108.食事情
俺は手作り感溢れる木皿に盛り付けられたモヤシやらカイワレやらオクラやらを、これまた手作り感溢れる木製のフォークで刺してもさもさと食べていた。
ドレッシングはかかってない。だからこそ素材本来の味が楽しめている。というと耳障りは良いが、要はあまり味がしない。不味い。これどう見ても家畜の餌だろ。
「はぁ」
俺はフォークでオクラを口に運びながらため息をつく。
ここは松山市長国で唯一の飲食店だ。この建物は元は図書館だったようだが今はその面影はなく、本棚や本はどこにも見当たらない。
そして本棚がなくなって広々としたスペースにテーブルと椅子が所狭しと並べられている。
図書館の名残は、本の貸し出し・返却を行うカウンターくらいしかないだろう。かつて司書の人がいたところには、この飲食店の店員が暇そうに立っている。
「はぁー」
俺は肩を落とし、先ほどよりも長いため息をついた。
こんなに不味いなら収納カードに入っているモンスター肉を食えば良かったな。興味本位でこの店で食事しようと思ったのが間違いだった。
でもこの飲食店は松山市長国が運営しているから安全性は保証するよって治安警備隊の人が言っていたんだ。それがまさか、畜生の飼料を出されるとは思いもしなかった。
安全性だけじゃなくて味も保証してくれよ!
「不味いのじゃ……」
イザナミはカイワレを咀嚼しながら顔をしかめる。
この店は和食を取り扱っていないので、食事処に行く気だったイザナミは機嫌が非常に悪くなっている。
「おいイザナミ、それ一皿で千円したんだぜ? 俺も不味いとは思うがちゃんと食ってくれ」
そうなのだ。ドレッシングなしで量も少なく、モヤシやカイワレやオクラしかないのに千円だ。この店で一番安い料理なのに千円もするとか物価高すぎるだろ。
ちなみにドレッシングは別売りで一口分が五百円だったよ。
モヤシとかカイワレなどの、簡単に栽培・収穫が出来るスプラウトですらこの値段なのだ。ちゃんとしたジャガイモなどの作物の値段は推して知るべし。
そこで俺はふと疑問に思った。覚醒者はモンスターを倒せば魔石が手に入るからいいとして、モンスターを狩るような金策が出来ない非覚醒者はどうやって毎日飯食ってるんだ?
だが鼻をつまみながらモヤシを食べていた雫が話を切り出したため、俺はそこで思考を中断した。
「なあ、俊也。そろそろあのことについて話し合わないか?」
俺は辺りを見回し、周囲で食事をしている者が俺達の会話を盗み聞きしていないか窺う。
しかしこの店はこの街唯一の飲食店であるためかそれなりに繁盛しているため店内はガヤガヤとうるさいので、声を潜めての会話ならば盗聴される心配はないみたいだ。
「あのことって、どれのことだ? せっかく松山に来たんだから温泉に入りたいってことか?」
「無論、温泉には入りたいが……私はこの国の法律が気になっているんだ」
やっぱ温泉に入りたかったのか。あとで寄るとしよう。
「この国の法律は日本国憲法を引き継いでいるっていうことか?」
「そう、それだ」
雫は手に持った木製のフォークで俺を指しながら続けた。
「日本国憲法第九条の条文によって日本は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を否認している。つまり日本国憲法に基づけば、日本は国際紛争を解決するために武力行使をすることが出来ないわけだ」
国際紛争とは読んで字のごとく国際法主体の間に起こった紛争のことである。そして国際法主体とは主に国家のことを指し、よって国際紛争は国家間戦争と言い替えることが出来る。
噛み砕けば、日本は憲法により防衛以外で戦争をすることが禁止されていたってわけだ。
「でもさ、雫。第九条の一部は形骸化しているじゃないか。戦力不保持と謳いつつ日本は自衛隊を保有している」
そこで雫は苦笑いをする。
「自衛隊は兵隊じゃないから戦力という扱いじゃないが、まあ……詭弁だな。しかし朝鮮戦争が勃発し、日本も戦力不保持という綺麗事を言っていられなくなったんだから仕方ない」
朝鮮戦争に際して在日米軍が朝鮮半島に出動してしまい、防衛と治安維持をする兵力が日本からいなくなってしまった。そのため日本も無防備ではいられなくなったのが自衛隊の前身組織である警察予備隊創設の経緯だ。
「雫が気になっているのは戦争放棄のことだよな?」
俺はみすぼらしい木のコップに注がれた水をカイワレの束とともに胃に流し込んだ。
「ああ。四国避難所連合も日本国憲法を引き継いで戦争を放棄しているのだとしたら、こちらが戦争を仕掛けない限りジパング王国と四国避難所連合が交戦することはない」
四国避難所連合も日本と同じく憲法により防衛以外の戦争が禁止されているのだとしたら、手を出さない限り俺達ジパング王国と四国避難所連合が争うことはないんじゃないかってことだよな。
「だろうな。ただ四国避難所連合は日本国憲法をまるまる引き継いでいるわけじゃないから、連合憲法でも戦争を放棄しているかどうかはわからないぞ」
もし日本国憲法から戦争を放棄するという条文が連合憲法に引き継がれていない場合、四国避難所連合は他国に戦争を仕掛けることが出来てしまう。
四国避難所連合は戦争を放棄しているから大丈夫と楽観視するより、潜在的な敵国と扱っておく方が良いだろう。まだ確定していない情報を基に動くのは危険だし。
「わかっている。だからこそ、連合憲法に目を通して日本国憲法第九条の条文が引き継がれているか確かめる必要がある」
「分厚い法律書を全部読むってことか。そりゃ大変だな……」
聞くだけで気が滅入ってくる。
面白い小説ならば何冊でも読めるが、面白みもないのにクッソ分厚い法律書を読むというのはもう拷問の類いなんじゃないか?
「私は法律書を読むのに慣れているから任せてくれ」
法律書読みたくないなぁと俺が渋い顔をしていると、雫が腕をまくって力こぶをつくりながら言った。
「いや、雫だけにやらせるのは悪いよ」
「心配しなくても大丈夫だ。その代わり、口直しに馬乳酒が飲みたいな」
と言い、雫はちょうど野菜を全て平らげた。
「雫はそんなに馬乳酒を気に入ったのか」
俺は肩をすくめる。
好意を無下には出来ないので法律書のことは彼女に任せることにし、苦笑しながら収納カードから馬乳酒の入ったコップを取り出した。
「ほら、馬乳酒だ」
「ありがとう。……そういえば連合憲法を収録した法律書はどこで入手すればいいんだろうか?」
言われてみると確かに。どこに法律書とかあるんだろ。
「う~ん、壁内には法律書とかあるんじゃね? 忍び込んで盗んでくるか?」
「そうだな。それが一番良いかもしれない」
魔石硬貨が軍事利用されるかどうか調べるために一度は壁内に忍び込む必要があるんだし、その時についでに法律書を盗んでくることにしよう。
「童! やっとクソ不味い飯を食い終えたのじゃ!」
イザナミの声量が大きかったため今の発言が聞こえたのか、カウンターに立つ店員が白眼視してくる。
そりゃ誰だって自分の店の料理が不味いと言われたら気分を害するよね。本当に不味いとしても。
「おい馬鹿大きな声出すな! 店の人に聞こえてんだろーがっ!」
「痛っ!」
俺はイザナミの頭をチョップした。
「……にしてもまだ食べ終えてないのは俺だけか。二人はよくこんなゲロ不味い飯を全部食えたな。尊敬に値するよ」
「私はあけすけに味のことを言う俊也とイザナミを尊敬するよ。もう少しオブラートに包んだ方が良いんじゃないかな?」
そう言うと雫は肩を震わせて笑う。
リーマンやってた頃は意識せずともオブラートに包めたんだが、今ではすっかりその癖が直っちゃったから意識しないとオブラートに包めないんだよな。
「でも実際不味いだろ?」
「それは否定しない」
そんな会話を交えながら、俺は亀の歩みのごとくゆっくりと不味い野菜を噛んで無理矢理飲み込んでいく。そしてやっとの思いで野菜を完食した。
「ふぅ。やっと終わったぜ」
「遅いのじゃ! 待ちくたびれたのじゃ!」
「まあまあ、俊也は頑張ったんだしそう言ってやるな」
俺が食っている間、イザナミはテーブルに顎を載せて暇そうにしてたからなぁ。悪いことしたかな?
「よし。じゃあ二人はそのまま座っててくれ。会計してくるから」
そう言って俺は無骨な三脚のスツールから立ち上がり、財布の入ったポケットに手を突っ込みながら会計を済ませるためにカウンターへと向かっていった。