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ヤクザの娘行きつけの〇〇  作者: 仙葉康大
最終章
48/50

ナイフが脇腹を刺していた

 廃工場の中は木片やよくわからない鉄の部品が散乱していた。バカでかい機械は稼働しているはずもなく、表面が錆びついてきている。


 中央にはストーブが置かれていて、そのそばには男が二人。傍らには、手を縄で縛られた火口が地べたに座らされている。


 火口と一緒にいるあの男二人のうち、巨体ではない方、白いスーツを着ている方が火口針矢だろう。


 工場内にいるヤクザの数はざっと三、四十人。そいつらの刺すような視線を受けながら、俺たちは針矢と弾司の前に連れていかれた。火口が立ち上がる。


「どうしてここに――」


 すかさず針矢が火口の口を押えた。


「誰がしゃべっていいって言った?」


 スーツの胸ポケットからナイフを取り出し、それを、火口の、まだ傷一つついていないなめらかな喉もとに突きつけささやく。


「泣き叫ぶのはじじいが来てからにしろ。いいな?」

「なにふざけたこと言ってるのよっ。その薄汚い手を琴刃さんから離しなさいっ」


 先輩が叫ぶ。が、針矢は顔色一つ変えない。


「お前、カラオケ店にいた女だな。ちゃんと火口組の奴らにはこの場所伝えたんだろうな?」

「伝えたわよ。でも――」


 針矢は鼻で笑った。


「そうか。要するに火口組の組長さんは自分の命欲しさにここに来るのを渋ってるわけか」


 そんなはずはない。刀次さんは火口のことが大好きだ。それは、手をつないだだけで夜討ちを受けた俺が一番よくわかってる。刀次さんは動かないんじゃなくて、動けないんだろう。内部で意見が割れているのかもしれない。そうでなくても、大きな組織になればなるほど、トップは動きづらくなるものだ。


「男とガキは何だ? お前らもこいつの友達か?」

「そうだ」


 答えながら、今打てる最善手は何か考える。敵の数は三十から四十。内半数はナイフを持っているが、銃を持っている者はいない。どうすればここから形勢をひっくり返せる?


「兄貴。火口組の奴ら来ねえから、こいつらで暇つぶししてもいいっすか?」


 何十人といるヤクザの中からモヒカン頭の男が出てきて言った。


「ここに来てからもう二時間は経ってますぜ。その間俺たち、ただ突っ立ってバカみたいに待って。正直退屈してんすわ」

「好きにしろ」


 針矢は興味なさげにそうつぶやくと、火口の首にナイフを押し当てたまま、もう一方の手でスマホを見始めた。


「ってなわけで、お前、今から俺たちのサンドバッグになってもらうぜ」


 言い出したモヒカンと他十名ぐらいが俺の周りに集まってきた。


「直人、あっち行ってろ」


 俺は直人を先輩と岩砕さんのもとへ行かした。ヤクザも流石に小学生を追ったりはしない。


「じゃ、始めるぜ」


 そう言ってモヒカンは俺の腹にパンチを繰り出した。次々と四方八方から男たちが殴りかかってくる。俺は攻撃をかわしはしなかった。特に防御もしなかった。男たちも遊んでいるだけで全然本気じゃない。だから、これぐらいのリンチ、一時間でも二時間でも耐えられる。


「へいへい、兄ちゃん、どうした? っていうかやっぱ無抵抗じゃつまんねえな。反撃してきてもいいんだぜ」

「俺が反撃したら、火口を傷つけるんだろ?」


 ぷっとモヒカンが吹き出して笑った。


「なに人質の心配なんかしてんだよ。安心しろ。これはただのお遊びだ。反撃しても人質に手なんてださねーよ。ほらほらどうした?」


 言いながら、モヒカンがリズムよく俺のボディーや顔にパンチを決めていく。


「いいんだな? 本当に」

「だーかーら、いいって言ってんだろ」


 次の瞬間、俺はモヒカンの頭をわしづかみにして床にたたきつけた。他の奴らが驚いてる隙に、一番近くにいた男の腹に深いパンチを叩きこむ。男はおなかを押さえ、膝をついて倒れる。二、三人が血相を変えて俺に飛びかかってきた。そいつらの攻撃をいなしながら、あご、股、顔面にカウンターをお見舞いする。


 本気になったのか、鉄パイプ、ナイフ、スタンガンなどの武器を使ってくる奴らもいたが、関係なかった。攻撃を見切り、拳や蹴りを叩きこめばいいだけだ。


「てめえ、ふざけんなよおおお」


 今まで傍観していた連中が一斉に俺に襲いかかってくる。チャンスだ。全員やれる。


「おいっ」


 怒号が工場内に響いた。みんなが針矢の方を見る。


「悪いな。大きな声を出して。けどな、お前らのお遊びのせいで戦力の三分の一が削られたぞ。これ、どう落とし前つけるんだ?」


 言いながら、針矢は倒れた仲間を踏んづけながら、俺の目の前まで来た。もちろん火口も連れて。


「これからお前には反撃を許さない。こいつの血が見たくなかったら、ただ無抵抗に殴られ続けろ。いいな?」


 俺はうなずく。


「何してる? とっととこいつを戦闘不能にしろ」


 針矢の声がかかると、男たちが今度こそ一斉に俺に襲いかかってきた。もう遊びじゃない。拳の一発一発が重い。


「こいつら、どんな隠し玉を持ってるかわからしないからな。念のため、ガキの方も痛めつけとけ」

「針矢さん、女どもはどうします?」

「好きにしろ」

「よし。犯していいってよ」


 そんな会話が聞こえ、俺は殴られながらも強引に直人のところまで移動した。よかった。まだ殴られていない。俺は直人をしゃがませ、その小さな体を包むように抱く。これでヤクザの攻撃は直人には届かない。代わりに俺の体には殴打の跡がどんどんついて行く。


「お兄さん、ぼくのことはいいですから、お姉さんたちを――」

「いいわけないだろ」


 直人、先輩、岩砕さん。三人を同時に守ることはできない。なら、一番弱い直人を守るべきだ。でも、それはつまり他の二人を見捨てるということで。


 岩砕さんの悲鳴が聞こえる。先輩が汚い言葉でヤクザをののしっている。火口が「もうやめて」と泣き叫んでいる。


 もうどうにもならない。助けたいが、俺自身、体中を殴られ、蹴られ、もう意識が飛びそうだ。

 絶望の底に沈みかけたそのとき、重機が壁を破壊したかのような重低音が響きわたった。


 その場にいた全員が動きを止め、音が鳴った方、廃工場の正面入り口を見た。男が仁王立ちでこちらを睨んでいる。体は熊よりも大きい。頭は角刈りで、その表情には何かどす黒いものがにじんでいる。男のそばの壁は、拳の跡がくっきり残るほどへこんでいて、さっきの重低音は、男が壁を殴った音だったのだと気づく。


 男は、ゆっくりと腕を前に出すと、それを一気に後ろへ振り、もう一度壁を殴りつけた。再びバカでかい重低音が鳴り響く。


 ヤクザの男たちは動けない。俺も、誰も、動けない。男の殺気がすさまじすぎて。


「この中から、ウチの娘の悲鳴が聞こえたんだが?」


 男が目をやった方には先輩と岩砕さんがいた。どちらも、服を半分ほど脱がされ、下着があらわになっている。


「パパっ」


 岩砕さんが叫ぶ。ということは、あの人は、岩砕さんの――。


「雷華。俺に嘘をついたな? 家に帰ったらお前がいなくなってたからびっくりしたんだぞ」

「ごめん。でも――」

「あとで説教だ」


 有無を言わせずそう言って、岩砕さんのお父さんは首をひねる。


「で、お前ら、ウチの娘に何してるんだ?」

「ひっ」


 岩砕さんのそばにいたヤクザがしりもちをついた。それが開戦の合図だった。岩砕父は殺意むき出しの雄たけびを上げ、ブルドーザーのようにヤクザの群れの中へ突っ込んでいく。なぎ倒されていくヤクザたち。まさに蹂躙じゅうりんだった。


「おいっ。とまれっ。人質がどうなってもいいのか?」


 針矢が慌てて声を張り上げるが、まるで聞いていない。ただヤクザを殴り倒すことのみに専心している。


 岩砕父は、俺の周りにいた奴らも含めてほぼすべてのヤクザを戦闘不能にしてくれた。残っているのは針矢と、針矢の相棒である弾司だけ。


 弾司は、くちびるのピアスを指でいじりながら、品定めするような視線を岩砕父へ向け、一言。


「お前、強いな」

「弾司、まだ待て。お前は最後の切り札だ」


 針矢は火口を盾にするかのように自分の体の前に密着させ、これみよがしにナイフを突きつけて叫ぶ。


「お前ら全員、もう帰れっ。今すぐ工場を出ろ。じゃないとこいつののどをかっ切ってやる」


 人質の首を切れるはずがない。俺は全身の痛みにあらがいながら立ち上がる。


「どうした? 早くしろ。そもそもお前ら、意味わからねえんだよ。俺は火口組の組長を呼んだんだ。なのにてめえらみたいな意味不明な奴らがなんで来るんだよ? お呼びびじゃねえんだよ」

「そうです。みなさん、もう帰ってください」


 か細い声でそう言ったのは、火口だった。いつもは凛としている瞳が今は涙にぬれている。


「私のことは、もういいですから、これ以上傷つく前に、もう、帰ってください」


 俺たちは今や全員が立ち上がり、五人そろって前を向いていた。その視線の先には火口がいる。ヤクザの娘で、ウチの常連で、図書室で毎週本を借りてて、塾に通ってて、護身術を習ってて、普通に友達とカラオケに行ったりする、火口琴刃がいる。彼女は声を震わせて尋ねる。


「どうして?」

「みんな、火口のことが好きなんだよ」


 俺は笑って答えた。先輩がうなずく。


「あなたと出会っていなかったら、今の私はないわ」

「ぼくもお姉さんがいるから、退屈な勉強もがんばれます」

「てか絶対一緒に帰る」


 その言葉に火口の目から大粒の涙が零れ落ちる。


「うっさいぞっ、お前らっ。さっさと帰れっ。こいつを、さささ刺してもいいのか?」


 針矢の脅しにこちらの巨体が動く。


「俺の教え子に傷をつけてみろ。ただじゃおかない。というか殺す」


 あちらの巨体も動く。


「やってみろよ、でかぶつ」


 大男二人が動き出したのはほぼ同時だった。まるで相撲の立ち合いみたいに両者真正面からぶつかる。鉄の塊と鉄の塊がぶつかったような衝撃が空気を通して伝わってくる。それはもう人間と人間の格闘ではなく、獣と獣の殺し合いだ。


 俺は素早く視線を走らせる。観戦してる場合じゃない。火口は?


 針矢が火口を連れて裏口へ向かっている。俺は追いかけようと足を出す。が、全然走れない。くそ。体が言うことを聞かない。このままじゃ逃げられる。


 俺が無様に体をふらつかせながらも前に進んでいる横を、先輩が駆けて行った。そのすぐ後ろを直人、岩砕さんがついていく。


「待ちなさいっ」


 先輩が叫び、針矢が振り返り、先輩を殴った。倒れる先輩。ひるむ直人と岩砕さん。俺は必至で足を動かす。


「わあああああああ」


 直人が恐怖を追い払うように叫び、針矢へ突っ込んだ。針矢は蹴りを繰り出す。直人の腹にあたる。そう思った瞬間、間に岩砕さんが入り、蹴りを受け止めた。が、針矢はさらに足を押しこみ、岩砕さんの体制を崩させ、そこにもう一発蹴りを入れ、岩砕さんを直人ごと吹っ飛ばした。


「このアホどもがっ。邪魔ばっかしやがって。てめえらさえ来なかったら、俺は今ごろ次期組長の座を約束されてたんだっ」


 油川組の次の組長になりたい。そんなくそくだらない理由で火口をさらったのか、こいつは。

 俺は足を速め、激痛に体を引き裂かれながら、奴に向かって殴りかかる。


「うおっ」


 針矢が俺の拳をよけた。俺はすぐもう一方の拳を放ち、奴の脇腹を殴った。が、浅い。仕留め切れなかった。


「お前ええええ、これが見えないか? ああん? 見えるだろ、見えろよ、おい」


 針矢は激昂して火口ののどをナイフの腹で何度も叩く。


「いいか? 脅しじゃない。ほんとに切るぞ。こいつは大事な友達なんだろ? なら動くなよ。攻撃するな。追ってくるな。アホ死ね」


 針矢は目玉をぎょろぎょろさせて俺を、先輩を、直人を、岩砕さんを見た。


「いいかあ、こいつは人質だ。だから殺しはしないがな、死なない程度の傷を負わすことぐらいはいくらでもできるんだよ。それをよく考えろよおおお、お前らああああっ」


 先輩、岩砕さん、直人はもう立ち上がっていたが、男の言うことを聞いて、攻撃をしかけるのを踏みとどまった。


 俺は火口の目を見た。それは傷つけられることを恐れている目じゃなかった。その目の強さだけを信じて、俺は針矢に突っ込んだ。針矢は絶叫しながらナイフを火口ののどへ押し当てた。切り口から血が出る。でもそれはほんの一瞬のことで、俺は奴の手を取り、火口からナイフを引き離し、そのまま奴を押し倒す。


 馬乗りになって奴の顔面へパンチを――。

 腹が、痛い。


 見ると、針矢の手が伸び、ナイフが、俺の脇腹を刺していた。刃先が見えないぐらい、深く、腹の内側まで届いている。


 針矢の顔が胸糞悪い笑みにゆがむ。

 やばい。意識が飛ぶ。ダメだ。せめてこいつを、やっとかないと。

 火口を、俺の好きな人を、守るんだ。


 俺は薄れゆく意識を気合いで立て直し、五本の指に力をこめ、拳を握る。後先考えず、渾身の力をこめて、顔面を潰すつもりで殴った。鼻の折れる感触がした。


 意識が遠のく。俺の名前を呼ぶ火口の声が聞こえる。よかった。好きな人守れて死ねたんだ。こんな最期も悪くない。


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