吟遊詩人とメモリー
アルバが目を覚ましたのは、パブだった。
「本当に何してるんやら……」
黒いスーツを着こなす少年が、アルバに湧き水を飲ましていた。アルバの喉が上下しているのを見て、少年は安堵のため息を吐いた。
マルクス・フォン・ブッシュ。今年で十五歳。背丈はアルバより少し高く、百六十五センチといったところ。声は少年と青年の間の様な、色気と幼さも兼ねた声である。
両親を邪神に殺されてから、彼はこの店を一人で切り盛りしている。
後ろの棚には綺麗に珈琲豆の入った瓶やらワインやらが陳列している。店の床には埃一つ落ちてない。マスターは世間話や神話に詳しい。これらはマルクスが父親から厳しく教わったブッシュパブスタイル。マルクスはそれを守っている。
「ん、ああ……。マルクス」
アルバはここの常連客である。戦いのあとなどは必ずここでカクテルを飲むのが彼女のルーティーン。
「びっくりしたよ。なんか森の前でぐったりしてる人がいるなって思ったらアルバだっただなんて。背中に穴開いてたし。珈琲豆詰めておいたから多分数日後には塞がってるね。で、またマタンと戦ってたんでしょ?」
「ま、まぁ……」
「やっぱり。いい加減やめたら?」
マルクスはアルバをソファからカウンター席に移動させると、いつもの赤いカクテルを出してきた。アルバはこのカクテルの控えめな甘さが大好きなのだ。
入口のベルがカランコロンと鳴る。入ってきたのは、ダスク・サンクチュアリだった。金髪を三つ編みにした可愛らしい少女であるが、こう見えて黄昏の女神である。アルバとは十二億年前からの友達。
「ダスクいらっしゃい」
「いつものお願い」
マルクスは頷くと、材料が足りないのか奥のキッチンへと消えて行った。ダスクは、アルバが見たこともない文字で書かれた本を手に取って、熱心にそれを読んでいる。
するとまた入口のベルが鳴った。今度は、吟遊詩人だった、帽子を目深に被った彼は恐らく異国の吟遊詩人だとアルバは思い、彼に向かってにっこりと微笑んだ。
「吟遊詩人をやっています。各地のパブに滞在させて頂いております。名乗るほどの者ではありませぬが、私のことはアンドレアとでもお呼びください」
アンドレアはアルバに向かって自己紹介して、席に座った。戻ってきたマルクスに珈琲を頼むと、ハープを取り出した。
「一曲如何?」
「どうせお金ないから自分の曲で賄おうってんでしょ? まあいいよ。いい曲だったらタダにしたげる」
マルクスは呆れながらもアンドレアの曲に耳を傾けた。アンドレアの細く長い指がハープの弦に触れる。
「〽そうあれは とある夜のこと 脳枯れた とある民たちの……」
それはどうやらトワイライト神話の曲だとアルバは思った。アルバの数億年前の記憶と照らし合わせながら曲を聴く。それはダスクも同じの様で、その瞳は空想に浸っていた。
「〽暁と黄昏 共に溶け合う やみつきの傷痕 時超えて——」
その歌詞にアルバの心臓はドクンと跳ねた。アルバの過去の記憶。神々の大戦争。封印。全ての記憶がまるで雪崩の様に彼女の脳内に浮かび上がってきたのだ。
暁と黄昏が共に溶け合う……?
その一文がアルバにはかなり引っかかったが、まだその答えを出せなかった。