主人公が二人いたって
一杯目のホットミルクはすぐ飲み切ってしまった。
「お代わりいるか?」
カウンターからお兄さんが尋ねた。
「いいんですか?」
「サービスだ」
ぼくは二杯目のホットミルクを待っている間に、喫茶店の中を見回してみた。日曜の昼過ぎということもあって客の入りはそこそこ。老夫婦や中年のおじさんが多く、それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。
「はい、どうぞ」
そう言ってホットミルクを出してくれたのは、お兄さんではなく、大人の、女の人だった。栗色の髪は一つ縛りにしていて、黒色のエプロンがとても似合っている。
「私、この店の店主で、流君の姉の花菜だよ。どうぞよろしく。君、琴刃ちゃんの友達なんだって?」
「はい。同じ塾に通っています。お姉さんはいつもぼくの隣に座ります」
「へえ。君、気に入られてるんだね。流君、ライバル登場だね」
「何のだよ」
「恋のだよ」
お兄さんはやれやれという顔をした。それから気を取り直すようにぼくに話題をふった。
「『メンター×メンター』の新刊、面白かったか?」
「それはもう、ものすごく」
「明日から連載再開だよな?」
「はい。すでに今から興奮してますよ、ぼくは」
「俺も」
お兄さんは接客の合間合間にぼくに話しかけてくれた。ぼくたちは主に『メンター×メンター』のことについて話した。でもぼくが本当に聞きたかったことは別にあった。
「お兄さん、一つ聞いてもいいですか?」
「なんでも聞いてくれ」
ぼくは答え合わせをするときのような気持ちで問いかける。
「お兄さんと琴刃お姉さんは、どういう関係なんですか?」
そのときだった。不意にお兄さんがスマホを取り出し、画面を見た。眉をひそめ、花菜さんに声をかける。
「ごめん。花菜姉、ちょっと電話」
そう言ってカウンターの奥の裏口から外へ出て行ってしまった。
「あわただしい奴。ねえ?」
ぼくに同意を求める花菜さんの顔には、何か思わせぶりな微笑みがにじんでいた。
「そう言えば名前、聞いてなかったね、君の」
「申し遅れました。直人です」
「アハハハ。申し遅れたなんて難しい日本語よく知ってるね」
「『メンター×メンター』のキャラがよく言っているので。ぼくの知識の八割は漫画を通して得られたものです」
「偉いっ。っていうか直人君、漫画読むの好きなの?」
「大好きです」
「小説は?」
「漫画よりは読みませんが、好きですよ。教科書を読むより断然面白いので」
「じゃあさ、もし予定が合えばなんだけど、来週のクリスマスにね、ここで読書会を開くんだけど――」
「すみません。ご注文、いいかしら」
老婦人が手を挙げた。花菜さんはヒマワリのような笑顔を見せて注文を取りに行く。注文を取っていると、新しいお客さんが来た。
「少々お待ちください」
花菜さんは注文を取り終え、すぐに新しいお客さんをテーブルへ案内した。かと思ったら席を立った人がいて、お会計をしたいと言っている。花菜さんはとても忙しそうだ。でもお兄さんはまだ戻ってこない。ぼくは様子を見に行くことにした。素早くカウンターの中へ入り、そのまま奥へと走る。裏口らしき戸を開けて外へ出ると、そこは草の根一つ生えていない湿気た路地裏だった。お兄さんはこちらに背を向け、壁に向かって電話している。
「先輩、火口を助けたいなら落ち着いてください。でないと、助かるものも助からなくなる」
何を言っているんだ? ぼくは固まる。火口というのはお姉さんの名字だ。『メンター×メンター』を読むことで鍛えた僕の読解力が正しければ、お姉さんは今、助けが必要な状況だと言うことになる。
「お兄さん」
そう呼びかけはしたものの、お兄さんはぼくにはまるで気づかない。息も荒くなっているし、何より顔色がひどい。スクリーントーンを張ったような、そんな色をしている。
「先輩、落ち着いてください、先ぱ――」
ぼくはお兄さんのエプロンを引っ張った。お兄さんは腰をぎくっとさせて驚いた。
「どうしてここに?」
「お姉さんに何かあったんですか?」
「大丈夫だ。大丈夫。大丈夫だから、お前は店の方に戻ってろ」
繰り返された大丈夫は自分で自分に言い聞かせてるみたいだった。
「教えてください。お姉さんに何があったんですか?」
「まだわからないんだ」
お兄さんはスマホを持った手をだらしなく下ろし、うつむいた。
「では、現時点でわかってることを教えてください」
「教えたところで、俺たちにできることは何もない」
「ぼくはそうは思わない」
「それは、お前が、まだ子供だからだ」
大人はみんなそう言う。でもその一言に負けるわけにはいかない。ぼくは少年漫画の主人公のようにまっすぐお兄さんの目を見て言う。
「あるいは、そうかもしれない。子供のぼくは自分のできること、できないこと、何もわかっていないのかもしれない。でもぼくは、お姉さんのためならどんな無茶だってしたい。いや、しなくちゃならないんだ。だってぼくは、お姉さんのことが、好きなんだから」
お兄さんはまぶしいものから目を背けるようにぼくの目から目をそらした。そして、それはそれは深く長いため息をついて、路地裏の細長い冬空を見上げた。
「直人。お前は、すごいな」
「ぼくが?」
「ああ。俺はお前ほどかっこよく好きだとか言えないから」
「意気地がないですね」
「ほんとだな」
二人して笑う。ぼくらには妙な連帯感が生まれていた。
お兄さんはエプロンを脱ぎ捨て、悩みが晴れたような顔をして言った。
「行くか。火口を助けに」
「はいっ」
この世界は漫画じゃない。だから、主人公が二人いたっていいはずだ。




