火口組若頭
先生から連絡をもらった俺は、戸締りもせずに車で家を飛び出した。
信号に停まるたびにいら立ちはつのる。最悪の事態を想像し、肝が冷えていく。
駐車禁止の場所に堂々と車を止め、走ってカラオケ店に入る。すぐに火口組の組員がやってきて、部屋まで案内してくれた。
「雷華っ」
「パパっ」
娘が胸に駆け込んできた。俺が抱き留めるよりも早く、雷華は早口にしゃべりだした。
「琴刃が、琴刃がさらわれて、私、何もできなくて、道場の娘なのに、パパの娘なのに、足がやばいほどすくんで、戦えなくて」
「それでいい。無事でよかった」
そう言って俺は娘を抱きしめた。しかし、雷華は俺の腕の中で暴れて涙目になって言う。
「よくない。全然よくない。だって琴刃が――」
「それは、雷華のせいじゃない。もちろん君のせいでもない」
俺はもう一人の子にもそう言った。するとその子は眉間にしわを寄せた。
「あの、みなさんがここに来てからもう十分以上、経ってますよね?」
火口組の組長である先生、そして他の組員たちに向かって言っている。
「どうして琴刃さんを助けに行かないんですか? 場所は私、伝えましたよね? 木ノ國村四丁目893番地の廃工場って。組長を連れてこいって、そう言ってました。なのに、何を悠長に現場検証なんかしてるんですか?」
なんという子だ。ヤクザ十数人を前にしてまったく物おじしていない。今やその目は、先生をにらんでいる。
先生は本当に申し訳なさそうに頭を垂れた。
「すまんのう、お嬢さん。わしにも立場がある。琴刃を助けに行く前に、方々に筋を通しておく必要があるんじゃ。それに、火口組も一枚岩ではない。これだけ大きい事件となると、意思決定に際して若頭衆との協議も必要になってくる」
「お言葉ですが、そんなの、私には全部言い訳に聞こえます。琴刃さんが捕まったのは、あなたのせいなのに。あなたがヤクザの組長なんてやってるから、だから琴刃さんは――」
「すまん」
「謝るぐらいなら、最初からヤクザになんてなるんじゃないわよ」
「おい、てめえ、黙って聞いてらあ――」
「黙れ」
怒鳴ろうとした組員を、先生は一言で制圧して見せた。重たい沈黙がカラオケルームを満たしていく。その沈黙を打ち破るように一人の男が入室してきた。
「店にも警察にも話はつけた。帰るぞ」
男は黒のスーツを着ていて、一見、どこにでもいるサラリーマンのように見えた。が、眼鏡の奥の目は充血し、血走っている。
黒スーツの男の一声で、組員たちは部屋を出て行った。が、先生は雷華の友達の前から動かない。
「何してる? 早くしろ、老いぼれ」
先生に向かってこんなことを言える人物を俺は一人しか知らない。話には聞いていたが、実際に会うのは今日が初めてだ。
「斬次、帰る前に、お前も琴刃ちゃんの友達に挨拶しなさい」
「俺に命令するな。そもそも、あいつに友達なんていない」
瞬間、その子がキレたのがわかった。俺は素早く彼女の後ろを取り、羽交い絞めにする。
「離してくださいっ。私神崎美白はっ、琴刃さんの友達です」
「お前が勝手にそう思ってるだけだ」
「そんなことないわ。そもそも、あなた何なんですか? 琴刃さんの何を知っててそんなことを言うんですか?」
「あいつのことなら知ってるさ。お前なんかよりずっとな。何せ俺はあいつの親だからな」
やはりこの男が火口組若頭火口斬次か。
目が合った。あっちも俺に気づいた。
「お前が、岩砕か」
「そうだ。ウチの娘が君の娘と仲良くさせてもらっている」
「違うな。何度でも言うが、あいつに友達はいない。あいつは誰にも心を許さない」
その声の冷たさに悪寒が走る。少なくとも俺は、雷華のことをこんなトーンで語れない。
「本当にすまんのう、神崎さん、雷華ちゃん」
先生が謝る。その姿にヤクザの組長としての格や気迫などはまるで感じられない。そこにいるのは、ただ孫を奪われたかわいそうなおじいちゃんだ。俺はいたたまれなくなった。
「雷華、家に帰ろう。神崎さん、君も私が家まで送ろう」
そう言って俺は神崎さんを羽交い絞めにしたまま部屋を出て行く。その後ろを雷華がついてくる。が、部屋を出る瞬間、雷華が足を止めた。
「余計なお世話かもしんないけど、一言だけ」
雷華の視線の先には漸次がいる。
「父親が、自分の娘のことあいつって呼ぶのは、マジどうかと思う」
それだけ言うと雷華は走って俺の横まで来て、ぴたりと体をくっつけてきた。俺はまた安堵してしまう。琴刃お嬢さんがこんな状況になっているのに、こんなことを思うのはひどいことだと承知している。でも、娘が、雷華が無事でよかった。俺はきっと、これ以上家族を失うことに耐えられない。
駐車禁止の路上に停めたにも関わらず、まだ駐禁のシールは張られていなかったので、雷華と神崎さんを後部座席にのせ、車を発進させる。
信号につかまったとき、ルームミラーを通してそっと後ろの様子をうかがってみた。
雷華は時折鼻をすすり、とめどなく出てくる涙を服の袖口でぬぐっている。
一方、神崎さんの方はもう泣いてなどいなくて、涙の乾ききった目で、世界のすべてを否定するかのように窓の外をにらみつけていた。




