99.オユン・グンジ
「……オユンが言っていた乗馬訓練場ってのはこれか?」
「そう、これ」
「……そうか」
乗馬訓練場っていうか、これ遊園地のメリーゴーランドなんだけど。オユンはメリーゴーランドの存在を知らないのか?
「モンゴルにこれはないのか?」
俺はメリーゴーランドを指差しながら尋ねる。
「ない。ウランバートルとかにはあるかもしれないけど、放牧を営む私達のようなモンゴル人は定住しないからこういうのとは無縁」
「なるほど」
ウランバートルか。写真を見る限り、ウランバートルの街並みはめっちゃ美しかったよな。
俺はああいうスターリン様式の街並みに目がないからウランバートルには興味があったんだが、オユンがウランバートルに詳しくなさそうだからどんな風な街なのか聞けそうにないな。
一度でいいからウランバートルみたいなスターリン様式の街並みをこの目で見てみたいぜ。機会があればクロウに乗って行ってみるのもいいかも。
「いいか、オユン。あれはメリーゴーランドっていう名前で、馬術の訓練をするものじゃなくて遊具なんだ」
「乗馬訓練場じゃないんだ」
「ああ」
まあ、メリーゴーランドはフランスの騎馬隊が馬術の訓練をするために造ったのが始まりだから、あれが乗馬訓練場であることを一概には否定出来ないが。
「どうする? メリーゴーランドに乗ってみるか?」
俺がそう言うと、彼女は食い気味に頷いた。
オユンが熱い眼差しをメリーゴーランドに向けていたので乗るかどうか聞いてみたが、まさしくその通りだったな。オユンって顔に出やすいのか。
「俺は見てるから乗ってきていいぞ」
「うん、行ってくる」
「おう」
オユンは軽い足取りでメリーゴーランドへと向かっていった。
雫とデートした時みたいにトラブルにならないといいけど、そこんとこはミラージュが何とかしてくれんだろ。
「ふぉぉぉぉぉぉ。すごい。馬、動いてる」
メリーゴーランドに乗ったオユンの第一声である。
いや、君いつも馬に乗ってるじゃん……?
俺みたいな日本人はメリーゴーランドより生きて動いている馬に感動を覚えるものだが、彼女にとっては見慣れている馬よりメリーゴーランドの方が物珍しいってことか。
それでもメリーゴーランドにここまで感動するものかね。でも外国人の感性なんてわからないからなぁ。
ま、オユンが楽しいなら何でも良いか。
「終わっちゃった」
とオユンは心なしか寂しそうに言いながら、近くのベンチに座っていた俺の元にトボトボと歩いてくる。
「オユンはジパング王国の貴族じゃないが蝦夷汗国の王族だから無料で何回もアトラクションに乗れるぞ?」
俺がそう言うとオユンは目を輝かせ、駆け足でメリーゴーランドへと戻っていった。
無表情キャラだと思っていたら意外と表情豊かだな。
「ハハ、元気そうだなぁ」
オユンがメリーゴーランドに乗って楽しんでいるのをぼんやりと眺める。
美少女はメリーゴーランドに乗るだけで様になるのか。
無言でチェキカメラを取り出した俺は、メリーゴーランドで遊ぶオユンを遠くからひたすら撮り続けた。
可愛い。ただただ可愛い。褐色系美少女……そそるぜ。ぐへへ。
「……あなたの奥さんに言いつけるっすよ」
「うおぅ! ビックリした!」
「なにビビってるんすか」
オユンの隠し撮りに夢中になっていたらいきなりミラージュに話し掛けられたのだ。そりゃビビるわ。
「で、さっきは呼んでも出てこなかったミラージュさんは俺に何か用かな?」
「今言った通りっす。オユンさんを隠し撮りしていたことをマスターの奥さんにチクるっすよ」
「やめてくれ(マジトーン)」
婚約破棄とかになったらどーするんだよ。いや、隠し撮りしてた俺が悪いんだけども。でもさ、可愛かったんだから撮りたくなるのはしょーがないじゃん?
「婚約したばかりの人が開き直らないでくださいっすよ……」
ミラージュがドン引きし、俺から距離を取るように少し後退する。
「犯罪者を見る目を俺に向けるな」
「浮気は犯罪っす」
「眺めてるだけだからセフセフ」
そんな他愛もない会話をしていると、さすがにメリーゴーランドにも飽きてきたのかオユンがこちらにやって来た。
「どうも、ヴァレンタイン公」
オユンはミラージュに会釈をする。
おお、ミラージュをヴァレンタイン公とか呼んでる奴を初めて見たよ。そういやこいつ、公爵だったな。それに苗字がヴァレンタインだったのも忘れてた。
なんだっけ、確か2月14日に生まれたからヴァレンタインって名乗り始めたんだっけか?
「俊也。私、おすもーさんに会いたい」
おすもーさん? ……ああ、お相撲さんね。
「相撲取りか。ジパング王国にいたっけ、相撲取りなんて」
オユンには悪いけど、残念ながら今のところジパング王国で相撲の需要はないからなぁ。ってか、俺的には相撲ってお年寄りしか見ないイメージがあるんだが。
でもなんかカッコイイ相撲取りに若い女の人のファンがいるとか聞いたことあるな。太ってるのに若い女のファンがいるとか嫉妬以外の感情が湧かん。
やっぱ顔か? 顔なのか? ぐぬぬぬぬ……。
いや待て。俺には婚約者がいる。それもとびきり美人の。つまり俺、勝ち組なのでは?
「悔しがっているのかと思ったら急にニヤけ出したりして表情がコロコロ変わっててキモいっす」
「あ、顔に出てた?」
ミラージュが頷く。
「まあ俺の表情はさておき、オユン。現時点でこの国に相撲取りはいないんだ」
俺がそう告げると、オユンは途端に涙を目に浮かべる。
「そんな……」
えぇ。泣くほどのことか?
「やーい、マスターが女の子を泣かせたっす! いーけないんだ! いけないんだ! せーんせいに言ってやろ! せーんせいに言ってやろ!」
手拍子を取りながらミラージュが煽ってきた。
小学校に一人はいたウザい奴の真似のするな。小学生の頃に嫌いだった奴のことを思い出して顔面に拳を叩き込みたくなるじゃないか。
「なあ、オユン? まず泣くのやめようぜ? 俺が泣かせたみたいに周りの人に誤解されるし」
「泣かせたのはマスターっすよ?」
「その発言が誤解を助長してるんだからミラージュは口閉じてろや」
ほら、遊園地に遊びに来ていたカップルと思われる男女が俺に軽蔑の視線を送ってきている。違うから! オユンに酷いことをしたわけじゃないから!
俺の名誉のためにも早急にオユンを泣き止ませなくては。
というわけで収納カードに相撲関連のなにかが入ってないか確かめてみると、空いた厚紙のティッシュ箱で作っていた紙相撲がちょうど良くあった。
そういえばイザナミのために作っていたんだったな、これ。
「ほらオユン、これをあげるから泣き止んでくれ」
俺がオユンの顔の前に紙相撲を持ってくると、オユンは目に溜まった涙を服の袖で拭う。そして何度か瞬きをしてから口を開いた。
「それ、相撲?」
「そう、相撲だ。これは指でトントンして遊ぶものなんだよ」
俺は紙相撲の遊び方を実演してみせる。するとオユンは少し口角を上げた。
「すごい。そんなのがあるんだ」
モンゴルにはなかったからなのか、彼女は熱い視線をティッシュの空箱に注いでいる。
紙相撲に興味津々ってことは、オユンは相撲取りが好きというより相撲全般が好きなのかな?
「紙相撲は対戦ゲームだ。ひとまず俺とオユンで戦ってみるか?」
「うん」
食い気味にオユンが返事をする。
そうして遊園地のベンチでティッシュの空箱を指でトントンと叩く奇妙な二人組が誕生した。そんな俺らをミラージュが呆れ顔で見ていたのは言うまでもない。
「遊園地に来たのにアトラクションで遊ばない人達を初めて見たっす。この遊園地、私の最高傑作なのに……」
ミラージュがしょげ始めた。だが俺達は無視して紙相撲を続ける。
しばらくしてオユンが紙相撲に飽きてきた頃、収納カードから取り出した相撲の漫画をいくつか彼女に手渡す。
「これ読んでみ。日本の相撲漫画だ」
「おお」
オユンは目を鋭く光らせながら相撲漫画の表紙を食い入るように見る。しかしすぐに眉を落とした。
「私、日本語喋れる。けど日本語読めない」
くわしく聞いてみるとひらがなやカタカナはかろうじて読めるが、漢字はほとんど読めないらしい。
それもそうか、日本人でも漢字が苦手な人だっているんだし。逆に外国人が漢検一級とか持ってたら目をひん剥いて驚くよ。
「なら漫画を読みたい時はミラージュに読み聞かせてもらってくれ。こいつ、王都内限定だけど呼べばすぐ現れるし。その漫画は貸しとくから、持ってていいよ」
「わかった。ありがと」
大切そうに漫画の束を抱きかかえながら、オユンは言った。
ちなみにサブタイトルにある『オユン・グンジ』の『グンジ』はモンゴル語で『гүнж』と書き、日本語では王女やお姫様という意味があります。
ゾリグ・カンのカンが日本語で国王を意味するのと同じです。