が決めている。これが連合長のもう一つの権能である最高指揮権だ。と言っても連合長は首都以外で権限を行使しようとするとかなりの制約を受けるみたいだから、実際に最高指揮権が発動されることはないと考えて大丈夫そうだね。言わばお飾りの権限だ」
他にも、と雫は続ける。
「連合長は市長議会の召集権や法案提出権なども持っているらしい」
こちらに向けられた法律書のページには、『第三章 連合長大権』と大きく書かれている。
連合長大権って……日本国憲法より大日本帝国憲法に近しいものがあるぞ。もしかして、連合憲法の統治機構に関わる条文は大日本帝国憲法から引き継がれているのか?
「五年の任期ではあるが、どうやら連合長の権限は強力なもののようだ。権限が強力だからこそ連合長は市長とは違って終身ではないんだろうね。ああ、それと市長議会は連合長の権限を制限するものではないらしい。まあ立憲君主制ではないから君主主権が制限されないのは当然と言えば当然だな」
と、雫は締めくくった。
ふむ、四国避難所連合の仕組みが少しわかった。人民が主権を持っていないだけで、四国避難所連合はどちらかというと共和制に近いな。
四国避難所連合を独裁的な共和国と捉えるといくらか理解しやすい。
「俊也は、他に聞きたいことはあるかい?」
「俺は四国避難所連合が戦争を放棄していると知れたから満足だよ。特に聞きたいことはないな」
「では、連合憲法の面白い点を教えよう」
彼女はなおも話を続ける。
その様子を見て、昔から雫は変わらないなぁと俺は思った。
大学生の頃もそうだったが、雫はとかく法律の話をするのが好きだ。今も、聞いてもいない連合憲法の面白い点を語り出した。
でも、悪い気はしないな。
「連合憲法は、統治機構に関わる条文以外は日本国憲法とほぼ相違ないんだ。面白いことに、対モンスター法なんかも連合憲法には引き継がれていた」
───対モンスター法。正式名称は敵性生物撃滅特別措置法。
これはまだ日本国政府が機能していた頃に、政府が施行した法律だ。この法律では、モンスターを討伐する行動は憲法に何ら縛られるものではないと定めている。
つまり、モンスターに対してだけではあるが、こちらが攻撃されていなくとも自衛隊が軍事行動を起こせるようになったということだ。
なぜ日本国政府がこの法律を施行したのかというと、日本が国連軍に参加するためである。
モンスターによっていくつもの文明が崩壊し、この未曾有の事態に対処するために国連安保理常任理事五カ国が結束する。
これにより特別協定が締結し、特別協定に基づいて国連加盟国の兵力が安保理に提供され、国連軍が誕生した。
しかし日本は憲法の制約により国連軍に参加出来ず、やむなく重要影響事態安全確保法に基づいて国連軍の後方支援を行うべく自衛隊を海外に派遣することで妥協したのだ。
この妥協に、人類の危機なのだから国連軍に参加すべきだと世論は反発した。
そして日本国政府は世論に屈し、対モンスター法を施行。こうして自衛隊は国連軍に参加し、銃器によってモンスターを掃討する活躍を見せる。
だが時間が経つにつれてCランク以上のモンスターが多数出現し、銃器で対応出来なくなったことで国連軍は抵抗むなしく瓦解した。
それからしばらくして人類の希望と称された覚醒者が各地で反乱を起こし、日本では反乱を起こした覚醒者による烏合の衆が革命軍として組織化された。
「へー、対モンスター法が引き継がれているのか。何でだろうな?」
俺は頭を捻る。
「さて、私も理由はわからない。だけど、その理由を考えるのが面白いんだ。日本国憲法の条文を可能な限り引き継ぐことで日本の継承国だと主張して四国統治の正当性の根拠にするつもりかもしれないし、ただモンスターの討伐を推奨するためだけなのかもしれない。理由は様々だ。だがそういうことを考える余地があるからこそ法律は面白いんだよ!」
そう言った雫の目は爛々と輝いていた。それに狂気や恐怖を感じ、少し後退る。
彼女のこのような姿には見覚えがあった。以前、ドワーフが鍛冶のことを語っている時も目が爛々と輝いていたのだ。
好きなものを誰かに語れるという嬉しさが目に表れているのだと思う。それにしては視線がナイフのように尖りすぎだが。
そういえば、雫と法律のことを具体的に話すのは初めてだったな。だから今まで目を爛々と輝かせる雫の姿を見たことがなかったのか。
俺はそんなことを暢気に考えていた。
◇ ◆ ◇
その日の夜。俺と雫、イザナミの三人は温泉施設を訪れていた。雫は寝ずに法律書を読み込んでいたようなので、彼女を労うためである。
「温泉か。楽しみだな」
「妾も楽しみなのじゃ」
雫とイザナミが温泉を楽しみにしているようで何よりだが、俺はそこまでではなかった。だがそれを口や表情に出したりはしないように努める。
もし俺が楽しみにしていないとわかったら、彼女達も温泉を楽しめなくなるだろうからだ。せっかく八千円もする温泉に入るんだから、どうせなら楽しんでもらった方がいいしね。
「じゃあ俊也、またあとで会おう」
「またあとで会おう、なのじゃ」
俺は雫達と分かれ、男湯と書かれた暖簾をくぐった。そして更衣室で裸になり、ロッカーに服を突っ込んで鍵を掛ける。
八千円するだけあり、ロッカーはちゃんとしたものだな。鍵も、温泉施設でよく見掛けるバンドの付いたものだ。
そう思いながら鍵を手首に付け、洗い場に向かう。そこで汚れを落とし、温泉に浸かった。
「ふぃー、極楽極楽」
やっぱ温泉に浸かると気持ちいいな。だが、雫達のように楽しめる気はしない。気持ちいいだけで、楽しいわけじゃないからだ。
まあでも、疲れが取れたような気がするから温泉に来て良かったとは思う。
「うん? 何だ?」
今、微かに女の人の声が聞こえてきた気がする。なので辺りを見回しながら耳を澄ませてみると……壁に取り付けられた少し大きい通気口から声が聞こえてきていることに気付く。
もしやこの通気口、女湯に繋がっているのか!?
という結論に至り、俺は素早く通気口のすぐ近くまで移動した。
通気口は温泉の真横の壁にあるので、温泉に浸かりながら女湯の音が聞けるぜ。
俺はどんな小さな音も聞き逃すまいと耳に全神経を集中させた。
ポチャッという水滴が垂れる音、ハァという女性の息づかい、微かには聞こえるが内容はわからない女性の会話。
聞こえる! 聞こえるぞぉぉぉ!
いくら雫と婚約しているとはいえ、男の性には逆らえないものなんだよ!
傾城傾国という故事成語があるように、どれだけ偉くなっても男は美女には惑わされるのである。仕方ないね。
そう自己弁護し、盗み聞きを続ける。
「ん?」
ふと周りを見てみると他のお客さん達も通気口の近くに集まっているため、通気口が女湯に繋がっていることを皆わかっているのかもしれない。
すると俺に見られていることに気付き、一人の男が苦笑いをしながら声を掛けてきた。
「お宅も盗み聞きのために通気口に?」
「ええ、まあ……そんなところです」
知らない人にド直球に尋ねられ、俺は歯切れ悪く答える。
「私は盗み聞きのために毎日ここの温泉に入りに来ているんですよ」
声を掛けてきた男は真剣な表情で語った。
それだけのために毎日八千円も払ってんの? さすがにそれはドン引きだよ。
「あ、俺もこれのために毎日ここに通ってるんだぜ!」
俺がどう答えたものかと困っていると、声を掛けてきた男とはまた別の男が会話に参加してくる。
おい、あんたもかよ……。
と思っていたら、それに続くように近くにいた男達が次々と声を上げ始めた。
「俺もだ!」
「俺も!」
「僕もだよ!」
ええぇ……。お前ら全員、これだけのために毎日八千円を無駄にしてるのか……? 馬鹿過ぎるだろ。
もしかして毎日温泉に入りたいっていう奴らは綺麗好きじゃなくて変態なんじゃないのか?
まあ俺も盗み聞きしてたから人のことは言えないけどさ。
「なぜ毎日通うんですか?」
俺が疑問に思ったことをぶつけると、彼らは口裏を合わせていないはずなのに一斉に同じことを言い放った。
「「「「これくらいしか娯楽がないんだ!」」」」
う~む、もしやこの通気口が設置されている理由は、変態な男どもを毎日温泉に来させてお金を儲けるためなんじゃ……。