エピローグ
黒のニットのセーターに白のタイトスカートを体にあてがい、姿見の中の自分をチェックする。
おかしくないだろうか。
私服を着て出かけるのは久しぶりなので、どの服が自分に似合うか、判断するのに時間がかかってしまう。
やっぱりいつものように制服を着て行こうか。そんな考えがよぎったりもしたが、今日の私は負けなかった。セーターとタイトスカートを着て、その上からコートを一枚羽織り、部屋を出る。持ち物は小さめのショルダーバックのみ。中には一冊の本と招待状。
家を出て、通りを歩いていく。今日はクリスマス。街の人々の誰もかれもがどことなく幸せに見えてしまうこの日が、私は苦手だった。だから毎年、クリスマスは家にこもって本を読む日と決めていた。本の世界はどこまでも広く、深く、私を受け入れてくれた。だから寂しくはなかった。本さえあればいい。そう思っていたのに、私は出会ってしまう。こんな私を受け入れてくれる人たちと。
歩いて、歩いて、横断歩道をわたって、大通りに出て、また歩いて、大通りからそれ、ようやく、私は行きつけのお店にたどりつく。入り口のガラス戸には読書会の開催を伝える張り紙がしてあった。
ドアを押して中に入る。
店内はクリスマス仕様になっていて、赤や緑の飾りが目立つ。クリスマスツリーは邪魔にならないよう通路をよけて店の片隅に。
人はすでにたくさん来ていて、席が埋まってしまっているテーブルもある。
「琴刃ちゃん、メリークリスマス」
入り口付近で立ち尽くす私に声をかけてくれたのは、サンタ服を着た花菜さんだった。
「今日は来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそこのようなイベントを開いてくださり、ありがとうございます。それと先日は本当にすみませんでした。私のせいで弟さんが――」
「あら、そんなこといいのよ。というか、弱いあの子が悪いんだし。ほんと情けないわ。たかだかヤクザの数十人、一蹴できなくてどうするのよねえ」
片頬に手を当て困ったようにしなを作る花菜さん。この人はどこまでのことを黒沢さんに求めているのだろうか。
「席はどこでもご自由に。あ、ちなみに流君は一番奥のテーブルにいるわよ」
「あ、ありがとうございます」
私は赤面しながらお礼を言って、一歩一歩、通路を奥へ奥へと進んで行った。突き当りのそばのテーブルに彼はいた。文庫本を開いて文章を眺めている。
「黒沢さん、こんにちは。隣、座ってもいいですか?」
彼は顔を上げると、私の方を見てかすかに微笑んだ。
「どうぞ。あ、壁際の方が落ち着く?」
そう言って彼は椅子を引いてくれた。私はそこに座る。
読書会が始まる十時まであと十五分はある。隣に座れたのはいいけど、どうしよう。私がショルダーバックをおなかに抱え込んでうつむいていると、
「火口の私服、初めて見た」
と黒沢さんが言った。私は髪を耳にかけながら尋ねる。
「へ、変じゃないですか?」
「似合ってる。きれいだよ」
そんな一言、二言で、私は舞い上がってしまう。恥ずかしくて、彼の顔を見れない。でも、会話は続ける。
「お体の具合はどうですか?」
「もうすっかりよくなったよ。どこも痛くない。後遺症も何も残らず」
私は安堵のため息をつく。
それから話題は読書会のことに移っていった。
「最初、課題本についての簡単な解説を花菜姉がして、その後は各テーブルで自由に感想を言い合う形式らしい」
まだこのテーブルは私たちだけ。あと四人空きがある。
「どういう方が来るか、楽しみですね」
「ああ、まあ、なんとなく予想はつくが」
そこで会話が途切れてしまった。もっと話したいけど、おしゃべりな女だと思われるのも嫌なので、黙ってバックから本を取り出す。サリンジャーの『ナインストーリーズ』。その本には、今朝、おじい様からいただいた栞が挟んである。金色の金属製の栞で、デザインは葉っぱをモチーフとしている。
私は本のページをめくり、文章を目で追ってはみたものの、やっぱり黒沢さんとお話したくなって、勇気をふりしぼって自分から会話を切り出す。
「黒沢さんは、何かクリスマスプレゼントもらいましたか?」
「あー、花菜姉から明日バイト休んでいいって言われたぐらいかな」
「そ、そうですか」
頭の中で明日のスケジュールを確認する。学校はすでに冬休みに入っている。夕方、塾がある。けど、振替制度があるから休むことは可能だ。
「私も明日は何も予定がありません」
「そうか」
「はい」
気まずい沈黙が数秒流れた。
「なら、一緒にどっか行くか?」
「はい」
私は今まで抑えつけていた自分の気持ちが抑えきれなくなって、机の下で彼の手にそっと触れた。ぎこちなく指を動かして彼の手を握ろうとすると、彼は握り返してくれた。
「火口はどこか行きたい場所とかあ――」
「あんまり調子に乗るんじゃないわよ、黒沢流」
美白先輩が突然現れ、黒沢さんは「ひっ」と背筋を正す。先輩の方を振り返りながら、憎々しげに言う。
「先輩、来てたんですか?」
「今来たとこよ。でも店内に入った途端、あなたが琴刃さんといちゃいちゃしている気配がしてすっ飛んできたの。琴刃さん、メリークリスマス。って私服? やだ、かわいさがすごいわ。これはもう犯罪級のかわいらしさだわ」
「そ、そんなことありません」
「そんなことあると思います。こんにちは、お姉さん」
直人君までやって来た。
「お姉さん、聞いてください。ぼく、クリスマスプレゼントに何をもらったと思います?」
「漫画だろ」黒沢さんが言った。
「当たりです、お兄さん。でも、ただの漫画じゃりません。『ドラゴンホール』の完全版、それも全巻セットです。全巻セットですよ」
「え? それマ? 『ドラゴンホール』とか超なついんですけど。直人読み終わったらでいいからマジ貸してくんない?」
いつの間にか来てた雷華が、直人君の肩に手をかけながら言う。その後ろからのそっと剛志先生が現れた。「メリークリスマス」と野太い声で言って、それから、黒沢さんに目をやる。
「黒沢君、退院したんだな」
「どうも。救急車呼んでくださったの、岩砕さんだったんですよね。その節はお世話になりました」
「あのときは肝を冷やした、本当に。でも、きっと、君たちのあの無謀な行動があったからこそ、こうして今日、みんなで集まれているんだろうな」
「マジそれな」
「雷華、なんだ、その言葉遣いは。そもそもお前は二学期の期末でまた国語の成績をがくんと落としていたな。普段からそんなテキトーな言葉遣いをしてるから――」
「ちょ、やばい。パパマジ切れしてる。琴刃助けて」
「無理です」
みんなの笑い声がテーブルを包む。
ああ、この人たちと笑いあえる今という時間が、とても尊く思える。
おじい様。私、思ってもみませんでした。栞を挟んで覚えておきたいような、そんなかけがえのないひとときが、私の人生に訪れるなんて。




