暁は朝に勝てるわけがない。
何億年も神々の戦いが続いている世界、トワイライト。
海は白波を立て、風は全てを巻き上げて、草は全てを抱擁する。そんな神々のパワー溢れる世界で、一人の女、アルバが町はずれの原野を駆けていた。
勝ちたい……。勝ちたい……。勝ちたい……!
アルバは衝動を抑えながら必死に走った。スチームパンクの、クリーム色をしたブラウスに、鴉の羽根の様に黒いロングスカート。少しいいところのお嬢ちゃんみたいな恰好だが、アルバの普段着ではない。アルバはいつも軍服である。
ブーツが石造りの道を蹴り、軽快な音を立てる。二本の三つ編みが揺れ、風を生み出す。
父親の形見である懐中時計は午前四時を指していた。
「行くか」
アルバはさらに足を速め、森の奥へと駆けこむ。普通だったら何も見えないであろうこの暗い森。だがアルバの千里眼にかかれば暗闇くらいお見通しだった。アルバは自身の手首に掌を当てた。どくどくと躍動する手首。大丈夫。自分の命脈はしっかりある。アルバはほっと一息ついた。背中に刺さっているのは、古代よりこのトワイライトに伝わる、アルバ自身も十億年前の神々による大戦争で用いた大剣。これで光の精霊へ最後の一撃をお見舞いした。アルバには確かにそんな記憶がある。
その大剣の名は、ルスワール。
戦闘時には炎の様に赤く燃え上がる。触れたらもう命脈が途絶えるくらいの威力を持つその大剣は、アルバが前世、地獄の炎の中で見つけ出したものである。俗にいう山賊として生きていて地獄に落とされた彼女がそれを見つけ出してあの世の門番を殺し、今に至っている。
そして今アルバは当時のあの世の門番を目の前にしている。
「まあ、懲りない人ね」
聖女と呼ばれてきたアルバを冒涜しているのは、当時あの世の門番をしていた、今は朝の女神であるマタン・プレヴィジオンである。
淡いスカイブルーの髪と右眼。左眼には白い眼帯がしてある。
暁の女神として生を受けたアルバにとって、マタンは宿敵そのもの。暁は朝には到底かなわない運命なのだから。でもアルバはどうしても負けたくなかったのだ。
「あたしはアンタに勝ちたいの。だから今あたしはここにいるの」
アルバの中の血液が熱を持ち始める。アルバを興奮させるために、徐々に、徐々にその速度を増す。彼女の心臓が興奮してバクバクと音を立て始めた。
上がれ、上がれ、上がれ……!
ルスワールがもう待ちきれないと言うかのように燃え上がる。背中から抜かれたそれをアルバは一振りする。炎が空気を含んで燃え上がるが、マタンはそんなこと一切恐れることはなく、左眼を覆っている眼帯を外した。
「バカね。バカすぎるわ。貴女は暁なの。朝である私に歯向かおうだなんて、無謀よ」
マタンはその左眼を近くの白薔薇へ向けた。白薔薇はみるみるうちに成長し、そしてアルバの体に巻き付く。
「くっ……!」
アルバは悶えた。手も塞がっている。ルスワールが使えない。苦しい。辛い。ルスワールの炎は燃える一方。そこでアルバは閃く。ルスワールの炎が白薔薇に燃え移ってくれればきっと助かる、と。
「おりゃああああ!」
手首だけで体重の三倍はあるルスワールを動かす。ジュっという音とともに、白薔薇が焦げた。燃えていく。白薔薇が、燃えていく。解放されたとしてこれからどうしよう。アルバの自信はどんどん沈んでいった。動悸が止まらない。
ついに解放されたアルバ。ルスワールの鋭い刃を、マタンに向けた。そして不敵な笑みを浮かべて飛びかかる。
「ふっ……」
マタンの首は見事に斬られた。辺りに広がる鮮血はまるで暁の空のようだ。そう思って勝利の笑みを浮かべるアルバ。だがその時、彼女の後ろでは——。
「ぐはっ?!」
アルバは光線で貫かれた。背中がジュっと焼けている。苦しみ悶えて地面に倒れこんだ。
「だからバカって言ったじゃない。朝だったらなんでもやり直せる。再生可能。エネルギーに満ち溢れてる。でも貴女はどう? まだ覚醒しきっておらず、微睡の中。まだ今日という今日が始まっておらず、中途半端。さ、今日はさっさと帰りな、お嬢ちゃん」
マタンの左眼が、直視できない程に眩しく白く光る。その瞬間、アルバの体にはいくつもの焼き跡。
ビュン、ジュッ、ビュン、ジュッ……。
光線が発射される音。アルバの体が焼かれる音。それはあまりにも残酷な光景であった。
「やめてぇぇえ! 痛いっっ! 痛いっっ……! いやあああああ!」
悲痛な叫びが木霊するが、それでもマタンは不敵な笑みを浮かべてアルバへの攻撃を続行していた。彼女らに、慈悲はない。相手を痛めつけるのを楽しみにする。自分が痛い目に遭っている時だけに助けを求める。
トワイライトの神々は皆そう。だから争いが何億年経っても終わらない。
泡を吹き、手足をぴくぴくさせ、服は焼かれたアルバ。彼女の意識はゆっくりとフェードアウトしていく。じわじわと痛めつけ、すぐには気絶させない。そこのところもマタンはトワイライトの神らしい。
痛みに嘆きながら、アルバは意識を無くした——。